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Another story ~ 2-27

 コンクール当日、私達はさいたま市内の市民会館で、自分達の演奏順を待っていた。さっきまでステージで他校の演奏を聴いていたのだけれど、今はステージの裏に移って、楽器の最終チェックを各自行っている。

 はっきり言って埼玉高校の吹奏学部は、全国大会を狙える段階にはいない。練習時間も、部員数も少ない。いわゆる、自分達の演奏を楽しむという段階にいるような部活だ。

 今まで全国大会のコンクールを目指していた私からすれば、ステージの規模も小さい。

 だけど……

 今回、私は一年生にして、フルートのソロパートを与えられてしまった。

 自分ひとりの演奏なら、結果がボロボロでも、自分だけの責任だ。でも今日は違う。私にとってはじめての、みんなでの演奏。

 今まで経験した演奏会とは、また違ったプレッシャーだ。

 ここからでも、ステージで演奏している他校の演奏が聴こえて来る。やっぱりみんな上手い。

「……」

 ――でも。

 私は初心者だ。技術に対してのことは、残念だけど言い訳は出来ない。

 ここでひるんでしまっては、演奏の時、指が動かない。

 それよりも、与えられたチャンスは、自分で掴みにいくくらいの気持ちで――今の自分に、何が出来るのかを、しっかり考えて、ステージに立たなくちゃ……

 ――あれ? これって、全部サクライくんが言っていた言葉だ。

 そう思ったら、何だか少しおかしくなってしまって、一人笑ってしまう。

 ――彼は今、サッカー部の試合に帯同して、県予選の準決勝を戦っている頃だ。なんでもエンドウくんと一緒に、毎試合後半から途中出場して、かなりの活躍を見せているらしい。新聞の地方欄にも、無名の埼玉高校の1年生トリオとして、特集されていた。

 決勝に勝ち進んだら、私達も応援に行く――

 ――その時、大会であがって何も出来ませんでしたって気持ちで、サッカーの試合を見たくない。彼の前で演奏したくない。

「あれ? シオリ」

 私の隣で、アルトサックスを持つミズキが、肘で私を小突いた。

「さっきまでガチガチの顔してたのに、随分リラックスできたみたいね」

「えへへ……」

 私は照れ笑いが出る。自分のモチベーションが、すごくいい感じになってきた。

「シオリ、すごいな。私は中学の時から、コンクールのこの感じは苦手で……」

 隣のアオイはホルンを持ちながら、引きつった笑いを浮かべていた。



 そしてその3日後、私達は埼玉にあるプロサッカーチーム、浦和レッズの本拠地にして、高校サッカー埼玉県予選決勝の舞台、埼玉スタジアムに来ている。

 埼玉高校サッカー部は、創設以来初めて、県予選決勝にコマを進めたのだった。この時点でヒラヤマくんは、もう既に県予選得点王を確定させていて、その活躍によるものが大きかったけれど。

 埼玉スタジアムは、私のイメージするサッカー場というのは、一線を画するような広さで、私はまるでおのぼりさんのように、周りをきょろきょろ見回していた。公式のサッカー場にくるのは、これが初めてのことだ。まさかこの2年後、このスタジアムのVIP席に座れることになるなんて、まだ考えられなかった頃。

 決勝の相手は武栄高校。埼玉県のサッカー界では伝統の強豪校らしい。私立のマンモス校で、吹奏楽部やチア部の規模も桁違いで、本格的な応援団もいる。全校生徒総動員の応援に加え、父兄やOBもいるだろうその応援団は、3000人はいそうだ。

 対する埼玉高校は、県立で応援団の遠征費用も出ない(というか、ここまで運動部が勝ち進むこと自体が前代未聞なので、予算の想定に入っていなかったのだろう)上に、3年生はもうこの時期、殆ど全員、予備校か学校の夏期講習会に参加して不在。まともな応援団も存在しないため、エール交換もできないという有様だ。来ているのは私達吹奏楽部と、チア部、そしてサッカー部の父兄と生徒がちらほら――それらを全て合わせても、200人にも満たないだろう。最大6万人収容できる、国内トップクラスのビッグスタジアムだから、余計にその数の貧相さが目立つ。

「あ、シオリ、アオイ、ミズキ!」

 でも、私達のクラスメイトの殆どがスタジアムに顔を出していて、夏休みの仲、みんなと再会できたのは嬉しかった。

「みんな、焼けたね」

「えへへ、彼氏と海に行ったから。シオリは相変わらず白いなぁ。羨ましい」

 クラスメイトとは、約1ヶ月ぶりの再会だ。やっぱり16歳の夏休みでは、少し会わないだけで印象が変わる娘もいっぱいいる。髪の色を、普段学校では出来ないほどに明るくしている娘もいる。一瞬、誰だか分からなくなった娘もいる。

「しかしミズキは不機嫌そうね」

「あー暑い……なんでこんなところで応援なんか……」

 ミズキはこの炎天下の中、こんな遠くまで連れ出されたことで、不満を漏らしている。

「でも、全国大会に言ったら、私達、きっと毎試合応援に来るようだよね」

 その様子を見ていたアオイが言った。

「この前エンドウくんが、全国に行ったら、全国大会応援のマネージャーをやるアイドルが学校に来るかも、って言ってた」

「あはは! エンドウくんらしいね。そんな理由で頑張るなんて」

「……」

 なんだかんだ言って、みんなあの3人のこと、気になっているんだろうな。

 でも――悪くない。この学校は、高校生活を楽しむとしたら、この1年しかないんだから。

 そんな1年を、あの3人と同じクラスで過ごせる私達は、すごく運がよかった。

 そして、私はサクライくんと出会った。自分を変えたいと願う私に道を示してくれて、迷った時には背中を押してくれて……

 私は、サクライくんに出会えて、本当によかった。

「あ、あそこにいるよ」

 クラスメイトの一人が、オペラグラスを覗いて、3人を見つける。

 その娘が見る方向に目を向けると、試合前の3人は、揃ってグラウンドの外――ベンチ横のアップスペースを走って、アップをしている。

「3人とも、頑張ってー!」

 クラスメイトが近くに来た3人にエールを送ると、それが聞こえたエンドウくんは、私達にVサインを見せた。

 ――スターティングメンバー発表では、今まで通り3人のうち、スタメンはヒラヤマくんだけ――エンドウくんとサクライくんはベンチスタート。

 試合開始のホイッスルが鳴ってから20分後、埼玉高校の応援席は、完全に武栄高校の応援に飲み込まれてしまう。

 前半20分で埼玉高校は、あっという間に2点を決められてしまった。序盤から武栄高校は全員で傘にかかって埼玉高校ゴールを侵略しにかかり、まだ県内でも中の下程度の力しかない埼玉高校の守備陣は、強豪校の怒涛の攻めに、なす術もなく飲み込まれた。

 ゲームプランの崩れた埼玉高校は、前半20分で早くも一枚目のカードを切り、エンドウくんを投入。相手に支配され続けている中盤の鎮火を彼が担ってくれたおかげで、ようやくゲームが落ち着き始める。

 だけど、もう遅かった。エンドウくんが投入されてからは、武栄高校はフォワードを一人前線に残してはいたが、残りの10人は完全に引いてしまった。当時の埼玉高校には、優れたドリブラーも、正確無比なパサーもいないし、セットプレーでヒラヤマくんの力を引き出せるフリーキッカーもいなかった。さすがのヒラヤマくんも、これだけ引いて守られたら完全に孤立してしまうし、ボールを持てば、一気に囲まれてしまう。

 当時埼玉高校で、一番パスの上手いエンドウくんが、ボランチの位置からヒラヤマくんにロングボールを放り込み続け、何とかそれをヒラヤマくんが意地でねじ込んで、1点を返したけれど、元々地力が違う。そのまま2-1で試合終了のホイッスルが鳴る。スコアは1点差だけれど、そのスコア以上の大敗だった。

 そして、サクライくんはこの試合、最後まで出番がないまま敗退した。

 試合終了後、もう交代枠を使い切ってしまったため、アップをやめてベンチに戻っていたサクライくんが、ベンチに座って、その試合をじっと見ていたのが印象的だった。

 がらんどうのような目――味方の敗戦にも、何の情緒も沸かない目が。



「あー悔しい! 何でジュンを先発で使わないんだ。何でケースケを投入しなかったんだよ」

 試合が終わった後、私達は久しぶりのクラスメイトの再会を兼ねて、埼玉高校の県予選準優勝の慰労会をカラオケで開いていた。

 普段クールなヒラヤマくんも、サッカーのことになると黙ってはいられないようで、はじめから随分とエキサイトしていた。さっきまでB’zをエンドウくんと二人でやけくそになって熱唱してみても、今日の試合のストレスが発散できないようだった。

「ユータ、それ以上は監督批判になるぜ。いい加減やめとけ」

 エンドウくんがそんなヒラヤマくんを諌めた。

「でも、今日の試合は完全にうちのベンチワークを読まれていたな」

「だろ? 相手は完全に、お前とケースケが出る前に、勝負を決めにかかってたぜ? 失礼だが、うちの先輩達がたいしたことねぇの、はじめから相手の監督に見破られてやがった」

 ヒラヤマくんが苦々しく言った。

 私も同感だ。今日の試合に限っては、完全に采配負けだ。

学生スポーツのような一発勝負では、大体前半はどのチームも試合の入り方に気を配って、はじめから早いペースの打ち合いはしない。だからどちらも勝負をかけるのは後半――そこで足の速いサクライくんを投入して、中盤で相手を走らせ、疲れさせ、隙を作りやすくさせる。相手が疲れてくれれば、技術に乏しいサクライくんの速さが生きる。そしてヒラヤマくんが後半に点を取り、その点をエンドウくんを中心に守りきる――それが埼玉高校の必勝パターンだったはずだ。

しかし、相手が前半に試合の入りを大事になんて考えず、序盤からいきなり攻め立てられてしまうと、この磐石の試合運びはザルの計略に一変する。

「ま、しゃあねぇさ。お前と違って俺達は無名なうえに1年だし、決勝までに先発で使おうって信頼を監督から得られなかった俺達も悪い」

「でも、今日サクライくんの出番がなかったのは、どうしてなの?」

 クラスメイトの一人が聞いた。

「ああ――多分監督が、こんな大事な場面で初心者入れて、あいつのヘマで負けたら自分の采配ミスになるからな。使うのに躊躇しちまったんだろ。ユータのゴールで1点差になっちまったし、その場面で余計初心者は入れにくいよ」

 エンドウくんが説明した。

「ま、気持ちは分からんでもないが、もううちの先輩の身体能力のレベルじゃ、相手は安心して守ってたからな。イチバチでもいいから、あいつを投入して欲しかったぜ」

 エンドウくんはため息をつく。

「――おっと、どうも負け試合の後だと愚痴っぽくなっていかんね。しかしこの大会、手ごたえはあった。ケースケがまさかこの短い期間であんなにサッカーが上手くなるとは思わなかったし。あいつがこれからパスとかの技術を身につけたら、マジでお前とケースケのホットラインが現実になりそうだし。全国だって夢じゃねぇぜ」

 湿っぽくなるのを嫌って、エンドウくんは明るい話題を提起した。

「――で、そのもう一人のキーパーソンは、そんな二人の期待をよそに、今日もこうしてみんなの再会と、敗戦に浸ることもなく、バイトに出かけた……ってわけね」

 ミズキがウーロン茶を手にしながら、言った。

「……」

 もう一人のキーパーソン――サクライくんは、試合が終わるとまた今日も一人でさっさと帰ってしまった。クラスメイトの多くは、サクライくんとの再会も楽しみにしていたのに、みんな残念そうな顔をしていた。

 敗退が決まった瞬間のサクライくんの目には、悔しさも無念さもなく、ただただ無風の水面のように静かな視線を向けているのみだった。サッカーの情熱など皆無。試合に出なかったのも、バイト前の休憩程度の認識しかないような……

「サクライくんって、ホント、打ち上げとかに顔出さないよね。ディズニーにも来なかったし。そんなに毎日働いてるのかしら」

 クラスメイトの一人が疑問を提示した。さすがにみんな、彼の行動の不可解さに疑問を抱いているようだった。

「どうかなぁ」

 ミズキが首を傾げた。

「実は内緒で付き合ってる彼女がいて、その娘に会ってるとか。バイトして、その女の子に貢いでるとかね」

「え?」

 アオイのびっくりする声。

「だって不自然っていうか――異常でしょ。あんなにバイトばかりしてるなんて。絶対彼女とのデートか何かにお金使ってるでしょ」

「……」

 そ、そうか――今まで考えたことなかったけれど、サクライくんが学校外に恋人がいる可能性だって、あるんだよね……

 みんなは知らないけど、彼のいた中学は国内有数の私立進学校だ。都内のお坊ちゃんばかりが集まる学校だし、その中で3年間主席、その上あれだけスポーツ万能で、顔立ちも女の子より綺麗なら、他校の女子が放っておかないだろう。もしかしたら、私立のお嬢様と、合コンとかも経験済みかも……都内の高校生って、そういうの進んでそうだし。

「……」

 どうしよう――サクライくんに彼女とかいたら。

 どんな(ひと)だろう――あのサクライくんが、心を開く女の子って。

「そりゃないと思うよ」

 ヒラヤマくんが言った。

「あいつのバイト先のコンビニ、俺達練習後によく行くもん。マジであいつ、働いてるよ」

「え? コンビニで働いてるんだ。サクライくん」

「ああ、文化祭の時に知ったんだけどな」

 エンドウくんが言った。

「あいつ、バイト先では割と人気者みたいだぜ。近所のじいちゃんばあちゃんにも慕われてたし」

「へえ、私も今度行ってみたいな」

 クラスメイトの誰かが言った。

「しかし、あいつすげぇよ。サッカー部の練習もきついのに、自分で組んだ練習メニューもやってるし、その上バイトして、勉強もやってるんだろうし。初心者だったサッカーも、たった4ヶ月であそこまで上手くなって」

「あいつのスタミナは底なしだな。体は小さいけど、超人だよ、あいつは」

 ヒラヤマくんとエンドウくんが、彼をそう評した。

「……」

 この時、もうエンドウくんも、ヒラヤマくんも、他のクラスメイトも、もちろん私も――サクライくんのことを、不可能など何もない超人だと、信じて疑っていなかった。誰ももう彼を、ただの15歳の少年だと見る人間はいなかった。

 だけど――そんなことはないのだ。

 高校に入ってからの彼が、自分の力だけで生きていくということに必死で、心が揺れないように、がむしゃらに生きていたことを、まだ私達は誰も知らなかった。

 そして、そんな生活の中で、彼が日に日に疲弊していっていることに、まだ誰も気がついていなかった。

 その疲労が、もう既に彼を押しつぶす寸前にまで来ていたのに……

 しかも、この時の私が、ミズキの言った一言を、妙に意識してしまっていた。

 サクライくんに、彼女がいるのか――

 彼のことも考えずに、そんなことが頭の中にずっと渦巻いていたのだ。

 私は本当に、どうしようもない愚か者だったんだ。


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