Consolation
僕とトモミは、リムジンで川越まで送ってもらうと、あとは自分達で歩くと言って下車し、運転手を見送った。
今の時間は午後の2時を回ったところ。9月の残暑も和らぎ、青空と、少しの雲が、少しくすんだコントラストを生み出して、雲ひとつない快晴よりも、古い街並みのよさを引き出している。
丁度昼食時を過ぎた頃で、トモミをさっきまで待たせていた分、彼女にお昼を食べさせていなかったので、僕はトモミと一緒に鰻屋にやってきた。海どころか湖もないくせに、川越は鰻が割と有名なのだ。勿論僕はこの街に住んでいた時、常に貧乏の極みだったので、こんなセレブなものを食べたことはなかったけれど。
「ふふふ……」
僕と向かい合って座るトモミは、鰻を食べながら、妙にニコニコしていた。
「――随分御機嫌ですね」
はしゃぐトモミを見て、僕はそう言った。――まあ、特上鰻重に肝吸いまでご丁寧に奢って、不機嫌な顔をされても困るけれど。
「だって、久し振りに平日に羽を伸ばせるんですもん。社長と一緒だと、なかなか休みが取れないし――」
「――でも、折角休みになったのに、僕と一緒にいたら、同じなんじゃ……」
僕がそう言うと、トモミはあからさまに渋い顔をした。
「あ、あの……それは……」
トモミは急にあたふたする。
「こんな辺鄙なところ、ヨシザワさんには退屈でしょう……両親共に金持ちで、海外旅行にも沢山行ったでしょうし」
トモミの父親は、メガバンクの重役、母親は都内でレストランを4店舗経営する女社長だ。小学校から大学までエスカレーター式のお嬢様私立に16年通っているというのだから、彼女の小さい頃からの生活水準が窺える。
この川越だけじゃなく、埼玉県自体が、東京に住むだけの生活水準が維持できない人間が集まる場所だ。トモミの今までの人生とこの街は互いに全く関係ない場所にいるというのに。
「ど、どうせ家族と会って、気が滅入っているんでしょうから、一人でいるときっともっと気持ち沈みますよ。だ、だから、社長の気慰みに付き合ってあげようかと思って」
「……」
「そ、それに、私も暇が潰れますし。よいことずくめです」
トモミはぎこちなく微笑んでみせる。
「……」
そんな気慰みで、特上鰻重奢らされたのか。随分と高くついたな。
でも――確かにそうかも知れない。家族にあんなことをした後、パーティーなんかに出て、はしゃぐ気にも、特に親しくもない人と会いたい気分でもなかったけれど、何となく一人でいると、いらぬことを考えてしまいそうだ。
だったら、少しでも気心の知れている人が一緒にいるのは、少しは気が紛れるかもしれない。本当は、あいつがいてくれればよかったのだけれど……
「――そうですか。分かりましたよ。僕の勝手で女性を一人ここで放り出すのも何ですしね」
僕は呆れ半分にそう言った。
「――微妙に、分かってない……」
「え?」
急に沈みこんだ表情で呟いたトモミの言葉を、上手く聞き取れず、僕は訊き返す。
「何でもありませんっ」
トモミは僕からぷいと目を背ける。
「何怒ってるんですか。さっきまで機嫌よかったのに」
「怒ってません!」
「……」
いつもこんな調子だ。トモミは何だかよく分からないけれど、僕と一緒にいると、急に機嫌が悪くなる時がある。
仕事は優秀だし、気配りも出来る女性なのだけれど、そこが玉に瑕だ。
「社長、それに私のことは、名前で呼んでくださいって、何度も言ってるじゃないですか」
やれやれ――この娘といると、物思いに耽る暇もないな……
「……」
僕は市街地に戻り、僕の生家跡に来ていた。
僕の生まれ育った家は、居住区は完全に破壊されていたが、文化財に指定されているから、芋菓子屋だった店の方は完全な取り壊しは出来なかったようだ。店は中が空っぽになっていて、テナント募集中の札が貼られていた。
こうして7年もの間、この家は空き家のままらしい。それはそうだ。こんな観光客がごった返す一等地とは言え、買い手がつくわけがない。
商店街の人間は、この家を丸ごと壊したかっただろうと思う。7年前の僕が日本中にその名を轟かせ、商店街もその効果で、観光客を大幅に増やしただろうけれど、その矢先に、僕の家族のあの行動だ。それに僕も、暴力でそれに応えてしまった。この家を残しておくには、僕達一家の残した汚点は、あまりに重過ぎる。商店街にとっても、この家はもはや負の遺産でしかないのだ。
「社長が日本を出てからも、この街ではデモが続いて。日本中で、社長を保護しようって動きが起こって、警察と沢山の人が衝突して――毎日のようにニュースでやってましたよ」
店の前で立ち尽くす僕の隣で、トモミは言った。
「……」
あっけないものだと思う。
自分があれだけ、ここから出たいと思っていた家が、こんなにも簡単に壊されて。
だとしたら、そんなことで生まれた時から18年も苦しみ続けた僕は、一体何だったんだろうと思う。
今なら、あの時こうしていれば――そんなことがいくつも思い浮かぶ。
臥龍とか、天才とかいわれていた僕だけど、結局あの頃の僕は、何も知らない子供だったんだな、と、改めて思う。あの頃の僕にできないことが、結束した大衆の力ならできる。
きっと日本に残っていたら、僕もその大衆の言葉や行動に流されるしかなかったのだろうか。今となっては、よく分からないけれど……
「あれ? ケーちゃん?」
ふと、僕達にかけられた声。
「やっぱり!」
僕は振り向くと、白髪の混じった頭の、小さな叔母さんが一人。見覚えのある顔――商店街でお世話になっていた、洋食屋の奥さんだ。
「ああ――ご無沙汰してます。おばさん」
僕は頭を下げる。
「ケーちゃんだって?」
「ケーちゃんが帰ってきたの?」
その声を聞きつけ、平日で観光客もまばらだった商店街に、とたんに人だかりが出来始めていく。人だかりを見て、それに興味を持った人間が次々集まってくる。
「す、すごいな……」
「本当。こんなことってあるんだ……」
隣にいるトモミも呆れ顔だ。
集まってきた人々は、ほとんどが見知った顔だ。商店街でコンビニのアルバイトなんかしていると、必然的に商店街に顔が利くようになるのだ。
「ケーちゃん、随分立派になって……まあ、ここ5年くらい、ケーちゃんがすごい活躍を見せていたのは知っていたけれど」
「どうも」
僕は頭を下げる。
「しかし――」
人だかりの中にいた老人が一人、神妙な面持ちでいう。
「すまなかったな。われわれは君に色々世話になりもしたのに、君の力に何もなってやれなくて」
「本当。よく考えたら、ああやってコンビニで毎日バイトしてるなんて、不自然よね。なのに……」
とたん商店街の面々も、神妙な顔をする。
「――いいですよ、それはもう。僕も口にしなかったんですし」
僕はその話題から離れようとする。
「ったく、ケーちゃんのあのバカ親ども、俺達のことも騙してやがった。ふざけやがって……あんな連中を信じていた自分に今でも腹が立つぜ!」
「本当ね。人当たりよかったから、まんまと騙されたわ。子供を海外に売り飛ばそうとするなんて、人間じゃないわよ、あの人達……」
「……」
商店街の人達にとって、僕の家族は皆を騙し続けてきた憎むべき存在だ。そんな人間をそれまで信じていただけに、皆の憤懣やるかたないのはよく分かる。
「しかしケーちゃん、君は我々にも、本当によくしてくれて……」
老人が言った。
「去年、帰国した君が、この商店街に1億円も寄付してくれて……」
「え?」
隣にいたトモミが首を傾げる。
「――いいですよ。僕達家族のために、この商店街も一時は客が離れて、皆さんも辛い思いをしたでしょうから。勿論、その当時のあおりで店を閉めてしまった人もいるでしょうから、その穴埋めにはならなかったかもしれませんけど……」
そう、この人達も7年前、僕の一家によってデモは起きて、商店街の治安は悪くなるし、メディアによってこの商店街が何度も取り上げられる度に、僕達一家の悪名によって、観光客がしばらく寄り付かなくなる事態に陥り、大きく損を被った人達なのだ。
「いや、でもケーちゃんはもう、立派な正義の味方じゃよ」
老人が言った。
「今のケーちゃんの仕事で、沢山の人が救われて、豊かになっている――あのことで、たった一人で海外に出て、ゼロから今の地位を築いたケーちゃんを、この街のみんなが応援している」
「そうだぜ、ケーちゃん! ケーちゃんはあの家族とは違う。この街の誇りだ!」
「みんな、ケーちゃんを応援してるからね。頑張って!」
「……」