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Hurt

 エイジのそのぎょろりとした、少し暑苦しいくらいのどんぐり眼が僕に語りかけるのを見ながら。

 僕は考えていた。

 僕のやりたいこと――僕の幸せ。

 以前はそれが確かに見えていたように思う。

 だけど――今の僕には、それが見えない。

 自分がただ生きているだけで、自分の内面から、もしくは今日のように、周りから降りかけられていく澱みの中に志が埋もれていって。

 僕の中の真実に辿り着けない。

「お前が日本を出た後、俺もお前の仲間達とそれなりに交流があった」

 そんな僕から視線を外して、エイジは持っていたビールに再び口をつけた。

「今では俺もあいつらも忙しいから、連絡を取ることもなくなっちまったが――お前の仲間達は、お前がいなくなった後は、しばらくマジで沈んでたぜ。それからしばらくして、みんな悲しみを紛らわすみたいに、目の前のことに必死になってたけどよ」

「……」

 こういう話を訊くのは初めてだった。自分が去った後の日本で、あいつらがどんな風に生きていたのか。

 だけど――当時のあいつらの悲しみを、僕は上手く想像できない。自分も当時は、自分のことで頭がいっぱいだったし、それからずっと一人で生きてきた僕は、自分の命の価値をゴミ同然にしか考えられなくなった。家族も親族もいない、天涯孤独の自分が死んでも悲しむ人などいないとずっと思っていたから、エイジのその言葉を訊いて、まどろみのような混乱が、僕の思考を鈍らせた。

 止まった思考を体に流し込むように、僕はジーマの瓶に口をつける。

「――お前には言わなかったんだけどよ、半年くらい前に、エンドウに会ったぜ」

 ふと、エイジが前触れもなく、そう言った。

「――え?」

 僕は口に含んだジーマを思わず噴出しそうになる。

「お前が表舞台に出たがらないから、俺が代わりにマスコミの取材を受けていたときにさ――あいつも来てたんだ」

「……」

「あいつ、俺のところに来て、お前のことをしきりに訊きたがってよ――お前が復活して、すごい勢いで成功していくのを、テメエのことみたいに喜んでたよ。昔のまま――ガキみたいにニコニコしてよ」

「……」

 その言葉を訊いて、まるでジュンイチが目の前にいるかのように、あいつの笑顔が思い浮かぶ。

 ジュンイチ――僕はお前の笑顔が好きだったよ。少し騒がしかったお前の笑顔がいつだって、太陽みたいに僕達を照らしていた。周りのことをいつだって気にかけていて、目立たないところでいつも僕達を支えていた。

「多分、ヒラヤマもその場にいたら、エンドウと一緒にお前のことを俺に訊きに来たと思うぜ。エンドウもそう言ってた。あいつと会うと必ずお前の話が出る。お前とまたサッカーがやりたいって、口癖みたいに言っている、ってよ」

「……」

 ユータ――相変わらずサッカーを心から愛しているんだな。表向きではクールそうに見えても、いつだってサッカーに対して、愚直なまでにひたむきだった。頭はよくなかったが、人の心に敏感で、いつだって背中を押す声をかけてくれた。

「お前のことになると、ガキみたいに目を輝かせるあいつを見ていると、こっちまで気持ちよくなったくらいだった――いい奴等だよ、あいつらは」

「ああ……」

 沈みきった僕の、声にもならない声が漏れた。

 それは分かっている。僕だって会ってはいないけれど、メディアなどを通じてあいつらのことはずっと見てきたのだ。あいつらがあの頃と何も変わっていない、まっすぐな心を今でも持っていることくらい、僕は誰よりも知っているつもりだ。

 だから――だからこそ、迷うのだ。

 今の僕に、かつての志は、もうない……この7年、多くの人をこの手で傷つけ、かつてあいつらとサッカーをした足は、多くの人間の頭を足蹴にし、顔を土にこすり付けさせるようなことをしてきた。

 そんな僕に、今のあいつらはまぶしすぎて……自分が酷く薄汚れた人間のように思えて。

「――ゴホッ、ゴホッ……」

 この7年、僕は最初に思っていた方向とは逆の方向にばかり向かってしまう――

 誰かのことを守りたい、幸せにしたい。自分の手で、人の心に花が咲くようなことをしてみたいと思いながら、実際の僕は、土を干からびさせ、花を枯らし、自分の周りや、自分自身さえも草一本生えていない荒野にしてしまった。まるで聖者のように慈悲深い顔で、人を殴り、蹴り、足蹴にしたりした。

 僕はあいつらのことは、今でも大好きだけど……

 それなのに、僕は今会ったら、あいつらのこともそうして傷つけてしまいそうな気がする。

 大切なものほど、深く傷つけてしまう――悲しいけれど、今の僕は、そんな人間だから。

「――僕のことを、心配することはないさ」

 僕は強引に話題を転換しようとする。

「それより、お前はどうなんだよ」

「ん?」

 エイジが煙草を口から離して、ふうと煙を吐いた。

「お前、僕より2つ年上だから、27だろう。仕事にも慣れてきたんだ。そろそろ嫁さんでも貰うとか、あるんじゃないか、って」

 そう、僕はそれがずっと気になっていた。

 エイジは元々、母親がおらず、自分のことに無関心な父親と、悲惨な子供時代を生きていた上に、その過去と、威圧的な風貌から、社会になかなか認められず、世界の隅っこに誰にも気付かれることなく追いやられていくような、不遇の人生を送ってきた男だ。エイジがさっき僕に言った言葉ではないが、そんなエイジにこそ、これから幸せというものが訪れるべきなのではと、僕は思っていた。

 だが――こいつも僕と同じ、生まれつき愛情なんていうものに縁の遠かった人間だ。そんなものを求める術が分からなかったり、足を踏み出すのが恥ずかしいような、怖いような――そんな思いもあって、そこへいまだに辿り着けていないのかと、心配していた。

「あぁ……」

 エイジは手近の缶ビールを手に持つ。

「どう考えても、俺はこのなりだ。女にもてるわけないし、グランローズマリーでお前の右腕だからって、ちやほやする女が出てきても、しらけるだけだ。俺にそういう予定はないよ」

 エイジは僕を見て、ふっと苦笑いを浮かべながら、ビールを煽った。

「……」

 沈黙。

「――単刀直入に訊くけどさ」

 僕が口を開く。

「お前、トモミさんのこと、気になってるんだろ?」

「――う、ゴホッ、ゴホッ……」

 それを訊いて、エイジがビールを口に含ませたまま、途端むせ出した。

「は?」

「いや、お前、トモミさんの前では、少ししゃちほこばっているって言うか、妙に意地を張った感じだし――お前がここまで仕事が出来るようになった要因の半分くらいは、トモミさんにカッコ悪いところをいつまでも見せられない、っていうのがあるんじゃないかと思って」

「……」

 エイジは既にビール缶の5本目を開けているが、この体ではまだ酔った訳ではないだろう。だけど自分の恥部を見られたかのように、視線を落とした。

「なんだ。照れてるのか?」

 僕は少し笑って見せた。

「……」

 エイジは目を下にやったまま、沈黙する。その仕草が、自分の奥にトモミへの想いがあると語ったも同じだった。

「別にそんな恥じることもないだろう。トモミさんなら。器量も気立てもいいし、惚れたって別におかしいところはないし、見たところトモミさんにも決まった相手はいないんだから、不義があるわけでもない。思ったことをしっかり言うところなんて、お前との相性もいいと思うけど」

 僕はそう言った。

「……」

 エイジはその僕の言葉を訊いて、少し顔を上げながら、小さく息を吐いた。

「――あの女には、好きな男がいるんだよ」

「え?」

「俺じゃない、好きな男がいるんだ」

「へぇ……」

 僕はしみじみ頷いた。

「それは初耳だな……トモミさん、僕にはそんな話、してくれないから」

「……」

「しかし――トモミさんもそういう相手、いるのか。僕に付き合わせて、トモミさんの婚期が遅れたら忍びないとも思っていたんだが……少し安心したよ」

「お前……」

 エイジが冷め切ったような目で、僕を冴え冴えと見つめた。

「何だよ、そんな目して」

「――お前、本当に気付いてなかったんだな」

「え?」

「俺だってあの女に好きな奴がいるかなんて直接訊いたわけじゃない.見てりゃバレバレだろうが」

「……」

 エイジのその、呆れるような、少し腹を立てるような口調の原因が、僕はいまいち掴めずに、しばし沈黙した。

「――お前だよ」

「え?」

「あの女が惚れてるのは、お前なんだって」

「……」

 頭でその言葉を整理するのに、3秒かかった。

「――ふ、ふふふふふふ……」

 それから僕は、腹の底から久し振りに笑いの衝動があふれ出してきた。笑いをこらえようとして、逆に肩を震わせるように、笑いが漏れ出してくる。

「――ふふふふ……ゴホッ、ゴホッ……」

 あまりに笑い過ぎて、僕は少し咳き込んだ。

「――何がおかしいんだよ」

 エイジは静かに僕に問う。

「――いや、何を言うかと思ったら……それはない。お前の思い過ごしだって」

 僕はジーマを口に含んで、笑いで痙攣した喉の奥を冷やした。

「何でだよ」

「だって――僕、トモミさんにいつも、バカ、って言われてるんだぜ。どうしようもない人って、いつだって呆れられてるし……好かれるようなことは何もしてないからなぁ」

 何だ――エイジの奴、どうしてトモミと距離を縮めないのか、うじうじ悩むより行動に移せるところがいいところのエイジにしては、慣れない色恋沙汰とは言え、らしくない思っていたが、そんな誤解をしていたのか。

「――はぁ」

 エイジはまた、呆れたように溜め息をつく。

「ケースケ、お前、自分の部屋をよく見てみろよ」

 エイジが自分の腕を軽く払うようにして、僕の視線を促した。

「確かに俺はあの女に、お前の身の回りの世話もしてやってくれ、とは言ったけどよ……ただの仕事で、嫌いな奴の部屋に週何回も来るなんてことがあるか? こんなに綺麗な状態になるまで掃除なんてするかよ」

 まるで子供に足し算のやり方を教えるような口調で、僕に説くエイジ。

「それによ――思い返してみろって。あの女がムキになるのって、お前に対してのことばっかりだぜ。お前のことをよく見てるしさ……」

「……」

 僕はジーマの瓶をテーブルに置いて、後頭部に手をやって、記憶を反芻する。

 沈黙。

「――お前さ、あの女にそういう感情ないわけ?」

 エイジが僕の目を覗き込む。

「……」

 僕の視線は、少しの間、虚空を向く。

「そう言われても……僕はトモミさんに指一本触れたことだってないし、そういう関係になるなんて、考えたことなかったよ」

「そうか? アイドルとか、女優にも見向きもしないお前だけど、あの女とは結構仲良くやってるじゃねぇか」

 エイジが邪推するような口調で言う。

「お前、変なところ気を回すからな。俺に変に気を遣って、そういうことを言っているんじゃないのか?」

「別にそういうつもりはないって……ゴホッ、ゴホッ……」

 僕が咳き込んだことで、会話が途切れた。

 沈黙。

「――いい娘だとは思うよ、トモミさんのこと」

 僕は後頭部に手をやったまま、言葉をまとめようとする。

 別にエイジを安心させるとか、そういうつもりで言葉を紡いでいるのではない。僕も少し酔っているし、変なことを言ってしまうかもしれない。自分でもトモミをどう思っているか分からなかったから、思うままに喋っているだけだった。

「ちょっと口喧しいところもあるけれど、言いたいことははっきり言う、芯の強さとか、お嬢様なのに庶民的で、全然ぶらなくて。外に出れば『親殺し』とか『乞食』って馬鹿にされたり、『金持ち』だからってちやほやされたりする僕のことも、そういう色目で見たりしないで、一人の人間として見てくれたこととか――そういうところが、僕はすごく魅力的だと思う」

「ふむ」

「それに、しっかり者だけど、たまに子供っぽい素振りが顔を出したりして――茶目っ気があって、いつだって正直なところとか――可愛いと思ったりもする。彼女とこの部屋で過ごす朝の短い時間も、久し振りに人間らしい生活を遅れた気がして、正直気に入ってる」

「……」

 沈黙。

「それって――好きってことなんじゃないのか?」

 エイジが訊く。

「どうなんだろ……」

 僕は頭を掻く。

「トモミさんが惚れてくれた男は、きっとすごく幸せ者だと思うよ。気配りも上手いし、その男は公私共に幸せになれると思う」

「――さっきからまるで他人事みたいな言い方だな。自分にとっては恋愛はまったく関わり合いにないことみたいな言い方だ」

「そうかな……」

 沈黙。

「ふぅ……」

 エイジはテーブルの脇においてある煙草の箱から1本取り出し、ジッポで火を点け、ゆっくりと息をついた。僕を背けて吐いた煙草の臭いが部屋に小さく舞う。

「あのシオリって娘が、今でも好きなのか?」

 エイジは灰皿の縁で、持っている煙草を叩いて灰を落とした。


恐らく第3部が長くなってしまって、中休み的なものを入れるのに切りがいいのと、物語の進行的なことを考えて、第3部がもう少し進んだら、間にアナザーストーリーを挟むことになるかもしれません。

あくまで予定ですが…

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