Interview
今僕は、宝石デザイナーとして、大きな仕事に取り組んでいる。
王国であるベルギーの王子が、結婚式を行うこととなり、その結婚式で花嫁を飾るアクセサリーの製作を、僕一人で承っているのだ。
総製作費用は80億。これが全てグランローズマリーに支払われる。その利益だけでなく、この結婚式は、日本ではそれ程話題にはなっていないけれど、ヨーロッパでは、割と大きなニュースとして取り上げられている。この結婚式で、成功を収めれば、今後他のEU各国からも、グランローズマリーへの利益が望める。それらを合わせたら、100億円以上の利益になる、大きな注文だった。
そのため僕は、一般業務の後、ここ3日間、毎日社長室にリュートと泊まりきりで作業していた。さすがにこれだけの値が張るものでは、一般業務の片手間では出来ない作業でもあるし、些細な失敗もしたくない。僕の会心の出来の作品を作る必要があったのだ。
「ゴホッ、ゴホッ……」
普段から、僕はそれ程睡眠時間は長い方ではないけれど、ここ3日間で、睡眠時間は3時間に満たない。おまけに寝ていたのは、応接室のソファーだ。さらに言えば、泊り込みに入る前も、先方からデザインのイメージを聞いてから、手書きのデッサンやCGでいくつか完成予想のイメージを作ったり、先方と綿密な打ち合わせのための資料を作成するために、相当の時間を要していた。
当然、80億円分のアクセサリーを製作し終えた頃には、僕は極限状態にいた。相当緻密な作業が続いたし、肉体的疲労も勿論だが、精神的疲労の方が大きかった。今日の早朝にそれら一式を作り終え、そのまま休む間もなく一般業務に突入。ようやく今日の一般業務が一段落したところだった。
「――おい。大丈夫か?」
社長室のデスクでぐったりしている僕に、エイジが声をかけた。
「――ああ。一時間も休めば、まだ大丈夫だよ」
僕はトモミの淹れてくれたコーヒーに口をつける。
「一時間って……ここ数日、ちゃんと食事も摂ってなかったし、ちゃんと栄養つけて、しっかり休まないと。2日くらい、休んだって……」
トモミが心配そうに声をかける。
「――ありがたい申し出ですが、今の仕事を先に受けた分、他の予約が少し遅れてますから。そんなに休んでいられないんですよ」
「……」
「まあ、できることなら風呂に入りたいというのだけはやぶさかじゃないけれど」
自分の状態が悪い時は、大抵自分の体か部屋が汚れている。僕はそれ程几帳面な人間ではないけれど、これだけは長年の経験から、自分の状態が悪い時は、すぐに整頓しておくことにしている。
折節、社長室に電話のコール音が鳴り響く。トモミがその電話を取った。
「――はい。はい……それは社長が、広報に返答を後で送るので、それをそのまま発表してくれって。はい、はい……」
2分ほどの応対で、トモミは電話を切る。
「ふーっ、やっぱり今日も社長への取材の以来が広報に殺到しているみたいですね」
トモミが僕に言った。
「ま、そりゃそうだな。しかしマスコミってのは、懲りずに何度でも来るんだな」
エイジも言った。
今グランローズマリーは、日本で一番ホットな企業のひとつで、話題に事欠かない。
3年前、イギリス王室のロイヤルマリッジで、大成功を収めた僕が、また王室の結婚式をプロデュースすることは、ファッション業界内では今年最大級のニュースだし、日本のみならず、世界中の業界人が僕に取材を求めてきている。
そして、もうふたつ――僕がこの1週間、仕事にこもりきりの間に、二つの大きな動きがあった。
ひとつは、スイスで行われる、世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーズに、僕が認定され、表彰を受けたのだ。略式ではあるけれど、称号の授与ももう済んでいる。
これは一言で言えば、グランローズマリーが、世界的企業として権威に認められたという一種の指標であり、僕が国を代表する経営者の一人に仲間入りしたということを意味している。起業して僅か2年での認定は、極めて異例のことで、アメリカの有名経済誌も、これを大きく特集していた。
そしてもうひとつは、グランローズマリーがマザーズに上場したこと。CEOが25歳での上場は、今まで26歳だった最年少記録の更新であり、こちらも最近経済誌が大きく取り上げている。
正直これは、上場の最年少記録更新という話題作りのためにやったことで、すぐに東証一部の上場を目指すつもりではあるのだけれど。
まあとにかく、これらの業績から、グランローズマリーは今、日本のリーディングカンパニーのひとつとして、多方面から大きく取り上げられているのだった。
「広報が連日対応に追われているみたいですよ。世界中から電話がかかってきっぱなしだって」
トモミは僕を見る。
「社長が表に出てくれたら、騒ぎも収まって、万事解決なのに」
「……」
「お前、何か外に自分の意見を言うツールを使えよ」
エイジも困ったような顔をする。
「お前、世間からすげぇ人気あるんだし、お前がもっと表舞台に出れば、会社のいい宣伝になるぜ。会社の宣伝費も浮くし、これを利用しない手はないってのに」
エイジの言うとおり、僕は日本に帰ってから――というより、イギリスで名を上げ続けてきた時から、表舞台で何かを発言したことはほとんどない。
僕の周りは色々と騒がしい。僕の口から7年前の事件の真相を語ってほしいというジャーナリスト、創業僅か2年で1兆円企業に仕立て上げた手腕から、何か手記を書いてくれという出版業者、会社のCEO、デザイナーとしての僕を取材して、ドキュメント番組を作りたいというテレビ屋など、僕の声を聞きたがる人間は、毎日のようにとっかえひっかえ、グランローズマリーの広報担当に電話をかけ続けている。それから僕はずっと逃げ続けているのだ。
新商品を発表するとか、新しい施設の建設予定とか、会社内でも色々と記者会見をすることもあるのだけれど、僕はそのほとんどをエイジに任せてしまっている。
僕が唯一日常的に自分の活動報告をするのは、会社内のホームページの、僕専用ページで、僕の作ったアクセサリーを写真でアップロードするだけ――カタログ代わりに写真を載せるだけである。
「――昔から有言実行って苦手なんだよ。政治家だって、そういう器量もないのに、明確な返答を求められて、無理に具体的なことを言わされて、自分で自分の首を絞めるわけだしな。今の段階で喋れることなんて、ほとんどないし」
「別に中身のない会見でもいいんじゃないですか? 社長のファン、いっぱいいるんだし、生の声を沢山聞けるだけでも、嬉しいと思いますよ」
それからトモミはエイジを見た。
「まぁ、こんな強面の大男よりも、社長の方がメディア受けはいいですよねぇ」
そしてエイジを揶揄するように言った。
「社長、何か7年前より、男っぽいっていうか――色っぽくなったし……」
よく聞き取れなかったけれど、トモミは何か呟いていた。
「悪かったな、強面で」
エイジは憮然とした。
「事実だけどよ」
しかし、そこはあっさりトモミの言うことを認めた。
「……」
トモミの淹れたコーヒーに、口をつける。
最近、胃が荒れていて、とてもじゃないが食べ物がほとんど喉を通りそうにない。自分の胃が食べ物を受け付けてくれる状態になっていないのがわかる。だからついつい、このコーヒーを何杯も飲んでしまう。
「でも……私はもっと、この社長の姿を、みんなに見てもらいたいです」
そんな消耗している僕を見て、トモミが言った。
「こんなに頑張ってる社長に対して、ひどいこと言う人、結構いるんですもん。社長の作った宝石は、全部別のデザイナーが作っていて、実際の社長はもうほとんど素人同然の腕しかないとか。社長のことを偽善者だって言って、毎日お金を贅沢に使って、アイドルとかを沢山はべらせて、豪遊しているとか……」
それを聞いて、エイジが頷いている。
「実際の社長は、こんな毎日働いてて、なのにお金なんて、仕事の割に、ほとんど貰ってないっていうのに……」
今日本では、納税額に基づく長者番付がなくなったから、僕の推定年収は世間ではほとんど知られていない。ただ、僕の年間でのアクセサリーの売り上げが1兆円以上の規模だといわれているだけに、僕の年収もすごいことになっていると思われているようだ。
だけど、実際の僕の給与は、宝石デザイナーとしての純利の、0.01%しか貰っていない。
売り上げが1兆を越しているといっても、宝石の原石は、もう地球上で発掘できるのは、30年前後でしかないと言われるし、金や銀は言わずと知れたレアメタルだ。そんな原料の値段を引いた純利は、当然1兆なんて額ではない。その0.01%なのだから、はっきりいって僕の年収は数千万でしかない。
そして、このグランローズマリーCEOとしての僕の給与は、月に僅か1万円だ。これは、僕に最悪何かあっても、リュートに最低限の食事を与えられる額ということで設定した。
でも、僕にとってはこれでも多すぎるくらいだった。リュートがまだ生きていて、今まで苦労をかけっぱなしだった年老いたリュートに、最後の最後までいい思いをしてやりたいという思いだけで貰っているだけ。ずっと貧乏暮らしに馴染んでいた僕は、風呂なしアパートにだって住めるし、贅沢をしようにも、特別したい贅沢もない。自分の時間なんていうものがほとんどなかったから、金をかける趣味もない。酒を少量飲むだけで、煙草も吸わないし、嗜好品もいらない。女もいないし、個人、法人共に借金もない――リュートがいなかったら、僕の生活は年収300万でも十分すぎるほどだった。
「社長、私……すごく悔しいんです。社長、毎日こんなに働いてるのに、そんなことをいう人がいるのが。だから社長に、もっと表に出てもらって、そういう人達に、社長のこと、見せてやりたいんです」
「同感だな」
エイジも頷いた。
「俺らだけじゃなく、この会社の社員にも、お前の現状にやきもきしてる奴、いるはずだぜ。俺の才能はお前に遠く及ばないこと、社員はみんな分かってるんだし、社員だってお前の言葉を待ってるんだ。だからお前も、少しは自分の意見を伝えてくれよ」
「……」
僕は黙って、二人の言葉を拝聴していた。同時に、何も答えないことで、僕は二人の言葉を黙殺した。
「――はぁ」
やがてトモミはため息をついた。
「――何だか、この会社が大きくなるごとに、社長はどんどん不幸になっていくみたい……」
「……」
切なげな響きを残す、トモミのその小さな言葉が、脳裏に残留した。
この二人は、今の僕が何も知らない人間から悪評を叩かれるのが耐え難いようだ。
そんな近しい人の願いを聞き入れてやりたいという思いもないわけではないし、僕の過去の雷名を考えれば、僕が表舞台で何かを言うことは、会社の宣伝にもなるし、多くの人にプラスに働くことも分かっている。
でも、それでも僕は、表舞台に立つことは出来ないのだ。
だって、そんなことをしたら……