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「すまん、遅れた」
エイジが会議室に入っておよそ10分後、僕はトモミとリュートを連れ立って、会議室へとやってきた。
「社長!」「社長!」
会社の首脳はおよそ50人を越えるから、会議室もかなり広く、中心に円卓を置いて、大型のプロジェクターやモニターも完備して、コーヒーや紅茶、ソフトドリンクも用意してある、至れり尽くせりの設備で、もう既に会議室は僕を除く全重役が集結していた。
「飛天グループに仕掛けたというのは本当ですか?」
「勝算はあるのですか?」
さすがに一部の重役以外には、隠密裏に進めた計画だけに、新聞の報道で事態を初めて知った重役達は、僕のところへ矢継ぎ早に質問を飛ばしに来る。
「静かに!」
僕は声を上げて、皆を制した。
「それを説明するために、今日の場があるんですよ。別に僕達も逃げたりしない。まずは落ち着きましょう」
「……」
「まず皆、席に着いてください。遅ればせながら、会議を始めましょう」
そう言って、僕は皆を席に促した。
皆と共に、僕もプロジェクターと向かい合う、円卓の上座へとやってきて、僕の席のすぐ横にリュートが待機し、その隣にエイジが座る。トモミは会議室の中にある小さな壇の前に座って、議事録やタイムキーパーなどの記録をとったり、電話の応対などを担当する。
「よし、じゃあ、皆席に着いたところで、今日の定例会議を始めましょうか」
まずは会社の頭の僕が音頭を取る。基本的に会議の出席者は、発言の際、トモミがマイクを渡すが、会議で発言機会の多い僕とエイジの席には、既にマイクが用意されていて、僕の声はマイクで拡声される。
「本来なら、各営業部の現在の仕事状況の報告からだけど、皆飛天グループの報道の件が気になっているようだから、そちらを先に議題にあげましょう」
そう言って、僕は円卓に座る部下の顔をそれぞれ一瞥する。
「――皆にほとんど内緒でこんな大きな動きをしたこと、本当にすまないと思っています。飛天グループと一戦交えるっていうのは、会社の未来を変えることとほぼ同義ですから」
まず僕が頭を下げる。
「社長、いくらなんでも無茶ですって。いくら社長の神の用兵があっても、まだ創業して間もないうちが、飛天グループみたいな大きな企業と張り合おうなんて」
「そうですよ、しかも飛天グループの株を持ってないのに、社長が飛天グループの代表に就任するなんて、何でそんな――社長がそんな馬鹿げた策を取るなんて、一体どうして?」
役員達は口々に自らの不安を露にする。
「――ふう」
僕はそんな皆の言葉を、腕組みをしながら訊いていた。
「何だ、皆さん結構ビビッてるんですね。飛天グループに」
僕は緊張をほぐすように、笑顔を作る。
「――まあ、気持ちは分からなくもない。はっきり言ってこの会社にいるほとんどの人間は、ここに来る前は、社会の底でくすぶっていた人間ばかりです。鬱屈した人生を変えるために、ここに来て、この2年で結果を出し、ようやく人生で、人並みの充足感を得られるようになった。何も持っていなかった人間が、途端に何かを得ると、それを失うことを極端に恐れる――」
「……」
役員全員が図星の顔をする。
「それがこの会社に蔓延する――そうなるとこの会社はもう前に進めない。今までは皆さんの決死の覚悟があると分かっていたから、僕もそれを想定して、戦略に組み込めたけれど、それがなくなると、この会社はどんな策を練っても、停滞の一途を辿るのみ――1兆円企業になって、蔓延する今の安心感、安定感は、いわばこの会社に埋伏された毒のようなものです」
「……」
沈黙。
「今くらいで満足ですか?」
僕は言う。
「もうグランローズマリーは創業当時の右も左も分からないような企業じゃない。1兆円企業になったんです。世間じゃ僕の経営手腕がその手柄の全てみたいに言われていますけど、監督が優秀でも、選手に力がなければ、勝ち続けることは出来ない――あなた達だって、この2年で、他の企業に10年勤めるに匹敵するくらいの経験値を積んだはず。もうあなた達だって、ここに来る前の、何も出来ずにもがいていた、無力な人間じゃない。それなのに、今くらいのものを得ただけで、自分に見切りをつけるんですか?」
僕のその言葉に、会議の参加者達は、一堂各々に、背筋を伸ばした。
「自分だけがよければいい――それじゃあなた達も、行く先は過去の自分と同じような、燻った人間を沢山生み出して、それを足蹴に富を貪る愚物になるんじゃないですか? あなた達はそういう側の人間になるために、この会社に来たんですか? そうじゃないでしょう――この会社で、世の中に義を示した上で、自らの幸せも掴みたいと思ってここに来たはず。皆さんも何も持っていなかった頃は、そんな開拓者精神を持ってここに来たはずが、ある程度の安息を手に入れてしまって、それがなくなってしまいましたか?」
「……」
その言葉に、役員達は沈痛な面持ちを見せる。
「社長」
その折、役員の一人が席を立った。
「社長の仰るとおりです。会社をロマンチシズムで語ることは、愚の骨頂かもしれませんが――私達も、ただ富を貪るだけのつまらない人間にはなりたくない、という思いがあります。陳腐な言い方ですけれど、筋の曲がった奴等に、それ以上の卑怯な行為で叩き潰すよりも、ちゃんと筋を通した上で勝てる方がはるかに格好いい……そんな勝利を収めたいと思って、我々はこの会社に来たのです。それが少しの富を得たことで、心が臆病になってしまっていました……社長の今の言葉でそれを言い当てられ、深く胸に突き刺さりました」
「……」
「でも――それは片方だけを得たら、片方を諦めなくちゃいけないというものじゃない。社長は、そう仰りたいのですよね?」
「その通りです」
僕は頷いた。
「欲張っても、いいんですよね。会社の未来と、自分の未来を、同時に見ることを」
「勿論」
僕はにこりと笑った。
「いくら無茶をすると言ったって、僕だって皆さんの生活を犠牲にしてまでこの会社での勝利を優先させようなんて思っていません。会社も国と同じ――元を成すのは金でも力でもなく、人ですからね。人を犠牲にするのが会社じゃない、人を守るのが会社であり、組織です」
そう言って、僕は会議の参加者を、ぐるりと一瞥した。
「いざとなれば僕が全力であなた達を守ります。後顧の憂いを絶つのが組織の頭である僕の仕事ですから。だから皆さんはこれからも恐れることなく、積極的なチャレンジをして欲しいんです。飛天グループと一戦交えるのも、皆さんがその経験をして、それをこれからずっとわすれない様に、心に刻み込んでほしいから――まあ、説明になっていないかもしれませんけど」
僕は少し天井を仰ぐ。
「……」
しばらくそうしてから、もう一度会議の参加者の表情を一瞥すると、皆既にその表情は、さっきまでのおどおどしたものから、新たな戦いに闘志を燃やすそれに変貌していた。
「――どうやら、意志の統一は出来たみたいですね」
僕は頷く。
「よし、じゃあこれから飛天グループの件で、エイジから一通りの経緯と、その作戦の説明を行ってもらいます。今回の作戦は、エイジの立てた作戦を元に、エイジが中心になって準備したものです。皆さんも、分からないことがあれば、今後の質疑応答で、エイジに質問をしてください」
そう言ってから、僕は横にいるエイジに、エイジ、と声をかけた。エイジは自分の席のマイクのスイッチを確認して、話し始める。
「俺達の企業は短時間で大きくなったから、バックグラウンドもネームバリューもまだ弱いし、何より新事業を展開するためのノウハウに乏しい――だから、それらを何らかの形で得なければならない。その方法として、最も短時間かつ簡単にそれを得る方法が、飛天グループへの攻撃だと俺は考えた。正直言って、CEOは飛天グループの人間から嫌われていて、向こうは隙あらばうちを取り潰したいと考えている連中ばかりだ。飛天グループは創業者一族が幅を利かせていて、大衆――得に俺達みたいな下賎の連中が調子に乗るのを嫌うからな。今後の小競り合いが不可避だと考えると、先制攻撃をかけようと思ってな」
「……」
「そこで……」
「あ、あの」
エイジの説明を、ひとりの声が遮った。
遮った声の主は、会議室の隅で、会議のサポート役として待機していたトモミだった。
「と……お前、これからって時に」
エイジは少しずっこけるように首を傾げた。
「ごめんなさい」
トモミは一度頭を下げる。
「あの、社長、今1階のエントランスから電話があって。飛天グループの方が社長にお目通りしたいって、詰め掛けてると」
「……」
トモミの目が何かを訴えかける。
「そうですか――何人で来ているか、訊いていますか?」
「はい、3人だそうです」
トモミは言った。
3人か――となると、その面子は大体想像がつくな。
「よし、いいでしょう。ここに通すよう、エントランスに連絡してください」
僕は言った。
「はい、あの――警備員をつけた方がいいですか?」
「必要ないです」
「分かりました。そのように伝えます」
そう言ってトモミは自分のデスクに戻って、デスクの上の受話器をとり始めた。
しかし会議室は、いきなりの飛天グループの襲来に、にわかにざわめいていた。
「落ち着いてください」
僕は指示を出す。
「そんなびくついた様子をしないでくださいよ。ここは僕達のいわば本拠地なんですから、ホームではどっしり構えているべきですよ」
僕は言った。
「エイジ、手間が省けた。折角だから飛天グループの連中にも、お前の作戦の概要を利かせてやれよ」
僕はそう指示を出した。そうして皆腕を組んで、来客がここに到着するのを待った。
トモミがしたのエレベーターまで来客を迎えに行き、折節、会議室の扉がノックされ、まずトモミがドアを開けると、トモミが支えたままのドアから、先に3人の来客が入室して来た。
「……」
3人と聞いて、予想したとおりだった。
その3人の客は、3人とも僕と同世代か、少し年上――一人は小太りの眼鏡をかけた男。もうひとりは茶髪のソフトモヒカン、もう一人は痩せぎすの神経質そうな男だった。
僕の横に行儀よく座っていた座っていたリュートが、その3人の匂いを感じてか、四足で立つ姿勢になった。いつでも飛びかかれるようにとは言わないが、状況次第で臨機応変に対応する、いわば第二種戦闘態勢、コンディションイエローといったところだ。
――そう、先日のパーティーで、僕とリュートにシャンパンをぶちまけ、池に突き落とした連中だった。
大幅に更新が遅れて申し訳ありません…