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Idol

「しかし、まさかたった2年で売り上げ1兆を越すなんて思わなかったよな。こんな雑誌に俺達が『正義の味方』なんて言われてよ」

 エイジは嬉しそうに言った。

「俺達、じゃないわよ」

 トモミがそんなエイジを一瞥した。

「そこに書かれているのは、うちの会社のことじゃないわよ。全部、社長一人のこと」

「……」

「この会社を2年で1兆円企業にしたのも、この会社が『義賊集団』なんて呼ばれるようにしたのも、全部社長一人がやったの。私達はそんな社長の指示に従って、駒になっただけ」

「……」

 エイジは僕の方を見る。

「――確かにな」

 それから僕に軽く頭を下げる仕草を見せる。

「全部ケースケのおかげだ。これまで一度だって、ケースケの経営が間違ったこと、ないもんな。ケースケがプロデュースするものは何だって売れたし――そんなこと,他の誰にもできないよな」

「……」

 7年前、中国に渡った僕は、そのまま西へと進み、東南アジアや中東諸国を旅して回った。

 その時見たのは、壮絶な人間の生の営みだった。

 食べるものもなく、常に飢えている人間。文字を知らない人間。親元を離れて、ゴミ山で働く小さな子供、売春宿で日本人客の相手をしている少女。

 性の知識なく妊娠した子供達は、医者にもかからず、まるで犬猫のように子供を産む。しかしその子供達も、不衛生や知識不足、栄養不足が重なって、大部分が歩くこともないまま死んでしまう。独裁者に思想教育までされ、言論の自由もなく、独裁者の著書が学校の教科書になっている国なんてのもあった。

 様々な問題を、国ごとに抱えていたけれど、どれも共通していることは、持たざる者が圧倒的に支配者層によって搾取されていることだった。抗う力もなく、そもそもそんな思想を持つ環境に置かれず、無知ゆえに劣悪な環境を恨みもせず享受するしかない。

 その一方で、ろくでもない支配者は、その手に余るほどの金を持っていて、どんどん肥え太る。その金さえあれば、貧しい人たちがもっといい暮らしが出来、教養だって身につけることができるのに、金はそんな一部の人間の金庫で持ち腐れているか、政治家が無能な政策であぶく銭のように消費してしまうか、どちらかだった。

 僕自身も、力がなく、未成年という立場から、馬鹿な連中に沢山のものを搾取され続ける半生だったから、旅をした国々の、そんな無力な人間の苦しみに、目を背けてはいられなかった。

 そんな思いが胸の奥で、言葉に出来ない憤りとして胸を暖めていた頃に、イスラエルで宝石のデザインの話を聞いて、これだ、と思った。この石で、金持ちが持ち腐れさせている金を引き出させ、それを貧しい人間に分け与えるシステムを作ろうと思った。そうすれば、きっと僕自身、僕を信じて見送ってくれた、友への返盃になるのでは、と思った。

 それから今に至る5年間――最初の3年は、そのための力を得ると同時に、自分の名前を世界中に売ることに全てを費やした。幸運もあって、3年でその作業が終了し、僕はすぐに次のステージ――この会社、グランローズマリーに登ることが出来た。

 でも、まだまだこれから。

 まだ僕には、やらなくてはいけないことが……

「――ゴホッ、ゴホッ」

 僕は咳き込む。

「社長、またその咳してますね」

 トモミは心配そうな面持ちで僕を見る。

 まただ。最近たまに胸が苦しくなって、咳き込むことがある。

「一度病院に行った方がいいぜ、それ」

 エイジも自分のデスクでコーヒーに口をつけながら言う。

「――大丈夫だよ。そんな大したことじゃないし」

 僕は自分の椅子に座り直す。

「すみません、コーヒーおかわり貰っていいですか?」

 僕は自分のコーヒーカップをトモミに差し出す。

 トモミの淹れてくれるコーヒーは、とても美味しいから、飽きもせず、何度もおかわりを頼んでしまう。僕がコーヒーを沢山飲むのを知って、トモミが豆を自分で選んでくれたらしく、それを挽きたてで淹れてくれるのだ。淹れ方も相当研究したんだとか。

「社長、それを飲んだら、一度スーツに着替えてくださいね」

 トモミが、コーヒーを注いだコーヒーカップを僕に差し出しながら、言った。

「13時に、芸能プロダクションの方が契約に来ますよ」

「あぁ――そうでしたね」



 グランローズマリーも、これだけの企業になると、やはりアイドルや映画などのタイアップ作品を作る機会も多くなる。

 今回は、現在一番人気のアイドルが出演するドラマとのタイアップ商品だ。そのテレビCMを作るために、アイドルの所属事務所との契約が、調印を残すのみとなっていた。

「じゃあ、この契約書にサインを」

「はい」

 僕は応接室で、スーツ姿の男から書類を受け取り、ペンを走らせる。僕のソファーの隣には、副社長のエイジもいる。そして僕達のソファーの後ろに、トモミは立って待機している。僕の座るソファーのすぐ隣には、リュートがお座りの形で待っている。

「ふふ、でも、嬉しいなぁ。今好感度抜群の会社のCMに出られるなんて」

 そのスーツの男の隣のソファーには、顔立ちの整った、笑顔がもう顔の皴まで染み付いているような少女がいた。

「しかし、CMの契約の段階で、出演者にここまでご足労いただくとは、珍しいですね」

 僕は言った。

 スーツ姿の隣にいる少女は、この契約の後製作されるCMに出演するアイドル本人だ。彼女と、スーツの男――芸能プロダクションの重役の座るソファーの後ろには、彼女のマネージャーらしい、気弱そうな男が立っている。

「だって私、サクライ社長に会ってみたかったんですもの。私達の世代では、サクライ社長は憧れの存在ですから」

 アイドルは僕に笑顔を投げかける。

「……」

 僕は契約書に社員を押し、契約が成立する。

「じゃあ、これで。契約料の支払いは、撮影が始まったら……」

 僕は書類を目の前の男に返す。

「いや、よかった。うちとしてもグランローズマリーさんと仕事ができるのは、大きなメリットがありますからね。これからもよろしくお願いします」

 スーツ姿の男は、僕に握手を求めてきた。僕はその手を握り返す。

 義賊集団、正義の味方ともてはやされるこの会社と一緒に仕事をするのは、相手方にとっても、自分の会社のイメージアップが大いに見込める。

 そのため、この会社と仕事をしたいという会社は今、星の数ほどいる。

「でも、サクライ社長って、素敵ですね」

 隣にいるアイドルが、僕の顔をしげしげと見つめる。

「昔よりも、何だか男っぽくなったけれど、なんか女性的な優しさが残ってて――物静かで、サッカーをしている時とは別人みたい。ギャップがあって、何か、すごく魅力的ですよね」

「そうでしょうか。ありがとうございます」

 僕はアイドルに会釈を返す。

「サクライ社長、ちょうど今、お昼時ですし、よかったら一緒に、ランチ、行きませんか? CMも社長がどんなイメージのCM作りたいか、聞いておきたいし」

「お、おい……」

 後ろにいたマネージャーが当惑した表情を見せる。

「――大変ありがたいんですが、実は14時から重役会議がありまして……」

 そう言ってから、僕はエイジの方を見る。

「そうなんですよ。ちょっと今、色々仕事が立て込んでいる状態なので」

 エイジもそう述べる。

「――そうですか」

 アイドルは少しがっかりしたような面持ち。

「あ、じゃあもしよろしかったら、アドレス交換しませんか? 今度うちでやるホームパーティーにご招待しますよ。他のアイドルの娘も、いっぱい来ますよ」

 話題を変えるように、アイドルは僕に微笑みかける。

 後ろにいるマネージャーは、気が気ではない面持ちだ。そりゃそうだ。イメージが売りのアイドルが、こうして男のアドレスを聞くなんて、今後の仕事に影響しかねない。

「――すみません。今、僕の作る宝石は3年先まで予約が埋まってて。今はそれをさばくので、スケジュールがタイトで……だから、多分お招きに預かることは出来ないと思います。何度も誘ってもらって、その都度断るのもなんですし」

「……」

「――じゃあ、お見送りしますので、こちらへ」

 そう言って、僕は席を立つと、3人をエレベーターの前まで見送る。トモミはエレベーターの操作と、会社の外まで見送るために、エレベーターに乗って、3人と一緒に降りていった。

 僕はその間に、ネクタイを緩めて、自分のデスクの上にある、竜胆の花が一輪生けられた花瓶の水を取り替えた。リュートも僕のデスクの隣に来ていて、僕は頭を撫でてやる。

 そこまですると、トモミが戻ってくる。

「ご苦労様です」

 僕はトモミに会釈する。

「……」

 しかしトモミはしげしげと、僕のことを窺っている。

「――しかし、相変わらず、取り付く島もないねぇ」

 エイジが自分のデスクから、僕にそう言った。

「え?」

「あのアイドルの娘の誘いを断るなんてさ。今一番人気だってのに。あの娘と一緒に食事したいって男、今日本に山ほどいるのに、しかもその娘から誘ってくれたのに。もったいないことするなぁ」

「……」

「しかも、これから会議があるなんて嘘ついて――」

「……」

 本当は、これから会議なんてない。さっき言ったことは、適当な方便。エイジもそれに口裏を合わせてくれただけ。

「アイドルが男と一緒に外を歩いたら、彼女の営業妨害になりかねないからな。後ろのマネージャーも心配そうにしてたし。だからだよ」

「いや、あのアイドルの娘はそれでもお前と知り合いたかったと思うね。多分あの娘、お前に惚れてたぜ」

「え? そうなの?」

 僕は首を傾げた。

「……」「……」

 トモミとエイジは揃って僕に、呆れるような表情を向ける。

「――鈍感過ぎ」

 トモミは呟いた。

「お前、いい女と知り合うチャンスが多いのになぁ」

「……」

 世界的宝石デザイナーなんてやっていると、僕は必然的に女性と仕事をする機会が多くなる。モデルやアイドル、女優と会うこともそう珍しくないのだ。最近は宝石だけでなく、もっと安価な大衆向けのアクセサリーをプロデュースすることもある。

 僕は天才実業家、天才宝石デザイナーという肩書きと共に、天才プロデューサーとしての名前も有名だ。僕がプロデュース、プロモートするものは、物でも人でも必ず売れる。僕の手腕に加えて、僕の過去のネームバリューがあれば、鬼に金棒。さっきのアイドルだって、僕にもっと売り込んで欲しいと思って、芸能プロダクションがうちの会社に話を持ち込んだのだろう。本当はトップアイドルを宣伝に使うと、宣伝費がかさむから、こういう仕事には自分からはほとんど手を出さないんだけれど。

「あぁ、しかし、そろそろ腹も減ったな」

 エイジは自分の腹を、その大きな手でさすった。

「あのアイドルの娘には悪いが、昼飯行こうぜ」

 エイジは自分のデスクを立った。

「いや、僕はいい。ちょっと今作ってる指輪、作業の途中だし、今日中に仕上げたいんで。二人で行って来いよ」

「またですか? そう言って食事も取らずにいつも働いちゃうんだから」

 トモミは少し怒ったような顔をする。

「会議のことは嘘ですけど、実際僕の宝石の予約が3年待ちだっていうのは本当ですしね」

「でも、社長は働き過ぎです。ここ1年、完全に休暇をとった日なんて、一日もないじゃないですか。せめて食事くらい、ちゃんと取ったら……」

 トモミが言いかけて、言葉を止める。

 エイジがそう言うトモミの肩に手を置いて、トモミの言葉を制したからだ。

「お前も昼休み、今のうちに飯を食っとけ。行くぞ」

「……」

 立ち上がって、スーツの袖をまくる僕を見ながら、トモミはしばらく黙っていたが、やがて立ち上がり、エイジと共に部屋を出て行った。

「……」

 リュートと二人になって、社長室は静寂に包まれる。

「――さて。やるか」

 僕は手の関節を回し、軽く伸びをすると、リュートと一緒に作業室に入って、自分の作業工具のはいっている鞄から、ヘラとヤスリを取り出し、席に着いた。

「ゴホッ、ゴホッ……」

 咳が出たけれど、僕は気にせずヤスリを手に取る。

 ――遊んでいる暇なんてない。

 僕はこれから、示さなければならないのだから。

 友に報いるためにも、僕は友が信じてくれたことに足る人間にならなければならないのだから。

 今の僕達は、遠く離れてしまっているけれど、それでも僕はあいつらを、今でも友だと思っているから。

 アイドルなんかと遊んでいる暇はない。愛する人だって、僕をああまでして守ってくれたのに、それを忘れて、女遊びもないだろう……

 この数年間、とにかくそんな自分になりたくて、せめてそれに報いる道を歩きたくて、必死にやってきたのだから。


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