Base
――ファミレスで、僕達はドリンクバーとピザを注文し、僕はサラダバーも注文した。
向かい合って座るシオリに、僕はドリンクバーのオレンジジュースを汲んで、僕もアイスコーヒーを汲んで、持ってきた。普段からコンビニ弁当ばかりで、野菜が不足しがちな僕は、サラダを山に盛りつけた。彼女にオレンジジュースを渡し、ピザが来ると、僕がローラーナイフで六つに切って、シオリの分も皿に取り分けた。
「……」
何だか変な感じだ。学年中の男を魅了している女の子と、今こうやって、ファミレスなんかで二人きりになっているのが。望んだわけでもないのに、変にうまい話めいていて。しかもジュースやピザを取り分けてやったりして、その子の目の前で、僕は山盛りの生野菜を馬みたいに食べている。
僕は何をやってるんだろう。
しかも、バイトはまだ続けてる? とか、全国大会に行くってどんな気分? とか、ピザを食べながら、シオリは僕のことをしきりに訊きたがっている。
まるでここ一年間、ろくに話せなかった分をまとめて話しているといった感じ。彼女だってそんなに話すのが上手でも、好きというわけでもなさそうなのに、そんなに無理して話して大丈夫かと思うほどだった。
ピザを食べながら、ほとんどのスケジュールは決まってしまった。僕が作ったメモがテーブルの脇に置いてある。雑談をするには差し支えないけれど……
どうして僕のことを訊きたがるのか、そして、ただ競い合っていた仲であったはずの彼女と、こうして他愛もない会話を交わすという……
まったく歯車が狂っている。
「でも今回のテストは、私、サクライくんに圧倒的に負けちゃってたね」
ふとテストの話題になった。溜息をついて、彼女は失笑する。それはきっと自嘲だったのだろう。
「どうして笑ってるんだ?」
僕はシオリに訊く。率直な質問だった。僕から質問を投げかけたのは、今日これが初めてだった。
「え?」
シオリは質問の意味がわからなかったらしく、目を丸くして、持っていたピザを取り皿へ置いて、口元をナプキンで拭った。
「だって、君は今までずっと一番だったのに、僕に初めて追い抜かれたんだし、あまりめでたいことじゃないだろ」
さりげない皮肉のつもりだった。貧乏っちくなるのが嫌だったから自重したけれど、言葉の後に、無理にお世辞言わないでいいよ、くらい言いそうだった。それを言わなくても、僕の一言は、それを案じさせる言い方をしていた。それが絶妙さをかもしだした、最高の皮肉だったと思う。
しかし、シオリはそんなことに気がつかなかったのか、笑顔を含んで、さらりと言った。
「しょうがないよ。元々潜在能力は、サクライくんの方が上だと思っていたし――それにサクライくんの方が、大変な部活やってるんだし、バイトもして時間がないのに。だから、今まで私はそういう有利な条件で上にいられただけで、ちょっと悪いと思っていたくらいなの。いつかはこうなることくらい、わかっていたから」
「……」
もっと悔しがれよ。
僕は君を超えたかったから頑張ったんだ。僕を押し退け、上座に座っていた君の座布団を引っ張って、君が転げ落ちる姿に指を差して笑いたかった――そんな奴なんだよ僕は。
それなのに……そんな僕を前にして、そんな裏表のない目で僕を見ないでくれよ。
彼女も、ユータやジュンイチと同じだ。勝ち負けじゃない価値観で生きていて、ちゃんと他人を認める素直さを持っている。
それが、今まで勝ち負けの中でしか生きていけなかった僕には、理解できない。
どうして――どうして悔しがってくれないんだろう……
「……」
その時、わかった。
僕が何故今回のテストで、彼女に是が非でも勝とうと思った理由。
僕ももはや、弱者をいたぶることを、求め出しているんだ。
僕も家族と同じ、疲れ切った心の憂さ晴らしに、弱者を蹂躙することを求め出している。弱者の悔しがる姿に愉悦を覚えるような――そして、悶えている奴に更に追い討ちをかけて愉しむような、残酷で卑屈な心が、いつの間にか、僕の心にも……
だから、彼女が悔しがってくれないことに、こんなにもイライラしてしまうんだろう。
知らず知らずのうちに、僕は自分より下の人間を、必死で探し出している。
弱者が欲しいんだ。自分より上にいる人間を引き摺り下ろして、そいつを馬鹿にして、蔑んで、いい気分になりたがっている。自分が優れた人間で、自分は正しいのだと、思い込もうとしている。
「……」
もしかして、僕が今まで努力し続けてきたのは、自分が蔑まれるのが嫌だったからじゃなく、弱者が欲しくて、自分で作り出そうとしていただけに過ぎなかったんじゃないだろうか――
自分が強くなりたかったのではなく、相手を引き摺り下ろして、いい気分になろうとしただけだったんじゃないだろうか――
これが僕の欲しいもの――勝ち取ろうとしたものだったんだろうか……
自分がどんどん、嫌な奴に捻じ曲がっていくような気がした――あの家族と同じ、弱者をいたぶることで居場所を見出そうとする心が、僕の心にも……
立場が逆だ。赤点を取って、大会に出られるかの瀬戸際にいるユータ達に、僕は心配されているし、テストでいつも負けていた僕は、彼女の努力なんか、一度だって考えたこともないのに、彼女に僕が勝てば、彼女は僕の努力をすんなり讃えてくれるなんて。
「悪かったね。変なこと訊いて」
僕はそうフォローした。しかし、もう雰囲気は変わっていた。オレンジジュースを飲みながら、シオリの怪訝そうな瞳は、僕のしがらみを凝視しているように感じた。
その、聡明さを併せ持つ、明鏡止水の瞳を見て、太陽を恐れる吸血鬼のように憔悴し、背中に冷や汗が流れるのを感じた。懐に凶器のナイフを隠し持ったまま、警察の尋問を受けているような気分だった。
その気持ちを誤魔化そうと、僕はピザなど頬張って、表情と心を殺していたけれど……
――僕は――あの家族と同じなのか?
そんな自己嫌悪が、頭からいつまでも離れなかった。
心が叫んでる。悲鳴を上げている。彼女の目を見て、それが分かった。
何でだろう。自らで道を切り開いてみせると、決意したはずなのに……
彼女の目を見ていると、この頑なな気持ちを解きほぐしてほしいと思う、この気持ちは。