Alumni
「ま、まあ、座れよ。もうすぐ始まるから」
そう言って、目の前のへらへらした男は僕を席へと促す。それに合わせて僕の視線も、席の方へと向く。
その瞬間、席に座っていた参加者達がさっと立ち上がって、僕に道を空けた。
「……」
まるで腫れ物でも扱うようだ。明らかに僕を避けるような、そんな態度。
僕はそのまま空けてもらった部屋の真ん中を通って、部屋の一番奥の席を取り、着ていたトレンチコートのポケットに、つけていたサングラスをかけてから、近くにあったハンガーにコートをかけ、それから席に着いた。
僕が席に着くと、席を空けた参加者達も、静かに自分の席に戻り、ぎこちないないながらもまた僕を無視するように談笑を再開し始めた。
「……」
サングラスで視線を探られない時を利用して、それまでの僅かな時間で、僕は部屋にいる参加者の顔を一瞥していた。
僕は人の心を見る目は諸葛孔明張りにないが、人の力くらいは顔を見れば大体わかる。
頭脳、身体能力、度量や行動力、全ての面で僕とは比較にならないだろう。飛天グループのボンボンよりも更に下。
それはさっき、僕に対して道を空けた時の皆の表情で、大体のことは窺えた。皆、どこかいじけたように見えたその立ち振る舞い。
元々小学校時代にこいつらにされたことを蒸し返すつもりもさらさらなかったが、それを見て、改めてその認識を強めた。こいつらにそんなことを言っても無意味だと、改めてそう思った。
だが、招待状が来た割に、僕はあまり歓迎されていないようだ。酒も乾杯分のビールをちょっと舐めたら、適当にこいつらを見物しながら飯を食べて、静かに消えるか……
――そう、思っていたのだけれど。
「ねえねえ」
若干俯き加減だった僕に、声をかける者がいたので、僕は顔を上げる。
目の前に、若干気合の入ったメイクをし、服も高級ブランドの品で着飾っている女性が数名、僕の前に立っていたのだった。
「隣、座ってもいいかな」
「私も!」
そう僕に訊いて来たのだった。
「――別に構わないけど」
10分後、さっきのヘラヘラした男の号令で、それぞれビールを持って乾杯をし、同窓会が幕を開けた。
それぞれの近況報告が始まると、大体の人間の現状が見えてくる。会社での嫌なことや、将来の不安、そんなものを舐め合って、その場だけはそれから目を背けようと、皆が必死に面白可笑しく、若干無理をしてテンションを上げているように思えた。
男は女子に、変に媚を売っている者が多かった。料理を取り分けてやったりして、相手の興味を引こうと。それを女子は、相手の男子に金の匂いがしないのを見抜いてか、表向きだけ愛想良くしておいて、全く相手にしていない――と言うか、新しい恋の一つも期待して、割と着飾ってきたのに、どうやら集まった男のレベルに失望感さえ、笑顔の裏に潜ませているように思えた。
馬鹿な男と、浅ましい女の織り成すひとつの戯曲のように、僕はそれを部屋の一番隅っこで、他人事のように眺めていた。
だけど……
「だけど、あれだけ体小さかったのに、背も伸びて、筋肉も程よくついてて、かっこよくなったよねぇ」
「あぁ、どうも」
「本当、こういう細身のスーツが似合う男って、ポイント高いよね」
「……」
今、僕は部屋にいる過半数の女子の人気を独り占め――僕の座る席の周りは、さながらハーレムのように、女子が両脇に傅いていた。さっきからべたべたと僕の体に触ってくる。僕はそんな女子達が一方的に話をしてくるのに、相槌を打ったり、愛想笑いをしたりしていた。
何もしなくても、僕の前には女子が料理を運んでくるし、酒だって持ってきてくれる。と言っても、僕は乾杯のビールを少し舐めただけで、それ以降はソフトドリンクしか飲んでいないのだけれど。
そんな僕を、男達は皆、遠目で酷く沈んだ瞳で見つめていた。この部屋に来てから、僕は自分から誰にも話しかけてはいないが、男からは一言も話しかけられてはいなかった。
部屋には料理や酒がとめどなく運ばれてくる。幹事らしい男のグループが数名、注文したい料理を10分置きくらいに訊くと、皆遠慮無しに料理のオーダーをしていた。
「わ! この時計!」
不意に近くにいた女子が、僕の右腕の時計に目を落とした。
「この時計、ロレックスでしょ? しかもシリアルナンバー0って!」
「あぁ……」
僕はデザイナーをやってはいるのだけれど、いまだに自分の身の回りを飾ることに、あまり興味がない。
そんな僕の唯一の例外が、時計だ。
中学に入った頃から、高校までもそうだったし、イギリスに渡った頃から、僕の人生は殆ど分刻みで予定が詰まっていて、時間を正確に把握する必要があった。
僕の右腕に巻かれる、このロレックスのシリアルナンバー0は、僕がイギリスで『ある成果』を果たした際に、当時の僕のオーナーが特注で僕に与えてくれたものだ。今では寝る時を除けば毎日身に付けている。ごてごてした装飾も少ないが、職人の繊細な技術が組み込まれている上、機能性に富んでいるので、気に入っている品だ。
「このモデルは、世界にこれしかないから」
「嘘! オーダーメイドってこと? ねえねえ、ちょっとこれ、外して近くで見せてくれない?」
僕が口にした事実に、その周りにいる女子達が沸き立つ。どうやら僕がこの女達の理想にかなう、金持ちであると思われたということだろう。
「ねえ、いいでしょ? ちょっと見せて……」
そう言って、女の一人が無遠慮に、僕の右手首に手を伸ばして、それを軽く掴んだ。
「……っ」
だが、僕はそれを女子に対してはやりすぎと言われても仕方ないくらいの力でそれを振り払った。
「きゃっ」
あまりの僕の力の強さに、手首を掴んだ女子は軽くつんのめった。
「……」
ずっと無抵抗に、にこやかにしてきた僕が初めて抵抗を見せたことに、周りの女達も、その様子を窺っていた男達も、不意に静かになった。
僕はその沈黙の中立ち上がり、一人個室の出口に足を向けた。
「――悪い、車に犬を置いてきているんだ。ちょっと様子を見てくるよ」
そう言い残して、僕は一度個室を出て行った。
会場のレストランから、歩いて5分弱のところにあるコインパーキングに戻ると、リュートを一度車の外に出して、僕は車に備え付けの飯皿を出し、車に積んである缶詰とミネラルウォーターのペットボトルの中身を、中に注ぎ入れた。
リュートはそれを静かに食べ始める。僕は車のボンネットに軽く寄りかかって、サングラス越しに、それを眺めていた。
「……」
今まで僕にちやほやしていた女達の立ち振る舞いの下品さに、ずっとうんざりしていた。
別に今日に限ったことじゃない。財界の連中の言う通り、僕は数年前まで乞食同然の生活に身を落としていた。その当時は、誰からも相手にされていなかったし、女がああして僕にちやほやしてくれるなんてこともなかった。だが今では、そんな僕に女達が望んでもいないのに寄ってきては、僕に傅き阿りまくる。
しかも、今日の連中は、小学校時代、僕をサンドバッグ同然に扱っていたのに、それに対して何一つの言葉もない。全員がもう、そんなことをなかったかのように流している。
「……」
改めてだけれど、実感する。
僕自身は、財界の人間だけじゃない、もっと広義的に、人間自体があまり好きではない。
僕の人生とは、一言で言えば、その殆どが、周りにいた人間の尻拭いに奔走し、とばっちりで無為な時間を過ごし続けることの連続だった。僕自身が力をつけたのだって、そんな人間に自分の運命を左右されることにうんざりしていたからで。
今もそうだ。今も僕は、家族と過ごしたことで付いた汚名や、財界の人間からの執拗な嫌がらせの中で生きている。どれも僕自身が望んでついて回っているものじゃない。
それでもこの数年、自分なりにそんな人間と歩み寄る努力はしたつもりだ。
何故なら、そんな僕が唯一信じた友も、唯一愛した女も、同じ人間だったから。
今思えば、あの時の半年あまりの生活が、僕の人生で唯一、誰も傷つけず、誰にも傷つけられずに生きられた時間だったように思う。そうやって生きる必要もない生活は、僕にとって生まれて初めての安らぎのように思えた。
あの時僕が、自分の力を誰かのために使いたい、と思ったことだって、潜在的に僕は元々、好きで誰かを傷つけていたわけじゃないことが分かっていたからだ。
それでも、人を傷つけ続けてきた自分がいた事実は消えやしない。そんな自分を清算したかった、まともな生き方をしたかっただけなのだ。
今だってそうだ。人を傷つけたって、気持ちよくなんてない。自分の中の何かが澱んでいく感覚と、疲労が蓄積されるだけだ。
ただ僕は、そんな螺旋を自分なりに断ち切ろうと思っただけだ。
あの時のように、誰も傷つけずに、目に映る人の力になることで、誰かが笑顔になってくれればよかった。
誰かに感謝されたかったわけでも、恩を売るわけでもない。
ただ僕が、そんな生き方をしたかっただけなのだ。
――レストランの個室に戻ると、皆それぞれに帰り支度を始めていて、幹事のへらへらした男達は、2次会の参加を皆に促していた。
皆相当酒を空けたらしく、足は千鳥足を踏んでいるものが多い。料理も派手に食い散らかしていて、腹一杯で苦しそうにしている人間もいて、まだ椅子から立ち上がれていない。
当然僕は、もう女達の下品さに嫌気がさしていて、これで帰るつもりだった。だから酒も飲んでいなかった。
「さあ、じゃあ店を出るよー!」
酔った勢いも手伝って、へらへらした男は高らかに皆を誘導する。
「……」
自分の荷物を捜しながら、死屍累々に食い散らかされた部屋を見て、首を傾げる。
――いくら何でも、これだけ派手に飲み食いして、会費4000円で間に合うんだろうか……まだ金も集められていないけれど。
とりあえずそんな疑問もそこそこに、僕も荷物を持って、入り口のレジカウンターに向かう。
丁度参加者の全員がそこに集まっていて、僕がどんじりだった。幹事を先頭に会計が始まっていて、若干旧式のそのレジには、緑色のドット文字で、なんと50万を越す額がはじき出されていた。
「……」
――おいおい、参加者は25人程度だけど、これじゃ一人頭2万計算だぞ。会費は4000円なのに、5倍飲み食いした計算――しかしあれだけ派手に注文したら、この額は妥当だな。別にボッタくられているわけじゃないだろう。
「あ、おいおい」
そんなことを思っている僕に、幹事の一人が声をかけてきた。
「悪い、ここ、払ってくれない?」
アルコールで筋肉が弛緩して、ニコニコした顔で僕に手を合わせる。
「な? いいだろ? お前の年収、俺達とゼロが3つ4つ違うんだろうしさ、こんな額、軽いだろ?」
「……」
そうして僕に拝み倒す幹事を見て、他の参加者達も僕の前に寄ってくる。
「そうそう、正義の味方のサクライ様、どうぞ僕達にも愛の手を!」
「こういう時、やっぱりサクライ・ケースケなら一発で全部払っちゃうのよね。天才が私達なんかと割り勘なんて、カッコ悪いでしょ?」
「……」
その場で僕に口々に言う人間の顔が、共通して一つの言葉を強調している。
今更昔のことを言うなんて、大人気ないだろ? と。
皆が僕にガキの頃にしてきたことを誤魔化している。それを盾にとって、僕にこうしてたかっているのだ。
そうか――はじめから僕は今日、こいつらの財布扱いだったのか。僕がいたから、こいつらはあれだけ無遠慮に料理や酒を注文した。僕の承諾も確認せずに。
そして、皆もうかなり出来上がっている。こうなってしまうと、このレジの前で酔っ払いをこれだけ大勢説得することなど、暖簾に腕押しで不可能だし、店の迷惑になる上、僕の社会的地位を鑑みれば、あまりにみっともない行為だ。他の客の目もある手前、僕が払わざるを得ない状況にされている。
「……」
僕は自分の財布からクレジットカードを取り出す。僕のカードは勿論ブラックカードだ。
「カードで」
僕はレジ前のギャルソンに、自分のカードを見せた。
それで会計を済ませると、周りにいた連中が僕に向けて、うおおお、と奇声を上げた。
「あざーっす!」
「ゴチになりやっす!」
店を出て行く連中に、口々にそう言われる。
そして財布をしまう僕に、幹事の男が肩に手をやって、言った。
「はは、そんな顔するなって、こんなのお前なら、余裕だろ? 別にみんな悪気があるわけじゃないんだぜ」
「……」
僕はそれを訊いて、男が僕の肩に回す手を振り払った。
「馴れ馴れしく触るな」
そう言って、僕はひとり店を出て行き、店の前で集まって2次会会場へ移動しようとする参加者と目も合わせずに、そのままそこを立ち去った。
「――くそ」
どいつもこいつも、しらけさせるようなことばかりしやがる。
2時間あまり、どいつもこいつも僕のおこぼれに預かろうと、ご機嫌取りばかりした挙句、最後の最後にこれか。
別に金を払ったことが問題じゃない。10数年前、あいつらに殴られ蹴られたことも関係ない。
だが、何がそんなに楽しいっていうんだ。お前達の食い散らかしたものの金を払うことの、一体何が可笑しいって言うんだ。
悪気がないだって? むしろあれよ。
食事にもあまり手を付けていなかったが、胃の奥がむかむかして、止まらなかった。
――今までも、人を信じようと僕なりに頑張ったつもりだった。あいつらのような、信じるに足る人間もいるのだと、人を根本的に否定し続ける自分に言い聞かせながら。
だが、その度に僕はこうして、人に裏切られ続ける――僕の日本を出てからの数年間は、その繰り返しだった。
確かに、あいつらは僕に感謝し、笑顔になった。僕の力であいつらを喜ばせることだって出来た。
だけど、僕が望んでいたのは、こんな意味じゃない……
腸が煮えくり返りそうな怒りの中で、僕はつい先日、帝国グループの爺さんに言われた言葉を思い出していた。
「大衆なんてそんなにいいものじゃない。君がいくら大衆にお恵みを与えても、向こうは君に感謝なんかしていない。実際は君を利用して、自分が美味しい思いにありつくことしか考えていない。そんなものじゃよ」と。
――そんなこと、分かっていたさ。
僕はこの7年、何もしていないのと同じだったのだ。
自分が他人に殆ど影響を与えておらず、人も僕に何の感情も持ち合わせてはいない。
他人にとっては僕は、都合よく使えればそれでいい、がまぐち財布の口のように、こちらの都合で自由に開け閉めできればそれでいい、その程度の認識でしかなかったのだ。自己主張をする僕など何の価値もなく、ただ僕は、誰かの欲望を満たす財布であればよかったのだと。
「……」
何で――何でいつもこうなっちゃうんだ。
僕はもう、傷つけられたり、人を傷つけたり、そんな螺旋から抜け出したかった。まともに生きたかっただけなのに。
こうしていつだって僕の気持ちは届かなくて、人を信じようとする僕に、人はいつだって浅ましいまでに我欲を晒して僕を失望させた上に、そんな僕に後ろ足で砂をかけるようなことをしていく。
何でいつも、こんな……
――でも仕方ない。それが悲しいけど、真実なのだから。
今日払った50万は、そんな甘い幻想を抱いた自分の戒めと、勉強代だったと思うことにしよう……
そんな思いに駆られながら、虚ろに歩いていると、車を止めていたコインパーキングに辿りついた。僕は鍵を取り出して、ボタンでロックを解除する信号を送り、ドアを開けようと、運転席のドアに手をかけた……
「――ねえねえ」
ふと、そんな僕に声をかけてくる女性の声があった。
僕はドア越しに声の方を見ると、そこにはさっきの同窓会の参加者の一人が立っていた。僕は同窓会で殆どから見はなかったけれど、その少しばかり綺麗な風貌と、妙に思わせぶりな態度で、他の男達にちやほやされていた女だった。
「ちょっと酔っちゃって――環八通るなら、家まで送ってくれない?」
ヒールを履いた足を、今にも転びそうなほどにふらつかせて、目線を軽く前髪にやる手で隠しながら、はにかむように女は僕に笑いかけた。