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River

「――ケースケ。おい! ケースケ!」

「う……」

 瞼の奥に光を感じて、僕は目を開ける。

 そこには一面の青空が広がっていて、雲が眠そうに西から東へと流れている。ぽかぽかと暖かな光の太陽が、視界の端に見えている。

「やっと起きたか」

 そんな懐かしい声。

 声のした方を見ると……

 そこには二人の大柄な男――一人は人懐っこいどんぐり眼と、笑顔が印象的な、ワックスで髪を少し立てた男。そしてもう一人は、彫刻のように絞られた体で、端正な顔立ちだが、ボサボサの頭をした男。

「ユータ、ジュンイチ……」

 僕は体を起こす。

 僕と二人の間には、コンクリートにピクニック用のシートが広げられていて、そこに沢山のお弁当が広げられていた。

 そして二人の後ろには、白い柵が見えて、その柵が四方を覆っている……

 見覚えのある景色。

「ここは――埼玉高校の、屋上?」

「何寝ぼけてるんだよ。そうに決まってるだろ」

 ジュンイチが言った。

 よく見ると、目の前の二人も、僕の記憶している最後の頃の姿そのままだ。

 僕も自分の手足を見てみる。自分の記憶よりも若干小さく、体が軽い。ここ数年感じていた体のだるさもほとんどなく、サッカーを120分やっても大丈夫そうに感じた。

 これは――7年前の僕の体だ。

「まあ、仕方ないだろ。ケースケは昨日留学から帰ってきたばかりだしな」

 ユータが言った。

「留学?」

「そうそう」

 今度は女性の声がした。僕は横を向く。

 そこには、長めの髪をひとつに結っている、スタイルのいい美女が座っていた。

「――ナカガワさん」

 ジュンイチの彼女のナカガワ・マイだ。

「サクライくんは、デンマークで数学オリンピック金メダル取るくらい勉強してて、疲れているのよ、きっと」

「え?」

 ちょっと待て。そんな前のことを……

 まるっきり、7年前に戻っている? 景色も、目の前の親友も、あの頃のままの姿で……

「おいおい、寝不足でお前の天然ボケも一層ひどくなったか?」

 ジュンイチに笑われる。

「……」

 ――いや、待て。

 ということは、あの娘も……

 僕はマイがいる方とは、逆の方を向く。

「ケースケくん」

 そこにいた。

 華奢な体と、風にそよぐさらさらした黒髪。雪のように白い肌に、あどけない顔立ち、透き通っていて、それでいて真の強さのある光を称えた瞳で、優しげに笑いかける女の子。

「シオリ……」

 僕は彼女の名を呼んだ。

「あんまりよく眠ってたから、起こすに起こせなかったの。えへへ……」

 彼女の独特の照れ笑い。

「……」

 それを見て、僕は胸の奥を締め付けられて、呼吸すら間々ならなくなるほどの安堵感と幸福感に包まれて。

 その後、目の前の彼女を思い切り抱きしめたい感情の濁流が押し寄せた。

 ――もしかして、今までのは全部夢だったのか?

 ――そうだよ。金儲けに向いていない僕が大企業の社長? ファッションにあまり頓着がないのに、世界一の宝石デザイナー?

 何より、親父にこいつらが殴られるなんて……

 ――悪い夢。悪い冗談だったんだよな。

「――っ」

「ケ、ケースケくん?」

 安心して、思わず目から涙がこぼれた僕の肩に、シオリが手を当てた。

 ――その手の暖かさが、あまりに愛しくて、もう駄目だった。

 僕はそのまま両手を伸ばして、シオリの細い体を思い切り抱きしめた。

 だけど。

 僕の両手は、すかっと空を切ったかと思うと、僕の目の前にいたシオリは、無数の光の粒となって、僕の腕の中で四方八方に散らばって。

 埼玉高校の屋上だったはずの景色も、ユータ、ジュンイチ、マイも光になって、僕はその、眩しいばかりの光に包まれて、何も見えなくなって……

 そして、その光が収まって、視界が戻ってくると。

 僕はまた、別の場所に腰を下ろしていた。

 穏やかに照らす太陽と青空の下、一面の花の絨毯が広がる野原。沢山の蝶が鱗粉を散らせながら、のどかに飛んでいて、花の蜜を吸いに来ている。

 花畑の向こうには、穏やかな流れだが、向こう岸が見えないくらいの大きな川があって、その川べりに、小さな茅葺屋根のひなびた小屋があり、水車が回っていた。家の隣には、麦わら帽子をかぶった、年老いた橋渡しがいて、一艘しかない小船が、小屋の近くにある舟つぎ橋の横に、橋の杭に縄でくくりつけられて止まっていた。

「……」

 僕はその、あまりにも綺麗な景色に、四方を見渡して、ひとつの仮説に辿り着く。

「ここは……」

 すると、視界の端――麦わら帽子の橋渡しが僕の方へ近付いて来るのが見えた。

「目が覚めたかね」

 近付いて、麦藁帽子で見えなかった顔がようやく少し見えるようになる。白髪混じりの無精ひげを浮かべて、妙に血の気のない顔。静かで、抑揚の小さな声。

「ここは――もしかして、三途の川、ってところか?」

 僕は橋渡しに、座ったまま、自分の中の仮説を吐露した。

「ほほう。さすが下界では天才と呼ばれた男じゃ。状況判断が早いな」

 感心したように橋渡しは言ったが、目は全然笑っていない。

「――僕のことを、知っているのか?」

「ここには世界中のことが、川の流れに乗って伝わってくる。お前のこともな」

 親切で柔和な印象。だけど――こいつはつまるところ死神だ。人間らしさや感情らしきものがほとんどなく、淡々としている。

「そうか――遂に僕も……」

 それを訊いて、ふっと脱力感とも解放感とも取れない気持ちが、僕の肩を軽くする。僕は自分の座っていた花畑に、そのまま仰向けに倒れこんだ。目の前に抜けるような青空が広がっていた。

「あまり悲観していないようだな。この場所に」

 そんな僕の様子を見て、橋渡しは声をかけた。僕は寝転がったまま、橋渡しを見上げた。

「――まあ、数年前から生きているのか死んでいるのか、自分でもよく分からなくなっていたからな……ここらが引き時とは、ずっと前から思っていたから。最期の最期に、久し振りに楽しい、いい夢も見た。あんたが見せてくれたものかは分からないけれど……最後の記憶としては、悪くない。リュートに最後まで付き合えなかったのが、心残りといえば心残りだが……あいつなら僕がいなくても、誇り高く生きるさ」

 そう言って、僕は上半身を起こして、橋渡しを見上げた。

「いいぜ。僕の行き先が天国ってことはないだろうが――地獄でも閻魔の前でも、どこでも連れて行ってくれ」

「……」

 しかし橋渡しは、僕を冷ややかな目で見つめていた。

「お前はいつもそうだな。いつも生きながら死に瀕している。天才的な頭脳を持ちながら、お前は実は何も考えてはいない。考えることから逃げている。周りのこと――自分自身のことさえ」

「何?」

「数年前のお前は、それができていた。今と同じ、自棄じみた一時の情念で、自分を何度も粗末に扱ってはいたが、自分が生きるということには、常に全力で向き合っていた。だが、今のお前にはそれさえもない」

「――確かに、そうかも知れない」

 シオリやユータ達に救われる以前の僕も、今と同じ――抗っては、結局は奈落へ落とされる、一筋の光も見えない生活を送っていた。

 生きるために精一杯で、常に心身共に疲労していた。

 それでも、生きるためにはいつでも一生懸命だった。理不尽な暴力や搾取に踏み潰されるだけで終わりたくない――そんな思いは常に強かった。だから生きてこられた。

 今思えば、あの頃の僕は、動機はどうあれ、精一杯生きていたんだ。

「何かしたかった――変えたかった。何も出来ない自分が嫌だった」

「……」

「だが、そうして生きることに、もう疲れたんだよ――僕は何も変えられなかった。それどころか、今ではあの家族以上に、僕は多くの人を苦しめている。それを償う道が、どうしても見つからないんだ……」

 言いながら、何だか笑えて来る。三途の川を目の前に、命について談議しているなんて……

「ふ――しかし、お前、これを聞いたら、どう思うかな」

 橋渡しが口許を軽く笑みの形に歪ませる。

「お前がかつて想っていた人間は、まだ生きている」

「え……」

「言っただろう? ここには下界の情報が川の流れに沿って伝わってくる……お前の想っている人間のことも、全て知っている」

「……」

「――訊かないのか? その女のことを」

「――今更訊いて、どうしろって言うんだよ……」

「……」

「僕はこの手で親を殺しかけた――いや、実質的に殺した。一度血に染まった手をいくら洗ったって、そんな奴にまともに生きる権利なんてない。いくら罪を償って、手を洗った気になっても、今じゃ皆僕を怖がっている。そんな僕が、彼女に今の手を伸ばせるわけがないだろう」

「やはりか」

「え?」

「言っただろう。お前は考えることから逃げている――と。今のお前の罪――そして、自分自身のことも、お前は何も分かってはいない」

「……」

「残念だが、今のお前は、まだ連れて行くわけにはいかん――一度下界に戻って、自分の罪や思いをもう一度考えてみるんだな」

 そう橋渡しが言った途端、僕の周りの花が花粉を飛ばすように、光の粒を一斉に撒き散らし、その後、花も草木も全てが光へと変わっていく。僕はもう立っているかも座っているのか、落ちているのか浮いているのかも分からない感覚の中、光の中に包み込まれていく。

「もうひとつ、忠告しておこう」

 光の中、もう前もろくに見えない中、橋渡しの声がかすかに聞こえた。

「お前の想い人も、一度この川のほとりに来たことがある」

「何?」

 僕は思わず声を上げた。

「待て! それは一体どういうことだ!」

 光の中、僕は必死に叫んで答えを求めるが、もう声は聞こえなかった……



 そこではっと目を開ける。

 真っ白い壁――いや、天井だ。そして肌に伝わるふかふかした感触――これはベッド。

「……」

 視界は虚ろで、まだ意識は朦朧としているが、何とか状況を整理しようとする。

 ――すると、次に感じたのは、右手に何か暖かなものが触れている感触だった。

 僕は寝たまま、視界を右手の先へと向ける。

 まず目に入ったのは、僕の手首。普段時計を巻いているが、むき出しになった僕の手首には、蝶のような形をしたもの――点滴針が刺さって、ガーゼで止められている。

 そして、その先の僕の右手を、ベッドの横の椅子に座っている、僕の秘書のヨシザワ・トモミは両手で包み込むようにして握っていた。彼女は随分疲れているようだった。目を閉じて、うつらうつらとまどろんでいる。

「――トモミさん」

 僕は首だけを彼女の方へと向けて、彼女の名を呼んだ。

 彼女はその声に、ゆっくりと目を開ける。

「……」

 この時彼女が何を思ったのかはわからない。

 彼女は僕の目を、しばらく見つめていたけれど……

 彼女は両手で僕の手をきゅっと握ると、安堵した表情を浮かべて、静かに涙をこぼし始めた。表情には明らかに疲れが見えていたけれど、その分震えているような表情が印象的だった。


もう少ししたら、第3部の中休みに、アナザーストーリーを入れることになると思います。エンディングを補填するための下地程度のもので、恐らくユータ編のような短いもの(10話前後)になると思います。


予定しているのは、トモミ編です。トモミの高校時代と、その時に作中にも出ましたが、シオリと出会った時のことや、ケースケとの出会いなどを、簡単に綴った話を予定しています。読者の方に人気のあるシオリに、出番を与えたいし…


まあ、第3部を区切るタイミングは、その回に入ったらその回の後書きで告知します。その時、このまま第3部を続けて欲しいか、アナザーストーリーを入れていいか、読者の方の判断を仰げたらと思います。

読者の方を優先にしたいので、その際はご協力をお願いいたします。

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