Plan
数日後、日本中の朝刊の一面を飾ったニュースが、日本中を驚愕させた。
『飛天グループ会長、代表取締役が、先日報道された不正の問責によりグループ役員会議で不信任案動議を提案され、両ポスト共に、満場一致で解任を可決された。飛天グループ役員は、会長後任に、グランローズマリーCEO、サクライ・ケースケ氏を指名している。しかし株保有比率から、株主総会でこの動議が通る確率は極めて低く、実現はまず不可能とされている』
その日の朝刊を、僕達も社長室で何度も読み返していた。
――「とうとうやっちまったな」
僕の横で、僕の開いた新聞を覗き見るエイジが言った。
「――ああ、あいつらもどうやら言うことを聞いてくれたようだ。あとは仕上げだな」
僕は新聞を折り畳んで、デスクから立ち上がる。
と言っても、新聞では僕達の――いや、僕の行動を下策だと非難する声が多い。僕は飛天グループの株券をほとんど持っていないから、経営に参加する権利を持っていない。株主総会を開けば僕の訴えなど簡単に棄却されるのは誰が見ても明らかなのだから、当然だけど。
「その前に今日は会議が……うっ……ゴホッ、ゴホッ……」
「――社長」
僕の傍らにいるトモミが駆け寄ってくる。デスクの横にいるリュートも顔を上げた。
「――社長、ここ最近、飛天グループの件で動き回ってたから……それで予約待ちのアクセサリーを作る時間が減った分、残業続きだったし……」
「……」
トモミの言う通り、ここ数日、ずっと前から続いていた咳が悪化の一途を辿っている。咳をする度に体の節々が痛み、眩暈や立ち眩みが頻繁に起こるようになっていた。エイジ達にはあまりそんな素振りを見せないようにしているが、僕も自分の体調の悪化は、はっきりと自覚できる程に悪くなっていった。
「――いや、大丈夫ですよ。こんなの……」
僕はトモミを制する。
「エイジ。とりあえず、これからの会議でこうなった経緯をちゃんとうちの役員に説明しなくちゃな……うちが飛天グループと一戦交えるなんて、これで知った社員もいるだろうし、社内の混乱は早期に収めたい」
そう言って、僕はエイジの肩を叩く。
グランローズマリーでは、月に2、3回、重役を集めた会議を行う。1兆円企業になって部署も増えたことで、社員同士が各部署の動向を知り、連携を取りやすくしたり、互いに行動をチェックして、無駄遣いを指摘しあってコストを減らしたり、会社の方針の下、足並みを揃える一助としたりするための会議だ。今日はこれからその会議が予定されている。
「喧嘩を惹起したのは僕だけど、今回の喧嘩の作戦はお前の立案だからな……悪いがお前にその説明も任せていいか? 今日の会議、進行はお前を中心にやってほしいんだが……ゴホッ、ゴホッ」
「――おいおい」
エイジが咳き込む僕に手を貸そうとするが、僕がそれを制した。
「……」
咳が一度止まると、僕は傍らにいたトモミの方を窺った。
「――大丈夫だよ。会議の間くらい、お前はのんびり休んでろよ」
エイジは言った。
「……」
――いや、僕の読みだと今日の会議はそうもいかないんだ。
「――エイジ、お前は先に会議室に行っていてくれないか。僕もすぐ行くから」
「ん? ああ……少しくらい休みたいよな、お前も」
エイジはその言葉の意味を奴なりに解し、自分のデスクの荷物をまとめ始めた。
「じゃあ、待ってるからな」
そう言って、エイジは社長室を出て行った。
会議室に、僕とトモミ、リュートが残される。
「――ここ数日、ずっと心配そうな顔してますね」
残された社長室で、僕はデスクに座ったまま、トモミの方に目を向ける。
「僕のことは今に始まったことじゃないですけど――エイジのことですか」
飛天グループの記事を読んで以来、トモミはずっと不安そうな顔をしていた。それが僕には少し気になっていたのだ。エイジが前にいたら話しにくいこともあるだろうし、エイジを追い払った上で、僕は彼女の話を聞くことにしたのだ。
「――あの、社長、本当にこれでよかったんですか?」
トモミが僕の目を覗き込む。
「え?」
「だって、飛天グループって、今までうちがM&Aしてきた相手の比べ物にならないくらいの大企業なんですよ? いくらうちが1兆円企業になったからって、会社の規模は全然向こうの方が上だし――その喧嘩の指揮を、社長じゃなくて、あいつが執るなんて……」
「……」
僕は顔を上げる。
「――心配しすぎじゃないですか? 今のところ、あいつの立てた作戦は計画通りに進んでるじゃないですか。飛天グループの内部の人間に接近して、情報をリークしてもらって、奴等の不正を暴いてもらう。それを踏まえた上で、飛天グループの労働組合を炊きつけて、僕達が社員を保護する条件で、仕事をボイコットしてもらう。そしてその間に僕達はグループの役員を説得して、グループ会議で会長と代表取締役の解任投票を動議してもらう……ここまでその通りにことを進めてきたじゃないですか」
この一月弱、僕達はエイジの立てた作戦通りに行動してきた。
先日帝国グループの爺さんが言っていた通り、今飛天グループは、マスコミに誰かがリークした情報を元に、次々と労働環境の悪さや、不正な金の受け取りなどが明るみに出始め、大きく揺れている。
それは全て、飛天グループで創業者一族の恐怖体制に怯えて仕事をしている従業員達を裏から操って、反旗を翻すように工作した、エイジの計略によるものだ。
「僕はそのエイジの作戦にGOサインを出した。もし同じ作戦を僕が取っていたら、トモミさんはそこまで不安そうな顔をしなかったと思いますけど……」
「だって、社長は本当に強いから」
トモミは僕を見つめる。
「社長が先頭で指揮を執ってくれたら、何だかそれだけで私も勇気が出ました。それだけで、どんな敵にも負けない気がしました。でも、あいつは……」
「まだ、危なっかしい、ですか」
僕はトモミの思考を先読みした。
「……」
トモミは黙って頷いた。
「……」
エイジは恐らくトモミに惚れている。それを思うと、トモミからこんなに心配されてしまっている奴を少し不憫に思った。
「今更こんなこと言っても、もうどうしようも出来ませんけど――社長、どうしてこんな大きな仕事の指揮を、自分で執らないで、あいつに譲ったんですか?」
トモミは僕に訊いた。
「社長は負ける喧嘩をしない――社長だって飛天グループに喧嘩を仕掛けた以上、必勝の策くらい、用意してあったんでしょう? だったら、それを……」
「……」
随分と買いかぶられているようなので、僕は少し天井を仰ぐポーズを取る。
「こう言うと怒られそうですけど――ゴホッ、ゴホッ……その方が面白いじゃないですか」
「え?」
「エイジみたいに、才能も平凡なら、経歴も褒められたものじゃない、高貴な血なんて一滴も流れてはいないような奴が、戦前からの大財閥を倒して、金持ちの搾取に苦しめられている人を救うなんて――美談にする気はないですけど、痛快な話である事は間違いない」
「……」
「それを通じて、グランローズマリーの理念を、もう一度会社の人間にも、世間にも示したいんですよ。微々たるものかもしれませんけどね」
「……」
僕は近くにいるリュートの頭に手をやりながら、言葉を咀嚼する。
「トモミさん、エイジの過去をご存知ですか?」
「――ええ、昔は不良で、喧嘩とか、悪いことをいっぱいしてきたって、聞いてます」
「――だけどあいつは改心しました。自分を疎んできた世間に、川原のゴミ拾いだとか、地味なボランティア活動をしたりして、自分から歩み寄ろうと努力したし、大学にも行って、勉強も頑張ってきたんです。でも、それで世間は過去を帳消しになんてしてくれない――大学を卒業しても、あいつは昔の素行の悪さから、世間に認めてもらえず、いい仕事も与えてもらえなかった――」
「……」
「あいつはその時、心が折れかけてましたよ。自分が世間に歩み寄ろうと必死でやってきたことが、認めてもらえずに……あのままだったら、あいつは多分、世の中を諦めて、嫌いになって――そしてそのまま、生きる意味を再び見つけることも出来ずに、のたれ死んでいたと思います」
そう、僕が日本に戻ってきたのは23歳の時――
当時25歳だったエイジは、20歳の時に高卒認定試験を受けていて、21歳で国立大学に合格した。けれど奴は大学の就職活動に失敗した。昔の経歴を見て、人から白い目で見られることもしばしばだったそうで、そのまま内定のないまま大学を卒業した。そのときのエイジは、自分に屈辱を味合わせた世の中に、なにくそ、という思いをくすぶらせていたものの、今まで数年間気を張っていたものが一気に崩れ、数年間の疲れで自分を奮い立たせることが出来なくなっていた。フリーターに身を落としながら、ただ飯を食うだけ――自分のこの先の人生に、希望を見させなくなっていた。
「別にそれはエイジだけじゃない。過去に前科があったり、精神病を患ったり――そういう過去の過ちがある人間は、その過去から逃れられない。たとえその過去を乗り越えて、清算する努力をしていても……そうして世間からつまはじかれた者は、自分を認めなかった世の中を恨みながら、残りの一生を生きていかなきゃならない」
「――悲しいですね」
トモミは呟いた。
「ええ。人生やり直したくても、世間がそれを認めないから、やり直せずに、希望のない日々を過ごすなんて――そんな世の中、悲しすぎるでしょう?」
「……」
「だから、かつてそんな人間の一人だったエイジが、でかい企業っていう、世の中っていう巨大なパズルの一ピースをぶっ壊して、風穴を開ける――それがもしかしたら、今不遇の日々を送る人にとって、希望になるかもしれない――世の中が少しだけ、優しくなるかもしれない――過去にそういう痛みを知っていて、自分の弱さも知っていて――そんなエイジが先頭に立って、そんな世の中に肘鉄を食らわせたら、誰かの勇気になるかも知れない――そう思って、今回はエイジに指揮を任せたんです。それは僕みたいに、才気があるって昔から言われていた人間がやっても駄目――エイジみたいな奴がやってこそ、意味があるんです」
「……」
トモミは少しの間口をつぐんだ。
「――優しいんですね」
やがて、トモミは言った。
「そして同時に、うちの会社内で、社長のコネでナンバー2の位置にいさせてもらっているって、あいつに陰口を叩く人達を、今回の功績で黙らせることが出来る……」
「はは、さすがにトモミさん、それには気付いてたんですね」
僕は小さく笑った。
「仕事に私情を挟むのは、命取りだってよく言いますけどね。トモミさんからしたら、僕のそういう私情の決断が、あなたを不安にさせてるのかな」
「……」
沈黙。
「――大丈夫ですよ」
僕は俯くトモミに声をかけながら、デスクを立った。
「別にエイジに任せるって言ったって、エイジがやばくなっても傍観しているわけじゃないですから。やばくなったら、僕も全力であいつに助太刀しますし」
それから僕は、にこりとトモミの前で、随分とぎこちないだろうが、笑顔を作って見せた。
「トモミさんだって同じですよ。あなたが不安に押し潰されそうなら、その時は、僕があなたを全力で守りますから」
「……」
「ワン!」
そう言った時、唐突にリュートが吼えた。
「はは、リュートも、トモミさんのことを守るって、言ってますよ」
僕はそんなリュートの言葉を翻訳した。
だけど。
リラックスさせようと思って、安心させるような言葉を言ったのに、トモミは何だかテンションをさっきよりも落としているようだった。
「どうしたんですか?」
「――いえ」
沈んだ声で、トモミは答えた。
「……」
――僕、また何かしたのかな。
でも、まあいいか。
「て言うか、もう既に僕も策を用意しているんですけどね」
僕はこの場でトモミの不安を消すために、そう言った。
「え?」
「エイジにも秘密なんですけどね、あいつの策を完璧に演出してやる策は、もう準備してあるんです」
「本当ですか?」
トモミは目を見開く。
「ええ、その策をトモミさんに手伝ってもらおうと思って。いわゆる、サプライズかな」
僕は肩をすくめる仕草を見せる。
「――何だ、社長、やっぱり策を準備してたんですね」
トモミはふっと安心したような表情を見せる。
「おせっかいの社長のことだから、黙って見ているわけないと思ってましたけど」
「――まあ、そうですね」
僕も息をつく。
「――ほっとけないんですね、あいつのこと」
トモミは微かに笑みを浮かべた。
「――まあ、あいつとの付き合いも長いですし、見殺しにしたら、寝覚めも悪いですし」
僕は何気なくそう言った。
だけど。
「――7年前、大切な人を守れなかった罪滅ぼしですか? あいつや私を守るって言ってくれるのって」
「え?」
「……」
そう訊いたトモミは僕の目を捉えて、離さない。
沈黙。
「――あの女の代わりなんですか? 私……」
悲しげな光を秘めた瞳で、僕にそう訊いた。
「……」
沈黙。
「――ごめんなさい」
沈黙に、トモミが先に折れた。
「こんなこといきなり言われても、困っちゃいますよね。社長も疲れてるんだし……」
「あ、いえ……」
しおらしく頭を下げるシオリに、僕はかぶりを振った。
「それより今は、あいつを助けることを考えないと、ですよね」
そう言ってトモミは笑顔を作る。
「私も、あいつとの付き合いはちょっと長くなったし、放っておくのも気持ち悪いんで、社長の作、私にできることなら、何でもお手伝いさせてください」