Another story ~ 2-39
彼に彼女が出来たことは、瞬く間にクラスどころか、学校中に知れ渡った。
学校の有名人のサクライくんの初の彼女である。話題にならないわけがない。
だけど、アオイのことがあってからすぐのことだっただけに、クラス中の女子はそんな彼の行動に陰口を叩いた。
だけどサクライくんはそのことに関しては、誰にも何も言わなかったし、何かを訊けるような雰囲気でもなかった。彼は元々必要以外の時は殆ど口を開かない人だったけれど、アオイとの一件以来、その無口さに拍車がかかりだした。エンドウくん達でさえ、彼女が出来た経緯をよく知らず、ただ、あの後別クラスの女子に告白されたのをOKしたということしか、聞いていないそうだ。
そのサクライくんの彼女になった女の子は、何とも大人しそうな、可愛らしい普通の女の子だった。いつもサクライくんの3歩後ろを、ヒヨコみたいにチョコチョコついていくという感じの女の子、何だか好感が持てる娘だった。
正直私も彼に彼女が出来たと聞いて、ものすごく驚いた。妄信かもしれないけれど、彼に限ってそんなことはないと思った。
その話が本当だと知って、私も彼がどんな付き合い方をするのか、野次馬根性が目覚めなかったといえば嘘になる。
でも――何だか見たくなかった。ようやく自分が、サクライくんへの気持ちと向き合おうとしていた矢先に、彼に彼女が出来てしまって……
私のイメージだと、そういう彼氏彼女というのは、できたての頃は例外なく、みんな幸せオーラに満ち溢れているものだと思っていた。私は彼の不幸を望んでいるわけではないけれど、その時は何故か、彼の幸せそうな顔を、見たくなかった。
でも――
当のサクライくんの生活は、今までと全く変わらなかった。
彼女と一緒に下校するところなどはたまに見たことがあるけれど、彼が彼女と手をつないでいるところすら、見たことがなかった。彼の食事は毎食賞味期限切れのコンビニ弁当に戻ったし、彼女と校内で会っても、彼の表情や仕草に特別な感情は一切見られなかった。
付き合って半月くらい経って、私はそのことに気がつく。
彼女と付き合って以来、彼は総長の図書室には来なくなった。彼女がいる身で、私――他の女の子と二人きりになるわけにはいかないということなのか分からないけれど、私はあの屋上以来、彼と話す機会はほとんどなくなった。
でも――教室で見る彼は、彼女が出来て浮かれている、幸せそうなオーラをまるで感じなかった。それどころか、眼の輝きが薄れて、疲れが増し、酷く注意力が散漫になっているように見えた。体は鉛のように重そうで、まるでその小さな体を引きずるように動いている姿が目に付いた。
それでも彼は優秀で、成績も抜群によかったし、サッカー部ではフリーキッカーも勤め上げ、ようやくそれが様になり始めていた。だから、彼自身の中に起こっている変化に、誰も気付くものはいなかったけれど……
――もしかしたら彼女を作ったのは、周りからなんだかんだと干渉されるのが煩わしかっただけなのかも知れない。
彼女の手も握らない、指一本触れたりしないのは、彼女に彼なりの義理を通しつつ、彼女が愛想を尽かすのを待っているようだった。それを全校生徒に見せ付けて、もう二度と自分と付き合おうという気にならないように、促しているようにも思えた。
きっとアオイも、今の彼と付き合っていたら、きっとこんな風に付き合われていたのだろうと、彼はそれをわざとクラスメイトに突きつけているようにも思えた。
彼はそれだけ疲れきっていたのだ。アオイの一件以来、彼はもう、他人を利用してでも、自分への干渉を減らしたかった。身軽になろうとした。
日に日に精彩を欠いていく彼を見て、私は何となくそう思った。
そんな彼の沈んだ表情だけを残して、2学期が終了し、私はまたしばらくサクライくんとは会えなくなった。
そんな冬休みを、私は一人、悶々と過ごした。
――頭では、サクライくんとあの彼女は何も起こらないだろうとは思っていても、会えなくなって、様子を知る機会がなくなると、何も見えない分、何が起こっているのか、気になってしまう……冬休みはクリスマスとかお正月とか、イベントも多いし。
気がつくと私は、彼のことを考えていた。
クリスマスは、エンドウくんがクラスの彼氏彼女のいない人間だけで盛り上がろうと開いてくれた会に誘われ、私も参加した。ヒラヤマくんとミズキ、そしてサクライくんは不参加だった。
私はアオイと参加した。あれ以来、私とアオイの間には気まずい空気が流れてはいたけれど、同じ部活に所属しているし、お互い揉め事を好む性格でもないから、私が歩み寄れば、アオイはいつものように笑顔を返してくれるようにはなった。
その会の帰り道、一人だけ地元出身の私を、エンドウくんが家の近くまで送ってくれた。彼の家は川越の隣にある狭山市で、自転車で来ていたから、ついでだと言って。
「しかし、シオリさんに彼氏がいないなんて、世の中分からないものだなぁ」
エンドウくんはその帰り道、しみじみと言った。
私からしたら、エンドウくんみたいな人を選ばない女子の方がどうかしていると思った。何でこんな優しい人が、女子の人気はいまいちなのか。
「私も好きになるなら、エンドウくんみたいな正直な人がいいのにな」
思わず私は、今の悶々とした気持ちも手伝って、そんなことを口走っていた。
「えぇ? 惚れてまうやろぉ」
でもエンドウくんは、その私の言葉を冗談だと思ったらしく、おどけてそう言った。
お正月は家族水入らずで過ごした。元旦を家で過ごして、初詣に行き、2日からは新幹線でお父さんの実家のある青森に行って、お祖父ちゃんお祖母ちゃんと過ごした。夏休みはお母さんの実家のある長野に行ったから、二人に会うのは1年ぶり。
そして家に帰ってきたのが1月4日。この日から、3学期の始業式である1月8日までが、何だか異常に長かった。一日千秋と言うのか。眠れない日が続いた。
そして、始業式の日が来ると、教室の前で、サクライくんとばったり鉢合わせた。
「……」
変に胸がどきどきした。不自然に眼をそらしてしまい、彼に変に思われたのではないかと不安になった。
「――押忍」
しかし、彼はそうぶっきらぼうに返事をしただけで、教室の引き戸を開けて、私を横目に教室に入っていってしまった。
「……」
ただそれだけのこと。
それだけのことなのに。
びっくりするくらい、自分の気持ちが揺れ動く。
他の人とすれ違っても、決して反応しない、私の心の中に、彼にだけ反応する回路があることに、私は気付く。
恥ずかしくて、くすぐったくて、ちょっと息苦しくなるような。だけど、その回路が反応するたびに、何となく心が温かくなって、ふわっと体が軽くなるような、目の前がぱあっと明るくなるような、そんな浮遊感、高揚感を覚える。
――やっぱり、彼は私にとって他の男子とは違う、ちょっと特別な存在みたいだ。
でも――それをおおっぴらに表に出すわけにはいかない。だって今の彼には、彼女がいるんだもの。
今の私は、その想いが表に出ないようにこらえるだけで精一杯だった。苦しいけれど、それでも彼に会えると嬉しくて、会えるたびに幸せな気持ちになった。二律背反した感情を何とかしたかったけれど、自分でもどうしようも出来ない。こんなに自分の中でコントロールできない感情は初めてだった。
でも――
3学期にはいっても、彼の様子のおかしさは全く改善されていなかった。始業式直後の実力テスト、数学、英語、現代文の3科目だったけれど、1位の私と2位のサクライくんで、たった3科目なのに10点差がついた。
サッカー部の試合でも、彼はエンドウくんの制止も聞かずに闇雲にボールを追ってしまう、注意力を欠いたプレーが目立つようになった。
口数はただでさえ少ないのに、どんどん減っていき、顔色が悪い日さえ、そう珍しくなくなった。
それでも彼は、表情に辛そうな素振りを見せまいと、必死に鉛のようになった体を動かしていた。そんな体でも、彼は他の生徒よりずっと優秀な成績を収めていた。だからあまり他の人からは心配されてはいなかったけれど。
学年末テストでは、私と彼で、過去最大の30点差がついた。さすがに心配だけど、彼の答案を見せてくれとは言えないし、タカヤマ先生に裏事情を聞いたところ、ケアレスミスや途中式での計算ミスなどでの、つまらない間違いが、最近の彼はすごく多いそうだ。それでも教師達は、今まで生意気放題だった彼の失墜に、大いに溜飲を下げているらしい。
結局私はそんな彼に、3学期の間、ろくに話をすることも出来なかった。おはようと、挨拶をすれば彼も返事をしてくれたし、何気ない会話をすることもあったけれど、結局二人きりで前のように話すチャンスは訪れなかった。
そして、そのまま終業式が終わり、卒業式が終わって、私の高校生活最初の1年は終わった。
春休みは、新しい大会と、入学式直後の演奏と、新入生歓迎のための演奏会の練習と、部活の活動がとても忙しくなり、私は毎日のように学校に通って、吹奏楽部の練習に明け暮れた。
その春休みのある日、風の噂で、サクライくんが今の彼女に振られたという話を聞いた。何でもその現場を見た人の話では、相当揉めていたらしく、彼女にサクライくんが頬をビンタされたらしかった。彼自身は無抵抗で、彼女に手を上げたり、怒鳴ったりしているわけではなかったらしいけれど。
彼のあの、手も握らず、彼女に何の興味も示さないような付き合い方は、今では多くの女子の不興を買っていた。だから、あれで彼女が怒らない方がおかしいと、みんなは言っていた。
でも、アオイは何だか、その話を聞いて、何だかずっと背負っていた肩の荷が下りたような、少しほっとしたような表情をしていた。サクライくんがあの時断ってくれたのは、今の自分にそんな付き合い方しか出来ないからだということに気付いたのか、それとも、その彼女が彼をビンタしてくれたことで、アオイの気も済んだのか、さすがに訊けないし、私には分からなかったけれど、私はもしそのどちらかであれば、その理由は前者であって欲しいと願った。
そして――
その話を聞いて、私は家に帰り、お風呂に一人静かに浸かっていると。
連日の吹奏楽部の猛練習のせいか、ちょっとうとうとしてしまって……
まどろむ私の脳裏に、彼の姿を見た。
私に向かって、にこっと微笑んでくれる、彼の顔。
私はそれを見て、ふと目が覚めた。
――そうか。もうサクライくん、彼女はいないんだ。
そうなったら、私と彼の関係は、次に学校が始まった時、どうなるんだろう……また少しは、前みたいに話せる機会が増えるのかな。
側に行きたい――自分の気持ち、ちゃんと知りたい。
でも……
2年生になると、クラスが大体文系クラス、理系クラスに分かれる。私は下に兄弟がいるし、学費が理系と比べて安い文系志望。自分自身も文系科目の方が若干得意だし。アオイとミズキはどちらも理系志望だったので、クラスが分かれた。
そして、クラス発表の時、掲示板に張り出されたクラスメイトの名前を見て、自分と同じ2年E組に、エンドウくん、ヒラヤマくん、そしてサクライくんの名前があったのを見て、私は顔がほころんだ。後で訊いた話だけれど、本当なら学校一教師の寵愛を受ける私と、学校一の教師からの嫌われ者の彼が同じクラスになるのは、教師達も快く思っていなかったらしいけれど、タカヤマ先生が、わざわざ口を訊いてくれて、私達を同じクラスにしてくれたらしかった。
あの3人と――特にサクライくんとまた1年同じクラスになれる。そう思っただけで、私はうきうきしながら、新しい教室への階段を上っていた。
そして、新しい教室に入ると。
相も変わらず、3人はとりあえず教壇の近くで立ちながらお喋りしていて。
サクライくんもそこにいた。また少し背が伸びてる。入学したての頃は私と同じくらいだったのに。
そう考えると、この1年、色んなことがあったなぁ。と思う。
そして、またそんな1年が、もう1年続く……
この1年は、どんな1年になるのかな……
「お、シオリさん。おひさ」
エンドウくんが私の姿を見て、手を振った。
「また同じクラスだね。また1年、よろしくね」
「また騒がしくなるかもしれないが、勘弁してくれ」
エンドウくん、ヒラヤマくんが私に微笑んで挨拶してくれた。
「う、うん、こちらこそ、よろしくお願いします」
私は二人に軽く会釈した。
それから私は、サクライくんの方を見る。
「さ、サクライくんも、また一年、よろし……」
そう私が言いかけた時。
彼は何も言わずに、私の横を通り過ぎていった。
まるで、私のことが見えていないような、空虚な目を向けて。
「……」
――え?
私は会釈をしかけた状態のまま、しばらく呆気に取られた。
アルバイトをずっとしているからか、どんなときでも、挨拶だけはいつでもしてくれていたのに。
でも――私の横を通り過ぎた時、何とも凍りつくような風が、私の横を吹き抜けたような気がした。
「……」
そんな私をエンドウくんとヒラヤマくんが、呆れるように見つめていた。
――この日から、私はサクライくんに、徹底的に無視された。
あと2~3話でアナザーストーリーは終わると思います。
40話でまとまらなかった…作者はページ制限のある漫画の原作者には絶対なれませんね。
それが終われば、感想での要望の多い、第3部がついにはじまります。もう第2部終了してから3ヶ月くらい経っていて、もう読者の皆さんは本編のストーリー忘れているかもしれませんけど。