1st-person(2)
「……」「……」
僕もジュンイチも、その場に黙って立ち尽くして、互いの7年間で変わった姿を、確認するように見つめていた。
そして、溜まりに溜まった7年分の想いが邂逅する。
こういう時、男が取る行動には3種類ある。
ひとつは今の僕のように、感情の濁流を稚拙な処理機能では捌ききれずに、何が何だか分からずぼうっとしてしまう。
そして――
「ケースケ――ケースケ!」
ジュンイチはそう叫んで、玄関でまだ靴も脱いでいない僕の方へどたどたと駆け寄って、その腕で僕の体をきつく抱きしめた。
「――久し振りだなジュンイチ――いてて」
「ははは! このクソバカヤロウめ! 久し振り過ぎだ! 7年も待たせやがって!」
「いてて……」
ジュンイチの鯖折りのような抱擁は、弱っている僕の体にはヘビーだった。
「あ……マイさん。これ……」
僕はそんなジュンイチにつぶされる前に、そのまま腕を差し出して、横にいる女性に、持っていたケーキの箱を差し出した。
「ほらほら、ジュンくん、こんなところで立ち話もなんだし、そろそろ離してあげたら?」
女性がそう言って僕達の間に入ると、ジュンイチもその腕をやっと解いた。
「むぅ」
羽交い絞めにも似たその抱擁で、体がぎしぎしした。
「ケースケ、背が伸びたなぁ」
ジュンイチは、自分の手で僕の頭に手をやり、ぐしゃぐしゃした。
「本当。昔は女の子みたいな顔立ちだったのに、何か逞しいっていうか、男っぽくなって。カッコよくなったね」
女性もそう言った。
「……」
それに比べると、ジュンイチは随分変わったな。昔はもっと緩いキャラクターだったのに、見た目が随分ワイルドになっちまって。
「さあ、上がれよ」
エンドウ・ジュンイチは、僕が日本を出た後、自分も大学進学を捨て、カメラマンの修行を卒業と同時にはじめた。
有名カメラマンに土下座して弟子になった彼は、その4年目に自分の写真が週刊誌の写真新人大賞を獲得。その翌年に戦場カメラマンとしてトルコへ赴き、テロ集団の魔弾に何度も狙われながらも、戦場で生きる人々を生き生きと写し出したその写真は、その年の写真のタイトルを総なめにしたと言う。
その賞を取った翌年に独立してフリーのカメラマンとなり、今では雑誌や新聞社などと契約し、若手ナンバーワンと言われる実力を持っている。
基本的に写真のジャンルは問わないが、中でもスポーツ、特にサッカーの写真に対してとても意欲的で、今では代表チームの撮影をしながら、ご意見番として、今ではジャーナリストとしても活躍している。それがきっかけで、ごくたまにテレビにも出演したり、雑誌のコラムもいくつか担当している。その合間に、最近本物のジャーナリズムを勉強するために、通信制で早稲田大学に入学して、勉学に励んでいる等、随分と忙しそうだ。
そして、ジュンイチは半年ほど前に結婚していた。
相手は家の外で、僕を出迎えてくれたこの女性――ジュンイチが高校の時に付き合っていた、チア部の彼女、ナカガワ・マイだ。ジュンイチの純愛は、あの後も順調に育まれ、幸せなゴールインを迎えたらしい。
僕は7年前、ナカガワ・マイとの別れ際に、ジュンイチの側にいてくれ、と言った。彼女はその言葉を信じてくれたのだ。
――「遅ればせながらだが――二人とも、結婚おめでとう」
僕はリビングへ案内されながら、二人に祝辞を述べた。
「まったくだ」
ジュンイチが言った。
「結婚の時、お前、祝電をよこしたけどよ。『結婚おめでとう。お幸せに』の一言だけと来たからな」
「……」
ジュンイチの言う通り、僕は二人が結婚することを知り、電報と花を贈った。それがこの7年でジュンイチに出した唯一の連絡だった。
「まあまあ、こうして会いに来てくれたんだし、いいじゃないの」
マイが言った。
「お! 美味そうなケーキだなぁ。それもこんなに」
リビングに行くと、僕の持ってきた箱をマイが開けて、ジュンイチが声を上げた。
「折角だから、お茶入れるね。サクライくんは、コーヒー派だったよね。ちょっと待っててね」
そう言って、マイはリビングの奥に併設されたキッチンへと入った。
「いい家だな」
僕はリビングを見渡す。部屋には木彫りの飾りとか、独特な染物、マトリョーシカみたいな日本ではあまり見られない細工のされた人形など、様々な国々の調度品が入り混じっているけれど、それがどれも渋い味を出していて、広い部屋で浮き立つことなく調和している。キュービズムの絵画の展覧会に来たような感銘を受けた。
家に入る前に見たガレージには、恐らく撮影で機材を入れる関係もあるのだろう。10人位乗れそうな、でかいファミリーワゴンがあった。
一昔前は、男は結婚、車を買う、家を買うの3つを経験して、初めて一人前の男になるなんて考えがあったというけれど、ジュンイチは僕と同い年――正確には、ジュンイチの方が誕生日が早いから、ジュンイチはもう26歳、僕は25歳だけど、とにかくその若さで、もうその3つを達成していることになる。
古臭い考えだとは思うが、この若さでその3つを達成なんて、なかなか出来ることではない。それだけでジュンイチがこの7年、実りある生活をしたという証明である。
「しかし、二人で住むには広すぎるんじゃないのか?」
外観を見た限り、この家は4LDKはあるし、玄関からはバリアフリー用に設計されたエレベーターもあった。とても新婚の二人暮らしとは思えない。
「将来的に、うちの両親がここに住むことになるかも知れないしな」
ジュンイチが言った。
「親父もオフクロも、まだ50だからなぁ。まだまだ老け込みたくないって、地元で酒屋を今でもやってるよ。俺はもう一緒に住もうって言ったんだけどな」
苦笑いを浮かべる。
「そうか――マイさんはいいのか? お前の両親と一緒に住むのは」
「大丈夫だよ、サクライくん」
キッチンからマイの声がする。
「付き合ってた時間も長いし、結婚する前から一緒に夕食を食べたりしてて、うちとジュンくんの家族、家族ぐるみの付き合いだったから。だから結婚も割と円満に済んだし、私もジュンくんの両親と、仲いいから」
「それはいいことだ」
僕は姿の見えないマイに、そう伝えた。
「おじさんおばさんは元気か?」
僕はジュンイチの方を向いた。僕もジュンイチが赤点を取った時は、家も自転車で行ける距離だったし、とく泊まりがけで勉強会をしたし、高校3年になってからは、よくジュンイチの家に泊まりにいったものだ。ジュンイチの両親には、とても世話になった。
「元気だよ。全然変わり無しだ。お前が今日うちに来るって言ったら、今度うちにも遊びに来てって伝えてくれとさ」
「……」
僕はふうと息をつく。
20畳近くある洋室風のリビングは、まるで洋画に出てくる酒場に飾られた鹿の角のようなノリで、壁の至るところに写真が貼られている。ただのスナップ写真程度のものから、額縁に入れてある物もあるし、デジカメ用のスライドもいくつもある。
その写真のほとんどが、綺麗な風景と、人間が一緒に写った写真だった。ヨーロッパの街並みもあれば、雪化粧を纏った山脈だったり、一面の野原だったり、珊瑚礁の群生の写真だったり、砂漠だったり。
そして、一際大きく目立つところにある額には、ジュンイチとユータ、そして僕――3人が埼玉高校のユニフォームを着た姿で、全国大会準優勝後、当時の仲間5人と記念撮影した、僕が持っているのと同じ写真が飾られていた。
僕はその写真に映っているひとつひとつの風景がどれも面白くて、きょろきょろと部屋を見渡していた。
「落ち着け落ち着け」
目の前のソファーに座ったジュンイチがニヤニヤする。
「写真ならいつでもゆっくり見れるんだしよ。嫁がお茶を入れるまで、のんびりしてろよ」
「……」
「ん?」
「あ、いや、お前がマイさんのこと『嫁』って言うのに、ちょっと違和感が……」
「ふふふ――そうだぜぇ、二次元的な意味じゃなくて、マイは今じゃ本当に、『俺の嫁』なんだぜ」
ジュンイチは7年前と変わらぬ、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「嫁か――」
『嫁』と言う言葉を当時の親友が自然に発するその響きが、僕の耳や心に、経験したことのない形で残留する。
「何だかお前が、急に大人になっちまったような気分だ」
「はははは! 何だそりゃ!」
その一言に、ジュンイチは大爆笑した。
「サクライくん、しっかりしてるからね。高校生の頃は、私達が子供っぽく見えていたんじゃないかしら」
キッチンからマイがそう言った。
「そうなのかな……」
僕は頭を掻く。
「僕が日本に帰ってきた時、お前がカメラマンになっているっていうのも、何だかはじめは変な感じがした」
僕は言った。
「元々、大学に行こうと思ってた頃から、興味はあったんだよ。俺は歴史とか好きだったし、だからジャーナリストになろうと思っていたんだが、カメラマンになれば、ただジャーナリストをやるよりも、もっと世界を回る機会も、俺の伝えたいことを誰かに知ってもらうチャンスも増えるんじゃないか、ってな」
「……」
「それが、お前達と日本代表でオランダに行った時に、俺の撮った写真が学校で展示されたことがあっただろ。あの時はまだみんなに言えるような段階じゃなかったから言わなかったんだが、カメラマンっていう仕事の興味がすごい湧いてたんだ」
ああ――そう言えばそうだった。僕達が日本代表の合宿に参加した時、ジュンイチは事ある毎に皆の写真を撮っていたな。なかなかそれが好評だったっけ。
そうか。そう考えたら、ジュンイチがカメラマンをやるというのは、なかなか自然な流れだったのかもしれない。
「僕、写真には造詣はないが、お前の写真、好きだぞ。お前の写真に写っている人、みんないい笑顔しているし、風景とか史跡とかも、面白い表情が出ている気がする」
そう、ジュンイチの写真の特徴は、とにかく明るい印象の写真が多いことだ。
ジュンイチは大雑把そうに見えて、他人をよく気配っていて、リラックスさせるのが上手かった。だから誰とでも仲良くなれる。
その能力をフルに使っているのか、ジュンイチの写真には、『らしさ』が詰まっているように僕は感じていた。そういう、他者、対象の表情を引き出すことの上手さを見ても、今思えばジュンイチにカメラマンという職業は、天職だったのかもしれない。
「あれれ? 7年前にも、ケースケが俺にそんな風に褒めてくれたこと、滅多になかったのにな」
ジュンイチが少し照れくさそうに、でも嬉しそうに笑った。
「嘘でも嬉しいぜ」
「……」
髭も生やして、随分ワイルドな風貌になってしまったのに。
ジュンイチのその笑顔が、妙に懐かしく感じる。
昔は当たり前に見ていたジュンイチの笑顔なのに。
「あぁ、そう言えば、お前達、結婚したのに、まだ式を挙げてないんだろ」
照れ臭くなって、僕は話題を変えた。
「どうしてだ? 金でも貯めてるのか?」
「バカ野郎。お前が参加しないからだよ」
ジュンイチが言った。
「え?」
「そうだよ、サクライくん」
キッチンからマイが、カップの乗ったトレイを持って出てきた。
「だって私達が付き合い始めたのって、サクライくんのおかげだもの。埼玉高校で、私がジュンくんに告白した時、あなたがお祝いだって言って、ギターを弾いてくれて……」
「……」
マイは僕の前に、コーヒーの入ったカップを置く。
「昔も言ったでしょ? サクライくんは、私達のキューピッドなんだから。なのにそんな人を抜きにして、式を挙げたりできないでしょ?」
「……」
――そうか。僕のために、二人は……
「――すみません」
「え? ふふふ、何それ」
マイに笑われた。
「――なあ、そのお詫びに、お前達の結婚指輪、僕に作らせてくれないか」
僕は自然と、そう口にしていた。
「え?」
ジュンイチもマイも、途端驚いた表情になる。
「で、でも、サクライくんの作る指輪って、すごく高いんでしょ?」
「お前達から金を取る気はない。値段はお前達の出せるだけでいいからさ」
「……」
「頼む。何だか無性にお前達の結婚指輪を作りたくなった」
――どうしたんだ、僕。
宝石デザイナーという仕事に、ずっと絶望して、心から何かを作りたいと思うことなんて、ここ数年、一度もなかったのに。
今はこんなに、ひとつの仕事に挑戦したいと思うなんて……
「わぁ、素敵!」
マイが声を弾ませた。
「サクライ・ケースケが作った指輪なんて、今や日本中の女の子の憧れだもん」
「ああ、そりゃいい記念になるな。昔のキューピッドが作ってくれた指輪じゃ、俺達にとっても縁起がいい」
ジュンイチも笑顔だ。
「ありがたく、その厚意に甘えさせてもらうぜ」