Babysit
車はやがて石畳を走り始めて、少しがたがたと揺れ始めた。
既に日も落ちた道で一度止まり、運転手が窓を開け、パスを見せると、もう一度発進。5メートルはあるだろう鉄柵を越え、左手に噴水が見える。それを迂回して、奥の白い西洋風の建物へと向かう。映画だったらラストシーンで火事になってしまうような洋館だ。
セダンは門の前で止まる。僕は後部座席から先に降りて、レナの手を取り、車から下ろさせる。目の前にはレッドカーペットが敷かれていて、僕達はそこを歩いていく。
既に他の客も来ていて、僕達の姿を一瞥する。おそらくこのパーティーに参加するメンバーとしては、僕達が最年少の部類だろう。それでなくても僕は童顔なので、こういうパーティーでは、嫌でも目立つ。
フラッシュも焚かれる。このパーティーには、マスコミも取材が多数来ている。
7年前のネームバリューも手伝って、僕の周りには、いまだにマスコミが張っている。今では僕の事業よりも、女性関係を面白おかしく書きたくてしょうがない連中だ。
「サクライさん、帝国グループの令嬢とご交際なさっているんですか?」
「帝国グループ次期会長の座を狙うということでしょうか?」
マスコミの質問が飛び交いながら、僕にマイクが向けられる。回りのSPがそれを押さえにはかかっているが、雑音がやかましい。
だけど僕はそれを無視しながら、レッドカーペットの敷かれる階段を登り、洋館の扉を開け、中に入った。
「帝国グループより、ザイゼン会長の孫娘、レナ様と、グランローズマリーCEO、サクライ・ケースケです」
受付で招待状を差し出す。それを確認した後、受付の黒服は、僕の後ろをついてくるトモミをいぶかしげに見る。
「彼女は私の秘書です。後学のために、私が連れてきました」
「あ、そうでしたか、それは……」
そう言って、受付をパスすると、一度僕はトモミの方を振り返る。
「トモミさんも、せっかくだからパーティーを楽しむといいですよ。僕はレナお嬢様をエスコートするので、あとは自由にしていていいですよ」
どうせ僕は彼女を家に送るまで帰れない。トモミとは帰りが別々になるだろう、という意味だ。
僕の横にいるレナは、トモミに対して何らかの感情を抱いたのだろう。裾を踏みそうなほど長いドレスの裾を少し持ち上げて、一歩前に出た。
「あなたもゆっくり楽しんでらしてね」
そうトモミに告げた。
「……」
まったく、世間知らずのお嬢様だ。トモミにさえ、自分の威を示さないと気が済まないのか。それが本当に自分の力だとでも思っているのも、またタチが悪い。
それを告げると、レナはトモミを置いて、僕に早く行きなさいと目配せする。僕は彼女の手を引き、会場の個々かしこにいる黒服の案内に従い、歩を進める。
後ろでトモミが僕の背中に「バカ」と言った気がした。
――このパーティーは、ハリウッド映画の試写会と、スポンサーを招いたヒット御礼パーティーを兼ねている。僕の会社も、日本国内の宣伝や、映画内のアクセサリーのほぼ全てを取り扱ったことで、参加を許された。
会場には実際のハリウッドの監督や、映画スター、日本の芸能人に、政治家、財界の大物と、映画に関わりそうなVIPがぞろぞろいる。
「あ、サクライさん!」
会場に入ると、僕の姿を見つけて、女の子達が駆け寄ってくる。見覚えがある、確か以前一緒に仕事をした女優やアイドル達だ。
「サクライさんもこのパーティーに参加なさるんですね」
「もしよかったら、パーティーで色々お話しましょうね」
「ああ、はい……」
女の子にちやほやされる僕を見て、隣にいるレナは不服そうな顔をしている。
そんなレナは僕の腕を掴むと、強引にその場から離れようと、僕を引っ張った。
「もう! サクライさん、私のエスコート役が、他の女に色目使ったら、本末転倒でしょう!」
「……」
別にそんなつもりは僕にはないんだけれど――
――パーティーの前に、参加者を映画館とは比べ物にならないほどゆったりとした椅子のあるシアターに招いて、試写会が行われる。
暗くなった部屋、フィルムの回る音がかすかに聞こえ、映画が始まる。
残念ながら、僕は映画の内容にはまるで興味がない。高校時代も貧乏だったために、映画やドラマを見る機会もなかった。文学ならまだしも、こういう映像コンテンツにはいまいち疎いし、ひいきの俳優というのもいなかった。
映画は陳腐な恋愛映画だった。
ふと、僕の肩に、何かが触れた。
僕の隣に座るレナが、僕の肩に自分の頭を預けたのだ。
暗がりで、周りの連中は映画に夢中だ。映画のシーンは、ちょうど主人公がヒロインに告白をするシーンだったから。
「……」
――まあいい、好きなようにさせてやろう……
僕はレナの顔を見ずに、映画に目を向ける振りをする。
もう、何かを考えるのも面倒になってきたら、急に眠気が襲った。働きづめの毎日だし、既に体は絶えず疲労に蝕まれている。
もう、映画の内容は覚えていなかった。
――まぶたの裏に光を感じ、周りががやがやと席を立つ気配がして、僕は目を開ける。
「寝顔、可愛かったですよ」
隣のレナが、僕を見てそう言った。
「……」
僕は立ち上がり、眠っていたことがばれないように、深呼吸をして、脳に酸素を入れ、思考を回復させる。
そんな僕を、レナは少し機嫌がよさげにに見ていた。
「あなた、天性の魔性をお持ちなのね。自分に自覚がなくても、女を虜にさせる魔性をお持ちだわ」
「――魔性?」
「ええ。女性にそっけないけれど、すごく優しくて、すごく色っぽいけれど、男らしくて、無垢で――女が興味を持たずにはいられなくさせる魅力をお持ちだわ。寝顔を見て、そう思いました」
「……」
パーティーの会場は、立食パーティー形式で、参加者は400人ほど。
まず壇上で、さっきの試写会の映画に出ていたハリウッド俳優と監督がそれぞれ挨拶をして、僕達はそれを拍手で迎え入れる。
それが終わって、シャンパンを持って、ようやく乾杯。僕はレナとトモミと乾杯をした。
「Hi,Mr.Sakurai」
皆立食を楽しんでいる中、会場で僕はハリウッド女優にも声をかけられる。以前僕の宝石を買ってくれたこともある女優だ。レナと同じく、僕の作ったブレスレットをつけている。僕は自分の作った商品は、全て覚えている。
実は僕は映画の内容は、途中で寝ていたから全く覚えていなかったのだけれど、トモミに先に会って、映画の概要や、印象的なシーンをあらかじめピックアップして教えてもらっていたので、問題なく会話に打ち解けられた。トモミはどうせ僕が寝てしまうだろうと読んでいたようで、そういう機転を回してくれた。優秀な秘書で助かる。
僕は2年前、日本に帰ってきたのだけれど、その当時はもう日本語が片言でしか喋れなかった。それまで5年間、一度も日本語を喋らなかったので、日本語の発音も忘れてしまっていたのだ。
今でも海外出張が多い僕は、いまだに英語での商談の方が得意だ。
僕はこの2年で太いパイプを作り上げたハリウッド関係の人間と主に挨拶を交わした。僕の作った宝石を買いたいという商談も2件進み、このパーティーに参加した意味はあった。
しかし、ずっと英語での会話をしていた僕の横で、完全にレナが置き去りにされてしまっていた。だから僕の横で、不機嫌そうな顔をしていた。
「サクライさん、エスコートする女性をひとりにするなんて、エスコート役としては失格ですわね」
どうやら一人でほったらかしにされ、軽んじられたようでご機嫌斜めのようだ。
「仕方ありません。私も仕事でここに来ているのですから」
「……」
やれやれ。
「レナお嬢様。私はお嬢様のエスコートを頼まれました。儀礼的なお嬢様の護衛はやらせていただきますが、パーティーの間も私と一緒にいる必要はないのではないでしょうか。さっきも言いましたが、お嬢様もこの場に来た以上、色々な方とお話されて、色々とご経験を積んだ方がよろしいでしょう。お嬢様も帝国グループの人間である以上、このような場でお顔を覚えていただかないと……」
というより、このような、ビジネスライクなパーティーでは、どうしても僕は仕事の話をせねばならない。ボディーガードみたいに、ずっと貫徹してべったりしているのは不可能だ。レナだって僕の商談につき合わせても退屈だろう。元々無理な話なのだ。おまけにこのお嬢様は、仕事や金銭価値のなんたるかもわからない世間知らずと来ている。
僕がそう言うと、レナは呆れたような顔を見せる。
――やれやれ、これだからお子様は……
僕はレナから思わず目を背ける。
その時、ふと僕の視界にトモミが映った。
トモミはワイングラスを持っていて、中年の男二人に絡まれている。トモミは困惑した顔を浮かべている。
ふと、中年の男の一人が、トモミの尻を触った。トモミは嫌そうな表情を一瞬浮かべたが、どうやらこの中年二人がそれなりの地位を持つ人間だから、気分を害させるとまずいと思って、すぐにその表情を消した。
「……」
僕はトモミのいる方へ、一人つかつかと歩み寄る。
「こ、困ります。私は……」
「いいじゃないか。ちょっと付き合ってくれれば……」
さっきトモミの尻を触った男は、トモミにまだしつこく言い寄っている。もう一人の男も、トモミを嘗め回すような視線で見ている。
僕はそんな男の後ろから、片方の男の肩を掴んだ。
「あ?」
中年の男は振り向く。
「社長!」
トモミの表情が明るくなった。僕の方へ駆け寄ってくる。
「うちの秘書が無礼をしたなら、上司である私が謝りましょう。だが、嫌がっている女性の尻を触るような下司な行為は、酒の席とはいえ、よしていただきたい」
パーティーによっては、ウェイターに一声かければ、会場の個室を貸してくれたりして、そこに女を連れ込む手合いもいる。パーティーとは格好の枕営業の場なのだ。きっとトモミもこの中年親父に誘われたのだろう。
しかし僕に肩を掴まれた男は、僕の手を振り払うと、僕に冷ややかな視線を向けた。
「――ふん、何だ。犯罪者の息子の女だったのか。つまらん女に声をかけちまった」
自分の行為を悪びれる素振りもなく、僕にそう吐き捨てた。