Intention
トイレで服を着替え、再び会場に戻ると、レナはまだ呆けたような顔で僕を見つめていて。
会場にいる参加者達も、先程の僕のパフォーマンスに、いまだに上手くリアクションが取れないまま、何だか間の抜けたような空気に支配されていた。
僕のあのキスは、ハリウッドスターのお株も奪い、完全に僕をこのパーティーの主役へと代えてしまった。
音楽に合わせて、僕とレナは会場のど真ん中、手を取り合って、周り、踊った。
「……」
左腕の痺れはまだ消えていない。だが、平静を装う。
レナの手を取り、僕はこの会場を回り続ける。ダンスなんて、まともな手ほどきは受けたことはないが、僕の運動神経とセンスなら、周りの見様見真似でステップを合わせるくらい、容易なことだ。
ふと、踊りながら、視界の先に、さっき僕を池に突き落とした3人の姿が見えた。会場の隅で苦々しそうな顔で、僕の方を見ていた。
「……」
トイレで着替えを済ませた後、僕はここに戻る前に、受付で参加者名簿を確認させてもらったのだが、どうやらあの3人は、日本で三指に入る財閥、飛天グループの創始者の孫や甥達らしい。なるほど、僕に対してのあの自信も頷ける。
飛天グループは、専務以上のランクのほぼ全てが、創業者の血族で占められていて、血族でなければ部長クラスでも、血族に逆らえば左遷、懲戒免職もある、江戸時代の大名制度のようなヒエラルキーを持つことで、財界では知られている企業だ。
多分あの連中も、あの歳で常務以上の重役か、どこかのグループ会社の社長をやっているのだろう。御曹司だから、能力関係なしに出世できると言うわけだ。
「……」
――別に、あいつらに帝国グループ令嬢のレナをたぶらかして、帝国グループを我が物にしようなんて、と言われたからって、見せ付けるためにレナにキスをしたんじゃない。
単純に、色々と僕に好都合な場面が出来上がったから、それを僕なりに利用させてもらっただけだ。
僕があんなずぶ濡れの状態で戻ってきたのを見れば、もう財界の連中は、誰かが僕を攻撃したのだと、簡単に推測するだろう。財界の連中は多かれ少なかれ、皆僕を嫌っている。誰もが僕が失脚することを望んでいるのだから、こういうことをする奴が出ても無理はないと、もう分かっているはず。
そんな僕が、日本一の財閥、帝国グループの令嬢を同伴して、今日のパーティーに参加した。他の連中はそれを見て、その事態に焦りを感じていたはず。同時に成り上がり者の僕に対しての怒りがピークに達していたはずで、その僕が池に落とされ、みっともない姿で帰還したとあれば、その時の財界の連中は、僕の姿に大いに溜飲を下げたはず。
だが、その姿で僕がレナにキスをして、その上でダンスの誘いもOKを貰えれば、財界の人間にとっては、倍返しを受けたも同じ――大胆不敵かつ鮮やかに僕は連中に仕返しをしたことになるし、逆に連中は、僕を池に突き落としたくらいで喜んでいたのが馬鹿みたいと思えるほど、みっともなさを味わう。
やられっぱなしで泣き寝入りするのも性分じゃないし、やられたら即やり返さないと気が済まないからやった。
そして同時に、池に突き落とされた直後にレナにキスをしたというのは、僕に喧嘩を売った3人をはじめ、僕を疎んでいる財界の人間全員への喧嘩状にもなる。
これまで財界の連中に嫌がらせを受け続け、蔑称で呼んで僕を蔑む財界の連中には、いい加減僕も目障りに感じていたし、面倒だから、レナへのキスを以って、『売られた喧嘩は全部買う』『喧嘩上等』の意志を明確に示したのだ。
僕は池に突き落としたくらいじゃくたばらないぜ。喧嘩売るなら、命賭けて、僕を潰しに来い、と、レナへのキスを連中に見せ付けることで、僕はそう通告したのだ。
そしてここに参加しているハリウッドの関係者には、このパフォーマンスで僕の顔も覚えてもらえるだろうし、会社の宣伝にもなる。
状況を考えて、キスをすることで、僕にとって、連中に即お返しが出来る上に、面倒が省けて、メリットもある――
だから僕は、あの状況を利用して、キスをしたのだ。
僕はレナの手を取って、自分のステップターンでレナをリードする。
「……」
勿論、僕の目論見が外れて、レナがその行為でへそを曲げる可能性もなかったわけじゃない。
だが――僕にとってはそれでもよかった。いや、むしろその方が好都合であったかもしれない。
上に長々と言葉を並べたけれど、それは僕の行動を、何とか理論的に説明してみただけのことで。
あのキスが、僕の半ばヤケになっての行動であったことは、多分間違いない。
僕は海外に出てからというもの、いつもこうなのだ。
この7年、僕はずっとひとりぼっちだった。自分が死んでも悲しむ人もなく、あまりに無力で、明日への希望もなく、ただ向けばのない憎しみだけを抱えて生きる――僕の命の価値は、ゴミのように軽くなった。
僕は次第に疲れ果て、疲労は肉体や精神を酷く蝕んでいる。
だから――僕自身も、自分を簡単にゴミにしてしまいたがってしまう。
今の僕は、『酔狂』で生きているだけ。グランローズマリーを率いて、滅びる運命にあると分かっていて、『正義の味方』なんてやっているのは、半ばヤケクソの、片手間の暇つぶしのようなものだ。そうでもなければ、正義の味方なんてやってはいられない。
そして――とりあえずそうしておけば、僕はまだ、友に悪人のレッテルを貼られることなく、頑張っているのだと思わせることが出来る。
そんな外見を整えながら、今の僕が望むことは。
自分があの日の志に殉じたように見せて、如何に死ぬか。
僕はずっと『死に場所』を求めて、この財界で生きてきたのだ。
かといって、それは別に何でもいいというわけではない。
ステージから降りることも簡単だ、自分で命を絶てば、何もかもすぐに終わる。
だが、僕は幸か不幸か、グランローズマリーという組織を作ってしまった。僕の死は、そのままグランローズマリーの死――それに関わる全ての構成員――僕を信じる人間の全ての死を意味する。
僕が死ねば、多くの人間が路頭に迷うことになる。
僕はもう、自分の意志で仕掛けた戦いを、自分の意志だけで無責任に放り出すことは出来ない。立ち止まる権利もない。
僕はそこらの三流政治家のような、無責任な放り出しは出来ない。生きている以上は、戦い続けるしかない。
そんな僕が楽になれるとしたら――
誰かと全力で戦って、その上で殺されるか。それか、人を守るために身を粉にして働いて、道半ば、体を病んで、疲れ果てて死ぬか――そのどちらかだ。
僕がこんな目にあっても、いまだに財界と付き合いを示しているのは、僕を潰せるだけの力を持った奴が必ずいるはずだと、期待を込めてのことだ。
これも幸か不幸か、僕の力は本気で使ったら強大過ぎる――そんな僕と全力でやり合って、僕の首を取れる人間なんて、そうそう存在しない。生半可な場所にそんな人間がいるわけがない。だからこそ、僕はこの財界で、自分を叩き潰してくれる強大な存在を待っているのだ。
その筆頭が、帝国グループ――今こうして僕と踊っている、レナの祖父だ。
僕があの爺さんを苦手としながら、こうして付き合っている、その反面、味方に引き入れようとする爺さんの誘いを断っているのも、僕がいつかあの爺さんと戦争をするため――そして、僕が負けるために。その一心に他ならない。
だから、レナがあのキスでへそを曲げて、あの爺さんの機嫌も損ね、僕に対して怒りを感じて、僕を潰しにかかってくれれば、それこそ僕の希望通り――帝国グループに善戦はするものの、資金、人材、あらゆる面で劣る砂上の楼閣、グランローズマリーを最後まで守り抜き、討ち死に――僕は希望通り、全力で戦った上での死を享受できる。僕はそれでも構わなかった。
帝国グループに本気で喧嘩を売られた、そして、天才実業家、サクライ・ケースケが必死で守った。それでも駄目だったらそれはもう仕方がないと、誰もが認めるだろう。それだけの外観は既に作ってある。帝国グループが相手なら、僕の死は決して汚れはしないだろう。
今日この場でレナにキスをして、財界の連中に喧嘩上等の意を示したのも、つまらん連中でも、まとめてかかってくれば、帝国グループに匹敵した戦力くらいは揃えられるだろうから、まとめてかかって僕を潰しに来い、という流れに、僕自ら誘導するため。それなら帝国グループほどの力がなくても、僕を殺すことは可能だろうから。
そして、僕が体を大して気遣わないのも、そのせい――正義を示そうとしたが、道半ば、その道に殉じ、疲れ果てて死ぬ――なんて、陳腐ではあるけれど、死に方としてはさして悪くない。道に殉じた中での死であれば、ユータ達にも、最後まで僕が諦めなかったと思ってもらえるだろうし。
エイジを副社長に据えているのも、僕が死んだ後の意志を継いでくれる人間として、いてもらわないと困るからだ。それがいないと、僕の死後、グランローズマリーはまず間違いなく分裂する。
エイジを育てておけば、あいつならまず間違いなく、僕の言いつけをよく守るし、自分の器もちゃんと理解している。欲に目をくらますことなく、無茶はせず、仲間を守ることを優先してくれるだろう。あいつが育ってくれれば、僕が死んでも、グランローズマリーは問題はない。今ほどの急成長は望めなくなるだろうが、そこそこの企業として、やっていけるはず――
僕は、自分が死ぬ時のために、エイジを利用しているのだ。
僕の今の行動全てが、自分のため――自分の死のための布石に直結している。
そして今日も、財界の人間に、その種を蒔いた。
僕の体も、順調に日々の酷使によって蝕まれている。
――まあ、今日は僕の目的のためには、割と有意義な日になったのだろうな。
あとはこのダンスを適当に済ませて、レナをそのまま家に送り届ければ……
「――あの、サクライさん」
ふと、ダンスの最中に、目の前の僕にしか聞こえないような声で、レナが僕に囁いた。
「このダンスが終わったら、私、サクライさんと二人きりになりたい……」
「え?」
「パーティーを抜け出して、どこかに行きましょうよ」
「……」
「どこか、静かなところへ、行きたい……」
「……」
――やばい。僕に堕ちた?
あのキスを、このお嬢様、本気にしたのか?
察しろよ……ガキじゃないんだ。キスが恋愛感情以外では成り立たないなんて思っているんじゃない。あの程度、どうってことないことじゃないか。
――まあ、仕方ないか。面倒だが、自分の取った行動のツケだ。
適当に付き合って、いつもどおりに帰せばいい。
いつだってアイドルや女優に、そうやって接しているのだ。今回もそれで、問題ない。
僕は女と馴れ合うことはない。
今も痛む、この左腕の疼きがある限り、それは絶対に出来ないんだ。