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Teach

「……」

 いきなりその名前を出されて、僕は押し黙る。

「社長だって知っているはずですよ。ヒラヤマさんもエンドウさんも、月に一回は必ずうちの会社の社長室宛に、手紙を送ってきていることを」

「……」

 正確に言うと、それは違う。

 あいつらは、僕がイギリスに渡り、有名ブランドのジュエリー部門のデザイナーになった頃から、僕の所属する組織に手紙を出してきている。だから、あいつらから手紙を貰うようになってから、もう5年が経とうとしている。

 だが、僕はその手紙を取っておいてはいるものの、一度もあいつらに返事を出したことがない――正確には、電報を一本頼んだことがあるのだけれど、それだけだ。最近では、来た手紙も封を開けることがなくなってきている。

「お二人は、社長のこと、今でも心配していらっしゃると思いますよ。じゃなかったら、返事がないのに、こうしてずっと手紙なんて送れませんよ。特にヒラヤマさんなんて、あんなに遠くにいるのに……」

「……」

 僕は現状から逃げるように、目を閉じた。

 ――そんなこと、頭では分かっている。普通5年も手紙を送って、返事が一度も来なければ、もう縁を切るに決まっている。それでもあいつらが僕を見捨てずに手紙を送ってくれることは、素直に僕だって嬉しい。

 返事をしてはいないが、僕だってこの7年、ずっとあいつらのことが気がかりだった。

 でも――きっと今の僕のこの体たらくを見れば、きっとあいつらだって僕に愛想を尽かすだろう。

 ユータもジュンイチも、今では自分の世界でそれぞれ頑張っている。二人がこの7年、どんな足跡を残しながら歩いてきたか――僕も大体知っている。

 二人とも、それぞれの世界で、今は自分が一人前の男になろうと必死なのは、見ていてよく分かる。自分の新しい可能性を開拓しようと、歩み続けている。

 それは、僕のように後ろ向きなそれではない。二人は今でもあの頃と同じ、僕と埼玉高校のユニフォームを着て、風のように駆けていた頃のように、いわば青春のエネルギーに満ち溢れていて……

 今の僕にはもう、それがない。

 だからあいつらの姿が、今の僕には眩し過ぎて……

 見るのが辛い。

 そんなあいつらに、今の僕がどの面下げて会えというのか。人を際限なく傷つけて、今では酔狂と自暴自棄の固まり――自分自身を散々ゴミにし続けてきた僕が。

 今の僕が、多くの人から望まれても、メディアにほとんど顔を出さないでいるのも、そのためだ。

 ユータやジュンイチに、今の僕の姿を見られたくないから。

 7年前、あいつらが差し伸べてくれた手を振り切ってまで日本を出て、いまだにちっぽけな花ひとつ咲かせることの出来ないままの僕を。

 日本に帰ってきてから、ずっと僕は自分のこの姿を隠し続けているのだ。

 でも……

「今、事業部が出しているチャリティーマッチの企画書、社長もご覧になっているでしょう?」

 トモミは言った。

「……」

 そう、それが今僕を悩ませている事案のひとつ。

 グランローズマリーは、事業の中でもサッカーに力を入れている。

 去年はプロサッカーリーグのオフシーズンに、世界中の名選手を日本に呼び、過去最大のチャリティーマッチを、FIFAと共済で行ったことが話題となった。バロンドール受賞者4人をはじめ、集まった選手の価値は、しめて1000億――間違いなく、世界最高のドリームマッチだった。

 僕がデザインしたユニフォームやリストバンドなどのスポーツアクセサリーも飛ぶように売れ、チャリティーは大成功、当然今年も開催しようと、数ヶ月前から事業部が準備を進めているのだった。

 そして、事業部が今年新たな取り組みとして推しているのが『前座試合』だった。

 去年のように、世界最高峰のプレーヤーを集めて試合をするのがメインイベントだとすれば、前座試合は日本人限定――現在の日本人名プレーヤーから、Jリーグ創設時代を支えた歴代のスターなどを集めて試合をする、よりイベント色の高いもの。

いわば日本人限定のお祭りだ。日本人を笑顔にするというのをコンセプトにし、日本人に少しでも喜んでもらえるように、加えてメインイベントに繋ぐための布石、会社のイメージアップ、チャリティーの利益増加の一石四鳥を狙う企画である。

 僕自身も、ここまでの話であれば、十分ゴーサインを出すのだけれど……

 企画部は、前座試合に僕も出て欲しいと、熱烈なオファーを出し続けているのだった。

 半年前に行われたサッカー雑誌での『日本代表に復帰して欲しい選手』ランキングで、僕は現役選手を抑えて、ぶっちぎりの一位を獲得している。これはつまり、日本サッカーファンが、今一番プレーを見たい選手というのとほぼ同義であり、前座試合を開くとしたら、まずオファーを出すべきは僕になるのは当然の流れである。

 そして事業部は、その試合に、ユータ、ジュンイチも出場して欲しいと希望している。と言うか、僕達3人の7年振りの揃い踏みを、この前座試合の一番の目玉にする気満々なのだった。

 ――僕はこの件で、非常に苦しい立場にいた。僕の力があれば、この企画を企画倒れにすることも出来るのだが、事業部が一致団結して打ち立てた企画を、CEOの僕が潰してしまっては、企業内のモチベーションに影響するし、チャリティーマッチの主催者であるグランローズマリーのトップが、チャリティーのオファーを出されて断ったとなれば、このチャリティーマッチの大義名分が揺らぐ。そして受ければ、僕はあいつらと7年振りに再会することになる……

「――迷っていらっしゃるのでしょう?」

 トモミは僕の目をじっと見た。

「社長、他の仕事に関しては、全然迷いなく決断を下すのに、このことだけは随分時間をかけてる――私、そんな社長のこと、初めて見ましたから。エイジからも訊いてますよ。今でも社長にとって、あの二人は特別だって」

「……」

 エイジの奴、また余計なことを彼女に……

「――ゴホ、ゴホ……」

 また咳が出る。

「――まだ時期じゃないんですよ」

 僕は口を軽く拭った。

「え?」

「あいつらと会ったら、つい自分の中に甘えが生まれちゃいそうで――僕はあいつらに、そういう気持ちで会いたくないから」

「……」

 トモミは目を細めて、僕の顔を窺う。トモミの淹れたコーヒーの匂いがしてくる。

「それでも、あのお二人は、それをひっくるめて、社長にお会いしたがっているんだと、私は思いますけどね」

「……」

「社長――もう十分じゃないですか。7年前、全てを失って、ゼロから社長は今の会社を作って、1兆円企業にまでしたんです。もう社長は、この7年十分苦しんだし、下手な人間の人生3回分くらい、ずっと働いてきたじゃないですか。今の社長が少しくらい誰かに甘えたって、愚痴をこぼしたって、誰も文句言いませんよ。私だって……」

 そこでトモミは、あ、と声を漏らして、言葉を止めた。

「――初めて言われたな、そんなこと」

 もう十分、か……

 そんな優しいことを言ってもらえたのは、本当に久し振りだ。

 でも――そのトモミの言葉が、嬉しい反面、少し辛い。

 一体僕は、彼女のその優しさに、どこまで寄りかかっていいのか、彼女のその思いを、どのように扱えばいいのか、それが僕には分からない。

 優しいものを貰い過ぎると、一度くじけた時、そこに頼りきりになってしまう――出来れば僕はトモミとは、そういう関係になりたくないんだ。

 僕はシステムキッチンから出て、リビングのテーブルに乗っているコーヒーカップを手に取り、トモミの淹れたてのコーヒーを一口に飲み干した。

「――トモミさん、今日はありがとうございます。少し待っていてくれませんか? 着替えたら、一緒に会社に行きましょう」



 着替えを済ませると、僕はトモミと家を出た。

 もう時間は朝の8時半を回っている。出張でもなければ、こんな時間まで家にいるなんて、まずない。ちょっと贅沢をした気分だ。今日は会社の事業内容や、新聞やニュースもチェックしていない。ひどく時間がゆっくり流れているように思えた。

 だからリュートは、僕が家を出る時間を知っているだけに、今日は玄関前でずっと待ちぼうけしていたようだった。トモミがちゃんとリュートに餌とミルクを与えていてくれたのだけれど。

 天気も秋晴れで気持ちいいし、オフィス街でごった返すこの街も、この時間だと車は多く走ってはいるけれど、人通りが少なくて、歩道が歩きやすい。

「うーん、何だか贅沢な気分だなぁ。こんなに道が空いていると」

 トモミも少し機嫌がよさそうに笑っていた。

「えぇ――ん?」

 生返事をした僕は、ふと視線の先にある物に、足を止める。僕の足につられて、リュートも足を止める。

「ん? どうしたんですか? 社長」

 トモミもそれに気がついて、僕の方へ歩み寄ってくる。

「……」

 オフィス街にある小さな小さな空き地――ベンチが二つと自動販売機、観葉植物が僅かに植えられているだけの、ちっぽけな空き地。

 そのフェンスになっている金網に、朝顔が弦を伸ばして絡みつき、花を付けているのを見つけた。

 普段は慌しいオフィス街に流されて、この朝顔どころか、こんな空き地があることも知らなかった。多分ここに朝顔が咲いていることさえ、このオフィス街の人間は、誰も知らないだろう。ここは大東京の中心――目まぐるしく動く日本の象徴のような場所なのだから。

 僕は空き地に入って、もう少し近くでこの朝顔を眺めてみる。

「朝顔? あの朝顔が、どうかしたんですか?」

 ついてくるトモミが首を傾げる。

「――いえ、ちょっと昔、あなたは朝顔みたいな人だね、って言われたことを思い出して」

「え?」

「朝顔は、花だけを摘んだって、美しさは出ない。花を花瓶に入れて、その美しさを独り占めは出来ないこうして自由に弦を伸ばして、のびのび咲く時が一番美しい――朝顔は、誰かのために咲く花じゃない。誰のためでもなく、自分のために咲く花だって」

「……」

「あなたも、咲くなら誰かのためじゃない、誰のためでもなく、自分のために咲いてほしい――だから、今は狭い鉢植えに入らないでほしい。そうしてあなたが輝いてくれれば、きっとその光が、沢山の人の気持ちを照らすだろうから、って……」

「……」

 ――僕はその言葉を自分で口ずさみながら、少しぼうっとなった。

 そして、思う。

 7年前、家族に蹂躙され続け、闇に堕ちた僕をシオリが救ってくれたばかりの時――

 僕は人生で一度も、花を眺めたことがなかった。花は何のために咲き、何のために存在するのか、それも分からなかったし、興味もなかった。

 だが、彼女と一緒に眺めた花は、そんな僕でも、綺麗だと思えた。

 何のために、誰のために咲くのか、花の造詣さえもなかったけれど、花を見ていると――そんな花を眺める彼女を見ていると、長年の苦悩で固くしこりになった心が、少しずつほぐれていくように思えた。

 あぁ――そうか。

 この路傍の朝顔なんて、こんな場所では眺める人なんていないだろうに。

 なら、何のためにここで咲くのか。

 それは誰のためでもない。朝顔が、ただ誰のためでもなく輝きたいからなんだ。

 そしてそれは、人も同じ――

 彼女だってそうだった。彼女は誰かに媚びるように笑うことはなかった。悲しい時は悲しい顔で涙を流し、嬉しい時は嬉しそうに笑った。

 何のために、誰のために花は咲くのか――どうして花には、こうして僕のような心の凍てついた人間にも、優しく何かを訴えかけるのか。

 それは、誰のためでもなかったんだ。

 誰のためでもないんだよ、と、彼女はずっと、僕の隣でそれを見せてくれていた。

 僕はそんな彼女にずっと照らされていた……

 それが、今の僕はどうだ。

 誰かのためなんて、恩着せがましく正義をばら撒いて、あいつらに恥じない生き方を模索し、その反面で、あいつらに今の自分を気取られないように、死を希い――

 僕の咲き方は濁りに濁っている。

 僕は朝顔になれなかった。鉢植えに入るどころか、芽が出る前に、『理由』という過剰な肥料や水を与え過ぎて、種を腐らせてしまった。

「……」

 ――今頃そんなことに気付くなんて。

 7年前、彼女は僕の隣で、ずっと花の育て方を教えてくれていたんだ。

 楽しい時は笑い、悲しい時は泣き――

 それだけでよかったんだ。

 何で僕は、もっと早くそれに気付かなかったんだ……

「――素敵な言葉ですね」

 彼女の面影に思考が苛まれている時、トモミが静かに僕の横で頷いていた。

「言葉も素敵ですけれど、そんなことを言えるその人も、素敵な人……」

「――そうですね。僕もそう思いますよ」

 僕はふっと朝顔から踵を返し、広場を出、また歩き出した。

 もう目の前には、グランローズマリーの本社ビルが見えていた。僕は歩きながら、オフィス街の摩天楼の彩となっている、真新しい本社ビルを見上げていた。

 ――このグランローズマリーも、僕の植えた種を枯らした理由のひとつだったのだろうか。

 それでも、この会社を作った頃は、僕も本気で願った。この会社を通じて、ひとりでも力弱い人を救えるように、と。

 それさえも、間違っていたのか。

「……」

 ――僕は何も見えていなかったんだ。

 答えは簡単で、彼女がいつだって僕にそれを訴えていてくれた。

 それだけのことが、僕にはまったく分からなかった。

 ――馬鹿だ僕は。今頃気付くなんて。

「……」

 ――だが、そんなことに気付いても、もう遅いのだ。

 だからって今更この会社を破壊することなんて出来ないし。

 それに――もう彼女は僕の横にはいない。

 彼女に会おうとも願わない。

 僕はもう、彼女とは別の世界の人間だ。

 ここで生きていくしかないのだ。

 この世界で、このやり方で、何とかあいつらに報いる道を模索するしかない……

「――今まで、ありがとう」

 僕は後ろ髪を惹かれるような思いに早く決別しなければと、誰にも聞こえないような小さな声で、でも声に出して、そう呟いた。


今は消えてしまったんですけれど、昨日この作品は何故かすごいアクセスが殺到していたみたいで。PV数が普段の倍近いペースで上がっていたんですが、何があったのでしょうか。どこかで宣伝されたのか…


話は変わりますが、感想をくれる皆さん、どうもありがとうございます。感想は今でもよく読み返しつつ、作者の執筆継続の原動力にさせていただいております。この話ももうすぐ70件になるほど感想をいただき、ありがたいことです。


しかし、最近の感想を見ると、改めてシオリの人気に驚かされます。最近は登場していないのに…


作者はシオリはかなり苦戦したキャラなので、まさかこんなに読者様達に求められているなんてと、いまだに信じられないという感じでして。


もし読者の皆さんにお暇があれば、作者にメッセージなり活動報告なり感想なりで、シオリの気に入った部分を詳しくご教授いただけると幸いですね。

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