Another story ~ 2-35
「あ、あの」
私の声が震える。
「よ、よかったら、お昼、私達も一緒にさせてもらっても、いいかな……」
私の目の前には、エンドウくん、ヒラヤマくん、そして、サクライくんがいる。昼休み、3人は机を合わせて各々昼食を取っていた。
「ああ、俺は構わないぜ。可愛い女の子と食う飯は美味いし」
「俺も。ケースケも勿論いいよな」
「――ああ」
怪訝な表情を浮かべながら、サクライくんは頷いた。
「よかった! アオイ、ミズキ。大丈夫だって」
「う、うん……」
私の後ろにいたアオイは、恥ずかしそうに私の横に立った。
――よかった。ちゃんと言えた。
勿論私がお弁当を一緒に食べようと言うのは、事前にエンドウくん達と打ち合わせた流れだった。昼休み、教室に戻ってこないこともあるサクライくんが、今日は教室にいるのも、エンドウくんが彼に昼休み、ちゃんと教室にいるようにと言っていたから。
それでも私は、男の子に一緒にお弁当を食べようなんて言ったことなかったから、ずっと緊張していた。二人がOKしてくれるし、ある程度フォローも入れてくれることは分かっていたけれど、肝心のサクライくんが拒否するかもしれないと思うと、お弁当の袋を持つ手が震えた。3人とあまり面識がなく、クラスでも大人しい存在のアオイがいきなり言ったら不自然だから、最初は私が言う方が自然ということで、私が言う役になったのだけれど。
私達は席を合わせて、各々のお弁当を広げる。勿論サクライくんはアオイの隣だ。サクライくんは憮然とした表情をしていたけれど。
「ほらほら、狭いんだからもっと席を近づけろ」
エンドウくんがサクライくんの体を軽く押した。軽量のサクライくんはよろけて、後ろにいるアオイに倒れこむ。
「ふえっ……」
アオイの肩にサクライくんが飛び込んで、アオイが素っ頓狂な声を上げる。
「――何しやがる」
サクライくんはエンドウくんにそう言ってから、後ろにいるアオイの方を見た。
「悪いな。えっと――サガラ、だったよな。大丈夫か?」
「う、ううん、全然……」
アオイはもういっぱいいっぱいになっている。サクライくんの顔をまともに見られていない。でも、初めて彼に名前を呼んでもらえたから、俯いた顔は、何となく嬉しそうに見える。
「……」
――幸せそうだな、アオイ。
こんなアオイの姿を見て、あなたの想いはこの人には届かないなんて、誰がそんな野暮なことが言えるだろう……
それが分かっているのは、現時点では私とヒラヤマくんだけ。
アオイに合わせて、私達もみんなお弁当を持ってきていた。机を合わせると、みんな各々、お弁当を広げる。エンドウくんとヒラヤマくんは、もう2限終わりの休み時間でお弁当を食べてしまっていたから、山のような購買のパンと、パックの紅茶を机に並べていた。
サクライくんもお弁当を広げた。いつもの通りコンビニ弁当。今日は幕の内弁当みたいだ。
「また今日もコンビニ弁当かよ」
エンドウくんが言った。
「そう毎日だと、体に悪いぞ。しかもそれ、賞味期限切れてるんだろ?」
「今時のコンビニ弁当は美味いんだぞ。プロの料理人とコラボしたりしてるし……」
そして彼は割り箸を割りながら、凛とした表情でエンドウくんの目を覗き込む。
「おまけに賞味期限切れはタダだ」
「うわ! いい顔ですごくセコいことを!」
エンドウくんは思いっきりドン引きした表情を作る。
「お前、何のためにガテンで高い給料のバイトしてるんだよ」
ヒラヤマくんも呆れ顔で彼に訊いた。もう彼が工事現場でも働いていたことは、この二人の口からクラスメイトは殆ど全員知っていた。
「あれはトレーニング」
彼は言った。
「僕の体重だと、腕立てやスクワットじゃもう筋肉は増えないからな。かと言ってジムに通う時間もないし、金貰いながら体鍛えるためにやってるんだよ」
「――どこのサングラスかけた仙人の修行だよ」
ヒラヤマくんは呆れた。
「そのうちお前、亀の甲羅とか背負ってバイトしたりするんじゃないだろうな」
「はは、ケースケならそのうちかめ○め波も撃てるかも知れんなぁ」
エンドウくんも合いの手を入れる。
「そんな技で相手をぶっ飛ばしても、すっきりしないだろ」
サクライくんは言った。
「気に入らない相手には、面に拳をぶち込まないと気が済まないタチなんだよ」
「――て言うかお前、かめ○め波をまず否定しろよ」
「……」
やっぱりこの二人にサクライくんが加わると、面白い。二人とも本当に彼のことが好きなんだな、と思う。修学旅行の時よりも、二人がずっと楽しそうな表情をしているのが印象的だった。
その反面、サクライくん自身は、確かに二人のおふざけに上手く合いの手をいれてはいたけれど――まるで子供をあやすように、適当な応対で、二人のおふざけをいなしているだけのようにも見えてしまうのは、私の考えすぎだろうか。
「あ、あの」
そんなサクライくんに、アオイが声をかけた。
「さ、サクライくん。よ、よかったらなんだけど――明日、サクライくんの分のお弁当も、作ってこようか?」
「え?」
サクライくんは目を丸くする。
「あ――あの、どうせ一人分も二人分も作る手間は変わらないし……男の子じゃ、それだけじゃ足りなくないかな、と思って……」
既にアオイの顔は真っ赤で、言葉も尻すぼみしている。緊張が伝わってくるような声の震え方。
「嬉しいけど――いいよ別に。僕は材料費を払えないし、みんなが思ってるほど、コンビニ弁当に不満はない――」
「そうか! サガラさんが作ってくれるのか! そいつはいいな」
サクライくんの言葉に、エンドウくんが言葉をかぶせた。サクライくんに無理にでもお弁当を受け取らせないと、アオイが傷つくと思って、ちょっと強引にでもフォローに入った。
実を言うと、事前の打ち合わせだと、サクライくんが食費の浮くお弁当を拒否するという展開は、あまり考えていなかったのだ。だからエンドウくんは、ここから打ち合わせにないアドリブで、彼にアオイのお弁当を受け取らせようとしているようだ。
「いいじゃないかケースケ。お前、スポーツ強豪校の寮なんかに入ったら、間違いなく毎食ドンブリ飯3杯食わされるぜ。運動センスは抜群なんだ。しっかり食って体がでかくなれば、ユータくらいの選手になることだって夢じゃねぇし。俺達としても、本気で全国大会を狙うからには、お前の成長に期待したいからな」
「……」
サクライくんは怪訝な表情をする。
「でも、僕は材料費が……」
彼には『人の好意』という概念がない。アオイは勿論無料でお弁当を渡すつもりなのに、彼は等価交換以外の価値観を理解できない。だからこんなことを言うのだろう。
「じゃあ、お前の十八番でその対価を払えばいいじゃないか」
ヒラヤマくんが言った。
「お前がアオイさんに勉強を教えるなりして、弁当の分を勤労で返せばいい。お前は芸達者なんだし、女の子の要望くらい、少しは応えられるだろう?」
「ああ……」
サクライくんも頷く。
「そういうのなら、得意分野だな」
「はは、それにお前だって、たまには手作りのものを食いたいだろう」
エンドウくんが言った。
「……」
彼は沈黙を以って答える。
「よし! 決まりだな。サガラさん、ケースケに腹いっぱい食わせてやってくれ。大盛りで頼むぜ」
強引な話の流れだけれど、一応話の筋は通った。やっぱりエンドウくんの機転はこういう時に実に頼りになる。
きっとエンドウくんも、いつもコンビニ弁当しか食べないサクライくんの体を心配しているんだろうな。口に出すのが照れくさくて、こういう形になっているだけなのかもしれない。
「でも、僕、基本的に自由な時間は早朝しかないぞ。弁当作らせる上に、わざわざそんな時間に学校に来させるなんて――」
「だ、大丈夫!」
彼の言葉をアオイの声が遮った。
「大丈夫。私――大丈夫だから」
念を押すように、その言葉を静かに連呼する。
「――そうか」
サクライくんは箸を置く。
「じゃあ――早朝の図書室で、勉強を見てやるよ。時間は君の来やすい時間でいいから」
「……」
え……
朝の、図書室……
――何だろう。彼がその場所を指定した時、心が一瞬、大きく揺れた。
嫌な感じ――何だろう、この気持ちは。
「しかしお前、ロハでは仕事を請けないが、ロハで施しも受けないんだな。お前がケチなのかいい奴なのか、分からなくなるぜ」
ヒラヤマくんが言った。
次の日の早朝、私はいつものように、音楽室でフルートの練習をしていた。
窓の外からサッカー部のグラウンドを覗き込むと、そこには誰もいない。
「……」
――どうしよう。
私は今日、何度も音楽室の時計を見ては、懊悩していた。
私は普段なら、この練習が終わったら、いつも図書室で今日の授業の予習をしている。
でも、今日はきっともう、図書室にはアオイとサクライくんがいて……
――アオイの気持ちを考えたら、私は今日、図書室に行くべきじゃないんだ。
でも、いつも私が練習の後、図書室に行って勉強していることを彼は知っている。フルートの音も聴こえているだろうし、もう私が学校に来ていることは二人にばれている。なのに今日に限って私が図書室に行かなかったら、彼が不審がるかも知れないし……でも、アオイはできれば二人きりでいたいだろうし……
――て言うか、私、二人のこと、気にしすぎだな……
私には関係のないこととわかっているのに、どうしてこんなに気になってしまうのだろう。
「……」
――そして私は、情けないことに、一人、足音を消しながら、図書室へと足を向けている。
アオイの様子を見に行くだけ――ちょっと見たら、すぐ帰るんだから。
――って、私、サクライくんのことになると、こうしてこそこそしたことばかりしているな……自分がしていることが、ストーカーまがいの行動だと分かっているのに、その行動を自分で否定できない。
そんな自分に自己嫌悪しながら、図書室の前に行くと……
入り口の横の壁に寄りかかって、気配を消している、一人の大柄な人影があった。
トレーニングウェアを着たヒラヤマくんだった。
「あ……」
今、私は誰にも今の姿を見られたくないと思っていた。だから、まさか彼がここにいるとは思っていなくて、思わず喉の奥から声が出かかった。
でも、ヒラヤマくんが私を見て、人差し指を立てて、口の前に立てる仕草を見せたので、私は口をつぐんだ。
私が気配を消したのを確認して、ヒラヤマくんは親指で図書室のドアを指差した。
「……」
私はドアの横に立つ。そしてドアの隙間から、中を覗き込んだ。
「――この2√3をここに代入して、あとは判別式通りだ。それは分かるだろ?」
アオイがサクライくんの隣に座って、二人でひとつのノートを見ている。
肩が触れ合うくらいの距離まで彼と近付いて、アオイは戸惑いながらも、何だか嬉しそうで。頬が染まっているのが遠目からでも分かる。
「――訊いてるのか?」
サクライくんが、そんなアオイの様子をいぶかしむ。
「え? あ……」
アオイは急にあたふたする。
「……」
でも、サクライくんはそんなアオイから、すぐに視線を撤退させる。
――全然気付いてないんだ。アオイが自分のことを好きだって。
私の横にいるヒラヤマくんが、両手を持ち上げ、お手上げのポーズをする。
「ご、ごめんなさい。ボーっとしてて……せっかく時間を割いてくれてるのに」
アオイの声。ここで彼に嫌われたら、という不安が伝わってくるようだった。
「別にいいよ。あの二人に比べたら、全然手がかからないから」
しかしサクライくんはいつもどおりの落ち着いた声で言った。
「……」
何だか、私と彼の様子を見ているようで、ちょっと痛々しい……
彼はいつもこうだ。私がいつも困っている時、焦っている時、いつだってそれを急かさない。落ち着いた声で、大丈夫だと言ってくれる。ちゃんと待っていてくれる。
はじめはそんな彼を、口調はぶっきらぼうだけれど、優しい人なんだと思った。男子といると圧迫感を感じていた私も、彼とならば、居心地がよかった。
でも――今は、よく分からない。
彼の時折見せる優しさは、まるで子供をあやすようで。大人が子供のすることに、本気で怒らないように、彼も私達をそんな風に見ているんじゃないか。
彼は私達のことを完全に受け流しているだけで、それがああいう優しい態度に見えてしまうだけなんじゃないのか……
「――ふ」
ひとつため息をついて、ヒラヤマくんが足音を殺して、黙ってそこから立ち去った。
私は黙ったままいかれることに、何となく気持ちの悪さを感じて、彼を追いかけた。階段を下りたヒラヤマくんは、昇降口でトレーニングシューズを履いていた。
「あ、あの」
そこで私は、ヒラヤマくんに声をかけた。
「ああ……」
ヒラヤマくんは自分の下駄箱を閉める仕草のまま、私の方を見る。
「……」
沈黙。
「――ま、ここまでは予想通りの展開かな」
ヒラヤマくんが言った。
ヒラヤマくんは昇降口のスノコの上に腰を下ろして、トレーニングシューズの紐を結ぶため、私に背を向けた。
「あとは、アオイさんがあのケースケの態度を、優しいと取るか、無関心と取るか……それ次第かな」
そうヒラヤマくんが言った時、私はまるで、ヒラヤマくんに自分の図星を突かれたかのように、胸が痛んだ。
私だって今はもう、サクライくんのあの態度が、優しさじゃないように思えてならない。激しく疑心暗鬼している。
でも――それでも私は、まだ彼のことを、優しい人だと信じようとしている。
彼が工事現場で、あれだけ歯を食いしばって働いて――疲れきって眠っている姿も見た。停学になった後の、あの荒んだ空気を纏った彼の姿も、彼がこの学校を今すぐ辞めてもいいと思っていることも、私は知っている。彼が見ているものの中に、他人のことは含まれていないのも、もう十分分かっている。
なのに――それでも彼にああして優しい素振りを見せられると、嬉しくなってしまう自分がいて……
――多分、アオイもそうだろう。彼のことを信じようとする。好意を抱いた相手を信じようとするのは当たり前のことだ。
だから、彼を冷たい人だと思えない……
「……」
「どちらにしても、この先は残酷だな」
ヒラヤマくんが紐を結びながら言う。
「シオリさんは、それを見たくないなら、もう下りてもいいぜ」
そう言うと、ヒラヤマくんは立ち上がった。
「……」
下りる……
できることなら私もそうしたい。今ではアオイの恋に協力すると言ったことを、少し後悔している。
でも……
「まず二人がくっつくことはない、と分かっていても、やっぱり、気になる」
そんな言葉が耳に入る。それは、本当に私の今の心情そのものだった。
私は顔を上げる。
「――そんな顔してたぜ。図書室覗いてた時」
ヒラヤマくんが振り向いて、私の方を見ていた。
「シオリさん、もしかして今、ジェラってるの?」
ヒラヤマくんが訊いた。
「……」
そう訊かれた私は、声が出ない……
そう訊かれて、私は自分の胸が痛むのに、自分の感情はそれを肯定できない。
私は、嫉妬しているのだろうか。
今までは、あの図書室で、彼と一緒にいるのは私だった。あの場所は、私と彼の二人しかいない空間だった。
それが、今日は彼とアオイが、あんな肩も触れそうなくらい、近くにいて……ダンスを踊って、手に触れたこともあるのに、私はあの距離に、今では近付くことができない……
それなのに……
「……」
ヒラヤマくんは、そうして立ち尽くす私に、声をかけずに出て行った。
「――すっげぇ美味い」
昼休み、アオイのお弁当を食べたサクライくんは、そう呟いた。
色とりどりの食材をちりばめ、見栄えも美しいアオイのお弁当は、誰が見てもおいしそうだったけれど、サクライくんはそれを、実に美味しそうに食べた。
あの細身のサクライくんが、一心不乱にお弁当を食べる姿は、彼をよく知るエンドウくんやヒラヤマくん以外のクラスメイトには、信じられないような光景に見えた。
「――しかし、女の子にこんな美味そうな弁当作ってもらいやがって。羨ましすぎるぜ」
エンドウくんが苦々しく言った。
「あー、俺も弁当を作ってくれるような彼女が欲しいぜ」
「お前だって、場所によっては、女の子にもてると思うけれどな」
ヒラヤマくんがエンドウくんにそんなフォローを入れた。
「え? ガンダーラは実在するんですか? どこにあるんですか?」
エンドウくんのそんなおふざけに、私達の周りは大笑いに包まれるけれど……
その中でサクライくんは、黙って一心不乱にアオイのお弁当を、美味しそうに食べていた。まるで何かに飢えているかのように。
そんな彼の姿を、アオイは幸せそうに見つめていて。
そんな二人の姿に、私は目を背けたいのに、目を背けられなくて。
改めて、私はアオイに嫉妬しているのかな、と懊悩する。
――こんな気持ちになる自分がすごく嫌だった。アオイは私の友達なのに。
こんな気持ちを抱いたことはないから、私は自分の今の感情に、名前をつけることが出来ない。
サクライくんとアオイがくっつくことはないと思っていても、やっぱり二人が一緒にいるのは気になる。
幸せそうなアオイを邪魔しようとは思わない。出来ればアオイに傷ついて欲しくないという気持ちは、今でも私は持っているつもりだ。
でも、アオイが傷つかずに済むということは……
そんな私の気持ちに答えが出ないまま、アオイがサクライくんに告白したのは、11月も終わりに近付こうとしている、冬の始まりの日だった。