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Road

 あの愛が唯一無二、瞬間にして永遠で、真実の愛。もう僕は女なんて、彼女以外一生愛さない。僕は一生、この愛に殉じて生きていく――

 ――なんて、流行の歌みたいな歯の浮く寝言を思ったことは一度もない。

 だけど、結果的に僕はこの7年間、女性とは色々面識を持ったものの、一人として女性に心を動かされたことがなかった。シオリのことを忘れられるだけの想いにさせてくれる女性を見つけることが出来ないまま、今に至っている。

 そんな自分を糞真面目だとか、律儀だとか、そんな風にも思わない。だけど、真実の愛とかいう仰々しいものは、そんな何気ないうちに過ぎ去ってしまうようなものなのだろうか。

 よく分からない。

 この7年間、自分が生きていくこと、志を貫くことに必死で、あまりそういうことを考える余裕もなかった。忙しない日々の中、愛だとか、そんな甘いものにすがる暇さえないほど、僕のこの7年は過酷だった。生きるという本能の前では、そんなものなんて、ゴミ同然だった。

 だが――それでも、シオリのことはこの7年、一度だって忘れたことはない。

「……」

 あぁ、そうか。

 今夜は彼女のことを、強く強く思い出してしまった。

 そして、わかった。

 僕の脳裏に僅かに残る、どこかで見た、とても美しく咲く花の記憶――

 この7年、その美しさを自分の手で現すことが出来るようにと、ずっと追い求めてきた、その花は。

 シオリの――あの娘の咲かせた花だったんだ。

 彼女の歩みは僕に比べて遅かったけれど、彼女の歩いた道は、よく土が掘り返されて、道を振り返ればいつだって、路傍に沢山の花が咲き誇っていた。

彼女の優しさで、周りの人は笑顔になり、彼女の一生懸命さに、周りの人間も勇気が湧く――

 彼女の笑顔を見ているだけで、凍てつき、渇ききった僕の胸にもぬくもりが宿った。

 そんな美しい花を咲かせる彼女のことを、今でも僕は尊敬していた。彼女の歩みを、とても美しいと思った。

 彼女は今でも、僕の憧れだった。

 僕も彼女のようであれたらと、今でも僕は、そう思っている。

 この7年、僕はずっと、僕の脳裏に残る彼女の憧憬に近づきたいと、汗を流し続けてきたつもりだった。

 だけど、結果は見ての通りだ。

 7年前、彼女に背中を押してもらって、ようやく僕は、ちっぽけな花を咲かせることが出来た。当時の僕は、ようやくそんなことが分かりかけてきた頃だった。

 これからは、僕も自分ひとりで、優しく咲き誇る花を、自分の力で咲かせられるようになりたい。それを、シオリと添い遂げることで、やり方を見出したいと、心から願っていた。

 だが――そうなる前に、僕は家族によって、その想いを木っ端微塵に砕かれ、彼女とも別れてしまい、果てしない闇の中に堕ちた。

 この7年、僕は自分の手に余った金をばら撒いて、今では『正義の味方』なんて名声も得た。

 だけど、それは金の力に過ぎない。

 僕自身は、この7年間、誰一人として、真剣に他人を思いやれたことがない。

 レナのことだってそうだ。可哀想な女の子じゃないかと思っても、結局は自分のことしか考えてやれず、女の子が僕に救いを求める手を、簡単に振り払った。

 7年経っても僕はまだ、自分の力でちっぽけな花ひとつ咲かせることが出来ていなかった。

「く……」

 僕は今も激しく痙攣する左腕を、右手できつく握り締めながら、ぐったりとソファーに座り込んだ。

「はあ……はあ……」

 ――結局、僕は今日も、踏み絵を踏めなかった。

 この7年、何度彼女を忘れようとしたことだろう。他の女に溺れるように、どこまでも堕ちていきたいと、幾度となく願ったのに。

 そうなると、いつもこれが起こってしまう。

 7年前、シオリを殴ってしまった時の感触が、記憶と共にフラッシュバックするのだ。あのシーンの悪夢を、旅に出たばかりの頃は、毎夜のように見た。今でもたまに見る。

 この記憶から逃れるために、僕はこの記憶さえ忘れさせてくれるような女性を探したが、あの娘以上の女性なんて、僕にとって、そうそういるものではない。

「……」

 僕は荒い呼吸のまま、ソファーの前のテーブルの上に乗る、花瓶に生けられた、一輪の竜胆の花を見る。

「……」

 ――忘れたい、か……

 そう思っている反面、彼女の好きだったこの花を、今でも自分の部屋や仕事場に飾っている。

 大きな矛盾だ。今でも僕は、彼女に未練だらけなのだろうか。

 彼女のことを忘れようと、踏み絵を踏もうとしても、踏めないのは、この記憶や左腕の痛みが邪魔をするのではなく、僕自身が、それを踏みたくないと、無意識に拒否しているのか。

 僕にもよく分からない。

 多分僕は、今世界で一番好きな女性は、と訊かれれば、彼女を選ぶだろう。

 だが、それを僕が言う資格がないことは、自分がよく分かっている。

 7年前、彼女を殴ってしまった上に、僕は彼女に酷い手紙を送りつけてしまった。

 彼女に酷いことをしたまま、日本を出て行ってしまった。

 今更彼女のことを、どうこう言える資格などない。

 それに、もう7年も経っているし、あれだけの女の子だ。今でも多くの男に愛されているだろう。その中の男を、彼女も愛しているだろう。

「……」

 今誰かが、彼女の白い肌に触れ、その背中に指を這わせている姿を想像すると、僕はそのまだ見ぬ男を激しく憎み。

 そしてその後、もう自分の女でもないのに、そんなことを思っている自分の身勝手さに、酷く腹が立った。

 彼女の幸せを願って、僕は彼女への想いに止めを刺したつもりだったのに、いまだにうじうじしている自分に、殺意さえ抱いた。

 彼女のことを考えたって、残るのは虚しさだけだ。そして、あんないい娘が、僕に関わったばかりに酷い目に遭ってしまった、その罪悪感に締め付けられる。

 なのに、思い出さずにはいられない……勝手に頭の中に、彼女のことが思い浮かぶ。夢にまで出てくる。

 ――結局僕は、この記憶――彼女への罪悪感と共に、この7年生きてきた。彼女を殴ってしまったこと、彼女を守れなかったことが、今でも僕の頭から、離れようとしない。

 僕はそんな彼女への罪悪感から逃れようと、自分で自分に痛みを課してきた。彼女を幸せに出来なかった自分なんて、死んでしまえとさえ思った。

今はもう、心身共にボロボロだが、そうしている方がむしろ楽だった。自分の体に痛みを覚えている時だけが、彼女への罪悪感を埋めてくれたから。

「うっ……」

 僕は吐き気を催して、キッチンへ走った。

 キッチンの流しで、僕は自分に嘔吐した。レナを自分の都合だけで傷つけ、シオリの幸せを願うことも出来ない、自分の身勝手さに。

「はあ……はあ……」

 一通り吐いた後に、僕は口の中を漱いでコップに水を汲んで、それを一気に喉に流し込んだ。

「クゥン……」

 そんな僕の足元に、リュートがまたも擦り寄ってくる。

「リュート……」

 ――そうか。リュートはシオリのことが好きだったもんな。彼女は僕の次にリュートが懐いた人間だった。

「リュート……辛いよ」

 僕はそのまま跪くように、流し台の床に崩れ落ちた。

「あの時はこれでいいと思った。今だってこれしかなかったと思ってる。僕の行く道に、シオリを連れて行くことなんて出来なかった。なのに、何で、こんな……」

 平成の臥龍、時代の寵児と言われる僕の真の姿がこれだ。

 たった一匹の犬の前でしか、自分の気持ちを言葉に出来ない。

「……」

 僕の目から、涙が伝った。

 シオリ――7年前、君は僕のことを、『優しい人』だと言ってくれた。

 その言葉を信じて――君がそれを願うならと思って、僕はこの7年、ずっと歩いてきた。

 でも――駄目だったよ。

 僕はこの7年、誰一人幸せにすることが出来なかった。それどころか、誰かを幸せに近づけてやることさえ、出来なかったよ。

 君にも、少しも優しいことができずじまいだった。

 あんなにも、君が好きだったのに。

 何故君に、もっと優しい言葉をかけてやれなかったのか。何故君のこと、もっとちゃんと思いやってやれなかったのか。

 あの時君から貰った優しさに報いることが出来ないか――してあげたかったことばかり、今も頭の中でずっと……

「――うう……」

 僕は一人、みっともなく泣いた。

 涙を流すのは、もう何年振りのことになるだろう。

 シオリの思い出が、僕の目に、枯れたはずの涙を呼んだ。

 この7年、彼女があそこまでして守ってくれたことに対して、それに報いられるだけの男になりたいと思った。出来れば君へ、僕の手で、花を育てて、それを君に見せたかった。

 それが出来たら、もう自分の人生は、それで十分だと思った。そのまま死んでしまってもいいとさえ思った。

 だが――いまだに僕は、あの時彼女が守るに値する男になれていなかった。彼女やユータ達に報いる術はとうに失っているとわかっていても、いまだにみっともなくあがいて、体裁だけ繕っていて。

 身勝手な思いで、僕を信じてくれた人に酷いことをしたまま、僕は自分に絶望しながらも、だからと言って死ぬことも出来ず……

皆に報いる道と共に、僕は死に場所を失ったのだ。

 途方に暮れて、僕は泣いた。それが男が泣く理由として、筋が通るのか分からないが、もう今夜の僕は、そうするしかなかった。

「……」

 リュートがそんな僕の頬を伝う涙を、舌で舐めていた。

 一匹の犬に、心の虚しさを慰めてもらう――これが今の僕、天才、サクライ・ケースケの本当の姿なのだ。

 でも――せめて願う。

 今の僕に雨が落ちるなら、誰かの空は、今夜は穏やかな月夜になっているだろう。

 せめてシオリが今、その穏やかな月夜に抱かれて、穏やかに眠れればいい。

 シオリ――君の心が今も、7年前と変わらず清らかであるように。

 今の僕は、そう願うことくらいしか、君に何もしてやれないけれど……


この話を書いていると、何が善で何が悪なのか、最近よく分からなくなりますね。

この話をここまで読んで、ケースケの生き方や、今のケースケを悪と捉える人もきっといることでしょう。

第2部のあとがきにも書きましたが、ケースケは多分かなり評価の分かれる人物だと思います。作中でもケースケは能力の割に、そのやり方から、周りの評価を得られず、不遇な日々を演じていた描写を入れたので、読者の方々も、ケースケに対して思うところは様々だと思います。


不満な部分もあるかと思いますが、作者もケースケを絶対的な正義だと言う気はありませんので、その点は読者様の感性でお楽しみください。


後、最近更新が遅れがちですみません…

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