Agitation
「社長、お怪我はありませんか?」
「社長!」
円卓の方を振り返ると、役員達が円卓から立ち上がって、僕の方へ駆け寄ってくる。
「……」
僕はふっと、自分の額に手をやる仕草をした。
「――大丈夫ですよ。あんなボンボンのパンチでやられるほど、僕は安くないです」
そう言ってから、僕は今も沸き立つモニターの方を見た。
「飛天グループの皆さん、喜ぶのはまだ早いですよ。僕はあなた達を助けられたわけじゃないですから」
その言葉に、モニターに映る人々は皆、しんと静まり返る。
「はっきり言って、さっき飛天グループのボンボンが言っていたことは本当です。うちの会社は、貧しい人、社会的に力弱い人の希望になることを目標にしているから、はっきり言って、社員一人一人の給料は、月15万を切るとか、そんな非人道的な額ではないけれど、特別高くはない。飛天グループみたいな企業にいるんじゃ、皆さんそれなりに仕事が出来て、出来れば1千万2千万の年収が欲しいっていう人もいるでしょう。はっきり言って、そういう人達は、うちに入ることは、人生の回り道になってしまうかもしれない」
『……』
「でも、うちは賃金は特別高くないけれど、新しい戦場と、誰かのため、何かに貢献できる環境、人と接する機会に恵まれている――金よりも、自分の命を燃やし、誰かの心に名を残せる環境だ。勿論、そんなものを金よりも勝ちがあると思えるかどうかは、個人の価値観です。僕もそれを皆さんに強制する気はないですが……」
僕は一度言葉を止める。もう一度額に手を当てて、言葉を数秒の間に咀嚼してから、もう一度顔を上げる。
「この会社で戦いに励み、力をつけて数年後、他の金の貰える企業に行くのもいい。この会社が皆さんの踏み台になってもいい。この会社で何か――金でも名誉でもいい、何かを得たいと手を伸ばしている人がいたら、共に戦いましょう。迷っている人がいるのであれば、うちの会社を見学する機会も後日設けます。その上で選ぶといい」
『……』
「僕から言えることはひとつ――僕は人の義に反した者、士道不覚の者には厳罰を処す。でも、それを守れる者は、全力を以って守ってみせる。力がなくてもいい、その気持ちさえあれば、僕が必ず皆さんを守ります。この会社は力よりも、義が優先される企業だと思ってます、皆さんも、その空気が肌に合うのなら、また会いましょう。これからのことは、僕達で時間等を調整して、社内ホームページで通達しますので、今日はこれで――唐突に呼び出してしまって、これで帰れというのも失礼ですが、皆さん、気をつけて帰ってください」
そういい終わってから、僕は部屋の隅でカメラを僕に向けていたとも見に目配せする。それを見てトモミは、自分の待機する机に置いてあるカメラの電源を消した。これでモニターに映っている別室から、僕達のことは見えなくなった。用が済んだので、僕も会議室のモニターの映像を消した。
「ふう」
今まで多くの人に見られていたせいか、その場にいたほとんどの人間が、そこで息をついた。
僕もさっき殴られた時に、位置がずれていたネクタイを軽く直した。
「――今回の計画も、予想以上に上手くいきそうだ。今回はエイジの作戦が当たったな」
僕はエイジに向かって笑いかけた。
「何言ってやがる。あんな仕込をしてたなんて、俺は聞いてないぞ」
エイジは憮然とした表情だ。
「お前の計画の延長線上だ。僕はそれの効果を最大限引き出す演出をしただけ――この作戦のために、一番足を動かしたお前が、今回の勲功第一だよ」
「ふ……」
エイジはそう言われて、まんざらでもないように皮肉めいた自嘲を浮かべた。
「トモミさんも」
僕はトモミの方を振り返る。
「突然カメラマンをやってくれ、って、内緒で頼んじゃって。でも、トモミさんが誰にも気付かれずにいいアングルで撮ってくれたから、僕の策も当たりましたよ」
「そんな……」
トモミは目線を少し下げる。
「……」
僕はそんなトモミの前へ、歩を進め、自分の左手を軽く上げて見せた。
「え?」
「ハイタッチですよ。作戦成功を祝して」
「え? え?」
「あ――いや、さっき人の間接外したような手で、そんなことをするのは、相応しくないな……」
僕はそう呟いて、手を下ろした。
「ふう……」
僕は額に手を当てる。
「――エイジ、この後の会議は、お前に進行を任せてもいいか?」
僕は後ろにいるエイジを振り向かずに、そう告げた。
「どうやら少し、血を流したみたいなんでな……皆も気が散るだろうから。報告は後で聞くから。頼む」
「――ああ」
エイジの返事がした。
「ありがとう。リュート」
僕がリュートを呼ぶと、さっきまで僕の後ろで待機していたリュートは僕の許へ走りよってくる。そして僕はそのまま、トモミの横を通り過ぎて、リュートと共に、会議室を出て行った。
グランローズマリーの本社ビルは20階建ての高層ビルだ。そのうち最上階の社長室だけは、エレベーターも特殊IDがない限りは止まらないが、その更に上の屋上庭園は、社員達も都会の息苦しさから解放される為に昼休みに出てきては、気晴らしに弁当を食べたり、お喋りをする憩いの場になっている。
年に四回、プランターの花を季節ごとに変え、芝生も敷かれていて、さながら軽い植物園のように、色とりどりに飾られている。
「ゴホッ、ゴホッ……」
今は僕もここに来ていた。今は勤務時間が始まったばかりだし、ここに来ているのは僕だけ――屋上庭園は、僕とリュートしかいない。
僕は屋上を囲む柵に前かがみに寄りかかって、柵の上に腕を組んで置いていた。右手には自販機で買った缶コーヒーを持って。
「……」
ビジネス街の摩天楼はビル風が吹き抜け、ひゅうひゅうと風を切る音が耳に届く。季節は10月で、風は少し冷たくなり、夜は薄手のコートが必要になったが、夏の日差しを浴び続けていた身には、日中の風は涼やかで、ようやく過ごしやすい気温になった。
「ふう……」
少し体が落ち着いてくる。
さっきボンボンから喰らったパンチは、特に痛くはなかったけれど、顔を思い切り殴られたからか、さっきから頭が少しふらふらしていた。確かに最近、席と一緒に、眩暈を感じることも増えていたから、何だか少し目が回ったような感覚を覚えて、少し気分が悪くなり、僕はここに来て、外の空気を吸いに来たのだった。
僕は缶コーヒーを飲み干す。
「……」
僕は空になったコーヒーの缶を少し見つめると。
缶を持つ手に少し力を込めた。スチール缶は音も立てずに、飲み口からぐにゃりとひしゃげ、潰れた。
「……」
潰れた缶を見ながら、僕は自分の行動について、考えていた。
これからのビジョンも、大体想像がつく。
飛天グループでは、今日グランローズマリーに集まった人間の口から、まだ飛天グループに残っていた社員へと、今日のことが大袈裟に伝わり、あることないことで飛天グループは大混乱。信頼と忠義、主従の絆が完全に壊れた創業者一族にそれを止める手はない。今日の僕の行為を見て、飛天グループの人間は僕のことを信用するどころか、もう英雄、救世主的な感情さえ抱いていることだろう。もう彼等の心は、グランローズマリーの一員のそれになっているはず。
そうなれば将棋倒しだ。飛天グループの人間は、我先にとグランローズマリーへと寝返り、態勢を立て直す暇もないまま、飛天グループは崩壊。できれば飛天グループがそれを見て戦意を喪失し、僕達に降伏してくれれば、今まで飛天グループが使っていた商業施設をそのまま使えてお得だ。名族のプライドとやらを旗印に最後まで抵抗されるかもしれないけれど、そうなった時の対処法も既に30パターン以上用意している。
そうして順調に飛天グループを取り込んでいけば、グランローズマリーは帝国グループに肉薄する、日本第2位の資本力を持つ企業になるだろう。僕は正義を貫いた英雄として、また多くの人間から賞賛される……
「……」
でも、そうなった後は。
それから始まるのは、今まで飛天グループの創業者一族に、奴隷のように扱われてきた人々の報復を望む動きだ。そんな人々は、残酷かつ冷酷に、積年の恨みを創業者一族にぶつけるだろう。
そこから先は一方的な暴力だ。僕が叩き潰したあのボンボン達も、そんな報復に引き裂かれ、果てに待つのは、凄惨な公開処刑だ。
僕はこれまで、私欲に溺れて人々を苦しめてきた人間が、人々の報復心によって滅ぼされる様を何度も見てきた。助けて、と慈悲を請うかつての俗物は、その反省の言葉もかき消される人々の怒号の中、殴られ、蹴られ……
「……」
それはきっと、僕が家族に抱いたものと同じ。
僕は家族に酷い目に遭わされ、大切な人とも引き裂かれることになった。その恨みを抱えながら生きてきた僕にとって、我が物顔で力を振るって、人々から搾取を続ける人間を見ると、まるで自分のことを見ているようで、酷く気持ちが陰になり。
その度に僕は、そんな連中を例外なく叩き潰してきた。
今日のような方法――人々の心に燻る復讐心を煽り立てるような行為で。
僕が点けた火種で、多くの人間は目を血走らせ、人間のエゴをむき出しにして、暴力の衝動に突き動かされる。
僕のしてきた『正義の味方』としての結果とは、そうした火種を拡大させることに他ならない。
「……」
昔は思っていた。これ以上、僕のような人間を増やしたくないと。
でも――結果的に僕は多くの人に、自分と同じ憎しみを植え付けた。それを煽り立て、私利私欲の俗物を暴力的な方法で叩きのめしてきた。
僕もそう――今日だってそうだ。僕はあの連中に暴力を振るった。
別に珍しいことじゃない。僕は旅先で、多くの人間に『制裁』『正当防衛』の名の下に、その手で傷をつけた。
僕は男としては華奢な体つきだが、本気を出さずとも、スチール缶を手で潰せるだけの力がある。
今はデザイナーをしているから、商売道具である手を傷つけないように気をつけてはいるが、僕の手は、本気で力を込めればスチール缶どころか、相手の骨を砕くことも出来る。蹴りは旅をしている際に、東南アジアの拳法を我流で学んで身に付けたものだ。関節技の心得もある。
いつか日本に戻った時、僕の手で家族に痛みを課すために身に付けたものだ。スポーツとしてのそれではない。他者にダメージを与えること――痛めつける、苦しみを与える、殺すことを目的としたそれを。
だが、結局僕はこの力を家族だけじゃない、多くの人間に使ってしまった。憎しみに囚われたまま。
その行為が是か非か自分で考えることも放棄したまま暴力を振るい続け、人を壊す感触にも慣れていった。制裁や脅迫の手段としても手っ取り早いし、僕自身、心に溜め込んだ怒りを俗物に刻み付けてやることを望んだ。
それは体だけじゃない。心も……
飛天グループに使ったのは、いわば離間の計だ。他人の人間関係、信頼関係を壊し、寝返りや内部崩壊を誘う計略。
僕はこのやり方で、相手を丸裸にし、その上で大儀を作り、その上で殲滅を行うというやり方を多用した。僕が正義の味方と呼ばれる影で、多くの人間が、僕の手によって、人間関係をメチャクチャにされ、人に裏切られ、失意に沈められてきた。
「……」
それは大きな矛盾だ。あの時僕は、一方的な暴力で他者を従わせ、征服していた家族、僕の大切な人を傷つけ、奪った家族をあれ程憎んでいたのに。
今の僕は、その家族と同じ――いや、それ以上の憎しみと痛みを多くの人に与え続けている。
友や恋人と引き裂かれることの悲しみ――暴力によって虐げられることの痛みを、僕は誰よりも知っているはずなのに。
今の僕は、その悲しみ、痛みを、僕の勝手な解釈で、多くの人に強いてしまっている。
自分はもう、あんな思いを二度としたくないと思っているのに。
その気持ちを拡大させ、多くの人も、自分と同じように手を汚させている。
『正義の味方』なんて言われて、多くの人を幸せにしたかのように僕は崇められているけれど。
この手で多くの人を、自分の不幸に巻き込んでいるだけだ。
あまりに多くの悲しみ、憎しみを作ってしまった……