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Downfall

 その様子を見ていた回転寿司の板前が、待ってましたとばかりに僕の前に来る。注文を催促するには、割と的確なジェスチャーだった。

「私に日本酒を。ほら、何でも注文しろ」

「――じゃあヒラメを」

「はい、ヒラメー」

板前はお櫃からシャリを掴む。僕は寿司の握りの奥深さはよく知らないけど、板前はシャリを右手で転がしながら、綺麗というより、器用に整形していく。これは寿司というより、贋作なのだ。目の前にいるのは、器用な贋作師。

「お前、若いうちはトロとか食えよ。爺さんじゃあるまいし、白身を頼むなんて通がやることだぞ」

「・・・・・・」

 僕だってトロが嫌いなわけじゃない。ただ、こんな落ち着かない時は、心が重いものを受け付けない――あっさりしたものを食べたいだけだ。どれだけ活躍しようと、人の中に身を置くことが出来ない。僕の長年の積み重ねによって培われてしまった恐怖の名残だ。

 いくら気持ちを一新しようとも、結局僕は、毎日同じ穴に帰り、毎日僕を蔑む連中と、顔を合わせる運命にある。その中で、過去を捨て、新たな決意を見出す術が、どうしても見つからない。

 心では、楽しみたい、と思っている。皆が楽しんでいるのに、自分は全然楽しくない。そんな場に、未練がましくしがみついている。

 惨めだ。そして帰ればあの家族が待っているのだ。

 でもどうにもならない。だから、皆の喧騒の中で、気持ちの整理をつけようとするんだ。それが段々心の中がざわざわしてくる。静かなままで留まっていたいため、土に根を下ろす草原の草達に、つむじ風が吹き付けるように――風が吹いたら、嫌でも揺れるしかない、青草のような、不安定な気持ちなんだ。

 やがて、僕の築いた皿山の中には一枚もない、黒い漆もどきの皿に乗って、ヒラメが二つ乗ってきた。イイジマにも小さい日本酒の瓶が出され、グラスも用意された。

「お前は飲むなよ。ここで飲酒で出場停止なんてシャレにもならない」

 言われなくたって飲んだりしない。僕はあんたと違って、酒があまり好きじゃない。

 イイジマが瓶のオレンジジュースを頼んで、僕の前に出した。僕はネタのヒラメに少し醤油を付けて、口に放り込んだ。本当だったら美味しいはずなのに、何だかヒラメもイカも、味に差がないように思えてしまう。『好き』も『嫌い』もない。僕は味覚さえも、この通り冷めている。ものを味わって食べる余裕もなかったからだろう。

 鷹揚な顔をして、イイジマはグラスに口をつけ、諭すような口調で僕に話しかけた。

「なあサクライ。お前は副部長として、これ以上ない仕事をした。ボランチという大事なポジションで、チーム一のアシストも記録したし、今日の試合、ニ得点ともお前の功績が大きかった。守備に不安のあるうちのチームを、予選二失点に抑えたのも、お前の奮闘があった。俺はお前がサッカーをはじめてまだ一年だから、多少過小評価はしていたが、ここまでの個人技をもっていることは知らなかった。汗顔の至りだ」

 普段聞き慣れない、この男のベタベタな賛辞に、僕は少し気恥ずかしくなった。ただ、褒めてもらうのは、不覚だけれど気分はいい。今まで皆になめられていた僕の評価が変わった、というように聞こえたから。

「ただ――」

 イイジマが一度グラスに口につけ、今度は途端神妙な顔をして、僕の目を見据えた。

「お前のスタイルが、予選がはじまって少し変わった気がする。個人プレーが目立ったな。チームプレーが功を成すサッカーでは、今までのお前のようなチームを統率する、リーダーシップが大事なんだ。ユータよりもそれはお前に適している。俺はお前にそれを求めていた。今日のようなプレーじゃない。もう出過ぎた真似はするな。それ次第では俺はお前をレギュラーから外さなくちゃならなくなる」

「・・・・・・」


 さっきの褒め言葉は、この叱咤への枕詞だったのだ。

 何を言ったのだろうこの人は。これだけ活躍した僕を、レギュラーから外すだって?

 前置きで盛り上がった僕の気持ちは、一気に突き落とされた。

「お前はサッカーをはじめて日が浅いから、いつもチームメイトに敬意を失わなかった。ひたむきさがあった。だからチームも頑張るお前を信じた。頭も良かったし、それによってチームがお前を軸にまとまったんだ。それはあの軽いユータには出来ん。しかしあのワンマンプレーでは、チームの足並みが乱れ、内部からほころんでしまう。頭のいいお前なら、それがわかるだろ?」

 僕をなだめるように言った。一応、大会の活躍という実績を考慮してのことなのだろう。

「まあ、頭を冷やせってことだ。焦らず今までのままでいい。Take it easyってやつだな」

 慣れない横文字を使ったのは、恐らく最近覚えた言葉だったのだろう。だけど、その場には相応しい言葉だったのかもしれない。僕は、その言葉の日本語訳を、呪文のように唱えていたのだから。それで気持ちを鎮めるしかなかった。

「――すみませんでした」

「そうか、わかってくれたか」

イイジマは僕の肩を叩く。

「それならいいんだ。これからも期待しているからな」

「・・・・・・」

 イイジマは日本酒の瓶とグラスを持って、教師達の待つ席へ戻って行った。僕はうなだれる。目の前の皿にはまだヒラメが一カン皿に乗っているが、もう食べたくなかった。

 綺麗に術中にはまって、浮いたところを一気に突き落とされた。僕はこういう事態に万能に対応して、回避するために、見聞を深めたつもりだったのに、何故それがうまくいかないのだろう。どうして僕は、他人の掌に転がされてしまうのだろう。酒中の席で、薄ら笑い混じりに慰められる程、軽く見られなくてはいけないんだろう。

 それ以上に腹正しいのは、何で僕は、すみません、などと言ってしまったのだろう。

謝る必要なんかないじゃないか。何故自分の主張を通せなかったのか。人と話し慣れていないせいか、咄嗟に出た一言に対して、いつもこうして後悔してしまうんだ。後からじわじわ来るから、『後悔』と書くのだけど、何度も同じようなことを、馬鹿みたいに繰り返してしまう。

 確かに、祝賀会というめでたい席で、監督と副主将が喧嘩するのは、イイジマではないが、チームのためによくないだろう。

だけど、自分の必死のもがきを否定されても、すいません、などと、謝って引き下がるなんて・・・・・・何て肝が小さいんだろう。これも対人の場で蘇ってくる、心に染み付いたもののせいなのか。幼い頃から染み付いた、逃げの精神のせいなのか。

 何をやっているんだろう。あれだけ頑張ったのに、抗うことも出来ず、簡単に引き下がって――

自分の尊厳も守れないのか? 僕がしっかりしなくちゃ、いくら主張しても、意味はないのに。

 僕は自分の中で、何かが崩れていくのを感じながら、心の平穏を保とうとして、体の中の衝動を、歯を食いしばって押さえ込み、必死に平静を装っていた。

「ケースケ、これからみんなでカラオケに行くことになったんだ。応援してくれた吹奏楽の子とか、チア部の子とかも来るって。お前も来るよな」

 そんな時に、ユータからの誘いがあった。彼の顔は僕とは対照的に明るかった。じわじわと売れ出してきたインディーズバンドのヴォーカルが、雑誌に掲載された時のような顔をしていた。

「いや、悪いけど」

 そんな気分にはなれなかった。とても騒ぐ気にはなれなかった。

「ケースケ――一回くらい俺とカラオケ行こうぜー? 俺のラルク聴いてくれよ」

「いや、明日から期末だから、勉強する」

「あ・・・・・・」

「忘れてたのか」

 それを端で聞いていたジュンイチも寄ってくる。

「今日勉強しなくたって、ケースケはテストに何の心配もないだろ?」

僕は席を立つ。

「でも、今度はマツオカに勝ちたいんだ」

「マジで? お前どうしてそんなに頑張るんだよ」

「悪いな。先に帰るよ」

 話を寸断し、僕はスポーツバッグを担いで、イイジマに挨拶して、寿司屋を出た。


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