Destroyer
僕は同窓会やクラス会というものの類に出席したことがない。
――勿論、それに出席できるであろう時間の殆どを海外で過ごしていたのだから、当然だけれど。
こうして通知が僕の所に届くのも、初めてのことだ。
しかし――その初めての誘いが、よりによって小学校からか……
だが、改めて考えると、僕に同窓会の通知が来るとしたら、小学校が一番可能性が高い。僕は埼玉高校を退学しているから、当然参加資格はないし、中学は中高一貫――付属高校に進まなかった僕は、もはや同窓の扱いになっていないだろう。仮になっていたとしても、僕のいた中学の同級生は、医者や弁護士をはじめとした、難関を目指す連中ばかりだった。だから今は医者志望の奴は医大、弁護士志望は法科大学院、理系も殆どがまだ大学院といった具合だろう。過去の僕のように海外留学をしている奴もいるだろうし、とても同窓会など開く状態ではないはず。
消去法で行けば、小学校以外に僕宛の同窓会の通知など、来るわけがないのだ。
「いいですね。同窓会。一人だけ社長が目立っちゃうかもしれないですけど、いい気分転換になるんじゃないですか?」
横にいるトモミが笑顔を浮かべた。
僕は糊付けされた封筒の封を切って、中身を見ると、中に入っている詳細通知には、場所は埼玉人が集まりやすい池袋のイタリアンレストラン、会費は4000円、期日は今日、飛び入り参加可とある。
幹事の名前も書いてあったが、名前を見ても顔を思い出せない。
「……」
僕は自分の過去をあまり人に話さない。当然エイジもトモミも、僕の小学校時代のことを知らない。
それでいいと僕は思う。当時のことを僕自身も、もうあまり覚えていないからだ。
断片的なモノローグとして語れる程度の記憶はある。小学校の時、僕は同級生にいじめられていた。
だが、それを恨みとしてはもう捉えてはいない。確かにあの時の僕も、当時の連中を恨んでいたのだろうが、今となれば僕の人生において、あんなものは怒りや憎しみの内には入らない。当時の怒りはもう殆ど風化してしまっていて、自分を虐げた人間の顔もよく覚えていない。
「……」
改めて考えれば、当時僕を虐げ、体に無数の痣を刻み込んだあの連中も、今では力弱き人々――僕が守ろうとした人間なのだろう。
こうして僕の所へ招待状が届くのも、連中が僕のことを認めたということなのだろうか……
僕は、ふっと息をついて、封筒を手に持ったまま、踵を返した。
「おい、どうした?」
エイジが僕に声をかける。
「――3日後に納品予定のアクセサリー、まだ作業の途中なんでな」
僕はそう言って、宝石加工用の作業室のドアに手をかける。それを見て、僕の傍らにいたリュートも付いてきた。
「はぁ?」
エイジが首を傾げた。
「あれだけの財閥に壊滅的被害を与えて、この会社が日本第2位の財閥にのし上るなんて大業をやった直後だってのに、お前は余韻に浸ることもなく、変わらずいつもの仕事かよ」
「残念だが、別にこの会社がどれだけ大きくなろうと、僕の目の前に仕事が山積みなのは変わらないからな」
そう言って、僕はドアノブを回した。
「二人は暫くゆっくりしていていいぞ。どうせ今日は飛天グループの今後の動き待ちで、そう取り立てて大きな動きもないだろうからな」
グランローズマリーの作業室は、僕だけの場所だ。一般業務と作業を並行して行うために、電話やモニターも置いてはいるが、全て今日は電源を切っている。宝石を削ったりする時に出る音が外に漏れて、エイジやトモミの邪魔にならないよう、防音が施されているし、社長室の中を覗けるガラス窓は、ブラインドがかかっていて、完全に中から僕の様子は見えない。
僕は作業台に設けてある椅子に座って、宝石を高温で溶かす時に出る強い光から目を守るための、溶接用メガネをかけて、視界を遮断する。
「……」
いつも通りと言えばそれまでだが、何だか疲れた。
多くの人間から搾取を繰り返す財閥を潰して、僕の胸には泥のような疲労だけが残った。
そんな時に、この狭くて静かな社長室は、何だか妙に落ち着いた。喧騒から離れてみて、ようやくこの閉め切った部屋に、一時の安らぎを見ていた。
高校時代の僕も、家にも外にも居場所はなく、埼玉高校サッカー部の狭くてカビ臭くて汚いサッカー部の部室しかなかった。7年経っても、今の僕はあまり変わっていないんだな、と思う。
悲しくもないのに、何か胸の奥から込み上げてくるような感覚。
僕は不意に、さっき飛天グループのボンボンに殴られた頬を自分の指でなぞった。
「……」
人をこの手で傷つけることに、今更躊躇いや悔いはない。もう何も出来ないまま、後悔するよりはずっとましだ。
なのに、胸の奥にはその度に、砂塵のような消化のできない何かが積もっていく。
「……」
人を傷つけても、自分を傷つけても、痛みはもはやない。
むしろ、そんなことに日毎痛みを感じられなくなっていく自分に、僕は憤っていた。
僕は他人の痛みが分からない。
自分の人生は、望む望まざるにも拘らず、他人から痛みを強いられ続けることの連続だった。それを当たり前と感じるようになってしまったのか、自分に対する痛みにも、酷く鈍感で。
それを他人に強いてしまっている。
一方的な価値観の押し付け、身勝手な独りよがりの正義と倫理。
それが遂に、財閥という、多くの人間に影響の与える事象を潰すまでに至った。
それで確かに、救われる人間がいるのも事実だろう。少なくとも、今日僕がここに呼んだ飛天グループの社員達は、僕の行動を支持していた。
だが――もっと上手いやり方があったのではないか。
僕は人の痛みが分からない分、上手い折り合い――加減をする場所もよく分からない。
そこまでしなくても――きっと、無意味な破壊をしてしまう部分だって、あっただろう。
そうして闇雲に力を振るうだけ――それではただの破壊者だ。
今までの僕は、何と戦い、どうやって勝つのか。そんな事への思慮が足りなかったんじゃないのか。
「……」
今の僕は、7年前、何も出来なかったサクライ・ケースケじゃない。
そうは言ってみても、僕はこの7年、何をしてきたのだろう。
怒りと憎しみを生きる理由にしていた僕は、自分の生き方を省みる余裕もないまま力を磨き、その力を振るってきた。
ただ、あの時は思っていたはずだ。家族のような無法は絶対に行わない。
どんなに怒りに苛まれても、絶対に人としての筋は通して勝ってみせる、と。
そんな思いを抱えて生きるこの7年に、一体どんな意味があったのか。
――知りたくなった。僕の7年間――今の僕の全てを。
僕は今も手に持つ、同窓会の案内を天井にかざす。
「……」
財界の連中以外の人間と、近い距離で会える機会なんて、滅多にないからな……
それに、小学校時代、同級生にいじめられ、あれほど手にしたいと願った力を、今の僕は持っている。
過去を辿ることで、そんな昔の志を思い出すこともあるかもしれない。
「――行ってみるか」
夕方5時に会社を出て、僕は自分の部屋にリュートと共に戻り、マンションの駐車場に置いてある、僕の車に乗り込む。リュートも助手席に待機した。
車は2年前に買ったGTカー。イギリスで国際免許を取った僕にとっては、左ステアリングの方が運転しやすいので、この車もそう。
グランローズマリー創業当時は運転手もいなかったし、この車で現在の取引先を回ることも多かった。今ではほとんど乗っていない。ステアリングを握るのも数ヶ月ぶりだった。
流石に同窓会という、業務外の用事に運転手を待機させるのも気が引けて、久しぶりに車を出すことにしたのだ。僕の住む街から、会場のある池袋までは、環八通りを通れば、渋滞さえなければ30分弱で着く。
かなり馬力のある車で、エンジンは派手に鳴いて、快調に走っている。
だが僕自身は、そんな無駄なセレモニーの多いこの車をあまり気に入っていない。
この車も高級車の類ではあるが、僕はもっとシンプルな車でよかった。ただ、グランローズマリーのCEOともあろう人間が、等級の低い車に乗るのも威厳に関わると、エイジをはじめとした創業メンバーに諭され、この車を選んだ。
僕が欲しくもないのに、生活に満ち溢れている『理由』のひとつ。
――池袋に到着すると、会場はサンシャイン通りの近くなので、僕は池袋駅東口の五叉路の近くのコインパーキングに車を停めた。
「リュート、しばらく待っていてくれ」
僕はリュートにそう告げて、換気分だけパワーウィンドウを開いてから、一人車を出る。
人ごみに紛れるために、念のためにサングラスをかける。もう10月の半分が過ぎ去ろうとしていて、少し夜は冷え込むので、僕は薄手のトレンチコートを羽織っている。
案内に書いてある小さな地図が示す場所に到着すると、確かにそこがイタリアンレストランがある。そして店の表に『埼玉県川越市立○○小学校同窓会様』と書かれた小さな看板が置いてある。しかし他の客の名も、その隣にいくつか書かれているところを見ると、どうやら貸切ではない、それなりに客席の多い店のようだった。
僕は店に入る。ギャルソンがやってきて、1名ですか、と聞かれたが、僕は席への案内を求めた。店員はにこやかに笑って、僕を店の奥に通す。どうやらかなりでかい店で、入ってすぐの場所から一望できるだけでもかなりの客席があるが、店の奥に行くと、まるでカラオケボックスのような一本道になり、その道の途中に個室が何部屋か用意されていた。
僕が案内されたのは、その個室の一つだ。店の表向きの喧騒も、かなり奥に来たので随分静かになった。
僕は案内してくれたギャルソンに礼を言って会釈する。そしてギャルソンが立ち去るのを見ると、僕は個室のドアをノックして、静かにそのドアを開けた。
もう既に中には20人程の人間が集まっていて、それぞれが久しぶりの再会に、会話も弾んでいるという感じだった。まだ明記されていた開始時間より10分程前で、テーブルにはおしぼりとメニューの他には、グラスと瓶ビールが10本ほどしか乗っていない。
「いらっしゃ……」
どうやら幹事らしい、妙にヘラヘラしたしまりのない男が、ドアが開いた瞬間口を開いたが、僕の姿を見るなり、その言葉を止め、表情を凍りつかせた。
それは、既に個室の中にいた、他の同級生も同じ――僕の姿を見るなり、同様の反応をして、賑やかだった部屋は、一瞬で静寂に包まれた。
「サクライ・ケースケだ。招待状が届いていたから、来たんだが……」
僕はトレンチコートのポケットから、招待状を取り出して、へらへらした男に差し出した。
「お――おお、よ、よく来たな」
それを見て、へらへらした男は顔を引きつらせながらも、僕にそう言って笑顔を見せた。
「……」
――ああ、思い出した。こいつ、名前は覚えていないが、僕の腕の服を捲って、その腕にマッチの火を押し付けようとした奴だ。