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Another story ~ 2-41

 夏の全国サッカー大会、埼玉県予選決勝――

 埼玉高校は、去年と同じ相手、武栄高校に成す術なく敗北した。

 惨敗だった。私も吹奏楽部として、決勝戦、応援に来ていたけれど、埼玉高校のサッカーは冗長で、見ていて面白くないうえに、相手に動きを完全に見破られているようだった。

 この頃の埼玉高校は、フォワードのヒラヤマくんに攻撃を任せて、他の10人はエンドウくんを中心にして、徹底して守備――ボールを奪ったらすぐに前線のヒラヤマくんにボールを放り込むという単純明快な戦術一辺倒だったけれど、そのシンプルな戦術に対する息苦しさが、埼玉高校の布陣――正確に言えば、その布陣の主力を担う3人から伝わってくるようだった。

 前線に残っていても、もう相手に攻撃の要だと認識されているから、ボールを持てば数人に囲まれ、周りにはパスを出す相手もいない。前線に孤立し、思うように動けないヒラヤマくん。

 強豪に比べれば、身体能力、体力、全ての運動神経に劣る味方を統率しても、必ずどこかに隙は生じる。そんな守備陣を必死に統率しても、強豪校の波状攻撃の前には、簡単に崩されてしまうし、周りに気を配りすぎて、自分の守備さえ疎かになってしまっているエンドウくん。

 そして――そんなザルのような守備陣のスペースを埋めるために、懸命に走り回って、ただ走るだけの選手に堕しているサクライくん。

 この3人の現状の苛立ちが、決勝戦の80分に満ち溢れていた。

 そして試合終了のホイッスルが鳴った時。

 歓喜の武栄高校の選手を尻目に、サクライくんは一人、ピッチに大の字に倒れこんでいた。

 それはそうだ。1年後のサクライくんも、その運動量で、90分で15キロ近い距離を走っていたけれど、当時のサクライくんも、それに負けず劣らずの距離を走っているのだ。人一倍小さな体で、激しく相手と当たり続けていたし、間違いなくチームで一番消耗していた選手だった。

 だけど……

 それ以上に、彼は後手に回っているチームの中で、時たま一人でも強引に前に出ていた。

 そのプレー自体は、もう十分に一流だった。初心者だったはずなのに、もう彼は、ドリブル、パス、シュート、全てにおいて全国の強豪選手に引けをとらないレベルにあることは、私が見ても分かった。

 だけど――今の彼には周りが見えていないし、集中力も低下している。肝心なところでプレーが雑になって、簡単にボールを奪われ、逆にピンチを招く場面も目立った。

 能力はあるのに、それを生かせていない……それが彼の現状だった。

 だけど、自分がどんなに疲れていても、決してそんな素振りを見せず、瞳にはいつも強い意志と、激しい炎の種火をいつも灯していたサクライくんが。

 今はもう――一人では立ち上がれないというほどに、疲れきっているのが見て取れた。

 去年の文化祭ーー一人で入場門に絵を施していた時から、彼の姿から聞こえていた、まだまだこんなものじゃない、という、彼の声も、もう聞こえない。

 彼の今の姿からは、去年私が憧れ、追い求めた闘志や、意志の強さ、広い視野――それらが全て失われていた。疲れた体に鞭打って、体を動かしてはいるけれど、それはただ、燃え移るものがないのに、炎に油を注いで、無理に炎を燃やしているだけ――一時激しく燃えるけれど、一瞬で消えてしまう炎を、無理に作り出しているようで。

 そんなサクライくんを、私は見るのが辛かった。

 でも……



「え?私が部長?」

「いいじゃない。シオリ、フルート上手いし、何より努力家で、人望もあるし」

「そうそう、ミスコン2連覇中のシオリが部長なら、何かと吹奏楽部も校内の注目が集まるし、ひょっとしたらシオリの効果で部費だってもっと出るかもしれないし」

「……」

 去年の冬で、埼玉高校の2年生のほとんどは、部活を引退する。それでも文化部は、勉強の合間に参加する上級生も割といるのだけれど、夏の大会が終わると、それまで自主的に残っていた先輩も、当然引退する。

 受験勉強のため、ほとんど部に顔を出さなくなっても、部長の名は先輩が背負ってくれていたのだけれど、夏の大会が終わると、私達は新しい部長を選出しなければならなくなった。

 吹奏学部は伝統的に、新しい部長は、次の代の人達で決めるという暗黙の決まりのようなものがあった。

 そしてそれに、私が満場一致で選ばれてしまった。サッカー部の応援に行った数日後のことだった。



 私の夏休みは、ほとんど吹奏楽部の練習と、学校で行われる補習で終わってしまった。

 補習には、学年の生徒はほとんど全員参加したけれど、学校に別途でお金を払って行われる補習に、当然サクライくんは参加しなかった。

 そして――

 ――「塾に?」

 自宅での夕食の席で、私は箸を止めた。

「この前、学校の保護者懇談会で、先生に言われちゃってね。シオリちゃんの頭を考えたら、今みたいに何の学習施設を使わないのは実に勿体無いって。シオリちゃんがよければ、私達も、秋から塾に通わせてあげるけれど……」

 お母さんが私にそう訊いた。

「――いいよ。私に使うお金、下の二人に使ってあげてよ」

「いや、でも、シオリはもう埼玉高校でもいつも成績トップだし、できることならもっと上の、シオリの望む勉強をさせてあげないと。これはシオリの将来にかかわる問題だと思ってな」

 お父さんも言う。

「下の二人に、なんて親子の間で遠慮しなくていい。シオリだってまだまだ私達の大切な娘だ。娘の将来のためなら、少しぐらい学費がかさんだって、お父さんは仕事がんばれるさ」

「……」

 ――先生がうちの親にそんなことを勧めるなんて。きっと、サクライくんが今不調だから、今のうちに大きな差をつけろ、ってことなんだろうな。

 でも、今でも私は彼から大きなハンデをもらっているのに、それで私が塾に行ったら、何だか少し、フェアじゃないような気がした。

 それに――

 私自身のやりたい勉強って、何だろう。

 こういう時――自分のことなのに、自分のことを何も分かっていない。自分の気持ちを何も口にできない自分。

 ――私の嫌いな自分。

 サクライくんに無視されてしまった頃から、私の生活は、完全に中学時代に逆戻りしてしまった。

 自分自身に、まだ取り立てて自信の持てることがなく、それほど頑張っているわけでもないのに、周りが妙にちやほやしてくれて、私に何か、何も言わなくても、与えてくれようとする。私の行き方さえも、周りが私にいくつか提示してくれて、私自身はたいした意思も持たずに、それを選ぶだけ……

 本当は、部長なんて仕事も、ミスコンに出場するのも、目立つことが苦手な私はあまり乗り気ではなかった。だけど、周りに言われて、私はそれに、嫌と言えず、頷いてしまう。

 中学時代の私もそうだった。私の生活は、完全に振り出しに戻ってしまっていた。

 頑張りたい。でも、今、頑張れない……

 ――今思えば、サクライくんを見極めると宣言したあの日から、彼のことを追い続けて、彼の真似をして……

 それはきっと、私にとってかけがえのない時間だったし、私も生まれて初めてできた目標に、一直線に向かうことができていた。前を向き続ける彼のひたむきな姿に負けたくない。彼にみっともないところは見せたくないと、私はいくらでも目の前のことに頑張ることができた。初心者だったはずのフルートだって、何とか自分のものにしたいと、自分の中の世界を広げる、開拓者精神、ハングリー精神を持つことができていた。

 私はもっとそんな生活を送ってみたかった。もう少しで、私も何かが掴めそうな――自分を変えるきっかけのようなものを、掴めると思った。

 でも――

 サクライくんと過ごす日々が終わってから、随分日が経って。

 私も、彼とそうして過ごした時間が、ひどく遠い日のことのような――というより、まるで私の中の夢の話だったように思えて。

 私は、あの頃のひたむきだった自分――一生懸命だった自分を、思い出せない。

 サクライくんも、今、懸命にもがいているのも分かる。

 でも――私も今、苦しかった。

 サクライくんがもがき苦しむ度に、私の周りの評価は上がっていって、みんながちやほやしてくれるほどに、私は自分自身のやりたいことを見失っていく……

 そんな自分が嫌だけれど、自分で今、何をすればいいのか、分からなくなっていた。

 分からないまま、むやみに時が過ぎた。

 2学期に入ってからも、その傾向はさらに顕著になるばかりだった。多分この頃――2年生の2学期が、私もサクライくんも、多分エンドウくん達も、4人とも高校生活で一番苦しんでいた時期だったと思う。

 結局私は塾に通い始め、吹奏学部の部長としての活動も、自分のできる限り頑張ってみることにした。

 そうすれば、きっと何もしないよりは、何かが見えてくるだろうと思ったからだけれど……

 そうじゃなかった。だってどちらにも、本当に私がやろうと思ったことは含まれていないから、私の欲しいものがあるわけがない。

 それでも、私は他の人よりは頑張っているのだろうか。成績だけで言えば、私は他の生徒には負けることはなかった。



「シオリ、また1番かぁ」

「もううちの学校で、シオリに勝てる人、いないね」

 2学期の中間テストの結果用紙をもらった、下校前のHR。私はクラスの女子に囲まれていた。

「……」

 もう私は、こうして誰かにちやほやされても、狼狽するしかない。

 今の私には、それに応えられるものが何もない。

 いっそのこと、誰か私を追い抜いてくれなんて、思った。でも、私が手を抜いて誰かに抜かれても意味はないし、それは、1年前、サクライくんを追って、そのために頑張れていた、私の姿とは違う気がする。

 楽になりたいのに、足を止められない――

 ――あなたも、そうなの? サクライくん……

 私はふと、教室にいるサクライくんの方に目を向けた。

 彼の席の前にはちょうどエンドウくんがいる。きっと苦手の数学を落として、彼に愚痴を言いに行ったのだろうと思った。

 そんな時、エンドウくんと私が目が合うと、サクライくんがふと、私の方を向いた。

「あ……」

 私の喉から、ふと、声が漏れる。

 それから、どきんと、胸が大きく高鳴った。

 ――久しぶりに彼と目が合う。

 あ……あれ……こういう時、私、どんな顔をすればいいんだろう。

 か、感じよく、にこっと笑って、会釈とか……そんな感じかな。

 ――そんなことが頭をちらついていた時。

 彼はついと、私から目を背けてしまった。

「……」

 分かってはいたけれど、改めてやられると、挫けそうになる。

 胸の奥が、苦しくなる。

 でも。

 こうしてあからさまに拒絶されることも辛いけれど。

 あなたの目が、日に日に澱んでいくのが分かっていても、その原因を知らないし、何もしてあげられない事も、私にとって、とても辛かった。

 ――何でこうなってしまったんだろう。

 あなたに無視され始めたことも、あなたの目が、そうして日に日に淀んでいくのも……

 どう考えても、今のあなたの様子はおかしい。

 それに――ずっと前から、解せないことがある。

 去年のあなたなら、今の状況を冷静に分析して、何が駄目だったかを、瞬時に分析する――今のあなたは、力なら十分すぎるほどある。あなたに必要なのは、その力を発揮できるように、今は心と体を休めることの方が重要だと、すぐに分かるはず。

 私の知るあなたなら、今の状況になる前に、それに気付いて、態勢を立て直そうとするはず――去年のあなたは、私を少し探っただけで、私の悩みを見抜き、的確なアドバイスをくれたのだから。

 でも、今のあなたには、自分の今の問題が、目に映っていない。そんな余裕さえ、もうなくなっているのに、足を止めることはできず、自分を余計に泥沼に追い込んでしまっている。

 なぜ、去年できたことまで、あなたはできなくなってしまっているのだろう。

 そこまであなたの余裕を失わせる何かが、私や、エンドウくん達の知らないどこかで起きているのだとしたら。

 ――頼って欲しい。

 きっとあなたは、そういうことに誰かを巻き込みたくなくて、そうして一人で痛みを抱え込んでいるのかもしれないけれど。

 大切な人がそうして苦しんでいる時だからこそ、側にいてあげたいとより強く思える。

 そんな気持ちに、気付いて欲しかった。

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