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Another story ~ 2-28

 2学期の始業式――

 少し身長も伸びて、肌も焼けたサクライくんは、40日ぶりに教室で会うと、1学期の頃よりも、ずっと逞しくなったように見えた。

 私が教室に入ると、彼はもう教室にいて……

 自分の机に一人腰掛けて、何か真剣そうな面持ちで、便箋のようなものに目を通していた。

「あ……」

 不意に顔を上げたサクライくんと目が合う。

「……」

 そのサクライくんの無防備な視線を受けて、私の胸が小さく疼いた。

「お、おはよう。サクライくん」

 それをごまかそうと、何とか私は挨拶を喉から搾り出した。

「――久し振りだな」

 サクライくんは、私にそう言いながら、持っていた便箋を四つに折りたたんだ。

「……」

 彼を目の前にすると、私はいつも戸惑う。

 ぶっきらぼうで、何を考えているかよく分からなくて、無愛想で――中学時代、男子が何を考えているのか分からないと思っていた私にとって、サクライくんみたいな人は、自分の苦手な分野に入る人だと思っていた。

 なのに、男子が苦手だった私が、こうして会話をしている――

 だけど、彼と話をすると、胸が疼く……

 ――私、まだサクライくんの前だと、緊張しているのかな。男子と話しているわけだし。もう話せるようになって日も経つのに、慣れるどころか、日に日に私、彼の前での緊張が酷くなっているような……



 2学期になっても私は、毎日学校に朝6時に来ては、フルートの練習をして、朝7時からは授業の予習をする生活を続けていた。

 そして、始業式から1週間ほど経った日のこと――

 私は朝5時に、部屋の窓を打ち付ける窓の音で目が覚めてしまう。

 朝起きて、窓を開けると、かなり強い雨が、まだ薄暗い早朝の街を包み込んでいた。

「……」

 昨日の天気予報でも、今日が雨だと言っていたから、分かっていたことだけど、いざこうして雨の降る街を目の当たりにすると、私の胸はざわざわする。

 図書室で、今日、会えるかな……2学期も、学校に来るかな……

 会えたら、嬉しいな……

 教室にいると、彼は殆ど教室にいないから、2学期には言ってからは、まだ始業式での挨拶以来、会話を交わしていなかった。

 連絡先を訊ければ、こんな悩みも少しは収まるというのは分かっているのだけれど、私はまだ、男子の連絡先を訊いたことがない。どういうタイミングで訊けばいいのか分からなくて、いまだに私は、彼の連絡先を知らなかった。

 2学期も、晴れた日は彼は毎日グラウンドで朝連をしている。何でも3年生が引退して、彼はヒラヤマくんの推薦で、新チームのプレースキッカーに選ばれたらしい。最近では朝連にヒラヤマくんも参加しだして、彼の蹴ったボールをヒラヤマくんがシュートする練習をよく繰り返している。

 ――ヒラヤマくんがいるんじゃ、図書室には来ないかな……

 そう思いながらも、私は家で、コーンフレークと、昨日剥いて、ラップに包んで冷蔵庫の野菜室に入れてあった林檎の朝食を摂って、家を出る。

 ――音楽室で、今日もフルートの練習を終えて、1学期と同じ、いつもの時間に図書室に下りていく。

 階段を下りて、図書室に向かいながら、私は何度も深呼吸を繰り返した。自然に自然に――1学期も同じだったんだから、と、自分に言い聞かせて。

 そして、図書室の扉の前に到着。

 私は、もう一度深呼吸をして、湿気を帯びた自分の髪を少し直してから、図書室の引き戸に手をかける――

 その時。

「さ、サクライくん! 私と付き合ってくれませんか?」

 そんな声が、おもむろに引き戸の向こうから聞こえてきた。

 私は、わっ、わっ、と言う声を必死に飲み込みつつ、ばっと引き戸から手を離した。

 な、何? 何なの?

 私はその場から立ち去ろうとも考えたけど、あまりの唐突な出来事に、動けなくなってしまう。学校は早朝で静かだし、ちょっとでも物音を立てたら、私がここにいることに気付かれてしまうかもしれないし……

「――先輩」

 よく通る声を、わざと低くして喋るような、落ち着いた独特の声――サクライくんの声が聞こえる。

「僕にそんな冗談言いに来てる前に、受験勉強を頑張る方が利口ですよ」

「じょ、冗談……」

「大学入れば新歓コンパで男もちやほやしてくれるし、彼氏が欲しいならその時の方が選り好みできるじゃないですか。わざわざこんな時期に新しい彼氏を作ろうなんて、非効率なことするのは時間の無駄でしょう。彼氏が欲しいなら、浪人しないように受験勉強頑張る方がいいですよ」

「……」

 取り付く島もない。実に丁寧で物腰柔らかいけれど、彼はもう、完全に言葉で相手の女性を拒絶している。目の前にいるのに、きっともうその目には映っていない。

「――すいません。出来れば朝は静かに過ごしたいんです。疲れているんで――用が済んだのなら、もう……」

 そうサクライくんの声が聞こえたと思うと。

 いきなり図書室の引き戸が開いて、一人の女性が飛び出してきて、そのまま私のいる方向とは反対側の方へと、脱兎の如く、駆けていってしまう。あまりの勢いで、きっと私の姿は目に入らなかっただろう。

 一瞬横顔が見えたけれど、すごく綺麗な先輩だった。子供体系の私より、ずっと背が高くて、顔のパーツもくっきりしていて……そんな先輩は、目から大粒の涙をこぼしていた。

「……」

 図書室の、開きっぱなしの引き戸。

 ――そうか。そうだよね。入学当時から、あれだけ学校に名を売ったんだもの。元々顔立ちは綺麗なんだし、彼が学校でもて始めるのは、当たり前か……

 私はもう、あまりの気まずさに、そこから立ち去ろうとも思ったけれど……

 私の心にも、さっき彼が言った言葉の余韻が残っていた。あの相手を気遣うような言葉の裏にあった、誰も寄せ付けないような、強い拒絶……

 彼からそんな、強い拒絶の意志を感じたのは、初めてで。

 今、彼がどんな顔をしているかが、妙に気になった。

 私はそっと、引き戸の外から、ひょこっと顔だけを出して、中を覗き込んだ。

 そして、1学期と変わらない場所に、彼の姿を捉える。

 頬杖を突いて、何か本のようなものに目を落としている。

「……」

 その姿は、彼の言葉どおり、何だか酷く疲れているように見えた。1学期の衣、この時間の彼は、目がとろんとしていて、眠たそうな顔をしていることが多かったのだけれど、それとは違う――もっと体の奥からの疲労が、体に重くのしかかっているような。

 座っている彼の姿に、そんな印象を覚える。

「ん?」

 私の気配を感じて、彼は顔を上げる。

「あ……」

 私は、今の自分の状況をどう説明していいか分からず、体が固まる。

「――聞いてたのか」

 サクライくんはそんな私を見て、深いため息を吐いた。

「ご、ごめんなさい……き、聞くつもりはなかったんだけど……」

「――いいさ。別に」

 うろたえる私を気遣ってか、それとも面倒臭いからか、私の謝罪を彼はあっさりと受け流した。

「……」

 私はそのまま、図書室の入り口に立ち尽くす。

 彼のさっきの言葉の裏に隠された、あの強い拒絶。

 それが私にも向けられたらと思うと――

 ――怖い。近付けない……

 何でこんなに足が竦むのかも分からないけれど……

「――どうした?」

 だけどサクライくんは、そうして足の竦む私を見て、怪訝な表情を向ける。

「……」

 もう見つかってしまった以上、ここで踵を返すのも不自然だと思って、私は図書室の中に入り、引き戸を閉めて、彼の前の席に荷物を置いて、座った。1学期の頃と、全く変わらない二人の距離。

「……」

 彼は優しい。私がうろたえているときは、いつだってそれに触れないで、気持ちが綺麗になるまで、待っていてくれる。

 さっき聞こえた言葉だって、私の思い違いかもしれない。彼の言葉に感じた拒絶も、私が勝手にそう思い込んだだけかもしれないと一瞬思う。

 でも――

 よく考えると、彼はエンドウくんたちといる時だって、そうなんだ。ある程度のところまでなら、自分の領域に二人を踏み込ませてはいるけれど、それ以上のところに二人が踏み込むのを、決して許してはいない。

 彼のその一途な目は、近くにいるのに、私達のことを見てはいない。もっと何か、ずっと遠くにある、何かを見ている。

 その時、夏休みに訊いたミズキの言葉を思い出す。

 あなたの心には、もう既に大切な人がいて――その人以外は、自分の心の中に入れてくれないの?

 聞きたい――彼の心にあるものを、少しでもいいから……

「あ、あの……」

 私は意を決して、サクライくんに声をかけた。

「あ、あの――さ、サクライくんって、彼女とか、いるの?」

「はい?」

 サクライくんはそんな私の質問に、首を傾げた。

「――あ、ううん。実はあのサッカー部の決勝の後、クラスのみんなで集まって。どうしてサクライくんって、打ち上げとかいつも参加しないで、アルバイトばかりしているんだろうって話になって。そしたら、彼女とのデート資金のためじゃないかって、話になって……」

「……」

 その時サクライくんは、ふっと一瞬だけ笑みをこぼした。

 私はその笑みに、ひとつの違和感を覚える……

「そんなのいないよ」

 それからサクライくんは、つっけんどんにそう答えた。

「あ――そ、そうなんだ! えへへ……」

 私は思わず引きつった笑いが出てしまう。

 ――そうか……彼女はいないんだ。

 ――あれ? 何で私、ほっとしているんだろう……

「――マツオカは?」

 しかしほっとしている私に、彼の質問が飛ぶ。

「え?」

「――だって、ミスコン優勝者だし。もう何人か男をとっかえひっかえしたのかなって」

「そ、そんなこと、してないよ!」

 私はとっさに立ち上がって、大きな声が出てしまう。

「――どうした?」

 彼は突然の私のリアクションに、呆気に取られている。

「あ……」

 私は立ち上がったまま、体が固まる。

 ――何やってるのよ、私……なんで彼の前だと、こう上手くいかないの?

 でも……

 彼はまだ、私の恋愛の妨げにならないように、私と距離を置いてくれるつもりで、こういうことを訊くのかな……

 そういう気遣い、嬉しいんだけれど、何か嫌だったんだもん……

「ご、ごめんなさい」

「いや、いいけど」

 二人の間に、ぎこちない空気が流れる。

「……」

 ――この人、本当に彼女がいないみたいだ。

 私に対しての言葉も、彼女がいないと言った時も、まるで自分は恋愛というものに関わる必要がないと、はじめから二つの事象を全く関係のないものとして切り離しているかのようなものの言い方だった。私が男とどういう付き合い方をしようと、自分には関係のないことだと切り離している。

 まるで、自分が誰かから愛されるなんて思っていないし、愛される必要すらも感じていない。そんな感じだ。

 ――彼の中で、恋愛って、どんな定義づけになるのだろう。

 私もまだ、恋愛なんてものの定義かが自分の中で出来ていないけれど、いつか訊いてみたい。彼なら恋愛を、どういう風なものの見方で捉えるのか……

 ――何故、今聞いてしまわなかったかって?

 それは、私が彼に、彼氏がいるかを訊いた時、明らかに彼の周りに流れる空気が変わったからだ。

 正確に言えば、その後、一瞬だけ彼が小さな笑みをこぼした時から……

 ――後から思えば当然だ。彼は本当に、自分が生きるために、爪に火を灯すような思いで、疲れた体に鞭打って働いて貯めたお金を、そんなあぶく銭のためだなんて思われていたなんて、あまりに彼に対して失礼なことだ。彼の心中を察すれば、あまりに子供な私達に対して、腸が煮えくり返る思いだっただろう。

 私はこの頃、幾度となくこうして、彼を無神経に傷つけていたのが分からなかったのだ。

 それでも、この頃の彼は、体にのしかかる疲労に加えて、その胸を憤怒の炎で満たしながらも、そんな素振りを私達に少しも見せることがなかった。

 それに……


――彼は始業式の約3週間後の全校集会で、また全校に名前を売ることになる。

 夏休みの課題である読書感想文や、絵画、英語論文が、全て全国レベルの評価を受け、英語論文は、アメリカの国連主催の弁論大会の参加も打診されているというほどだという。

「サクライ・ケースケ! 壇上へ! サクライ! くそ、またあいつはサボりか」

 しかし彼はその全校集会をサボっていたために、壇上で表彰を受けることはなかったのだけれど。それどころか、アメリカでの弁論大会の話もあっさり断ってしまい、学校のメンツを丸潰れにしたらしい。



 これだけ優秀な成績を収めて、彼のパフォーマンスは2学期も換わらず健在で、彼を心配することなど、何もないのだとみんな思っていた。

 でも――彼の快進撃もここまで。

 あの事件を機に、彼は大きく自己のバランスを崩し、その胸に秘める美しい流れを、どんどん澱ませていくことになるのだった。


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