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Suits

「うーん、これ、大阪でのキャンペーンだよな? だったらこの広告、もっとビビッドな感じって言うか、季節がこれから秋だからって、シックに行く必要ないんじゃないか? ちょっとこれだと、東京ではいいかもしれないけど、大阪じゃパンチが弱い気がするんだが……」

「そうでしょうか」

「僕もエイジに同感ですね。でもこのラフ画自体は結構僕は好きですね。今回のコンセプトにはちょっと弱いけど、この絵、残しておいてくださいよ。別の宣伝で使いましょうよ」

 午後は、最近大阪でのショッピングモールでの、新たなキャンペーンのための仕事が追い込みにかかっている宣伝部に顔を出して、僕とエイジ、それと宣伝部でお互いに意見を出し合う。

 ついてきていたリュートとトモミと一緒に、社長室に戻って、僕は時計を見ると、間もなく午後の4時になろうとしている時間だった。

「ゴホッ、ゴホッ」

「そう言えば、お前、今日これから、新作映画の試写会と、パーティーがあるんだっけ」

 エイジに言われる。

「ああ――その前に、帝国グループの会長から呼び出されていてな……先にそっちに顔出してから、そのまま会場に直行するから。悪いが今日はこのまますぐ行っちまうぞ」

 世界的宝石デザイナーの僕にとって、ハリウッドは重要なクライアントのひとつだ。僕の宝石の過去の顧客リストには、ハリウッド女優も沢山いるし、実際の映画で使われる、思い出の指輪とか、魔力を秘めた宝石だとか、キーアイテムのデザイン作成に携わったことも何度もある。

 今日は、全米で話題になった映画が日本初上陸する上、映画の出演者や監督が来日して、映画に携わった関係者内での特別試写会兼ハリウッドスターの来日記念パーティーが行われることになっている。

 パーティーは好きじゃないけれど、こういうパーティーに参加すると、宝石のオーダーメイドの依頼が舞い込んで、パーティー内で商談が始まるケースが多い。もう世界中に僕の名声は轟いているし、金持ちと直接会う機会というのは、僕の仕事にとって大事なことなのだ。

「で、明日は完成したアクセサリーを持って、お前は単身ベルギーに出張か」

「ああ、トモミさんもしばらくはお休みですね。といっても2日間だけだけど」

 そして僕の仕事だと、海外に出向く機会というのも、そう珍しいことではない。月の最低3分の1は、僕は日本以外の国にいるか、機上の人になっている。

 7年前に旅をしていた頃から、英語は完璧だし、ヨーロッパで生活していると、フランス語、ドイツ語の2つを話せると便利なので、フランスに渡った頃から両方勉強して習得済み。イタリア語、スペイン語、中国語も、商談で使えるレベルには至ってはいないものの、日常会話くらいなら十分いけるようには勉強している。おかげで商談相手が、ロシア語やポルトガル語しか話せない人でもない限り、基本僕に通訳はいらない。

 基本的にトモミは僕の海外出張中が休暇になる。毎日僕に合わせて出社していると、あまりに休めないためだ。出先なら仕事もほとんど決まっているし、基本的に僕の出張のほとんどが、長く滞在しても二日だから、その間に秘書の仕事はない。今回のベルギーにも、一日で仕事を終えたら、その日の夜には現地を発つ、慌しい出張だ。

「しかし――ここ何日か立て込んでいて、ほとんど家に帰っていなかったからな――荷造りとか、何もチェックしてない」

「荷造りなら、もう私が済ませて、社長のお部屋に用意してありますよ。航空機の予約も、現地のホテルも、全部手配済みです」

 トモミが言った。

「あ、そうですか。助かります」

 特別何も指示していなかったのだけれど、僕のスケジュールから推察して、しっかりそういうことはやってくれている。やはりトモミは、少し言動に問題はあるけれど、仕事では割と優秀だ。

「でも、あの日本一の財閥、帝国グループの会長から呼び出しか――一体何なんだ?」

 帝国グループは、工業や生命保険、不動産など、戦前から名を上げてきた、日本不動の大財閥グループだ。その会長と来れば、一言で言えば、日本一の金持ち――個人資産だけでも数兆、法人を合わせれば、数十兆円は持っているだろう。

「――さあな。僕、あの爺さんには、色々世話を焼かれてるしな。正直僕は苦手なんだけど」

 僕はそう言っておく。実際は呼び出される理由なんて、大体想像がつく。

「――しかし、偉くなったものだな」

 僕は呟いた。

「ん?」

「7年前、日本を出たときは、はっきり言って僕は全てを失ったし、旅先じゃ、誰からもろくに相手にされなかった僕が、今じゃ日本一の金持ちから直々に呼び出されるなんてな」

 7年前、日本を出た時、僕は旅人と言えば聞こえはいいが、実際は乞食だった。その僕が、今では売り上げ1兆円を越す企業の社長になっている……

「はは、だが、お前には力がある。そんなお前が寝る間も惜しんで仕事して、作った会社だ。それででかくならなかったら、それはそれで嫌だろ?」

 エイジが言った。

「……」

 ――実は僕は、ここ最近、自分の心が、『ある感覚』に強く支配されていることに、薄々気づき始めていた。

 家族に引導を渡しに行ってから、間もなくだ。その感覚を少しずつ感じ始め、その頻度は日ごと多くなった。

 この7年、ずっとあの家族のことを忘れたことはなかった。あいつらに自分の手で裁きを与えるために、僕は日本を出た。そのために必要なのは、力と大義だ。だから僕は、その二つを得るために、常に最良最善の行動を取るようにしてきた。結果的に僕は僅か7年で、売り上げ1兆円を越す企業を作り上げた。

 だが――最近仕事をしていると、よく分からなくなるのだ。

 何故僕はここにいるのか。何故僕がこんな仕事をしているのか。そもそもこの会社は、僕が作ったのか……

 自分の中の記憶の一部が欠落して、ゲシュタルト崩壊を起こしているような――なんだか自分の中の時間軸がずれて、いきなり今この場所、この時間に飛ばされてきたような、そんな感覚を、僕は最近、いつも感じている。

 ――一体何なんだ。この感覚は。

「だけど社長」

 トモミは言った。

「さすがにパーティーに、その格好で行くのはないんじゃないですか?」

 呆れた面持ちで、トモミは僕の姿を一瞥する。

 ここ3日、ほとんど不眠不休、家にも帰っていないから、元々薄いとは言え、髭も剃っていないし、風呂にも入っていない。おまけに僕が着ているのは、フランスにいた頃、120ユーロで揃えた、日本では就活生が着るような、ブランド名も不明の安いスーツだ。もう何年も着ていて、既に型崩れも起こしているけれど、僕は服装にあまり興味がないし、愛着もあるのでよく着ている。

「――帝国グループに行く前に、まずはお風呂と着替えですね」



 僕は一度、会社から5分程度の場所にある家に、5日ぶりに戻って、シャワーを浴び、それから運転手が運転する車で、ブティックに向かっていた。

「別に貸衣装でもいいのに」

「でも、社長はこれからパーティー行く機会、沢山あるんだし、買っちゃった方が、手間が省けますよ」

 車の後部座席で、トモミにそう指摘された。トモミとは反対側の僕の隣には、リュートもいる。

「しかし、社長って、本当に自分の服装に興味ないですよね。日本に帰ってから、ずっと働きづめですから、私服とか、一着も持ってないし、持っているのはスーツ数着だけですもんね。それも全部安いやつで」

「……」

「こう言うのも何ですけど、デザイナーとかから一番遠いキャラクターですよね、社長って」

「……」

 自分でもそう思っている。僕は宝石だけじゃなく、服飾や色彩、メイクなど、宝石を引き立たせるように、人を着飾る術も一通り、ブランドに籍を置いていた時期に勉強しているけれど、自分にそれを応用したことは、一度もない。

 元々貧乏育ちで、服だってほとんど自由に買えなかったし、ファッションに興味を持つ環境で育たなかった。昔からファッションにはあまり興味がないどころか、上っ面だけ着飾って、中身のない自分を隠すものという認識で、自分の求める『力』とは真逆のものとして、唾棄すべきものとして認識していたきらいがある。僕は外見の煌びやかさよりも、自分に降りかかる火の粉を払えるだけの中身の強さの方が、ずっと重要だったのだ。

――あれ……じゃあ僕、何故今、デザイナーなんてやっているのだろう……

「――別に他人がいい格好しようってことを、否定する気はないですよ。僕に今仕事があるのだって、その仕事に需要があるからだと思ってますし」

 言いかけて思う――何で僕は、自分の秘書に、こんな言い訳みたいなこと言ってるんだ?

「それは分かりますよ。だけどそれを社長が望んでいるかどうかは、別問題――ってことですよね」

 トモミは言った。

「じゃあ、社長の望んでいるものって、何なのかな、って、思って」

「え?」

 トモミの言葉に、僕はなんだか、自分の心臓を鷲掴みにされたように、胸に痛みが走った。

「なんだか社長って、自分のことに全く興味がないみたいで――特に最近は、そんな社長の表情に、陰りが見えることが多くなりましたから。なんだか心配で……」

「……」

 ――トモミも、もう見抜いていたのか。

 そう、今の僕は、自分自身に対しては、あまり興味がない。

 7年前、日本を出て、一人になってからというもの、僕は僕自身への興味を失った。自分の心の中を、あの家族への怒りが支配していて、それ以外のことを何も考えられなくなった。

 ただ、力が欲しくて、そのためにはどんな手段を使うことも厭わなかった。自分を二の次に置いてでも、僕はそれだけに没頭し続けてきた。

「……」

 ――ああ、そうか。

 僕にとって、グランローズマリーは、そんな時の僕がとった、手段の一つに過ぎなかったんだ。

 ただ単に、力が欲しくて、そのための最善の方法――

 それを持って、僕は家族への復讐を果たした。

 でも、僕は家族を強く憎む半面で、あの家族を自分の生きる意味にしていたんだ。

 復讐を終えて、僕にはそれがなくなり、あれだけ欲した力を得る手段であった、グランローズマリーと、この7年間、自分のことを全く顧みずに生きてきた自分だけが残った。

 7年振りに怒りと憎しみから解放された僕は、7年振りに自分のことを振り返る時間ができた。

 気がついたら、僕はでかい会社を作っていて、その会社のトップになっていた。

 でも、7年振りに自分を省みた今の僕には、あの時何の力もなかった僕が、何故こんな仕事をしようと思ったのか、はっきりと思い出せない。

 この7年間、僕はこんなにも、自分のことを見ていなかったのかと、愕然とした。

 家族に裁きを下してからも、変わらず僕の生活は慌しい。寝ることも、食べることも後回しで、力をつけることだけが全ての生活――ここ数日働いてみて、以前の僕も、7年間、多分こうして毎日、自分を痛めつけるようにして、力を欲していたのだろうと思う。

 以前はそれに耐えることが出来た。それに耐えるだけの怒りや憎しみが、僕を突き動かしていたからだ。

 だが――今はよく分からない。

 何故僕は働くのか、何故僕は生きるのか――家族への復讐を生きる意味にして、それ以上のことを何も考えていなかった僕は、今いる場所で、自分が何をすればいいのか、分からない。

 ――この虚無感のような思いを抱えながら、数日この仕事をしてみて、分かった。

 僕は多分、今の仕事を愛していない。

 トモミの言うとおり、僕には元々縁遠い世界――それでも、手段を選ばなかった頃の僕は、そんなことを気にしなかった。

 でも――今の僕には、仕事だけじゃない。私生活――自分の人生に、何の興味も情熱も沸いてこない。

「ふふ……」

 力ない笑みがこぼれてくる。

 ――皮肉なものだ。生まれた時からあれだけ恨み、呪い、憎んできた家族によって、僕は今日まで生かされてきたなんて。

 今更そんなことに気付くなんて。

 そして、そんな家族を失った今の僕は、この有様だ。自分自身には、何も残されておらず、自分の作った慌しい日々の流れにただ流される――そんな脆弱な人間に成り下がっている。

 ――だとしたら、僕はこの7年間、あの家族の掌の上で踊っていただけに過ぎなかったのか。

 今となっては、よく分からない。



 銀座の高級店で、僕はトモミにも見立てを手伝ってもらい、かっちりとしたタキシードに袖を通した。

「これでどうでしょうか。細身ですが、筋肉質のお体を綺麗に見せるつくりになっていますが」

「いいですね、これ、よく似合っていると思います。社長、これでどうでしょうか」

 店員とトモミが見立ててくれたタキシードを試着室で一式全て身にまとうと、店員とトモミが僕に賛辞を向けた。

「……」

 このタキシード1着だけで、数十万はする。そんな高級礼服に身を包んだ自分の姿を鏡で見ると、なんだか酷く自分が滑稽に思えた。

 僕は一体何をやっているんだろうと、自分の姿を見て、ふと思う。

 でも、大人になるっていうことは、きっとそういうことなんだろう。

 誰だって、働かずに遊んで暮らしたいだろうけど、仕事をして、下げたくもない頭を下げ、生きるためには、したくもないことも避けては通れない。

「……」

 ――そうか。僕ももう、いつの間にか25になっていたんだっけ。

 何だか、こうして鏡で自分の姿を見るのも、久し振りな気がした。


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