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 ――10月20日 PM12:00


 車の中で、僕は目を閉じていたから、トモミとは一言も言葉を交わさなかった。

 車が止まったのと同時に目を開けて、僕はトモミ、リュートと共に、グランローズマリーの社長室に戻ってきていた。

「――あれ? エイジ、いないのか」

「この時間ですし、お昼に出ているんじゃないですか?」

「あぁ――そうか……」

 僕は自分の着ている黒のコートを脱いでコート掛けに掛けて、首を回した。

「社長、コーヒー淹れましょうか?」

 トモミが給湯室から声をかけてきた。

「え? あ、あぁ、いただこうかな……」

 僕はトモミの親切心を、妙に邪推してしまって、ちょっと狼狽する。

「……」

 調子が狂う……エイジから余計なことを聞いてしまって、トモミとどう接したらいいのか、不自然になっている。

「ゴホッ、ゴホッ……」

 僕はトモミのコーヒーを待つ間に、リュートに水を与えることにした。水を飲むリュートのことを見ていると、次第に社長室に、コーヒーのいい香りが漂ってくる。

 やがてトモミが、僕とトモミのマグカップを持ってやってきて、僕のデスクにマグカップを置いてくれた。

「あの――それから、これ」

 そう言ってトモミは、お弁当箱のようなものを取り出して、僕に差し出した。

「ん?」

「あ、あの、社長、最近忙しくて、食事とかもあまり摂ってないし、こういう軽くつまめるものなら、いいんじゃないかと思って。おにぎりと、サンドイッチなんですけど。よかったら……」

「え?」

「あ、ああ、二つ食べなくてもいいんです。私の分もありますし、私は社長の選ばなかった方を食べますから」

「……」

 今まではあまりそういうことを考える余裕もなかったけれど、言われてみれば、何でトモミは僕にこんなによくしてくれるんだろう。

 しかし――僕は非常に焦っていた。こんな女の子の好意を踏みにじることも出来ないし、かといって、受け取っても、彼女に何か期待のようなものをさせてしまっても……

「あ、ありがとうございます――じゃあ、サンドイッチ、貰ってもいいですか」

 結局僕は、トモミの好意の前に屈し、なし崩しにサンドイッチを受け取ってしまうのだった。

 はぁ……僕って何でこう……しかも、トモミの作ったサンドイッチは、レタスがしゃきしゃきしていて美味しいし……具材も結構手間がかかっている。これだけ美味しいと、おにぎりの方も食べてみたいと思ってしまうくらいだった。

「……」

 サンドイッチを食べながら、僕は別にパンを喉に詰まらせたわけでもないのに、息苦しさを感じていた。

「ふふふ……」

 そんな僕を見つめながら、トモミは自分のデスクから、笑い声を漏らしていた。

「――何ですか?」

「いえ――社長って、つくづく悪いことが出来ない人だな、って、思って」

 トモミは僕に微笑みかけた。

「飛天グループで、あんなに辛辣な言葉を浴びせてたのに、お爺さんが倒れちゃった時、真っ先に救急車を呼んで、応急処置までして。普通ああいう時、相手があれを見て動揺して、士気が下がったところに追い討ちをかけるのが本筋だと思いますけれど、社長はそれをしないで日を改めることを選択した――」

「……」

「――最近の社長、何だか自分の甘いところを消そうと、わざと悪く振舞っているように見えてたんです。でも、さっきの社長を見ていて、社長って、どんなに悪ぶっていても、悪いことが出来ない人だな、って、ちょっと安心して」

「……」

 トモミに言われて、僕は愕然とする。

 確かにトモミの言う通り――僕はトモミが自分に好意をよせていると聞いてから、それだけがきっかけではないけれど、もうそんなことや、昔の志のことなどで何かを考えるのに、少し疲れてしまっていて、ここ数日、若干自棄じみた生活を送っていたように思う。

 同窓会でのこともあって、自分の守ろうとしたもの、自分の今までの志も、何だかくだらない、馬鹿らしいものに思えて、もう僕は、自分の今までのことを信じたいと自信を持って言えない。だったらいっそ、自分が怒りや憎しみを長年抱えて育てた本能のままに、自棄じみて生きてやろうと思っていた。

 それなのに……

「社長」

 愕然としている僕を、トモミは呼んだ。

「私は――社長が無理して非情に徹することはないと思うんです。そうしていても、社長は無理して疲れちゃうだけだと思いますし」

「……」

「それに――社長は自分のこと、正義の味方だとは思っていないみたいですけれど、それ以上に悪役は社長には似合わないですよ。悪役をやるには、社長の目、優し過ぎますもん」

「……」

 僕は肩を落とす。

 何だか、昔に戻ったみたいだな……昔の僕も、いい人にもなりきれず、かといって、悪いことをしたり、グレることも選択できずに、中途半端に他人に優しくしたり、突き放したりしていて、そんな自分に苛立ちを抱えていた。

 何だか、全てが昔に戻ってしまったみたいだ。未成年の境遇から、何もできず、中途半端な行動ばかりを繰り返して、地震に苛立ちを募らせていた、かつての僕に……

「極端な話」

 トモミがそう言って、僕の思考を遮った。

「社長は自分の過去とか、甘さとか、捨てたいと思っているみたいですけど――例えば、そのために、ヒラヤマさんやエンドウさんを殴ったり、お二人の夢を馬鹿にしたり、笑ったりしろって言われて、そんなこと、社長に出来ますか?」

「え?」

 トモミのその問いは、僕にとって青天の霹靂だった。

 僕がユータやジュンイチを殴る? あいつらの夢を踏みにじる?

 そんなこと……

「ほら、すっごく困った顔した。ふふふ」

 僕の狼狽振りが、よっぽど可笑しかったのか、トモミは面白そうに笑った。

「……」

 だが、その通りだ。あの頃学んだことを全て否定するならば、それくらいのことをやって初めて、過去を捨て去れたと言えるのかもしれない。

 でも――多分そんなこと、僕にはできないだろう。もう7年もあっていないのだ。もはや僕はあいつらが友達かどうかなんてことも、よく分からなくなりかけているけれど。

「――シオリさんのことも、その手で叩いたりできます?」

 追い討ちをかけるように、トモミが僕にそう訊いて来た。

「!」

 その質問を訊いた瞬間、僕の左腕に疼きが走った。

 シオリを殴った時の、あの嫌な感触が、また僕の左腕に蘇る――シオリのあの腫れた顔、血を流した口許、ぐったりとした、あの軽い、華奢な体……

 あんな思いは、もう……

「そんなの……」

「そう、できません。社長は絶対に」

 僕の言葉にかぶせるように、トモミが強い否定語を重ねた。

「……」

「でも、それが社長の真実ですよ、きっと」

 トモミが僕に微笑みかけた。

「どんなに自分が辛い状況で、光の見えない場所でもがいていても、絶対に他人を故意に傷つけたりできないし、大切なものを捨てたりなんかできない――頑張っている人の事を踏みにじったりも出来ない……」

「……」

「だったら、それを無理に否定なんかしなくていいじゃないですか。それが社長って人間なんだと思いますし、それが悪いことではないと思いますし」

「……」

 久し振りに、誰かの言葉に、目から鱗が落ちる思いだった。

 僕はいくら頑張ったところで、ユータやジュンイチ、シオリのことを否定する気にはなれない。

 それが僕の真実――か……確かにそうかも知れない。

 あの時確かに僕の目に見えた、優しい世界――それこそが、僕がまた再び辿り着きたい場所で。

 ずっと今のまま、殺伐とした、希望のない世界で生きていることが望みではなかったはず。

 なのに僕は、自分が家族を半殺しにし、シオリのことも殴ってしまった。その罪の意識から、自分はこうなんだ、幸せなどを求めてはいけないのだという気持ちになって……

「トモミさん」

 僕はもう、トモミへの最近の後ろめたいような気持ちも消えて、彼女との話にのめりこんでいた。

「ありがとうございます。トモミさんにそう言ってもらえて、何だか少しだけ、気が楽になったような気がしますよ」

「よかった。社長、久し振りに少し落ち着いた顔になった」

 トモミが僕に、にっこりと微笑みかけた。

「……」

 だが、この笑顔を見て、僕はふっと思う。

 こんな美人が僕にこんな優しい言葉をくれて――普通男なら、こんな時、彼女に惚れてしまっても、無理はないのかな……

 だけど、僕は……

「――あれ?」

 ふと、僕の脳裏に小さな疑問が浮かび上がる。

「トモミさん、どうしてシオリの名前を知っているんですか?」

 そう、僕はトモミに、シオリの写真を見せたものの、名前は言っていないはずだった。

 エイジのやつが、またトモミさんに何かを言ったのか……この状況でトモミがシオリのことを訊いていたら、余計に話がややこしくなりかねない……

「あぁ……」

 それを訊いて、トモミは軽く天井を仰いだ。

「実は私も、社長から写真を見たとき、びっくりしたんですけど……」

「……」

「――私、7年前、会ったことあるんですよ。シオリさんに」

「え?」

 久々に僕は本当に驚いた。

「あ、とは言っても、ほとんど話をしたことはなかったんですけどね……でも、本当ですよ。証拠に――シオリさんって、フルートをやっていたんじゃないですか?」

「……」

 合っている――本当に、トモミは、シオリのことを知っている?

「私、7年前、社長がサッカーの全国大会の1回戦を戦ってた時、スタンドで試合を見ていたんです」

「1回戦?」

 ということは、僕達がまだ全国的にまったくの無名――初戦突破できれば大金星と言われていた頃の試合だ。

「当時の私も、偶然試合を見に来ていて、その時風で持っていたパンフレットが飛んじゃって――気がついたら私、埼玉高校の応援席に来ちゃってて、パンフレットが、シオリさんの足に引っかかって止まって、それをシオリさんが拾ってくれたんです」

「……」

「はじめ見た時、すごい可愛いって思いましたよ。ちっちゃくて、女の子らしくて、お人形みたいな女の子だって。パンフレットを拾ってくれた時に、ほんのちょっとだけど、話をして……それからも、たまに社長達の試合を観戦に行くと、シオリさんとほんの少し話す場面もあって。シオリさん、吹奏楽部の部長さんだったらしいから、みんなをまとめるのに忙しそうで、そんなにいっぱい話したわけじゃないんですけど……」

「そんなことがあったなんて……」

「私もびっくりしましたよ。社長の写真に写っていたのが、シオリさんだったなんて」

「あぁ、だからあの時――驚き方が少し変かと思ってたんですが……」

 僕はまだ夢心地が醒めないような気分だった。

「――でも、それを知っちゃうと、あぁ、やっぱり、って感じ……」

「え?」

「初めて会った時、シオリさんは社長のいるチームが劣勢だったのに、全然心配するような素振りを見せなくて。ここからうちの10番の選手に注目してくださいって、言ってましたから。社長がゴールを決めると、大人しそうな顔して、いつも声を上げて、誰よりも喜んでいましたし」

「……」

 沈黙。

「社長があの時、何だか幸せを噛み締めるように笑っていた理由も、何だか妙に納得しちゃったって感じ――あんなに優しく笑ってくれる女の子が側で支えてくれたら、社長があんなに幸せそうに笑うのも当然ですよね」

「え?」

「分かりますよ。私、ちょっとしか話してないですけど、シオリさんがすごくいい娘だってことは、理解しているつもりです」

「……」

 トモミにも、そんな評価をさせちゃうのか……普通、シオリみたいな男受けがいい感じの女の子、同性からは嫌われちゃう傾向があるだろうに。

 でも――改めて思い返すと、シオリってすごい女の子だったな。

 僕が辛い時、苦しい時――いつもエスパーみたいに、僕が今一番欲しい言葉をくれて、いつも僕のことを肯定してくれて、だけど悪い時は僕を叱ってくれて、励まして、勇気付けてくれた……

「ちょっと、悔しいな……」

「え?」

「あ、な、何でもないんです、何でも!」

 トモミは慌てて両手を広げて、かぶりを振った。

「……」

 シオリ――今どこで何をしているんだろう。

 今更会って、やり直そうなんて都合のいい考えは持たない。事故とは言っても、僕はシオリに酷い事をしてしまった。そんな資格はもうない。

 ただ――今は幸せに暮らしているのだろうか。僕に殴られた顔の痣は消えているのか。

 そんなことは気がかりで仕方ない。彼女には、世界中で誰よりも幸せになって欲しいと願うから……

 そんな郷愁じみた思いが胸を突いていると。

 突然がたぁん、という大きな音と共に、社長室のドアが開いた。

「きゃっ」

 あまりの音にトモミが驚いて声を上げた。僕は音のした方を振り向く。

 すると、社長室の入り口のドアに、息を切らせたエイジが立っていた。

「――何だお前か。驚かすなよ」

 僕は苦笑いを浮かべた。

「ケースケ、そんなこと言っている場合じゃねぇぞ。これ見ろ」

 そう言って、エイジは僕のデスクに来て、右手に持っている雑誌をデスクに置いた。

「女性週刊誌? はは、随分似合わない雑誌を読むじゃないか」

「冗談言っている場合じゃねぇ。見出しを見ろ」

 そう言って、エイジは雑誌の表紙を指差した。

「……」

 そこにはこう書かれていた。

『さわやか少年も今は昔? サクライ・ケースケ、同窓会で酔いつぶれた女性をお持ち帰り!』


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