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Flower

 レナが召し物を変えているのを待つ間、僕はこの家専属のパティシエの作ったケーキでも食べながら、くつろいでくれ、と爺さんに言われたけれど、甘いものが苦手な僕はそれを辞退して、リュートと二人、この家の中庭で待たせてもらった。

 人工の川を作って、川の間に橋を渡し、浮島を作って、ひどく贅沢な庭だった。緑のじゅうたんのように芝生がどこまでも広がって、花も様々な種類がそこかしこに咲いていて、その庭が豊穣な野原のようにも思える。

 西洋の庭園は、花を多く植えて、彩りが豊富だけれど、この家の庭園は純和風だ。花は緑を引き立てるように配置され、あでやかというよりは、落ち着いた雰囲気がある。

 僕は20平米ほどの浮島に立って、その庭を見渡していた。人口の川の中には錦鯉が緩やかな流れにたゆたっていて、なんとも気持ちよさそうだ。

 9月の夕暮れは遅い。もう既に5時を回っているけれど、まだ十分明るいし、軽く蒸し暑さが残っているけれど、川のせせらぎを作る水の音が、近く遠く聞こえて、少し涼やかだった。

 僕の立つ浮島には、一本の木が生えていて、そこには赤い花が盛りを迎えたように咲き誇っていて、僕はそれを見上げていた。

「ゴホッ、ゴホッ……」

 もういつからこうする癖がついたか忘れてしまったけれど、僕は随分前から、機会があれば、こうして花を頻繁に眺めるようになった。

 といっても、花の造詣があるわけではない。今目の前に咲いている赤い花も、目には留まったものの、花の名前は知らない。

 ただ、何となくこうして、花を見るのが好きなのだ。花を見ていると、アクセサリーを作る時、どんなものを作るのか、インスピレーションが沸くことがある。旅をしていた時も、旅路で見つけた花を見るために立ち止まったり、花をスケッチしたりすることも少なくなかった。

「……」

 ――だが、やはり、これも違う。

 僕は何か、遠い昔に、どこかでとても美しい花を見たことがあるような気がするのだ。その花が何なのか、どこで見たのか、はっきりとは思い出せないのだけれど。

 まるで前世の記憶のようにおぼろげで感覚的な記憶だけれど、心のどこかに、そんなものを見た記憶が残っている。また再びそれを見てみたくて、僕はいつだって、こうして色々な花を見ているのだけれど、どれを見ても、やはり何か違う気がする。

 僕が宝石を精製している時も、その美しさは脳裏を常によぎっていて、この数年間、僕はその美しさを何とか形で表現しようと、躍起になって宝石を精製し続けてきた。フランスに渡った頃、何ももっていなかった僕は、それを目標に、躍起になって腕を磨き、そのおかげで今では世界一のデザイナーの名を冠するようになったけれど、まだ僕の脳裏に残る、あの花の美しさには、全然及んでいない気がする。

「――社長」

 ふと、背中に声をかけられて、僕は振り返る。

 振り向いた先――赤い漆塗りの小さな橋の真ん中に、薄緑色のドレスを着たトモミが立っていた。髪を纏め上げ、いつも下ろしている前髪も、額を少し出す程度に上げて、金のヘアピンで髪を留めている。

「へぇ……よくお似合いですよ」

 僕はそう声をかけた。

「え? あ、ありがとうございます……」

 トモミはそれを聞いて、少しだけ僕から目をそらした。

「――だけど、その格好で外に出るには、少し肩とかがはだけすぎですね」

 僕はそう言って、自分のタキシードの上着を脱いで、トモミの方へ歩み寄った。

「せめてこれを羽織ってください。買ったばかりだから、綺麗だと思うし」

 まだ9月末と言っても、日が落ちれば外は冷えてくる。

「いいですよ。社長こそ変な咳してるんですし、着ていた方がいいですって」

 僕が背中から、トモミの肩に上着をかけようとすると、トモミはそれをやんわりと拒否した。

「――また、花を見てたんですね。社長」

 しばらく沈黙した後、トモミは僕の隣で呟いた。

「そうだと思って、中庭に出してもらったんですけど」

「ああ」

 そう言って僕は、さっきまで見ていた目の前の赤い花の咲き誇る木を見上げていた。

「あの花――サルスベリですね」

 トモミは言った。

「サルスベリ?」

「はい、百日紅って書いて、そう読むんですよ」

「ああ――あれか。高校の漢字テストとかで名前は知ってましたけど、あれがそうか……」

 トモミはそれなりに花に詳しい。たまにこうして僕の見ている花の名前を教えてくれることもある。

「本当に、花が好きなんですね、社長って」

 トモミは僕の横顔を覗き込むように見た。

「女々しいですかね。男で花が好きだなんて」

「いえ、社長のそういう風流を好むところ、私は……」

 言いかけて、トモミは言葉を止めた。

「ん?」

「い、いいんじゃないですか?」

 トモミは慌ててそう言った。

「す、少なくとも、うちの副社長みたいに、そういうのを介さない人間よりは、そういうのを愛でられる人の方が、いいと思いますよ」

「うちの副社長、か」

 僕は夕焼けに染まった空を見上げて、さっきの爺さんとの会話を反芻した。

「さっき爺さんにも、エイジのこと、言われちゃいましたよ」

 僕はその話をトモミにしてみた。

「エイジの才能は平凡――どうしてあんなのをわざわざ右腕に据えるのか、あれよりももっと優秀な人間はいるだろう、って」

「ふぅん」

 トモミは頷いた。

「まあ、そう言われるのも分からなくはないですけどね。確かにあいつの能力は、体力と馬力以外は平均的ですし、何でもできる社長と比べたら、そう他人が言うのも仕方ないですよね」

 トモミはエイジの能力に辛辣な評価をした。

「でもあいつ、社長とのコネで副社長になったって、人に陰口叩かれていることも、もう自覚してますよ。社長が余りにすごすぎるから、あいつは社長と比較されて、プレッシャーとか劣等感も相当あるでしょうけど、いつまでもそういうこと言われているようじゃダメだって、影ですごい努力してますよ。この1年で社長の仕事に段々ついていけるようになったし。あいつのああいう努力するところと、仕事に対するひたむきさは、素直にすごいと私は思いますけどね」

「……」

 へぇ――普段エイジに対しては、辛辣な言葉ばかりを浴びせるトモミだけれど、ちゃんとエイジのこと、評価しているんだな。

「へぇ……」

「な、何ですか!」

「いえ、あいつのこと、ちゃんとよく見ているんだな、と思いまして」

「か、勘違いしないでくださいね! わ、私、あいつとは仕事をしてる上での腐れ縁で――仕事仲間が悪く言われると、私も気持ち悪いってだけなんですから」

「……」

 しかし、トモミがエイジのこと、そういう風に見ていてくれているとは。

 トモミの意見は、僕の考えとほぼ一致した答えだった。確かにエイジは能力こそ平凡だが、努力を続ける根気と馬力、そして人生を賭けている人間の強さがある。

 残念だが、うちの会社は金持ちから得た金を、貧しい人間に還元しているので、当然その分会社にはあまり金が残らない。なので会社で出世して、年収数千万を狙うには、うちの会社は適さない。つまり、それだけ仕事ができる人間が働く場所ではないということだ。

 帝国グループのような粒ぞろいの企業なら、優秀な人間で周りを固めるだろうけれど、うちの会社は安い人材を育てていくやり方でないと成り立たない。そんな企業において、エイジのような能力は平凡でも、努力の姿勢を崩さない人間は、社員の模範になる。それだけでもエイジが副社長にいる意義はあるというものだ。

 だけど――

 僕がエイジを自分の片腕に据えているのには、もうひとつの理由があることを、誰も知らない。

 それをエイジが知るのは、もっとずっと後のことになるだろうけれども、たまに良心が痛む。

 僕はエイジを、自分の都合のいいように利用しているだけだから……

「しかし、それ、本人に言ってあげればいいのに」

 僕はトモミに苦笑いを向けた。

 いつも顔を合わせれば、お互い水と油のように相容れぬような関係のように見えるトモミとエイジだけど。

 エイジは多分、トモミのことが好きなんだと思う。

 ずっとあの強面の風体で、おまけに不良のボス――恋愛なんてうすら甘いものとして、自分でも遠ざけていたから、単純に女性とどう接していいのか分からず、つい口が悪くなって、強気に出てしまうだけなんだ。トモミがエイジのことを認めているって、本人の口から聞いたら、多分狼狽はするだろうけれど、きっと喜ぶだろう。

「自分から厳しい環境に身を置いているあいつに、優しい言葉はあいつの努力に水を差すかもしれないでしょう? あいつが努力をしたいのであれば、必要以上に褒めない方がいいと思って」

「――成程」

 彼女の考えは、僕が思っているより深かった。意外とトモミは、こういう時、男を立てることが出来る女性なのだ。

 ――そうか。どうやらトモミもエイジのこと、そんなに悪く思ってないみたいだ。むしろ、まんざらでもないみたいだ。

 ――きっと、トモミがいれば、あいつは多分大丈夫だよな……

「サクライ様」

 ふと僕達のいる庭に、先程玄関で会った執事長がやってきていた。

「レナお嬢様のお着替えが終わりましたので、どうぞこちらへ……」



 パーティー会場に向かう車の中、僕は後部座席の真ん中に、レナと共に座り、その反対側に、トモミが座った。レナが嫌がるので、リュートは仕方なく助手席に乗せさせた。

 車に乗る前、トモミはレナに対して慇懃な挨拶をした。自分より年下のお嬢様のお守りなんてと、あまり乗り気でなさそうな顔をしていたのに、レナの前ではそんな素振りを全く見せなかった。彼女は仕事をしている時は、こうしてオンとオフをしっかり切り替えることの出来る女性だ。仕事以外でもそれが出来ればもっといいと思うけれど、それではあまりにお固過ぎて、彼女の魅力がなくなってしまうだろうか。

 さっきから僕はレナに腕を掴まれている。彼女の胸が僕の腕に当たっているのだけれど、それを言うのも気が引けたので、黙っていた。

 真っ赤なドレスで、肩から胸元まで相当開いていて、胸の谷間もあらわになっている。刺繍がごてごてしていて、フリルなどの飾りもトモミのドレスに比べるとかなり多い。

 そして首には僕が2年前に作ったネックレス、左手には僕の作ったブレスレットと指輪が光っている。どれも良質のダイヤモンドを10カラット以上、サファイアやエメラルドなど、他の宝石もふんだんに使った、ひとつ数十億はくだらない代物だ。

 とても22歳の女がする格好ではない。まだ若いんだし、もっとシンプルな装いで、若さを引き立てる程度に着飾ればそれで十分だと思うけれど、着飾りすぎて、若い女性の清々しさが死んでいる。どこにでもいるようなつまらないものに成り下がっている。

 女っていうのは、どうしてこう自分の必要以上に着飾りたがるのだろう。キャパを超えた着飾りは、ただ自分の個性を殺すだけなのに。

 ――まあ、この娘は日本一の金持ちの孫娘なのだ。感覚が僕と違うのは当たり前だ。本人が気に入っているなら、別に僕が言うことでもない。単純に僕は、自然のままの美しさというのが好きなのだ。花だってそのひとつ。それはもう趣味嗜好の問題だから、議論したってきりがない。

「サクライさん、今日はダンスもありますから、私と踊ってくださいね」

 レナは僕の腕を組んだまま、嬉しそうにそう言った。

「――レナお嬢様。まだ財界で力のない私などよりも、パーティーでお話された方と踊ってください。会長もお嬢様に、もっと見識を深めて欲しいと願って、今日のパーティーにお嬢様をお送りになったんでしょうから、ずっと私の側にいるより、色々な方とお話をして回った方がよろしいのではないでしょうか」

 僕はそう忠告した。

 というより、僕自身、このじゃじゃ馬娘のお守りなんて、ちっとも乗り気ではないのだ。できることなら誰かに押し付けてしまえれば、それが一番いい。その方向にやんわりとこの女を誘導しようとしたのだ。

「――呆れた。サクライさん、お祖父様の考えを、全然ご理解になってないのね」

 それを聞いて、レナは明らかに不機嫌そうな表情を向けた。

「しかしサクライさんって、変わってますよね。今までお祖父様や私が何か頼み語として、そういうこと言った人、今までいませんでした。みんな二言目には、はい、はい、って、頷くのに」

「……」

 それはそうだろう。それを無碍に断ったら、大袈裟な表現などではなく、自分の人生が終了しかねない。

「お祖父様もよく言ってますわ。サクライくんは、帝国グループが怖くないのか。若造の癖に、帝国グループに全く物怖じしていない。あんな若造、初めて見た、って」

「……」

「サクライさんは、お祖父様が怖くないのですか?」

 そんな質問をされる。

「……」

「どちらにせよ、これからはお祖父様の顔も立ててあげてくださいね。その方がサクライさんも、財界で長生きできますよ」

 レナが言った。

「……」


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