Secret
「そんで、こっちはお前の特集のようだぜ。昨日出たばかりの雑誌だけどな」
そう言って、エイジは自分のデスクから、もう一冊の雑誌を持ってきて、僕のデスクの上でそれを開いた。
『恋人にしたい有名人2位、結婚したい男1位、抱かれたい男3位、世界に誇れる日本人1位、スーツの似合う有名人1位、もっとメディアに出てほしい有名人1位、――
この2年、数ある雑誌のアンケートで、サクライ・ケースケが獲得した称号は数え切れない。
7年前の正月に、サッカーではまったくの無名だった埼玉高校サッカー部を率いて、彗星の如く登場した少年、サクライ・ケースケは、それから約半年で、日本サッカー界の伝説的な存在にまで登りつめた。当時の彼のその愛くるしい笑顔に魅了された女性も多く、サクライ・ケースケの次の行動に、多くの人が気にせずにはいられなくさせられた。
当時のサクライ・ケースケも、恋人にしたい有名人、息子にしたい有名人などでトップを獲得するなど、多くの人間の圧倒的支持を集める人気者であった。今もその人気は衰えを知らない。
しかし、当時も今も、我々が彼について知っていることは、あまりに少ない。7年前から彼はメディアに対して一歩引いた距離をとっており、サッカー選手としてのコメントが多少残っている以外の、彼の個人的な言動の記録はほとんどない。現在も彼は日本のメディアにはほとんど何も答えず、外部に自分の声を届ける機会は限られている。
7年前から今に至るまで、我々はサクライ・ケースケという人間のことをほとんど知らないままだ。しかしそれでも、各出版者が行う読者アンケートでは、今でもサクライ・ケースケの名前は、芸能人が上位を独占するはずのアンケートの上位常連となっている。
一体、彼がこれだけ支持を受ける理由はどこにあるのだろうか。
彼を語る上で欠かせないエピソードは、7年前、彼の手で行われた、実の父親に重傷を負わせた事件である。目撃者が少なく、その真相はいまだに明らかにされてはいないが、この事件の後、当時時代の寵児だったサクライは日本を出、数年間、表舞台から完全に姿を消す。その間、幾度となく彼にはサッカー日本代表の召集オファーが届けられたが「今の自分に日の丸を背負う資格はない」と、召集を断り続けた。それは彼にとって、親を殺しかけたことに対しての、彼なりのけじめのつけ方であろう。現在も表舞台に進んで姿を現さないのも、この事件の決着を、彼自身がまだつけきれていないからだという事は、容易に想像がつく。
だが、この事件がサクライ・ケースケという少年のキャラクターを我々に強烈に決定付けたといえる。
事件のターニングポイントは、彼の無二の親友である、ヒラヤマ・ユータと、エンドウ・ジュンイチが、サクライの父親に暴行を受けたことである。一言で説明すれば、サクライは親友を傷つけられたことに『キレて』実の父親を半殺しにしたのである。
サクライが日常的に家族に虐待を受けていた事実が明らかになり、日本中の同情が集まったこともひとつの要因ではあるが、この経緯がこの事件において、サクライに圧倒的な支持が集まった最大の要因とも言える。「友達のために戦った」「そうまでするほど、彼にとってあの二人が特別だった」と、彼等の友情の篤さが汲み取れるエピソードとなった。
友情に篤く、正義感が強く、曲がったことは絶対に許さない――その行動に賛否はあろうと、サクライ・ケースケはこの事件を通して、そんな一種のヒーロー像を我々に植え付けたのである。現在もグランローズマリーを率いて、世の中の不条理を否定し、大衆に優しい世の中を作ろうとする誠実な姿勢を示していることで、そのイメージがより強固なものとなっていることが、そのイメージをより強固なものとした。
そんなヒーロー像を我々に強く印象付けていることが、まずひとつ。
そしてもうひとつは、彼が常に纏う、全ての『謎』である。
アンケートを取ると、サクライ・ケースケを支持する読者の声には、一律性がないことに驚かされる。他の芸能人などは、それぞれに『明るい』『元気』『クール』などのカラーがあり、そのカラーの範囲内で、支持する層やファンの見方も大体一律の答えを示すのだが、彼にはそれがない。
たとえば容姿。彼は25歳になった今でも、10代の少年のようなあどけなさを残した風貌であり、ユニセックスな印象さえ与える。言うなれば『カワイイ系』の男子であろう。だが、アンケートの際、彼に投票した読者の声は、「カワイイ」が大多数を占めない。それどころか「男らしい」「セクシー」という、風貌とはまるで結びつかないような意見が集まる。
性格にしても多種多様で「クールになんでもこなす感じがカッコいい」とか「たまに無茶をする暴れ者っぷりがカワイイ」など、評価の仕方がそれぞれ異なる。
表舞台で僅かに目にするサクライは、確かに冷静沈着で、表情も凛としながら、その目に深い知性を兼ね備えた、落ち着いた雰囲気をかもしているが、7年前、サッカーをしていた時のサクライは「闘将」と呼ばれるガッツ溢れるプレーを展開し、ゴールが決まればチームの誰よりも喜びを示す、子供じみた一面も見せた。そして我々の見ていない面では、先程の事件のような一面も存在する。
そして、全ての面で共通することは、サクライはいまだにその中のどれが本当のサクライ・ケースケであるか、全貌を明らかにしていないことである。
彼自身がそれを明らかにしない以上、我々メディアやファンが、その素顔を見ようと彼を追いかけるが、そうするうちに、更に彼への謎が深まり、同時に興味が増す。
彼自身に罪はないが、我々は彼を追いかけているうちに、もっともっとと、彼を知りたいという欲に溺れてしまい、彼を追ってしまう。
そして彼を追っていると、いつの間にか彼の起こした行動によって、凡人が到底見ることの出来ない奇跡の一端――そんな爽快な景色を見ることが出来る。全国模試トップだったり、数学オリンピック金メダルだったり、数十年来ありえないと言われた、日本がサッカーで世界のトップクラスのチームをなぎ倒したりも、それらのひとつ。彼が時折見せるその破天荒さは我々を、とても爽快な気分にさせる強い力を備えている。
そんな景色を見てしまったら、もうその頃、彼を興味本位で追っていた者は、いつしか彼の虜となっている……
彼の行動が示す『ヒーロー像』が、我々に彼への興味を抱かせ、彼の持つ『謎』が、皆を虜にする。
サクライ・ケースケの人気は、その二つの柱によって支えられているのである』
「……」
「――何か、思わず納得しちゃったな」
僕の横でその記事に目を通していた、トモミは頷いている。
「何だかんだ言って、社長の秘書なんかやっていると、社長の浮世離れっぷりは辟易しますけど、毎日がスリリングですもん」
「同感だな」
エイジが頷く。
「俺なんか、数年前はこんな大企業のナンバー2になれるなんてこと、考えもしなかったぜ。お前を追うのは大変だったけれど、そのおかげで今の景色を拝めるようになった。こんなお天道様が近いようなビルで働けるようになったんだからな」
そう言ってエイジは社長室のガラス貼りになった大窓から、摩天楼を一望した。
「……」
二人、か。
あの事件では、記録上では親父に傷つけられた人間は、ユータとジュンイチ、二人だけということになっている。
だが、実際にはもう一人いた。
世間では名もない女の子がもうひとり……
そのもうひとりの娘が、僕のことを救ってくれたのだ。虐待の事実をリークして、メディアの情報を操作して、僕の罪を消し、この雑誌に書いてあるように、あの事件で僕がヒーローのように見えるようにまでしてくれたのだ。
それを世間は、誰も知らない。
その一人の名もない女の子の方が、僕なんかよりもずっとヒーローだった。自分の身が危険になることが分かっていただろうに、僕を親父から守ろうと、親父の前に完全と立ちふさがってくれた。
称えられるのは僕じゃなくて、彼女のはずだった。
実際、あの時の僕は、この雑誌に書かれているようなことは、何一つしていない。
確かにあの時、親父を叩きのめそうと思ったのは、あの3人を巻き添えにしてまで自らの欲を通そうとする親父を心底許せなかったからだが。
次第に僕はスイッチが入ってしまっていた。18年間玩具にされてきた親父をぶちのめす快感に夢中になっていってしまって、自分の恨みのために親父を殴った。あそこまでする必要はなかったのに、僕は恨みというより、快感によって親父を殴る手を止められなくなったのだ。
それはもう懲悪や制裁などではなく、一方的な暴力だった。
この雑誌に書いてあるとおり、「僕は正しいことをしました」なんて顔をする気にはなれない。
実際の僕なんて、ろくなものじゃない。
そんな僕を「謎めいている」なんて好意的に捉えられても。
「……」
7年前、この雑誌に書いてある通り、僕は時代の寵児としての光を失い、ただの無宿人――財界の人間のいう、乞食にまで身を落とした。
それからの僕は、別にあの日のような、表舞台に返り咲きたいとは思っていなかったけれど、とにかく歩き続けてはいた。漠然とではあるが、植物が太陽に向かって背を伸ばすように、光を求めて。
そして結果的に、僕はそこから名声を得た。スポットライトも沢山浴びたし、名誉ある勲章やトロフィーだって沢山貰った。この雑誌のように、僕のことを褒め称えるような媒体も、目に出来るようになった。
だが、何故だろう。そんなところに立つ度に、僕は今、光へと向かっているのか、それとも更なる闇に堕ちているのか分からなくなるような感覚を味わう。
思い上がった金持ちを潰して、戦力を吸収し、グランローズマリーを大きくし続けてきてもそうだ。この会社がでかくなれば、この自社ビルのように、太陽にまた少し近づけるような気分になれるかも知れないと思ったが、どうやらそうではないらしい。
だったら、僕の欲しいものとは、一体何なのだろう。
ただ単に、僕の心の中のポケットが破けて、何を手に入れても満たされない思いをしているだけかもしれない。自分が栄華に浸りすぎて、何を手に入れても現状に満足できない、酷く乾いた心をしているからかもしれない。
財閥クラスの企業のアタマになり、金も名誉もある。女だって思いのままに出来る。そんな生活を満たされないというのは、ただのわがまま――個人的な感傷に過ぎないのだろうか。
よく分からない。
「ゴホッ、ゴホッ……」
「何だよ、あまりお気に召さないみたいだな。こんなに褒められてるのに」
そんな様子を見て、エイジが僕を見て肩をすくめた。
僕は自分のデスクにおいてある花瓶に目をやる。僕が旅行前に生けていた竜胆は、もう随分日が経っていたからか、既にしおれていた。
それを見て、僕は自分がさっき手に提げていた、トモミとエイジの土産の入った手提げ袋の残りから、一輪の竜胆の花を取り出した。
「またその花ですか?」
トモミがそれを見て、首を傾げる。
「帰り道、渋滞にはまった時に、つい花屋の店先に咲いてたのが見えたんで」
そう言って、僕は席を立とうとするが。
「花瓶の水を替えるんでしょう? 私、やりますよ」
そう言って、トモミが社長室の流しで花瓶の水を替え、新しい竜胆を生けてくれた。流しから帰ってきたトモミは、花瓶を僕のデスクの元ある場所に置いた。
「トモミさん、ありがとうございます」
「いや、ありがとうございますはいいんですけど」
トモミは僕のデスクの脇に立つ。
「社長って、その花のこと、本当に好きなんですか?」
トモミはそう訊いた。
「え?」
「だって社長、その花をいつも飾ってますけど、その花を見てる時だけは、いつも悲しそうな目をするから……」
「……」
「何なんですか? その花って」
「ケースケの初恋の人が好きだった花だよ」
エイジがさらりと言った。
この回に書かれている雑誌の評価は、基本的には作者がケースケをこんな風に書きたいっていうイメージに近いですね。勿論読者様はケースケのしてきたことを知っているだけに、そうは思わないかもしれませんが、多分何も知らない人々には、ケースケはこんな風に見えているんだろうなぁ、と。
まあでも、正義100%よりも、ちょっとダーティーなヒーローの方がカッコいいと作者は個人的に思うんです。ケースケは結構そういうダーティーヒーロー的に書きたいかな、と思って書いてるんですけどね。結果、ちょっと沈んだ作風になってしまっていて、ハッピーな展開が好きな人には受け入れがたくなっているかもしれませんが。