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Pillow

「――またその話ですか」

 僕は逡巡する。

「君はレナが相手じゃ不服か?」

 爺さんは僕ににじり寄る。

「一応大学のミスコンを制覇しているから、器量もそこそこじゃと思うし、何よりレナと結婚すれば、帝国グループの次期会長だって夢ではないんじゃぞ」

「……」

 実は、僕がこの爺さんを苦手としている最大の原因がこれ。

 この爺さんは、僕を自分の孫娘と結婚させたいと願っているらしいのだ。僕はその話題から逃れるために、ここ1年ほど、この爺さんから逃げ回り続けている。

 これが普通の見合い相手とかなら、拒否するのは簡単なのだけれど、相手は日本一の財閥の会長と、その孫娘だ。下手に面目を潰すと、その瞬間、僕はこの爺さんを敵に回しかねない。まだグランローズマリーは、この超巨大財閥を相手に喧嘩をするには、資金力、人材力、全ての面で圧倒的に劣っている。

 勿論、現時点でも、帝国グループが迂闊にうちに手出しができないような策を、僕は打ってはいるのだけれど、それでも帝国グループの面目を潰すことは、決してグランローズマリーにとってプラスではない。

 僕はともかく、従業員には生活がかかっている――僕の下には、既に数千人の部下がいるのだ。僕もその部下達の生活を守らなければいけない。だから迂闊に断ることは出来ないのだけれど、だからと言って、そんなことを軽々に承諾することも出来ず、僕はズルズルと答えを先延ばしにしている。

「しかし、会長。お嬢様はまだ22で、来年3月に大学を卒業するのですよ。そんな話はまだ早いというか、もう少し色々と見識を深めるなりしてからでも、そういう話は遅くないのではと思うのですが」

 僕はそんな言葉でお茶を濁そうとする。

「いや、女はやはり、好きな男と結婚するのが何だかんだ言って一番じゃよ。しかも君はもてるんだし、悠長なことを言って、君に先約が出来てしまうのも、面白くないじゃろう?」

 しかし爺さんはばっさりその意見を切り捨てた。

「……」

「レナは2年前、20歳になった時、君の作ってくれたピアスやブローチが今でもお気に入りでな、それ以来、君のことを好きになっているようなんじゃ。儂も君の実力を買っている。君が帝国グループに来てくれたら、それは千軍万馬を得たも同じ――君だってレナと結婚すれば、いずれは帝国グループを君の力で動かすことができる。今の会社よりも、もっと大きな力が手に入る。儂にとっても、レナにとっても、君にとっても悪い話ではないじゃろう」

「……」

 昔の僕ならば、帝国グループの力を得られることに対しては、魅力を感じただろう。

 ――いや、いくら昔の僕でも、その手段が結婚だったら、受けなかったか? さすがにそれは少しは躊躇しただろうか。

「――すみません。別にレナお嬢様が不服とか、そういう話ではないのです。ただ、もう少し自由な男でいたいだけで」

「ふむぅ」

 爺さんは首を傾げる。

「しかし、君ほどの才能があるなら、その遺伝子を後世に引き継ぐことは、もはや義務であると言ってもいい。そういうことは、少しは思うんじゃないかね」

「遺伝子?」

「そうじゃ。君は自分の子供に、興味はないのかね」

「……」

 遺伝子か――その単語を聞いて、自分を形成する血肉や染色体の中に、あの家族と同じものが99.9%も入っているということを切実に思い知り、酷く気分が悪くなった。

 僕には結婚願望というものが、昔からほとんど――いや、皆無と言ってもいい程にない。

 生まれた時から、不幸の只中のような家庭で育った。存続するだけで、自分達どころか、周りの人間さえも際限なく不幸にするような家庭――正直家族に憧れどころか、血が繋がっている分、離れたくても離れられない、不条理の塊のような場所――それが家庭だった。憧れどころか、吐き気さえする。

それに、そんな家庭しか知らない僕が家庭なんて持ったら、同じような不幸を繰り返してしまいそうで……

 怖い、というか、どうしたって、身構えてしまう。

「――よく分かりません。この7年間、あまりそういうことを考える暇、なかったので」

「そうかい? しかし君だって、この2年で相当女を抱いたんじゃろう?」

 爺さんが揶揄するように下品な笑みを浮かべた。

「君の寵愛さえあれば、一気に売れっ子になれる芸能人やモデルなんてごろごろいるじゃろうし、君がプロデュースすると言えば、どんな女も選り取り見取りじゃろう? まだ若いんだから、そりゃ激しいじゃろうし、もう既に身ごもっている女も一人や二人いたっておかしくないじゃろう」

 この爺さんは、そういう世界でもう数十年を生きているのだ。そうやって沢山の女を抱いてきたのだろう。

「――いえ、そういうのには、手を出していないので」

 僕はかぶりを振る。

「何? 一度もか?」

 今まで揶揄するような薄笑いを浮かべた爺さんの表情が、本気で驚いたようなものに変化する。

「またまた、そういい子ぶることはない」

「いえ、本当にそういう関係になった女性はいないんです」

 僕は念を押す。

「――確かに会長の言うとおり、何度か女の子からそういう話を持ちかけられたことはありますけれど……」

 いわゆる『枕営業』というやつを、華やかな芸能人が裏で日常茶飯事にやっているのを、僕は日本に帰ってきて、初めて知った。

 芸能人だけではなく、僕はこの2年で、3桁を優に超える程、女性からの床の誘いを受け、その都度断ってきた。モデルや、パトロンの欲しい水商売の女など――芸能プロダクションが、本人がその場にいないのに、所属している女の子を誰でも紹介しますと、斡旋さえ受けたこともあるし、出張で滞在したホテルの部屋に来て、いきなりアイドルが服を脱いだこともある。

「いやいや、しかし君、それじゃ性欲処理はどうしているんじゃ?」

「――元々、女っ気のない環境で育ったので、慣れているんですよ。最近は、ずっと働きづめで疲れてしまって、特に……」

「――はぁ、とてもまだ25の男の言葉とは思えんなぁ。まるで君の方がアイドルみたいじゃな」

 爺さんの呆れ顔が、僕に向けられる。

「別にいいじゃないか。向こうが好きでこちらに話を持ちかけてくるなら。女の方は君の恩恵を受けられるし、君だって気持ちいい思いをいっぱいできる。いわばギブアンドテイクじゃよ。お金を対価に商売するのと同じことじゃ」

「……」

 ギブアンドテイクか。そう言えば聞こえはいい。

 でも、そんなこと、誰だって望んでやっているわけないだろう……

 だが、それが正当化されるのが、今、僕がいる世界――

 財界って世界だ。

「じゃあ、君があの秘書の娘を雇ったのも、別に夜伽をさせようってつもりで雇ったのではないんじゃな」

 爺さんが首をかしげながら言った。

「え?」

「君の秘書試験は相当な倍率だったようじゃからなぁ。儂はてっきり、あの秘書の娘は、体の相性で選んだのかと思っておったよ。君の秘書、かなりの美人じゃからなぁ」

「……」

 ――クソジジイ、と、僕は心の中で呟いた。

 この世界にいる人間は、皆こうだ。金と権力があれば、人間でも飼い慣らし、何でも言うことを聞かせることが出来ると思っている。

 僕はこの世界に来て2年、そんな権力者に完全に飼い慣らされた人間を沢山見てきた。権力者に、体を求められれば股を開き、酷い仕打ちをされてもニコニコして、人間としての品性まで売り飛ばした人間を。

 僕も今ではその権力者の一人だ。そんな僕のところにも、そういう人間はどんどん集まってくる。

 枕営業だって、そのひとつだ。

 でも……

 頼むからやめてくれ、と思う。

 僕の恩恵を受けようと、体まで捧げようとする女性も、この爺さんのように、それを正当化する声も、耳を塞いでしまいたくなる。

 僕はただ、大切な人と語った志に、少しでも近付きたいだけ。僕を信じてくれた人のためにも、何とか一人の男として、そいつらに報いたいだけ。そのために、今まで必死になってやってきたのだ。

 それは少なくとも、枕営業をほいほい受けて、女をとっかえひっかえ、選り取り見取りに抱きまくることなんかではないはずだ。あいつらといた時間――僕は人が人として生きることの美しさを学んだ。だからこそ、そう信じている。

そういうことを一度してしまったら、僕はもう、二度とあいつらに合わせる顔がなくなってしまうような気がして……

 別に純情を気取りたいわけじゃない。ただ、あいつらに恥じるようなことはしたくないだけ。

 それなのに、そんな僕のことをお構い無しに、そうして僕に体を捧げようとする女性は跡を絶たなくて。

 そんな女の子を見る度に――いや、この財界にいて、そんな場面に何度も出くわす度に、僕の中で何か大切なものが、日に日に濁っていくようで……

「お祖父様」

 ふと、襖の外から女性の声がした。

「おお、レナか、入りなさい」

 爺さんがそう言うと、襖が静かに開き、気品に満ちた、美しい一人の女性が入ってきた。

「まあ、サクライさん。お久し振りですわね」

 その女性は僕の姿を見るなり、目を輝かせた。

「レナお嬢様、御機嫌麗しゅう……」

 僕は正座したままの状態で向き直り、女性に慇懃に頭を下げた。

「レナ、どうやらサクライくんも、今夜のパーティー、君のエスコートを承諾してくれるようじゃぞ」

 爺さんは言った。

 ――おいおい、僕はまだ承諾するなんて、何も言っていないぞ。

 だけど――僕がそれを拒否できる立場じゃないのだから、同じか……

「成り上がり者で、無作法な人間ですが、お嬢様に恥をかかせないように相努めます」

 だが、やめるのなら今のうちだと念を押しておく。

「あら、サクライさん、今日はちゃんとした服をお召しなのですね」

 レナはひれ伏す僕を見て、そう言った。

「でも、せっかくのパーティーなのですから、もっといい服をお召しになればいいのに」

「……」

 僕が今着ているタキシードだって、一式100万はする高級品だ。その格好を一笑に付すなんて、100万程度の金、私にはお小遣い程度の価値しかないとでも言うのか。

 親の権力を、自分の力だと思い込んで、思い上がりも甚だしい。この高飛車女と結婚なんて、考えただけで虫唾が走る。

 確かに顔だってそれなりに整ってはいるけれど、何だかそれは、生まれついてのもの、自分が育てたものというよりは、生まれつき金によって惜しげもなく磨いてきたという感じで、僕より年下だというのに、あまり若々しさを感じない。人工的な印象さえ抱く。

 でも、この女に対してそう思ってしまうのは、僕がもう、アイドルやモデルなど、美人をこの2年間、飽きるほど見てきたからだろうか。それとも、そんな女達に不自然なまでに媚を売られて、僕が一種の女性不振に陥っているからなのか。

 この世界にいると、自分の概念や価値観が歪んで、そんなことももう分からなくなっていた。


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