Cooperator
しかし、言ってから後悔した。
イイジマはその教師役を、僕に一任したからだ。
無計画な一言で、面倒な仕事を増やしてしまった。勿論部に携わっているし、副キャプテンの肩書きもあるので、断りきれなかったが、短時間で16人を僕一人で見るのは無理なので、有志の教師をイイジマが募る条件を出すことにした。勿論イイジマはそれを承諾した。
そして僕とイイジマは、放課後即座に行動開始した。
まず僕達は、職員室で多くの教師に頭を下げ、寛大な追試をお願いした。
その後イイジマはすぐに僕以外の部員を招集し、勉強合宿の計画を発表した。勿論出席は強制だ。正座させた部員達に放ったイイジマの勉強合宿宣言は、部屋のガラスを震わせるほどの怒声だった。それは初めからわかっていたから、イイジマの隣にいた僕は、あらかじめ耳栓を突っ込んでいたけれど。
その後僕は、一人で校舎を駆け回り、教師連に頭を下げながら有志を募った。
気が乗らない仕事だった。元々頭を下げるのは大嫌いだし。
そしてすぐに僕は、自分の考えの甘さを悟った。
師走の忙しい時、冬休みに入るので、教師の有志はなかなか集まらなかった。赤点多数の、数学、物理の教師は一人も捕まらない。考えてみれば当たり前だった。一公務員として、給料に何の関係もない、ノーギャラの仕事を受け持つメリットはないのだから。おまけに教師達は、授業にまともに出ない僕を嫌っていると来ている。
「くそっ、どいつもこいつも・・・・・・」
夕方まで学校中を走り回って、まったく成果なく、僕は少し苛立っていた。
大体、そんな協力者がホイホイ出るなら、別に僕があいつらの教師役なんてすることないじゃないか……初めから協力者がいないこと、イイジマもわかっていやがったのか。
どいつもこいつも、肝心な時に役に立たない。だから人付き合いは嫌なんだ。こっちがいくら尽くしてやっても、相手は肝心な時に自分を助けてはくれない。その不平等さが嫌いなんだ。
何が愛校心だ。集会なんかで生徒に言うテーゼを、教師達はあっさり裏切っている。
嫌だ嫌だ、で、何でも嫌なことが回避できるのなら、僕もそうしたいんだ。僕だって見返りゼロのこんな面倒な合宿なんか、出来れば参加したくない。何で僕だけこんな損な役回りなんだ? これで勉強に失敗したら、学校の不名誉の責任を、僕が負わされるのか?
思考が憎悪を呼び、胸が焼けるようになると、僕は次第に、怒りが他人へのものから、自分の今の最低さへとすり替わってきた。
僕は次第に疲れて、廊下に座り込んだ。
廊下の窓から、梢の揺れる音がする。さっきから走り回って、じっとり汗をかいていたことに気がついた。呼吸も荒い。
落ち着かないから、こういう気持ちになってしまうんだ。そう思って、梢のざわめきを聴きながら、何度も深呼吸し、呼吸が落ち着き出すのを待った。
そうして気持ちを整理しては、また立ち上がり、一般生徒が誰もいなくなるまで、校内を走り回ったけれど、一人として教師は捕まらなかった。
諦めて職員室に顔を出すと、もうほとんどの教師がいなかった。
イイジマの席を見ると、イイジマの横に、一人の女の子が立っている。何か二人で話しているみたいだった。手には何か黒いケースを持っている。
その小さな体は、マツオカ・シオリのものだった。
イイジマは僕の姿を確認して、手招きする。
「……」
だけど僕は、あのバスケットボールの試合以来、気まずいままのシオリと、あまり顔を合わせたくなかった。一瞬躊躇したが、なるようになれと思い、イイジマの横に立った。シオリが、僕に会釈した。僕もそれに合わせて、反射的に会釈を返した。
「おおサクライ。喜べ。マツオカが合宿の教師役を手伝ってくれるって言うんだ。学年1位2位が組めば、なんとかなるだろう?」
「え?」
僕は目を点にしてしまった。協力要請に生徒を使うのは盲点だったが――いや、そんなことより、気まずさも吹っ飛んで、僕は横にいる彼女にその場で即問い質した。
「何考えてるんだよ。男だらけの合宿だぞ。危ないよ」
20人近くの男の中に、こんな女の子を放つなんて、イイジマの無神経にも程がある。この子が学年中の目を惹く女の子だってこと、見てわからないのだろうか。
「お前が守れば問題なかろう。もちろん一緒には泊まってもらうわけじゃないさ」
「・・・・・・」
イイジマがあんまりさらっと言うから、僕はもう口を開けて、反論する気も失せてしまった。と言うか、自分のクソ真面目さがアホらしくなって、二の句も付けられなくなった。
「じゃあ二人、俺は学がないから、勉強は二人に任せる。二人で計画立てて、仲良くやってくれ」
イイジマに背中を叩かれ、僕はまだ釈然としなかったけど、その場は解散となった。
仲良くやってくれ、なんて、ふざけてやがる。
一緒に職員室を出て、既に薄暗くなった廊下を歩く。僕が少し前を歩いた。女の子の後姿を見て歩くのは、あまり好きじゃない。
だからと言って僕が前を歩いても、二人きりになると、また今までの気まずい空気に戻ってしまった。さっきはタナボタで話しかけることが出来たのに。いい空気をそのまま持ち越せないのも、僕の悪いところだろう。
そうだ、とりあえずこの前のことを謝らなくちゃ。ずっと気になって、後悔してきたんじゃないか――
と思って、それをきっかけに声をかけようとしたが、その前に後ろからシオリが、僕の名前を呼んだ。
「優勝おめでとう。ちょっと遅れたんだけど……おめでとうって言わせてね」
「あ、ああ。ありがとう……」
僕は振り向かずに答えた。彼女の柔らかい響きの声が、僕の心を暖かく包んだ。
『ありがとう』なんて、久し振りに口にして、照れくさい。悪意のない、彼女の声につられて出てしまった言葉だ。『感謝』なんて、久し振りに思い出した単語だった。
いいんだよそんなこと。祝辞が遅れたといっても、僕の謝罪はそれよりもっと遅れているんだ。
自分から仕掛けようとして、綺麗に先手をとられた形だ。こうなってしまうと、途端に謝りにくくなってしまう。彼女への返事だって上の空だった。
「決勝戦、サクライくん、大活躍だったね」
そんな僕に気を遣うように、彼女は言った。
「……」
イイジマにあのプレーは不評だったが、どこが悪かったのか――それはいまだに釈然としていない。そんな疑惑のプレーだったけど、自分が正しいと言ってくれたように感じて、嬉しかった。
――ところで、僕は何で彼女に褒められただけで、こんな喜んでいるんだろう。ガキじゃあるまいし。
「あのさ」
僕はシオリの方を見て提案する。
「手伝ってくれるなら、君の予定とか、ちゃんと合わせないといけないから、これから打ち合わせしないか? もう学校は閉まるから、ファミレスにでも行って。僕が奢るよ」
自分でも予想していなかった言葉が出た。ファミレスなんか、行ったこともないくせに。
しかし、普段金に対してケチな僕が奢る気になったのは、上手く謝れない僕の、無意識な良心の呵責だったと思う。こんな時、ごめんなさい、と、素直に言えない性格は、いまだに意地を張っているらしい。
しかし、シオリはそんな僕を理解したのか、嫌な顔一つせずに、うん、と頷いた。