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Cigartte

 スーパーの買い物袋を下げて、僕が自分の部屋に帰ってくると、既に部屋に電気が点いていることにまず違和感を覚えた。

 僕がドアを開けた音を聞いて、リュートがまず僕を出迎える。

「おう、ケースケ、お帰り」

 リビングに行くと、エイジが窓から見える東京の夜景を見ながら、ソファーに腰を下ろして、まったりと微笑んでいた。

 僕はキッチンの冷蔵庫に、持っていた袋を無造作にぶち込む。

「軽く何か作るから、待ってろ」

 僕はキッチンの中から、エイジにそう呼びかける。

「へへ、久し振りだな、昔はお前の料理でよく酒を飲んだよな」

 エイジは御機嫌そうにそう言った。

「お前……2年前もそう言ってなかったか?」

 僕は言った。

 7年前は、僕はよく、高卒認定試験に受かって、大学受験の勉強をしていたエイジの安アパートによく泊まっていた。

「お前、相変わらずまだ料理できないのか」

 エイジは昔から、食事といえばハンバーガーやカップラーメン、牛丼や弁当ばかりだった。僕も今では人のこと言えないけれど。

 僕は自分のワイシャツの袖を折りたたむと、調理台の下から鍋を取り出し、油を熱すると、冷蔵庫から買ってきたばかりのパプリカを取り出す。

「しかし、この部屋、最初入った時は驚いたぜ」

 エイジがキッチンの中にいる僕を見た。

「最後にこの部屋に来た時は、本当に酷い部屋だったからなぁ。洗濯物とか溜まり放題、部屋は埃だらけでよ。あの酷い部屋が、よくここまで綺麗になったな」

「――お前が住んでた部屋も、大概だったぞ」

 僕は水の入った鍋を火にかけながら言う。

「トモミさんがいつもうちに来て、掃除とかしてくれるから」

「へぇ」

 エイジは部屋を見回す。

「お前達、結構上手くやってるんじゃないか。はじめはどうなることかと思ったけど」

「……」

 僕は包丁を手に取る。

「――お前、トモミさんに僕の面倒を見るよう言ってるんだろ」

 僕は言った。

 元々僕は秘書を必要としていなかった。トモミもエイジ達創業当時のメンバーが募集と面談の全てを取り仕切って連れて来た娘だ。

トモミは「私の仕事には、社長の面倒を見ることも含まれている」と言っていた。そんな指示を出したのは僕ではないのだから、採用に携わったエイジ達の差し金に決まっている。

「余計な事を言いやがって……」

「ははは、だけど当時うちは会社としても大量に社員を募集して、攻めに転じる時だった。

そんな時にお前にぶっ倒れられるわけにいかなかったからな――ま、悪く思うなって」

 エイジは苦笑いを浮かべつつ言った。

「……」

 僕の手が止まる。

 確かにその通りだ。去年の今頃――僕は基板の弱い会社の地盤を固めるために、不休で仕事に勤しんでいた。

 でも――確かに僕は当時から、自分のことを省みずにただ働き続けていたが、その当時は僕も、ぶっ倒れるまでやろうとは思わなかった。

 当時の僕は、世の中に――そしてかつての友達に、志を示していなかった。

 それに――自分が作った会社に対しての責任もある。

 自分で蒔いた種に、一応の責任を果たすまで、まだ僕も死ぬつもりはなかった。

 だけど……



 料理が出来上がったので、僕はエイジの待つリビングのテーブルに運ぶ。

「楽しみだなぁ。さっきから美味そうな匂いがぷんぷんしてたからなぁ」

 エイジが舌なめずりする。

「しかしお前、仕事が出来る上に、料理も出来るんじゃ、女が放っておかないわけだ」

「そうでもないさ」

 僕はエイジの向かいのソファーに座る。その隣にリュートもやってきた。

「トモミさんは多分、僕が作れる料理はカップラーメンしかないと思ってるだろうし」

「はは、それでお前は、こんなむさい男に料理を作るわけだ。才能の無駄遣いだな」

「……」

 エイジが笑ってるのを眺めながら、僕は持っているジーマの栓を開ける。

「じゃあ、乾杯だな」

 エイジは缶ビール、僕はジーマの瓶を手に取る。

「とりあえず、でかいヤマも終わって、うちも大財閥の仲間入りだ。祝杯だな」

 僕とエイジは缶と瓶をぶつけ合った。

「――そうか。そう言えば……」

「――おい、お前、今マジで自分が今日飛天グループをぶっ潰したこと、忘れてただろ」

 エイジが僕の心情を読み取った。

「――あぁ」

 僕はジーマの瓶に口をつける。

 ――そうだった。僕はこの1ヶ月、そのために奔走してきて――この2年、ずっと僕を蔑んできたボンボンに殴られたりしたんだっけ。

 さっきの同窓会からの一連の流れで、僕の怒りがその記憶に上書きをかけてしまっていたみたいだ。

「――はぁ、お前、会社でもリアクション薄かったけど――マジでお前、こんな日本を揺るがすようなことにも、全然頓着ないんだな」

「……」

 そう――飛天グループという大財閥を潰したことで、グランローズマリーは実質、日本有数の大企業としての名目を得た。

 そして、今回の件で指揮を取ったエイジは、多大な功を挙げたことで、社内での影響力を強めた。

 ――これなら、僕に何かあった後、エイジが次期CEOになっても、社内での反発はかなり小さくなるだろう。

 これでいい――あとは飛天グループの社員との引継ぎなど、今の混乱を抑えて会社の内部を整備すれば、これで僕がこのまま体調を崩して死んでしまっても、グランローズマリーもエイジも暫くは安泰のはず。

 やるべきことはやった……自分で蒔いた種に、最低限の責任は果たした。これで僕がこの世から消えても、混乱は最小限に抑えられる……

 これなら――これなら少しは認めてくれるかな。ユータ、ジュンイチ……

「――ま、お前らしいよ」

 そう言って、エイジは手近の料理に手を伸ばす。

「んっ! これ、美味いな! 何だこれ!」

「あぁ――それは酢揚げして軽く火を通した野菜と鶏肉、チョリソーをハーブバターで……」

「おぉ、これ、バジルか? 香りが効いてていいな――ん? このエビも美味いな! これも何か独特な香りが付いてるな」

「コリアンダーだよ。ほんの少量だけどな」

 エイジはご満悦で、僕の作った簡単な料理をつまみに、どんどん僕の買ってきたばかりのビールを開けている。それに比べて、元々下戸の僕は、まだ1本目のジーマがまだ空になっていない。

「ふぅ……」

 エイジが3本目の缶ビールを空けると、部屋に来てから3本目の煙草に美味そうに口をつけた。

「今日は随分煙草が進んでるな――そんなに美味いものなのか?」

 エイジに僕は声をかける。

「会社じゃあの女が五月蝿いから吸わないだけだよ。お前も吸ってくれれば、俺も肩身が狭い思いをすることなく、煙草を吸えるってのに……」

「――デザイナーをしていると、両手が塞がっていることが多いからな――」

「――まあ、俺も煙草を吸う時間は無駄だし、煙草を吸った方が仕事の効率が上がるって理論は賛同しかねるんだが……それでもつい吸っちまうんだなぁ」

 そう言って、エイジはゆっくりと煙を吐いた。

「……」

 エイジの吐いた煙が、部屋の中に漂って、目に見えなくなるのを見つめながら、思う。

 確かに煙草を吸う時間自体は、僕にとっては無駄なことだ。必要もない。

 だが――裏を返せば僕は人生で、煙草一本を楽しむ時間も、心のゆとりもなかったということだ。

 そんな風に生きてきて、僕は何一つ守れなかった。それどころか、必死になって守ろうとしたものさえ、ゴミだった。

 今夜はそれを、しみじみ思い知らされてきた……

「――なあ、僕にも一本くれないか」

 僕は顔を上げる。

「え?」

「煙草」

「マジでか? 別に構わないけどよ」

 エイジは少し困惑したような笑みを浮かべつつ、自分の煙草の箱から、一本煙草を抜き出して、愛用のジッポと一緒に煙草を僕に差し出した。

「お前、吸ったことあるの?」

「ない。こうして咥えるのも初めてだよ」

 高校時代は買う金もなかったし、海外にいた時は売っている場所も少なかったし、あったとしてもヨーロッパや東南アジアの規制の厳しい国ではマルボロが一箱8ユーロ(約1400円)近い値段だった。買う気も失せるというものだ。

 僕はフィルターに軽く歯を当てるようにして、ぎこちなく煙草を咥えた。

 その時、ふっと思考の裏に、親父のことが思い浮かんだ。昔は1日3箱吸って、風呂嫌い――体臭と混ざっていつもすごい臭いを撒き散らしていた。今では煙草どころか、ライターも満足に買えなくなっただろう。長年1日3箱吸ってた男が、今はその欲求をどう処理し、それにつぎ込んでいた時間をどうやって消化しているのか……

 僕は左手でジッポに点火して、煙草に火を点け、煙草を吸ってみる。

「――う、ケホッ、ケホッ……」

 僕は思わず咳き込んだ。僕は最近咳き込むことが多いが、今回の咳はその原因とは別――煙にむせてしまっただけだ。

「はははは」

 エイジがそんな僕の無様な姿を見て、大笑いした。

「……」

 僕はそんなエイジから目を背けて、少しの恥ずかしさを感じながら、煙草を灰皿で揉み消した。

「お前のそういうところ、変わらねぇな」

「え?」

「普段は冷静で淡々としてるプラグマティストのくせに、身内だけになると、妙にガキっぽいところがあってよ。まるで生まれたばかりのガキみたいに、何にも染まってない純粋な領域が心の奥にある――初めて会った頃と全然変わってねぇよ、お前」

「……」

 僕はジーマに口をつける。

「初めて会った時のこと、まだ覚えてるか?」

 エイジは僕に訊いた。

「あぁ」

 僕は返事をすると、エイジは僕の部屋の窓から広がる東京の夜景に目を移した。

「お互い数年前は、川越の繁華街で死んだような目をして喧嘩していたんだな。それが、今じゃこうして東京の億ションからの夜景眺めて、財閥を潰した祝杯挙げてるなんて、思っても見なかったがな……」

「……」

 沈黙。

「無理してるんじゃないのか?」

 エイジが言った。

「ん?」

「色々とさ。俺も正直、今の生活、やりがいはあるから気に入ってはいるが、お前についていくのは想像以上にしんどい。ちょっと無理して、何とかくらいついているくらいなんだ。だが、俺と同じように、お前も少なからず無理をしているように思えてな」

「……」

 僕は、無理をしている?

 ――まあ、確かに無茶なスケジュールで仕事をしていることはあるけれど、きっとエイジの言った言葉の意味は、多分そういうことではないだろう。

「気分を害するかもしれないけどさ――お前は実業家には向いてないよ」

 エイジは持っている煙草の灰を、灰皿に落とした。

「お前の才能ってのは、金儲けに使える類の才能じゃない。それに――お前は他人の痛みに敏感すぎる。他人から搾取をすることに向いていない。もし出来たとしても――きっと表向きで強がってても、ひとりになったら、どこかで泣いている……そんな奴だ。人から嫌われるようなことをしなきゃいけない実業家とか、権力者には向いてないよ、お前」

「……」

 まるで帝国グループの爺さんみたいなことを言う。だが、ここまではっきりと、自分に実業家の適性がないということを僕に直接言う人間は初めてだった。

「おまけにお前――実業家の最年少での記録を塗り替えようが、財閥をぶっ潰そうが、そんなことにあまり反応を示さないからな……きっと、今の仕事に対して思い入れもないんだろう? そうまでして、お前が今の場所にいる理由は何だ?」

「……」

 エイジの辛辣な言葉が、僕を黙らせる。

 ――見抜いていたのか。エイジも。僕が今の場所に、ずっと迷いを抱いていたことを。

 じゃあ、僕がお前を利用していたことも……

「――ふ」

 エイジが煙草を咥え、煙を吐いた。

「――お前はやっぱりさ、実業家とかやって、肩肘張ってるのより、やっぱり片田舎でダチとバカやってる方が似合ってるよ。純朴な少年のお前には、財界とか、辛いだろう? そんなお前が財界で頑張ってきたのは――ダチのためだろ?」

 エイジは僕に訊いた。

「お前にとっては、世の中も会社も社員もどうでもいい――昔のダチの方が、それよりもずっと大事なんだろ」

「――別に、そういうわけじゃ……」

「いいって。お前がどんな理由で今の会社をでかくしようが、それについて俺は何も言わない」

 エイジは短くなった煙草を揉み消した。

「ただよ――7年前、ああいう不幸なことで、あれだけ仲良かった奴等が今も会えてない上に、お前はその時、連中を守れなかったことを今も責め続けて、自分を痛めつけるみたいに働いてる――そんなお前を見てて辛いんだよ」

「……」

 沈黙。

「――なあ、ケースケ。そろそろお前も、やりたいように生きろって。昔のことの償いなんて、もう十分過ぎるほどやったんだ。そろそろ昔のお前に戻っても、いい頃だと思うぜ。そんでよ、幸せになれや。ダチと笑って、恋でもしてよ、7年前にやり残した青春、取り戻してこいよ」


減るかもしれませんが、お気に入り登録数500件突破、ありがとうございます。

この話も500人を超す支持者が出たと言うことでしょうか。まあ1000人は苦しいと思いますが…これからも頑張りますので温かい目で見守ってください。

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