Another story ~ 2-42
――その日、家に帰ると、私は今回も成績学年トップをとったことで、家族にお祝いを受けた。
たまには家族で大騒ぎしたい、というシズカの希望で、今、私はカラオケボックスにいる。
お父さんが今、ポルノグラフィティを歌っていて、お母さんとシズカが合いの手を入れ、シュンはそれに呆れたような表情をしながらも、お父さんと一緒に歌っている。
「……」
そんな時にも、私は一人、今日、サクライくんに目を背けられた時のことばかりを考えていた。
考えたからって、今の私に何ができるというわけでもないのだけれど。
――それでも、考えてしまう……
自分でもこの感情が何なのか。なぜ彼のことだけが、こんなに気になるのか――多分、恋だと思うけれど、正確な答えにはまだ辿り着いていない。
この気持ちにしても、自分のことにしても、悶々と悩んでいるよりは、全てのことに蹴りをつけたかった。そう願っているのに、私はここに立ち尽くすしかない……
「おい、シオリ姉」
そんな時、私はシュンに声をかけられた。
「どうしたんだよ。シオリ姉がカラオケ苦手なのは分かってるけど、元気ないじゃん」
「……」
――私、そんな顔していたのかな。
「あ――お姉ちゃん、やっぱりカラオケは楽しくないかな。私ばかり楽しんじゃってたけど」
シズカもそれを見て、私に心配そうな顔を向ける。
「あ、ううん、大丈夫だよ。ちょっとテストが終わって、気が抜けてただけ……」
私はかぶりを振った。
「……」
家族が沈黙する。
「でもさ、俺もそろそろカラオケじゃなくて、別のところに行きたいんだけど」
シュンがその沈黙を破った。
「――そうだ、あそこ行こうぜ」
そう言って、シュンの提案で私達家族がやってきたのは、バッティングセンターだった。
「バットを思い切り振って、ボールを飛ばせば、きっとすっきりするぜ」
シュンは去年野球を始めてから、熱心にそれに打ち込んでいる。お父さんとたまにバッティングセンターに来ているようだった。
「へえ、私バッティングセンターって、来るの初めてなんだよね」
シズカが言った。そしてそれは私もそうだった。
しかし、これもいいかもしれない。中学時代まで、私はストレスとは無縁の生活を送っていたために、自分で溜め込んだストレスの解消の方法を知らなかった。こういうところで体を動かすのも、じっとしているよりはいいかもしれない。
お父さんに、バットの持ち方、振り方を教えてもらい、私は一番遅い、60キロのマシンを選んで、そのゲージに入り、ゲージの中に備え付けてあったヘルメットをかぶり、ボックスに入って構えを取った。
「はじめはバットを短めに持って、脇を締めて」
そんなアドバイスを、後ろで見ているシュンがくれた。
お父さんが200円を投入して、目の前のマシンが動き出す。
「……」
脇を締めて……
私は飛んできたボールをしっかり見て、言われたとおり脇を締めて、バットを振った。
カン、という音がして、ボールは放物線を描いて、マシンのはるか頭上を越えた当たりを飛ばす。
「おお! ナイスバッティング!」
お父さんが声を出す。
「……」
当たった。
そして、ボールが当たって、前に飛んで行ってくれた時、何とも言えない気持ちよさ――爽快感があった。
「あ、すぐ次が来る! 次が来るよ!」
お母さんの声で、私は前を向く。
ボールが来て、私はもう一度脇を締めて、バットを振る。
今度はライナーで、マシンの前のネットに向けてボールが飛んでいった。
「――そう言えばお姉ちゃん、中学テニスの県大会プレーヤーだっけ。地味に運動神経も結構いいのよね」
シズカの呆れる声。
そんな声を尻目に、私は段々とコツを覚えていき、快音を連発させていく。
そしてマシンが停止すると、私はゲージから出た。
「あの――もう1回やっていいかな? 今度はもっと速い球で」
「おお、いいぞ。シオリもこれが気に入ったのか」
お父さんに勧められて、今度は試しに、100キロのマシンに挑戦してみる。
「女の子で100キロなんて打てたら、大したもんだぞ。シュンだって、そのマシンで今打ってるんだ」
お父さんが言った。
「気をつけて。怪我しないでね」
お母さんの声。
「……」
マシンからボールが飛んでくる。
――速い!
カシッ、と、小さな音がして、打球は私のすぐ脇のネットに当たる。
「は、速い……」
「そう言いながら、初見でしっかり当ててるんだもんな」
シュンの呆れる声。
「頑張れ! もうちょっとで打てそうだよ!」
シズカの声。
「……」
だけど、その後、5球くらい続けて、私のバットは当てるのが精一杯でファールを連発する。
「……」
す、すごいな、男の人は。こんなボールを簡単に打つことができる人がいて、しかもこのマシンより、もっと速い120キロなんてマシンもあるんだよね。
きっと――サクライくんも、こんな球は、ガンガン打っちゃうんだろうな。
そんなことを考えた瞬間。
私は次に来たボールにバットを振るも、空を切った。ここに来て、私は初めてバットを空振りした。
「あれっ?」
ちゃんとボールが見えていた。そのはずなのに……
「……」
よし、次こそ……ちゃんと当てて見せる。
だけど、次のボールも、私のバットは空を切ってしまう。
「どうしたの? お姉ちゃん」
シズカの声。
「……」
――いけない。サクライくんのことを考えた瞬間、バットにボールが当たらなくなるなんて。
――バン。
そんなことを考えているうちに、次のボールが来てしまい、私は金縛りにあったように、ボールを見逃してしまった。
「おいおい。バッティングセンターで見逃しは勿体無いぞ」
シュンから野次が飛ぶ。
「……」
――別に見逃そうと思って見逃したわけじゃないのに……
「――あ」
私はふと、昔の映像が頭を反芻した。
「迷いを打席に持ち込んだら、まずバットが振れない。ヒットが打てない……」
そんなことを思い出した。
次のボールが飛んでくる。
「ヒットが欲しいなら、まずは思い切ってバットを振る!」
カキン、と、100キロマシンで初の快音が出る。
「おお!」
お母さんの感嘆の声。
「バットを振る!」
それ以降の私は、バットに空振りをすることも多かったけれど、当たったボールは全て快音を残して、前へと飛んでいった。ヒット製の当たりも何本か出た。
そして、マシンのアームが停止する。
「……」
思い切りバットを振り続けて、少し私は息が切れていた。
でも――
あの時――文化祭の日の早朝、もう1年くらい前になるけれど、私はあの時の彼の言葉を思い出していた。
迷いがあって打席に立ってもバットが振れない。だったら、狙い球を絞るなり、打法を変えるなりして、まずは迷いなくバットを振ること。空振りしてもいいから、迷いなくバットを振って、チャンスを掴みにいく姿勢を忘れずに……
去年も私は、周りからちやほやされる割に、中身の乏しい自分の現状を嘆き、悩んでいた。そんなときに、私に彼はこんな言葉をくれた。その言葉をもらって、私も勇気が出た。そうして、私も今は、自分の打ちたい球に、狙い球を絞って、そこに向けてバットを一点集中で振ろうと頑張ってきた。
「――そうか。そうだったんだ」
この時、私の中の、ずっと苦しんでいた懊悩の鎖が、少し解けた気がした。
「おいおい、シオリ姉、どうした? 空振り連発した後、急にバッティングがよくなったけど」
シュンが声をかけてくる。
「打撃のコツでも掴んだなら、俺に教えて……」
「みんな、ごめん!」
そんなシュンの言葉を私の声が遮った。
「私、今すぐ行かなくちゃいけないところができた!」
「え……」
そう言って、私はヘルメットとバットをシュンに渡して、一人走って、バッティングセンターを出て行っていた。
「はあ……はあ……はあ……」
夜の街を一人走りながら、強く思った。
あなたに――会いたい。
ずっと前から、会いたかった。話したいことも、沢山あった。
高校生活、何かを変えようともがいていた私を、あなた自身はそんな気はなかったかもしれないけど、いつだって背中を押してくれたのは、あなたで。
私にいつも勇気をくれたのも、あなた。
お礼の言葉も、いっぱい伝えたい。
それだけのこと。
だけど――
何でそれが、もっと早くできなかったの?
今までの私は、大きく迷っていた。
上手く言えないかもとか、彼に拒絶されたらとか、今私は無視されてるしとか、余計なこと考えて、自分のことなのに、迷ってばかりで。
サクライくんの側に行くチャンスなんていくらでもあったのに、迷っていたからそのチャンスでバットが振れなくて。
あなたが去年、私に言ってくれたことなのに、私、そのことを忘れて、元の自分に逆戻りしちゃってた。
でも――ちゃんと、思い出せた。
私の中で、あなたの言葉が今も生きていて。
私はあの時と、ちょっとだけ変わった。変わることができたんだよ。
あなたから、初めての気持ちをいっぱいもらって。
それが何なのか、自分でも分からないけれど。
確かめたいし、あなたに伝えたい。
ちょっとでもいいから、届いて欲しい……
今の状況とか、そういうの、どうでもいい……
今、私ができる限り、思い切り、バットを振ってみたい。
あなたに伝えたい、側にいたい、気持ちを確かめたい――動機はいっぱいあるけれど、そんなのは何でもいい。
あなたって狙い球に向けて、思い切り!
――20分くらい走って、足を止める。
人気のなくなった、観光地の商店街。もう深夜11時を回って、真っ暗になった商店街で、一際明るいその建物。
コンビニエンスストア。
「……」
呼吸を整えながら、私は気持ちを整理する。
勢いあまって、ここに来てしまったけれど……
今の勢いを、何とか殺したくなくて。
走ってきたのとは別に、まだ胸がどきどきする……
――でも。
そう言えば私、あの文化祭の後、雨の日の朝、図書室に行く前も、こうだったな。自然に行くよ、自然に、って、言い聞かせてだっけ。
そう考えたら、少しだけ、力が抜けて、程よい緊張に満ちた、いい感じの精神状態になってくる。
――そうそう、こんな感じだった。そう言えばいつだって、サクライくんと会う時は、少し緊張していたけれど、そうして強張る自分も、何だか嫌じゃなくて。
――多分、少しそんな自分が嬉しかったんだと、今なら少し分かる。
「――ようし……」
私は覚悟を決めて、コンビニの自動ドアの前に立った。
自動ドアが開く。
「いらっしゃいま……」
静かだけれど、よく通る声がしたけれど、声は途中で途切れる。
私の足も止まる。
「……」
手に何か、単語カードのようなものを持って、コンビニの制服、胸元からはネクタイが見える。そんな姿のサクライくんが、レジカウンターの中にいる。お客は誰もおらず、店員も彼一人だけ。
「――マツオカ」
やがて沈黙に焦れたように、彼が私の名を呼んだ。