Sword
――さすがに女心が分からない僕でも、分かった。
トモミの気持ち――彼女が今まで、どんな想いを秘めていたのか。どれだけ僕を想ってくれていたのか……
彼女の真剣で、切実なほどの思いが、僕にも伝わってきて――さっきの涙に加えて、更に心にずしりと堪えた。
今までも、何度も女を泣かせたのに……
こんなに誰かの涙が堪えたのは、いつ以来だろう。
きっとあの時――今と同じ病院で……
「そうだよな。嫌いになれないよな、あんな奴」
エイジの声が聞こえた。
「確かにあいつはどうしようもないバカだ。人付き合いは下手だし、肝心なことは喋らないし、浮世離れはひでぇし――あれだけスペック高いのに、リア充の香りは皆無の、とっても残念な奴だ」
酷い言われようだった。
「けどよ――心の綺麗な奴だ。大切なもののためなら、どこまでもまっすぐに、どこまでもバカに、どこまでも命懸けになれる奴だ」
「うん……そうだね」
「……」
「あの人の言葉とか、差し伸べてくれる手は、いつもあったかい――計算とか、駆け引きとか全然なくて、生まれたままの真心をくれる――」
「……」
「女からしたら、あの人に想われた人は、とっても幸せだろうな、って思っちゃうんだ。あそこまで誰かの幸せを願って、そのために一生懸命になれる人――浮気なんか眼中にないくらい、まっすぐな人――そんな人に想われたいって、多分、女ってほとんどが、そういう人を探しているんじゃないかしら」
「……」
沈黙。
「――お前はよくやってくれたよ」
エイジの声が聞こえた。
「あの浮世離れの酷いケースケの世話をあんなに甲斐甲斐しくやってくれてよ。お前がいなかったら、ケースケはきっと、もっと早くダウンしていただろうさ。グランローズマリーは、それこそ大混乱だった。俺は感謝してるぜ」
エイジの野太い声が、とても優しかったように、僕は感じた。
「ううん、全然ダメだよ」
トモミの声。
「あんたも見たでしょ? 社長の右腕」
それを訊いて、僕は心臓が一度、すごい音で鳴った。
「あぁ……あのためらい傷か」
「……」
――そうだよな。僕の右腕は点滴が入れられていたし、見えるよな……
「私――気付いてあげられなかった。あの人が、あんなに苦しんでいるの」
「……」
「救ってあげられなかった……」
「仕方ないさ。みんな何でもできるわけじゃない」
「でも――シオリさんは出来たんだよね」
「……」
「――すごいよね。シオリさんって」
「……」
「私――社長がシオリさんのことを話した時から、ずっとシオリさんが羨ましかった。正直、すごく嫉妬したんだけどさ、その反面で、もう完全に、負けた、って気持ちにさせられちゃったんだよね……それからもう、気持ち、ごちゃごちゃ……諦めようとも思ったけどさ、あの人と一緒にいると、やっぱり嬉しくて、自分でもどうしようもなくなっちゃって……」
「――なるほど。告っちまったのも、それが多少は原因している――か」
「――かもね」
「お前の気持ちとは、ちょっと違うかもしれないけどさ、俺も、少し分かるよ」
「え?」
「俺はケースケをダチだと思っているし、あいつも多分、俺のことをダチだと思ってくれてはいるだろう。でもよ。帰国して早々、連絡をよこした俺と、今でも会いに行かないあいつらで、やっぱりダチとしての重みじゃ、あいつらに敵わないなって、複雑な気分になったこともある」
「……」
エイジ――そんなことを。
「でもよ、それはしゃあねぇ。やっぱりケースケにとって、あの頃のダチってのは、やっぱり特別なんだ」
「……」
沈黙。
「――ねえ、あんた、シオリさんのこと、少しは知ってるんでしょ?」
トモミの声が、その沈黙を破る。
「どんな女だったの? シオリさんって」
「んー……俺もすげぇ面識が会ったわけじゃねぇけど、良くも悪くも、ケースケと似ていたよ」
「え?」
「まず目の色がさ、あいつと同じ、澄んだ目をしてて、俺みたいな強面の男にも、微笑みかけてくれた。周りに弱音を吐かない頑張り屋で、自分よりも、誰かの幸せを願える、そんな優しい娘だったよ」
「――そっか」
力ないトモミの声が響く。
「今考えると、ケースケは、家族のこともあったからか、誰にも頼りたくない、誰にも負けたくないって思いが強くて、そんな感情を常に垂れ流してた。それがあの、鬼みたいな力の強さと相まって、怖がって誰も近付かない――抜き身の刀みたいな奴だったけれど、シオリさんがいい感じに、あいつの鞘になってたんだよな」
「……」
「あの娘と付き合って、あいつの殺気って言うか、毒気って言うか、そういうのが消えて、目許が随分柔らかくなったからな。ひとりぼっちだったあいつが、日本中にファンを持つまでになっちまった。お前が7年前に見たケースケを作ったのは、きっとシオリさんだぜ。世間は誰も、シオリさんの存在を知らないがな……」
「……」
鞘、か……言い得て妙だな。
7年前、日本を出る時は、僕はもう、一人でも大丈夫だと思っていた。
だけど、違った。
ひとりぼっちになった僕は、この力と、親を殺しかけたという過去があって。
皆が僕を怖がった。
僕は一人では、誰かに歩み寄って、触れることも出来ない。
エイジの言う通り、僕は刃物のような存在で。
そんな人間が、刃をちらつかせながら、義を唱えても、平和を謳っても、伝わりはしない。
そんなことも分からなかった。僕は……
「――やっぱり、あの人には、昔の仲間が必要なのよ」
トモミの声。
「私達じゃダメだもん……今のあの人に必要なのは、心の静養と、大切な人とのふれあいなんだわ」
「ああ。そうだな」
「……」
「しかし――いいのかよ。お前はそれで」
「うん――だって、心の中では、初めから分かっていたから。私じゃ、シオリさんには勝てない、って」
「……」
「それにさ――シオリさんのことを羨んで、嫉妬してさ――そういう自分の嫌なところ、見たくないし――あの人にも知られたくないんだ。どうせ負けるなら、シオリさんと同じ、あの人の幸せを願って、振られないと、私――負けるにしたって惨敗だし――最低になっちゃうし……」
そう言い掛けるトモミの言葉は、後半ほとんど聞き取れなくなった。
「うっうっ……」
もう一度二人の方を覗くと、トモミはベンチに座ったまま、両手で顔を押さえて泣いていた。
「……」
隣に座るエイジは、そのヤツデみたいな大きな手で、トモミの肩に手を回して、そのままトモミの頭を抱きしめるように、腕で包み込んだ。
「よく頑張ったな」
エイジはそう言った。
「や、やめてよ……」
涙声で、トモミは声を絞り出す。
「お前さ――自信持てよ」
泣きじゃくるトモミの頭を抱いたまま、エイジは言った。
「お前、すげぇいい女だよ。シオリさんに負けないくらい、いい女だよ」
「――ありがと」
トモミは小さな声で言った。
「――あんたも、見た目よりもずっといい男だと、思うよ……」
そう言ったトモミの声は、離れて聞く僕の耳にやっと届くくらいの、小さな声だった。
「――そりゃどうも」
エイジがぶっきらぼうな返事を返した。
「……」
心拍数が、少し増えた。
エイジ――恋愛に対して諦め半分の男が、ドサクサ紛れだけれど、精一杯の思いを惚れた女に伝えた瞬間。
それをトモミがしっかりと受け止めた瞬間を目の当たりにして、僕は何だか、蛹が蝶になる瞬間を見るような高揚感を感じた。
だけど――もうここまでだと思った。
さすがにもうこれ以上、二人のことを覗いてはいけない。
僕はまた、足音を殺して、二人のいるエレベーターから背を向けて、そこから退散した。
僕はそこから、非常階段を見つけてそこから病院の1階へと降り、誰もいない病院の待合室のひとつの長椅子に腰を落とした。
「……」
誰もいない、何も聞こえない病院の待合室で、僕はトモミのことを考えていた。
告白されて、抱きしめられて、彼女の涙を見て。
こんなにも僕を想ってくれていたのか、ということを知って。
彼女の想いの質量を、感じ取って。
そんな娘が、自分の想いを諦めようとしてまで、訴えたかったこと。
それは、きっと僕にとって、ただの綺麗事ではないし、軽いものでもない。
報いる――そんな言葉を使ったら、トモミはまた怒るかもしれない。
だが、その報いとは、自分が楽になりたいからという動機でもない。
ここで何か彼女に応えられる何かをしないと、僕こそ本当に最低だ。
自分がこの先どうやって生きていいかもわからない。体の力は抜けきって、生きる希望はもう僕に欠片も残されていない。
何も変わっていないけれど……
このままでは死ねない理由が、ひとつだけ出来た。
待合室の隅に、旧式の公衆電話があるのが目に付いた。
僕は椅子から立ち上がり、公衆電話の受話器を取った。
百円玉を投入し、ダイヤルを押そうとしたが。
――手が震える。
これは、感慨か? それとも、恐れか……
僕の深層心理は、これを押すことをためらっている。
だが――トモミのことを思うと、そうも言っていられないだろう。
あの娘が、あれだけ勇気を出して――自分の想いを殺してまで願ってくれたこと。
今更僕が足踏みはしていられない……
僕は矢継ぎ早に番号をダイヤルする。最後のボタンを押すと暫くして、呼び出し音が聞こえ始める。
「……」
僕は深呼吸をして、唾を飲み込む。
「――はい、もしもし」
女の声がした。
「ああ――もしもし、夜分恐れ入る……」
だが、緊張のあまり、僕の口調は若干変になってしまう。
「え?」
しかし電話の主は、驚嘆の声を上げた。
「その静かだけど、よく通る声――も……もしかして――サクライ……くん?」
「――ああ」
「ほ、本当? 本当に、サクライ・ケースケくんなのね!」
登場人物紹介、エイジを追加しました。
次回、連載300回&第3部にあのキャラ登場!の予定…丁度300回なので、きりがいいですね。勿論狙ってはいません。
以前にも告知しましたが、もう何話かすると、一度第3部を切って、今後第3部のキーパーソンとなるトモミのアナザーストーリーをお送りするか、そのまま第3部を継続するか、読者様の意見をお聞きすることになると思いますので、ご協力いただけると幸いです。