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Desire

 僕と爺さんは乾杯をし、互いにシャンパンを一口飲んだ。

「……」

 ――しかし、シャンパンか。昨日頭にシャンパンをかけられたことを思い出すな。

 昨日の連中も、多分このシャンパンのような、一瓶何十万もするような酒を、あんなことに使っても、懐の傷まないような場所にいるのだろう。

「美味いかね」

 爺さんは僕を見る。

「――まだ高級酒の味は分かりかねます」

 僕は言った。若年より僕はろくなものを食べてこなかったため、五感の中でも味覚はまったく磨かれておらず、最も鈍い。

「はは、相変わらず奢侈を嫌うのぅ、君は」

 爺さんは笑った。

「……」

「さっさと本題を話せ、という顔じゃな」

 爺さんが好々爺の顔だけれど、落ち着いた張りのある声で言う。

「……」

 僕はそんな爺さんから漏れ出した裂帛の感覚を、微動だにせず受け止める。

「君の飛行機の時間も差し迫っておるから、単刀直入に話そう。レナのことじゃ」

「はぁ」

「……」

 沈黙。

「ほほう」

 爺さんが声を上げる。

「儂もそれなりに気迫を前に押し出したのじゃが、微動だにせんのぅ。並の男なら、この時点で儂に平謝りしとるじゃろうに」

「――その言葉を訊く限りでは、もう昨日私達に何があったのか、ご存知のようですね」

 僕はそう返した。

「というか、会長は昨日、私を誰かに見張らせていたのではないですか」

「何?」

 会長は首を傾げた。

「何じゃ、ばれておったのか」

 爺さんは顔に皴を浮かべて笑った。

「尾行には気付きませんでしたよ。あれだけ人の目もありましたしね。ですが、レナお嬢様の話を訊いて、その可能性が浮かんで、先程の会長の言葉で、確信になりました」

 そう、昨日レナは言っていた。自分が酔いつぶれた振りをしてでも、僕を見極めようとしたと。それが爺さんの入れ知恵であることも、僕は察しがついた。

 だが、この爺さんは、あの世間知らずの孫娘の意見だけを100%鵜呑みにして、人を判断する程馬鹿ではない。絶対に自分でも僕を探らせる手筈を整えているはず。僕をレナのエスコートにあてがうなんていうのは、それだけが目的だと思わせるカムフラージュで、本当は自分の息のかかったレナをあてがうことで、僕が帝国グループをどう思っているか、真意を引き出すのが目的というわけだ。

 まあ、本当は尾行にその時点で気付いているのが最良だったんだけれど、それに気付かれるような下手な尾行するような二流をこの爺さんが雇うはずないしな。決して気付かなかった言い訳じゃないぞ。

「一筋縄ではいかん男じゃなぁ、君は」

 爺さんは呆れた。

「――あの、レナお嬢様は?」

 僕は訊いた。

「まだ部屋におるようじゃな。君が来ていることも当然知らん。しばらく頭を冷やさせてやろうと思ってな」

「……」

「しかし、君、昨日レナに公衆の面前で、接吻をしたそうじゃな」

 爺さんが僕の恥部に触れた。

「――すみません」

 社交辞令でなく、礼儀として、僕は謝罪の意を示した。

 だけど。

「ふふふふ――ふはっはっはっはっ!」

 爺さんは、その老いた小さな体で呵呵大笑した。

「……」

 さすがの僕も、予想だにしないリアクションに、呆気に取られた。

「ふふふ……本当に面白い男じゃよ、君は」

 そう言って、爺さんは自分の着ている着流しの懐から、数枚の写真を出して、僕の前のテーブルの上に置いた。

 その写真は、昨日のパーティー会場――噴水の前で3人の男に囲まれる僕と、シャンパンを頭からかけられるシーン、池に突き落とされた瞬間、その池の中でゆっくり体を起こす僕の写真だった。

「……」

 嫌味な爺さんだ。全部知っている上で、今僕にシャンパンを飲ませているんだからな。

「この餓鬼共は、飛天グループの子倅じゃな。しかし君は本当に財界で嫌われておるなぁ」

 爺さんは溜息をついた。

「しかし、レナとキスをしたと会場が沸き立ったのは、この直後じゃ。君はレナとのキスを見せ付けることで、鮮やかに報復をした上に、喧嘩を見事に買ってみせたわけじゃな」

「……」

 その場にいなかったのに、状況だけで、レナとのキスの経緯を見抜いた。さすがにただのヒヒジジイじゃない。

「実に見事な行動じゃよ。儂の孫娘を効果的に利用するなんて、君以外に出来る男などおらん、いやはや実に愉快な男じゃよ、君は」

 そう言って、爺さんはまた大笑いした。

「……」

 ――あぁ、僕はこの爺さんを見誤っていたのかもしれない。

 戦後から現在に至るまで、日本の経済をリードしたトップランカーは、並みの感覚で生きていない。自分の身内可愛さよりも、人材の行動をちゃんと観察する、そんな冷たい視線を持っていた。

「ううむ、しかし実に惜しい」

 一通り笑った後、爺さんは腕を組んだ。

「君がその、非情とも言える程の片鱗は、時々見せてはいるのだがなぁ。それが常に持続してくれれば、君はもっと高みへと登れるじゃろうに」

「……」

「サクライくん、儂が何故、君をレナと結婚させたいと思っておるか、分かるか?」

「私が帝国グループの敵にならないように、でしょう」

 僕は即答した。

「帝国グループに媚を売らない私を野放しにしておくのは危険――残念ながら、帝国グループには、僕を越えられる次世代の人材がいない。だったら会長がご存命のうちに私を潰せればいいが、それは帝国グループにとってもリスクが大きい。だったら私を飼い慣らして、味方につけようと考えた」

「――ご名答」

 爺さんは頷いた。

「君の宝石さえなければ、帝国グループは即君を倒していたかも知れん。君のリスクマネジメントは完璧じゃ。あれでは帝国でも手は出せん」

「……」

 そう、CEOの僕が財界でここまで嫌われ、敵だらけの状況の中、弱小だったグランローズマリーが短期間で急成長を遂げた秘密は、僕の宝石にある。

 僕のオーダーメイドのアクセサリーを注文した客には、必ずある契約を結ばせる。

 それは、僕が死んだ時、負傷をして、実質的にアクセサリーを作るのが不可能な状態になった時を除いて、アクセサリーの納品が指定期間よりも1ヶ月以上遅れた場合には、グランローズマリーが違約金として、先払いしたお金を全額返す上、その10倍の金を払うという契約である。

 僕のアクセサリーの予約は、現在も3年待ちの状態が続いている。もし現状、その予約の全てを潰してしまえば、グランローズマリーは50兆近くの違約金を支払うことになる。

 そして、もし他社がグランローズマリーを買収し、僕を失脚させたとしたら、その契約も、その買収先に移譲される。

 失脚すれば、当然僕は、そんな縁もゆかりもない人間のためにアクセサリーなど納入しない。それなら僕は新たな場所でアクセサリーの予約を再展開し、金を貯め、再起を図ればいいだけ。それに引き換え、買収先は代わりの人間に作らせようにも、世界で僕にしか出来ない技術も存在するし、僕以上のアクセサリーを作れる人間は、世界に存在しない。

つまり、僕を失脚させ、代わりの人間がそのポストにすげ変わった瞬間、その人間は、僕の今ある宝石の予約の全ての違約金を支払うことが確定する。

 それは、言い換えれば、その人間の確実な死だ。

 帝国グループの豊富な資金力でも、確実な死とはいかないまでも、死活問題になることは間違いない。

 このやり方なら、確かに僕の負担は増すが、100%会社を外部の攻撃から守ることが出来る。死んだ時、負傷した時を除く、と契約に入れてある以上、違約金目当てに僕を闇討ちする人間もいない。

 僕が常に宝石の予約を入れ、その納期にシビアであり、業務の最中でもアクセサリー作りに勤しんでいるのはこのため――会社に金を入れるだけでなく、資本力、人材、基盤の全てが弱い会社を守るためにも、僕が宝石を捌き続けるのは、重要なことなのだ。

「だが、君は帝国グループに入るとしたら、君のその甘さは障害にしかならんだろう。儂は君はその甘ささえ捨てられれば、必ず帝国グループの頂点に立つことを選ぶと信じておる。そして、必ず帝国グループを、世界一の企業にするだろうと」

「……」

 昨日レナが言っていたな。この爺さんが僕のことを「王の器」と認めたと。

「君は時には非情な決断を下せる男じゃ。その片鱗を時々見せはするから、君の覚醒に期待していたんじゃが……昨日のことがあって、より確信を深められた」

 そう言うと、爺さんは不敵な笑みを作って、シャンパンで一度喉を濡らして、しっかりと僕の目を見据えた。

「君はラブ&ピースを歌える人間じゃない。平和主義者のような顔をして、無駄な争いは好まないと表向きでは見せながらも、心の奥底では、誰かが自分の領域を侵してくれることを待っている。そしてその人間を、血の一滴も残らない程残酷に切り刻む瞬間をじっくり楽しもうとしておる。根っからの戦好きじゃ」

「……」

 その言葉に、酷く胸がざわつき……

 僕の脳裏に、シオリの笑顔が再び去来する。

「レナのことは気にせんでいい。あの娘にも、金だけで飼い慣らせんものがあると経験させるに、君はいい教材になってくれたと考えることにする。それに、昨日の君の行動を見て、儂の確信をより深められた。君が思ったとおりの人間であると確かめられたことは、レナへの無礼を考えても、十分お釣りが来る」

「……」

「まあ――あとは君ももう少し考えてみることじゃな。さっさとその慈善家の仮面を外して、楽になった方がいい。君の心の奥底では、気に入らないものを叩き潰すことで、楽しみたいという思いが燻っているはずじゃからな」



 ――羽田に到着する頃には、時間は11時を少し過ぎたくらいになっていた。

 SPに守られながら、僕はベルギー・ブリュッセル行きの便の搭乗手続きをし、ビジネスクラスに乗り込んだ。

 普段僕は出張ではエコノミークラスを使う。会社の金を少しでも無駄に使うのを好まないからだ。だが、今回はSPをつけている。さすがにエコノミーにSPがいたのでは、目立ち過ぎるしSPも警護がしづらいだろうし、他の客の迷惑にもなりかねない。ファーストクラスの搭乗も勧められたが、僕はそんなお金は出したくないので、ビジネスで折れてもらった。

 窓側の席に座り、僕はサングラスで他の客に素性がばれないように変装をして、シートに座った。

「間もなく、離陸いたします。乗客の皆様、シートベルトを……」

 機内アナウンスが聞こえて暫くすると、飛行機は滑走路へ向かうためにゆっくりと始動する。

「……」

 飛行機の狭い窓の景色がスライドしていくのを眺めながら、僕はさっき、あの爺さんに言われたことを、ずっと考えていた。

 君は平和主義者なんかじゃない。心の中では戦いを望んでいる。人を蹂躙することに喜びを感じる、戦いが好きでたまらない人間だと。

 ――それを言われて、思った。

 確かにその通りだ。正義の味方と言われている僕だが、実際の僕の人生は、戦いの連続だった。数え切れないほどの戦いを経て、人や物を傷つけたことも数知れず。

 理由がなければ喧嘩をしたくないと思っていることは本当だ。事実、自分から喧嘩を売ったことは、僕の人生ではほとんどなかった。

 だが――喧嘩を売られれば、僕はいつだって気持ちが高揚したし、喧嘩を売った相手以上に相手を残酷に叩きのめしてきた。

 家族への憎しみを抱いて、海外で過ごしていた時は、向け場のない怒りをいつも抱えていて。その度に、権力者に蹂躙される貧しい国の人々を見る度に、過去の自分を見ているようで、その度に僕はいきり立った。

「……」

 ――今思えば、僕はただ、暴れる口実が欲しかっただけかもしれない。

 グランローズマリーという会社だって、僕に喧嘩を売ってくれる人間を絶やさないための口実。

 事実、僕は今日だって、エイジに新しい喧嘩の計画を喜々として話した。

 僕はいつだって、馬鹿な人間が自分に喧嘩を売ってくれるのを待っていたのかもしれない。そいつを次々叩きのめして、自分の力を試したり、面白がったりしているだけなのかもしれない。

「……」

 それが僕の本当の姿なのかもしれない、と思う。

 だけど――

 僕は爺さんにそれを指摘された時、脳裏にシオリのことを思い浮かべた。

 そして、思ったんだ。

 せめて一言だけでも、と。

 今の自分がそんなことを言ってもらえるようなことをしていないことも知っている。自分の今の思いがどれだけ身勝手で子供じみていて、わがままだということも、自覚している。

 だが――今の僕は、その一言の言葉が欲しくてたまらなかった。

 何故この7年、誰も僕にその言葉をくれなかったのだろう。その一言だけでも、僕はもう少し頑張れそうな――少しでも前に進めるかもしれないのに。

 戦うことが僕の真実であるのかもしれなかったけれど。

 その反面で、僕は誰かに自分を止めて欲しかった。誰かにそんな自分を見抜いてもらって、その言葉をかけてくれることを、切に求めていたのではないかと思った。

 ――飛行機は徐々に加速し、少しの揺れと、風を受ける轟音と共に、離陸し、大空へ飛び立つ。

「ゴホッ、ゴホッ……」

 重力を機内で感じながら、僕は、その言葉を彼女がくれた時――僕を救ってくれた時のことを思い出していた。

 あんな風に、今の僕を救ってくれる人がいてくれたら……

 誰かもう一度、そんな言葉を僕にくれないだろうか。

 そんなに簡単に、救いなんてないのだと分かってはいても、僕はこの7年、何かに手を伸ばしていたのかも知れない。

 7年前、荒れ荒んだ生活の中で、いつしか家族と同じ卑屈で残酷な感情が目覚めていたことに怯えていた僕に、シオリが言ってくれた言葉。

 ケースケくん、あなたはそんな人じゃない、と。


感想を見ると、第2部までのキャラクター、人気ありますね。どうやら再登場を願っている人が多いようですが。残念ながら本編での再登場は、まだもう少し時間がかかるかもしれません。


最近知ったのですが、活動報告等で、登場人物に何らかのお題を与えて喋らせるとか、本編とはまったく関係ない話をさせるなんて試みをしている人もいるようですね。


登場を期待しているキャラクターがいるこの話を書いている身としては、こういうのも悪くないんじゃないかと思いまして。


もしそういうのがお望みの人がいたら、メッセージなりでお題などをいただければ、そのテーマに沿って、ケースケ、ユータ、ジュンイチ、シオリの4人でトークするなんてことを活動報告でやりますので、再登場が待ちきれない人は、しばらくそういうので待っていてください。


まあ、作者が早く本編で再登場させてあげるのが一番いいのだと思いますが……読者サービスを模索中。

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