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Reunion

 ――それから僕は5日間、衰弱した体と免疫力を回復させるために、病院の個室に半ば監禁されての治療の日々を送った。

 医者に、ここまで体を悪くしたことをこっぴどく叱られ、体の説明を受けた。ざっくばらんに言えば、赤血球の減少、疲労物質の蓄積、臓器のホルモン障害で、たんぱく質等を消化してエネルギーに変える機能の大幅な低下、そして、男性機能の低下等、枚挙に暇がなかった。

 この生活を続けていたら、糖尿病や心筋梗塞で死んでいたとか、子供が作れなくなったとか、このご時勢に栄養失調で死ぬつもりかとか、医者の怒るネタも、すぐに新しいものが湧いてくる有様だった。多分僕の危機感を煽るつもりだったのだろうけれど、残念ながらそういう注意はあまり僕の恐怖にはならない。

 ――しかし病院にいる以上は、そんな医者のルールに従わざるを得ないわけで。

 パラフィン浴だとか、針治療だとか、体の自浄作用を回復させる治療とやらをひたすらやらされる上に、胃カメラや注射針が何度も僕の体に挿入された。食事は大量の栄養剤と、お粥のような流動食。食欲もない上に、病院の用意したものだから、とんでもなく不味いが、栄養をちゃんとつけろ、という病院側の命令で、不味いものをひたすら食わされた。

 唯一まともな食事といえば、コンビニで100円で売っているような小さなプリンだ。そのプリンにしても、一度スプーンでぐちゃぐちゃにしてからストローで吸って食べるという、顎や頬の骨を折られた格闘家のような食べ方で食べた。甘いものはあまり得意ではないが、こうして食べるプリンは、恐らく僕の人生で食べた美味いものベストスリーに入ると思う。プリンがここまで美味いと感じたことはなかった。

 それ以外の時間は、ひたすら休めと言われ、病院どころか、病室からもろくに出られず、ひたすら寝て過ごした。

 これまでの人生で、ほとんど休息のなかった僕も、ふと、3日くらい寝て過ごせる日があったら、と思うことがあったけれど、実際やってみると、3日なんてとてもとても――

 2日目で、時間の消化に途方に暮れた。寝たいけれど、眠れないから、いっそ睡眠薬を処方してくれと頼んだけれど、薬を大量投与している今、そんな薬は出せないと断られた。

 仕方がないから、見舞いでエイジが持ってくる本を、僕はひたすら読んで、時間の消化に努めた。

毎日のように、紙袋いっぱいにエイジは本を持ってきてくれた。海賊や忍者が主人公の漫画とか、今ではグランローズマリーより小さい企業の社長の書いたビジネス書、薄甘いことばかりかかれた自己啓発本、古書、ジャンルは様々だったけれど、僕にとっては何でもよかった。暇が潰れれば――茫漠とした時間の中、思考を少しでも止めてくれれば、何でもよかったし、そもそもこうしてゆっくり本なんて読めたことが、僕の人生でなかったし、僕がどんな本が好きかということを、僕自身が知らなかったからだ。

 結局僕は5日間で、漫画は100冊。小説も30冊は読みきってしまった。

 しかし、エイジが気を利かせてなのか、紙袋の中にはいつも何冊かエロ本が入っていたのには、ちょっと辟易した。

 トモミのあんな告白を聞いてしまって、まだ体にはトモミが僕を抱きしめた時の感触が残っている――彼女の涙を思うと、とてもこのエロ本をしげしげと読む気にはなれなかった。



 ――10月29日 PM3:00


「うーっ、6日振りの外か……」

「ぶっ倒れた日からだと、9日ぶりの娑婆の空気ってわけだ」

 僕とエイジ、トモミの3人は、病院の駐車場に歩を進めていた。トモミの手には山のような花束があった。

 5日間の入院を終え、今日の午前中に一通りの検査を行い、とりあえずの退院許可が出たのだった。花束は看護婦さんからもらったもの。この花を持って、僕は看護婦さんとの記念撮影をして欲しいと、看護婦さんに迫られていたが、婦長さんらしき人が、若い看護婦に、仕事しろ、と一喝してくれて、何とか解放されたところだ。

「――やっとお粥から解放か……」

「何言ってるんですか。社長はこれからもしばらく私の作るお粥を食べて、栄養をつけるんですよ。退院するといっても、まだ体は元に戻ってないんですから……まだ食事制限だってあるんですからね」

「……もう大丈夫ですよ。これからはちゃんと自分で食事も摂りますから」

「ダメです。それ信用してたら、また倒れちゃいますもん。それに私、お医者さんに頼まれて、ちゃんとこれからの療養メニューも預かってるんですから。ちゃんということ聞いてもらいますからね」

「……」

 トモミはもう、気持ちを切り替えたのか、僕に告白して泣いていたのが、今では嘘のようである。

だが、彼女は明らかに、無理に明るく振舞おうとしている。5日前、エイジの前で吐露した言葉や涙を思うと、そんなに簡単に気持ちの整理がついたとは思えない。

 僕にはそれがちょっと痛々しくて……

 こういう時、気付かぬ振りをしてやるべきか、逃げずに僕から彼女の真意と向き合おうと努力すべきか、どちらが正しいのか、僕にはよくわからない。

 エイジはトモミに背を向けて、僕の肩を抱き、耳元で囁いてみせる。

「――お前、秘蔵のエロ本があったけど、使えたか?」

 そう訊かれた。

「――あぁ……それだけは看護師さんに没収されたよ。こんなの見ちゃダメだ、とか言われて」

「マジかよ! 純朴青年も困りものだな……お前、プライベートじゃエロ本も買えないだろ」

「何バカな話してるの?」

 どうやらトモミには丸聞こえだったらしい、その後僕達は苦笑いを浮かべた。

「しかし、この花束をくれた看護婦さんたち、みんな名残惜しそうな顔してたなぁ。どうやらお前、この5日間、相当看護婦さんにもててたみたいだな」

「――いつも病室にとっかえひっかえ看護婦さんが来て、世話を焼いてくれるからさ――逆に疲れたよ」

「ふーん……」

 トモミがそれを訊いて、冷たい生返事をした。

「……」

 ――しまった。デリカシーなかったかな。僕。

 エイジが車を回してくれ、トモミも僕に同行していた。どうやら今日はエイジも休暇を取ったらしい。二人とも私服だった。エイジは琥珀色のサングラスに、だぼっとしたボトムにパーカーという、僕より年上とは思えないような格好に、シルバーアクセサリーをあしらっている。どうやらエイジのファッションの方は、いまだに不良だった頃から抜け出せていないらしい。

 トモミはそれに比べると少しカジュアルで、白と黒を基調にした服に、秋物のコートを着込んでいた。スカートも長過ぎず短過ぎず。スーと以外のトモミを見るのは初めてじゃないけれど、やっぱり女性は私服の方が輝いて見える。

「――お前、仕事しかしてないから、私服がゼロだもんな。休日もスーツで過ごす気かよ」

 駐車場へ3人で並んで歩きながら、エイジはスーツの上に、黒のトレンチコートを着ている僕を笑った。僕は長年仕事ばかりの生活だったので、私服を持っていない。

「お前も、この先3日間休暇を取ったんだ。その間に、ゆっくり休め」

「あぁ……」

 退院後も、僕は3日間の休暇をとることになっている。これは医者の意見で、すぐにグランローズマリーの激務に戻るのではなく、少し慣らし運転が必要ということだ。

「だけど――医者が言ったことといっても、お前から休みを取りたいというとは思わなかったからな。正直びっくりしたぞ」

「あぁ……」

 僕はもう、この先の事を考えていて、当面エイジには生返事を返した。

「さて、折角だ。車を借りてきた。こいつも、お前の仕事がないなら、必然的に仕事がないしな。もう午後だが、休みだし、どこか遊びにでも行こうかと思ってな」

 エイジの前に、わナンバーの簡単なファミリーセダンがあった。

「――遊びにって……どこに行くんだよ」

「どこでもいいんですよ。ディズニーランドのパレードを見に行くもいいし、川原でバーベキューでもいいし、単にドライブでも紅葉狩りでも。退院してリラックスしたいなら、日帰り温泉なんかもいいんじゃないですか? 2年越しの休みだし、どこかに行きません?」

 トモミが言った。

「それとも、私とデートの方がいいですか?」

 そして、いつものノリで、僕を困らせるジョークを言った。きっと、わざとそういうことを言って、この前のことをあまり気にしていないんだというアピールだろうか。

「デートか……」

 僕はその言葉を反芻する。

「すいません。デートには先約がいて……」

「先約?」

 トモミは首を傾げる。

「エイジ、悪いがこの車、僕が借りていいか? 行かなくちゃいけないところがあるんだ」

 僕はエイジにそう頼む。

「……」

 エイジは少し考えていたようだが、やがて、言った。

「病人が運転なんて危ないからな。いいよ、どうせ暇だし、俺がそこまで運転してやる」

 そう言って、僕を後部座席へと乗せ、トモミを隣に押し込むと、エイジは運転席に乗り、車を発進させた。

 車は駐車場を出て、公道に出る。

「で? 何処へ行く? カーナビ付いてるし、目的地があれば入れてくれ」

 エイジが運転席からフロントミラーに目をやりながら言う。

「トモミさん、この辺に有名なケーキ屋とかないですか?」

「え?」

 トモミは怪訝な顔をしたけれど、すぐにエイジに口頭で案内を始めた。病院は会社のすぐ近くなので、トモミはこの辺の地理や店に詳しい。

 ケーキ屋の前にエイジを残して車を止め、僕とトモミは車から降りて、ケーキ屋に入る。そこでトモミの見立てで、適当にケーキを8つほど詰め合わせてもらった。

「社長、これから誰と会うんですか?」

 トモミは僕にそう訊いた。

「何だか、嬉しそうな、不安そうな……今まで見たことない顔だから、ちょっと気になって……」

「……」

 まさに僕はこの時、不安と期待の入り混じった、複雑な思いに満たされていた。ただ、高揚していることは事実で、感慨深くもある。

「あいつ個人なら酒の方が喜びそうだけどな……酒屋の息子に酒を差し入れるのも、変な話ですしね」

 僕はそう答えた。

 車に戻ると、僕はリモコンを持って、レンタカーのカーナビに目的地を打ち込んだ。エイジはそれを見て、車を発進させる。

「これ、住宅街じゃないのか? 休みの目的地としては、変なところだな」

 エイジはハンドルを握りながら言った。

「……」

 トモミは車で、僕の横顔を隣で窺っていた。

 僕は車の中で、この7年間の道程を思い出していた。

 この7年を経て、僕はあいつらと会う資格が本当にあるのだろうか……そんな事を考えていた。

 だけど、この前の電話では、本人とは話してないけれど、こうして会う約束も取り付けた。

 僕は、前に進んでいるのか、それとも後退しているのか……

 人生で何かを挑戦する時、そのどちらに進んでいるか、わからないことというのは意外に多い。僕の場合それが人一倍多かった人生だろう。生き方が不器用な上、力を持つあまり、悩みを共有して、生き方を学ぶ機会をくれる人間もいなかった。だから、手探りでいつも道を切り開くしかなかった。

 今回のことも――

 目的地の住宅街は、駅から近いのに、メインロードから外れていたので、車もほとんど通っていない。まさに閑静という言葉を絵に書いたような場所だ。

 目的地である家の前に、一人の女性が立っていた。それを車の中から確認。

「エイジ、ここでいい」

 僕がそう言い、エイジは車を一度止める。

「ありがとう、わざわざ送ってくれて……」

 僕はそう言うが、エイジはここが何処なのか、まだ見当がついていないようだ。

「社長、ここって……」

 トモミは既に感づいているらしく、既に目を見開いていた。

 僕は一人、ケーキの箱を持って、車から降りた。

「トモミさん」

 後部座席のドアを開けたまま、かがんで二人の顔を覗き込む。

「――また心配かけちゃうけど、もしかしたら二、三日、暴飲暴食しちゃうかもしれないんだけど……」

「……」

 トモミはしばらく沈黙。

 だけど、少し笑顔を見せていた。

「――全然いいですよ。特別に許可してあげます」

 トモミはやがて満面の笑みを浮かべ、そう言った。

「ありがとう」

 僕はそう言った。それ以上何か言おうとすると、僕は不器用だから、失敗しそうだ。

「ほら! 早く行って!」

 トモミは後部座席から、エイジにそう促した。

「え?」

「私達は邪魔なの! ほら、行って!」

 トモミがそういうので、僕は車のドアを閉めると、トモミはドア越しに、僕に国利とうなずいて見せた。そしてそのまま、車は走り去っていった。

「……」

 一人になり、僕は3メートルの距離で、僕を待っていた女性と対峙する。

「……」

 目の前の女性は既に涙を讃え、満面の笑みを見せている。女性にしては背が高く、エプロンをしていても分かるすらりとしたボディラインを持ち、ジーンズを穿く脚線が美しい。長い髪を上に束ね、細身の印象なのに、ふっくらと柔らかな笑みを讃える女性だった。

「――押忍」

 僕は手を上げ、二、三歩歩み寄る。

「サクライくん!」

 そうして、女性が僕の胸に飛び込んできた。

「うお」

いきなりのことに、思わず声が出る。

「サクライくん――サクライくんだ!」

「――久し振りだな。ナカガワさん」

 僕は彼女にそう声をかける。

「――あぁ、もうその呼び方は使えないんだっけ……」

「ううん、好きに呼んで構わないよ」

 彼女は僕の胸の中で、感極まるように声を漏らした。

「サクライくん――何でもっと早く会いに来なかったの? あの人もあなたのこと、ずっと待ってたのに。祝電一本よこしただけなんて……」

「――ごめん」

 何だか、こうして何度も、僕の胸の中で泣く女性が出てくると、最近ではあまりうろたえることがなくなってしまった。

 僕の胸から顔を離す女性の目を改めて覗き込む。

「あいつは?」

 そう訊くと、女性はおかしそうに笑った。

「あの人もさっきまでここで待ってたんだけど――緊張に耐えきれなくて、家に入っちゃったわ。あの人も照れ臭いのよ」

「――そうか」

 そう言って、僕は女性の後ろにある家を見る。

 小ぢんまりとしているけれど、門の奥には卓球台を3面ほど置けそうな小さな庭が見え、ガーデニング用の小さな鉢が色とりどりに庭を飾っている。白を基調とした家は3階建てで、どうやら屋根裏部屋もついているつくりのようだ。北欧風のレンガ造りで、これなら狼でも、嵐でも家事でも、ちょっとやそっとじゃ壊れないだろう。

「幸せなんだな。君も」

 僕は隣にいる女性に呟いた。

「ああ、この家? でも実際は、ローンがあと30年よ? 気が遠くなるわ……」

 女性は僕を門扉の中に通し、家の扉を開ける。

 家の中は芳香剤のミントの香りが薄く漂っている。靴は全て揃えられていて、玄関前には棚があり、そこには外国のものだろう、小さく可愛らしいみやげ物の石や人形などが置かれている。大きな花瓶には花道家が生けたような花が生けられている。

「へぇ、綺麗な家だな」

「昨日慌てて掃除したのよ。あなたが来るからって言って、あの人が率先してね」

 そう言ってから、女性は声を上げる。

「ジュンくーん、サクライくんが来たわよー」

 家の中に声が響き渡る。

「さ、上がって」

 僕は女性に促されて、玄関で靴を脱ぐと、スリッパを出してもらった。それに履き替えたのとほぼ同時だった。

 玄関に新たな人の気配が……足音が聞こえてくる。

 玄関の先――奥の扉を明けて、一人の大柄な男が出てくる。

 180センチを超える長身に、無精ひげを生やし、主に上半身に筋肉が隆起して、非常にがっしりとした体格の、山男のような風貌。

 僕の知っている7年前の姿よりも、ずっとワイルドな風貌になっている。

 ――僕の親友の一人、エンドウ・ジュンイチの現在の姿だった。

えー、感想を見た結果、やはりこのまま第3部を続行という形にさせていただきます。

本当はこの回で一度話を切ろうか迷っていたんですが…じらしプレイ的な意味で。

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