Robin-Hood
前回の説明である程度察した人もいるかもしれないけれど、僕はいわゆる青年実業家という肩書きの他に、もうひとつの肩書きがある。
そう、天才宝石デザイナーという肩書きである。
グランローズマリーの社長室は、そのワンフロアを大きく3つの区画に分けている。
中央が今僕達3人のいるデスクルーム。ここでは一般業務を執り行う。簡単なシステムキッチンも会って、トモミはここでコーヒーを淹れてくれたりするし、料理をするのも可能だ。
入り口から見て左手に区画されているのは、客を招くための応接室だ。当然会社のトップが招く客の部屋なのだから、ここでは主に、大規模な商談や、契約のサイン、調印等が行われる場合が多い。必然的にここに来る客は、セレブか有名人になるため、間取りを広く取った、ゆったりとした空間を作っている。
そしてそれとは逆の、右側に区画されているのは、僕の作業室。ダイヤモンドカッターや研磨機など、宝石を加工するための特殊工具が置かれている、宝石デザイナーとしての僕の仕事部屋だ。一応僕の借りているマンションでも、簡単な作業を行える作業室はあるのだけれど、基本的に僕はここで宝石デザイナーとしての作業を行い、この会社にいる時は、ほとんどこの部屋にこもりきりだ。宝石精製用の工具の他にも、モニターが3つ設置されている。
僕は自分の左耳に、器具を取り付ける。これはいわゆるイヤホン型電話で、僕宛にかかってくる電話を、受話器を持たずして会話できる。回線はトモミのデスクにある電話とリンクしていて、トモミの操作でこのイヤホンにかかってきた電話を取り次ぐ。
作業室に3つ並んで設置されているモニターは、中央のそれが社長室、両脇がこの20階建てのビルの各フロアに設置されているカメラにつながっていて、これもトモミの操作で画面を切り替えてもらう。映像を見なければ判断できない案件や、僕の見たいデータをこのモニターに回してもらうのだ。
エイジとトモミを残して、僕はリュートと共に、作業室に入る。
作業室には小さなロッカーがあって、そこにはジーパンと長袖Tシャツが入っている。作業中は、スーツ一式だと邪魔で動きにくいのでこの格好だ。会社にいる時は、スーツよりもこの格好でいる時間の方が圧倒的に長い。だから僕は別にスーツに対して頓着はないのだけれど、トモミにはよく、皺だらけのスーツばかり着て、と怒られている。
社長室にも、業務開始時間を告げる、何とも緩やかな音楽が流れる。
「さて、はじめるか……」
僕は昨日のうちに、密度や質量を既に測り終えているサファイアの原石を手に取った。
作業代の横のパソコンには、完成予定のCGが製作されていて、まずはこれを見て、精製のイメージを練る。
「社長」
折節、作業室の外から、トモミの声が聞こえてくる。向こうにこちらの音はほとんど聞こえないのだが、向こうからこちらの音はよく聞こえる壁の設計だから、部屋を隔てていても、声はよく聞こえる。
「14階企画部から電話です」
「分かりました。繋いでください」
「社長、私、14階企画部の……」
耳に入れている電話に、音声が流れてくる。
作業室のモニターに、電話相手の顔が映し出された。
「あぁ、企画書を見たが、もう一度赤紅商事に行って交渉のやり直しです。あの商品があの会社にどれだけの利益をもたらすか、ちゃんとデータを洗ってください。エイジ、赤紅商事の企画書をファイルから出して、それを僕のいうとおりにするんだ、いいか……」
僕は自分の作業をしながら、エイジに作業を指示する。指示を出し終えるとすぐにキャッチで別の電話が来る。僕はダイヤモンドカッターを操りながら、応対する。
「あぁ、その株は11500円を切ったら即51%買い叩いてください。エイジ! トモミさんのチェックするナスダックの額をお前もちゃんとチェックしていろ。企画書の手直しは終わったか?」
「う、あ、ちょっと待ってくれ。もう少し……」
「遅いぞ! その作業ならあと1分は短縮できる」
「すまん!」
「トモミさん。日経平均は?」
「どうやら昨日のドル安が影響してるのか……上昇してますね。平均すると前日比15円高です」
「わかりました。エイジ。終わったらメールを読み上げろ」
「あぁ、待ってくれ! モニターに回すか?」
「今こっちも目が離せない段階だ。読めば頭に入るから、声に出して読め」
このように、僕は毎日、宝石の精製をしながら、一般業務を担当している。
エイジは僕のすべきデスクワークを、僕の指示でこなすのが日課。まだ僕の支持に追いつける処理速度はないけれど、これだけやってくれれば上出来だ。2年間こいつを鍛えたが、ようやく仕事が僕の思考を止めないようになって来た。
トモミは株価や指数など、僕の記憶だけでは追いつけない、常に変動する数字や、僕の分単位で刻まれているスケジュール、一日の時計に常に目を配るキーパーをやっている。僕の耳についている電話の回線切り替えや、作業室のモニター切り替えも、トモミのパソコンが行い、僕に回している。その作業も早いと言えば早いけれど、一騎当千の僕のスピードには、まだ追いつけていない。
「エイジ! 添削しながら狙っている会社の株価をチェックしていろ! おそらく別の会社がこちらの狙いの株を狙っている。指定の額を切ったらアラームが鳴るようにセットをし、それが鳴れば取引チームに連絡する必要は無い、お前が買い取り手続きをしろ。あらかじめその旨を、取引チームに伝えておけよ」
「あ、ああ! 悪い! まだ異常はない! あったらすぐに言う!」
この通り、僕はモニターを見ることはあるけれど、それはめったにない。朝の時点で昨日一日、グランローズマリーの全業務がどう動いたか、頭に叩き込んである。こうして宝石加工をしながらも、指示を出せる器用さも兼ね備えている。
出来れば社員全員、自分で考えて仕事をしてほしいが、僕の最高決定が必要な業務が、まだ創業2年の若い会社では、どうしても多くなってしまう。まだこの会社の地盤はゆるいのだ。
そんな業務を終えて、仕事がいったん昼休みを迎える。
「社長、お疲れ様です」
トモミは作業場から出てくる僕に、アイスコーヒーを差し出した。僕はこの仕事を始めてから、コーヒーを非常に多飲するようになった。デスクワークだけの日があれば、一日10杯は飲む。
とりあえず僕は一日のはじめに、こうした宝石作業とデスクワークを兼任している。両者に集中を払っているため、8時から12時までの4時間で、肉体的にも精神的にも大きく消耗している。
一緒に作業室を出てきたリュートに、缶詰の餌と軽く温めたミルクを与えると、僕は自分のデスクに座った。
「……」
画面に映し出されている株価を示すグラフ。株式市場も昼休みに入ったため、グラフは一度中断されている。
「ケースケ、すまん。今日はお前の仕事に完全についていけなかった……」
エイジが僕の横で、頭を下げる。
「エイジ」
僕はアイスコーヒーをストローで飲みながら、左手でパソコンを操作し、今日の仕事状況をチェックする。
「もう社員は数千人になった。そしてお前はその中の副社長だ。仕事が出来ない人間が副社長にいると、不満がを言う奴がいても当然だ。だからこうして毎日お前を鍛えているんだが……もうちょっと仕事を早く、全体的な視点で仕事を見渡せるようにならないとな」
「……」
「だが――進歩したじゃないか。今日の作業は今までで一番早かったぞ。特にキングストン証券の案件の処理は迅速でよかったぞ」
「あ、ああ」
僕からの賛辞を受け取って、エイジは少しかしこまった。
「よかったじゃない。社長に誉められて」
僕がもう一杯コーヒーを飲む事を知っているから、トモミは代わりのコーヒーを持ってきていたところだった。
「あ、そう言えば、今月の経済誌、読んだか? 今月もうちのこと、かなり紙面割かれていたぜ」
そう言って、エイジは自分のデスクの引き出しから、真新しい経済誌を出して、僕のデスクに置いた。トモミもそれを見て、僕のデスクに寄ってくる。
『義賊集団グランローズマリー、遂に売上高1兆円を突破
民衆の強い味方、グランローズマリーの快進撃が、今後も日本を席巻しそうな勢いだ。創業2年で、同社の売上高は1兆を突破した。
グランローズマリーの最大の特徴は、世界一の宝石デザイナーでもある、CEO、サクライ・ケースケ氏(25)の、年間2兆円といわれる宝石デザイナーとしての売上げの大部分を、そのまま本社の事業に投入している点にある。海外セレブや貴族王族に宝石を売りさばいてお金を得、そのお金で事業を展開する、全く新しい経営スタイルを展開している。
同社は、食品、衣服、家具など、庶民のライフワークに携わる、ありとあらゆるショップの並ぶショッピングモール『ローズストリート』を全国に展開しているが、この『ローズストリート』に並ぶ商品は、軒並みびっくりするほど安く、また質がいい。連日『ローズストリート』はお客がごった返し、中には車で2時間かけて通い詰めるお客もいるとか。夕方には商品がなくなり、早仕舞いしてしまう店も跡を絶たない。
また、この『ローズストリート』は、店を持ちたい人間にも大きく支持されている。普通デパートやショッピングセンター等で、販売スペースを設けた場合、そのテナントはデパートやショッピングセンターに、売り上げの数%を支払うことに鳴る。通常この場合、その相場は15~20%、安くても12%程度が限界とされているが、『ローズストリート』の場合、そのテナントは5~7%でテナントを借りることが出来る。つまり、通常のテナントを借りるより、1割ほど多く、店主が利益を得ることができるという仕組みだ。その分競争率は高く、審査も厳しいが、確実に儲けが出る『ローズストリート』にテナントを持ちたい優良店主は今もグランローズマリーと交渉しており、今後『ローズストリート』には、さらによい商品が安く買えるようになるかもしれない。
まさにグランローズマリーは、持たざるもの、弱きものへの『正義の味方』のような存在である。
『お金は金持ちから取り、貧乏人からは取らない。金持ちが持っていたお金を、多くの人に還元する』――グランローズマリーの経営理念が打ち出されて、もうすぐ2年。事実この2年で消費者の思考が変わり、お金の循環が国内で盛んになったことで、日本の契機は2年前と比べ物にならないほど改善され、消費が増えたことで、失業率も2年前から0.8%も改善、国民一人当たりのGDPも軒並み上昇している。
政治家の衆愚政治に絶望感が広がっている昨今、今日本は、この若干25歳の天才実業家の手によって、日進月歩で変革している。かつて『平成の臥龍』『時代の寵児』と呼ばれたまま、悲劇によって日本を去った、稀代の天才、サクライ・ケースケ氏。7年の時を経て、彼は我々の救世主となって帰ってきた』
「今日もべた褒めですね。うちの会社のこと」
トモミが言った。
「……」
このグランローズマリーには、様々な売りがあるが、この会社が他の企業と一線を画す最大の特徴は、僕の宝石デザイナーとしての売り上げにある。
僕は独立した頃から、欲しい人間に合わせて、オーダーメイドでアクセサリーを作るという活動をしている。イギリス皇室の結婚式の直後から特設したサイトで、世界中の人間がそれを予約できるようにしているのだけど、その時から現在に至るまで、その予約は3年先まで埋まっている状態だ。
僕の宝石を買うのは、雑誌の通りハリウッドスターや世界的企業の社長、石油王や貴族皇族などで、惜しげもなく金を使える人間ばかりだ。
そうした世界中の金持ちから宝石を売って集めた金を、僕は会社に投入している。雑誌では「大部分」としか紹介されていないけれど、正確な数値をいえば、僕が投入しているお金は、僕の宝石デザイナーとしての売り上げの、99.9%である。
それを常に投入しているのだから、当然この会社は創業2年で1兆円の売り上げを出しているのに対して、安心の無借金経営。
その上、そのお金を利用すれば、会社で取り扱う商品を、限界を超えて安くしても、十分利益が出る――と言うわけだ。
当然僕も、会社の運営資金になるのだから、宝石は最低でも億以上のものでなければ作らない。僕の作った宝石を、一般庶民が手にすることはほとんど出来ないけれど、はじめからそうして金持ち限定の商品にすることで、最も効率よく金を集められる――年間売り上げ1兆円なんてことも可能になるわけだ。
昨日、僕が自分の生まれ育った商店街の人達から『正義の味方』といわれたのはこのため。
生活必需品の全てを取り扱うこの会社は、それ程裕福でない人にとっては、貴重なライフラインなのだ。うちの会社の商品で、貧しい人の生活はより豊かになり、他のことに使えるお金も増える。そういう人達がお金を使うことで、お金が国内に循環し、景気がよくなり、消費が増え、失業率も改善する。ますます国は豊かになる。
このシステムこそ、僕が宝石デザインを勉強した時に考えた、僕の長年の目標だった。
そして、それが現実のものになった今、僕は大衆の『正義の味方』になった。
この話では、イスラエルでダイヤモンド鉱山の持ち主にケースケが見込まれたということになっていますが、イスラエルで宝石ルートを手に入れ、日本で起業した宝石チェーンというのは、日本に実在します。名前は忘れましたが…
昔「ぷっすま」という番組で、その企業の社長の豪邸訪問をやっていて、それを見て、何となく作者の想像とミックスして、作ったのが、この第3部と、グランローズマリーという会社です。