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Another story ~ 2-24

「その方が僕としても都合がいい」

 呆然としている私に、サクライくんの声が響いた。

「あの時、タカヤマが言っていた言葉、僕も考えてみたんだ。君と近くにいることは、決して僕にとっても悪い話じゃないって。はじめは方便だと思ったが、確かにそうだろうなとも、最近思えてきたからな」

「……」

「正直僕はこの学校に何も期待していなかったが、君みたいな頭の回転の速い努力家が、僕に挑んでくる状況ってのは、ちょっとは刺激的だ。君と近い関係にいるのは、僕にとってもモチベーションの意味でメリットがあるしな」

「……」

「今後は僕も誤解させない行動をとるし、誤解されたら君の名誉くらいは最低限弁護するから、君は好きに行動してくれ」

「――うん……」

 私は何とか、返事を搾り出した。

「――そうか。まあ好きにしたらいいさ。僕も、全然知らない奴のことよりは、君のことを優先するしな。誤解を解くのは、僕が身軽になるためにも必要だ」

「……」

「――長居をしたな。僕はもう出て行くよ。ゆっくり休め」

 そう言って、彼は私の言葉を訊かずに、引き戸を開けて、出て行ってしまった。

 一人保健室に残される。横たわる私の眼前には、保健室の白い天井。

「……」

 ――そういうことか。あの言葉の意味は。

 一人がっかりしてしまった私自身に、自嘲を浮かべる。

 あの文化祭のダンス以来、私は彼に、少しは近い存在になれたのかと思っていた。

 でも――全然違う。

 あの人は、自分の力のため――自分にメリットのあることにしか興味がない。

 この学校にも、クラスメイトにも、もちろん私にも、ひょっとしたら、エンドウくんやヒラヤマくんも……

 私を引き止めたのが、モチベーションになるといったのも、きっと、念のため程度の認識しかない。はじめから彼は、一人で結果を出す気だ。私がいてもいなくても、あの人は前に進み続ける。歩みを止めない足取りに、何の変化もない。

 今の私と彼の、大きな溝を、そこに感じる。

 ――胸が痛い。

 どうして、こんな気持ちになるんだろう……

 サクライくんが、カーテンの中に入ってこなくてよかった。きっと今の私は、酷い顔をしているだろうから。



「――はぁ? あの子、そんなこと言ったの?」

 保健室で2時間休んだ私は、3時限目には授業に復帰した。そして今は放課後――吹奏楽部の練習が終わって、私は準備室で、タカヤマ先生に捕まっていた。先生はどうやら、私とサクライくんのことを気にかけているらしい。

 夕日の差し込む準備室――あの時と同じ場所。同じ時間。

私の話を訊くと、先生は呆れ顔を浮かべながら激した。

「はぁ――あの子、天然ジゴロというか――男子校にいたからか、女の子のこと、全然分かってないのね。女の子に、僕の近くにいろなんて、いくら他意がなくても、言っちゃダメだわ」

 先生の溜め息。

「……」

 彼は男子校出身だ。だからかな。彼の他人との接し方は、あまり性別の垣根を感じない。

 それは、男子が苦手な私にとって、いいことも多いけれど……

 それが、最近になって、悪いことのようにも感じ出す。

 理由もよく分からない。何故私が、彼の言葉に、こんなに沈むのかも……

「あの、先生」

 私は先生を呼んだ。

「あの時、先生、言いましたよね。サクライくんも、私から学ぶものがあるって」

「ああ、うん、言ったわね」

「あの――それって一体、何なんですか? 私自身はそれが全然分からないんですけど」

 私はそれを訊いていた。

 今の私達の関係は、実に片務的――私が彼から与えてもらうばかりで、私は彼に、何も与えられていない。もちろん彼もそれに期待してはいないのだろうけれど。

 私だって、一緒にいることが許されるなら、少しくらいでもいい、私の存在が、彼の益になって欲しいと思う。

 でも、私には、それが何なのか分からない。

「うーん」

 先生は首を傾げた。

「マツオカさんも、サクライくんも、この学校でも稀に見る俊英だけど、二人のタイプって全く違うわよね。あなたは周りに合わせる『和』に長けているけれど、彼は絶対的な『個』よね。でも、どちらにも言えることは、二人ともそれが極端すぎるんじゃないか、ってことなのよね」

「極端?」

「そう。マツオカさんは周りに気を配りすぎるせいで、自分個人の気持ちとかを表現するのが苦手でしょ? そしてサクライくんの協調性のなさ、団体行動の出来なさは、言わずもがな……」

 先生はふっと笑った。

「そんなマツオカさんが、サクライくんから学べることっていうのは、確かにあると思うの。まあ、他の先生方は、あなたと彼が親密になるのは、あまり快く思っていないけれど――あなた風に言えば、自分の気持ちを行動で表現する方法――かな? 確かにそれはあなたになくて、彼が持っているものだと思う。自己実現なんて、実際は自分で獲得しなくちゃいけないもので、彼はそのためには、力と覚悟が必要だってことを、よく知っているわ。学校での行動だって、自分の行動が失敗すれば、人一倍非難されることを承知の上で、それも覚悟してやっているからね。その点は、あなたも見習うところがあると思う」

「力と、覚悟……」

 自己実現には、力と覚悟がいる。今の私には、その言葉の意味がよく分かる。

 私は周りに気を遣いすぎて、自分の気持ちを押し通すのが苦手だ。最後は結局自分を押さえ込んでしまう。この学校で主席をとっても、それだけでは自分の生き方なんて見えてこない。

 そんな私は、そのサクライくんの凛とした覚悟に驚嘆し、憧れたのだから。

「でも、マツオカさん」

 タカヤマ先生が、私の目を覗き込む。

「あなたはサクライくんを尊敬しているみたいだけれど――サクライくんの生き方が全てじゃないってことは、あなたにもわかるでしょ?」

「……」

「あの子の生き方は、むしろ間違っているわ。このままだと、あの子はいつか確実にひとりぼっちになる。あの子自身、今の生活が、ちっとも楽しそうじゃないもの。あれだけの力を持ってて、ちっとも幸せに今を生きてるって感じがしないでしょう?」

「あ……」

 そう言われて、私は改めて彼を思う。

 私は、彼が本当に笑っているところを、見たことがない。

 自嘲とか、愛想笑いのような作り笑いならみたことがあるけれど、彼が本当に心から笑っている姿というのは、まだ見たことがない。

 それどころか、彼の目が怒りや悲しみ以外の感情で満たされているところさえ、見たことがない。眠っている時でさえ、安らいでいる印象を抱くどころか、まるで野生動物が頭のどこかを緊張させて眠るような、そんな印象で。

「あの子、いつだってぶすっとしてるじゃない。だけど、あの子だって顔はいいんだし、もう少し目元が柔らかくなったら、きっとそれはすごくいいことだと思うのよ。あの子の力も、今は自分のためにしか使わないけれど、誰かのために使われることになれば、すごく素敵なことだと思うし」

「――そうですね。でもそれを本人に言ったら……」

「そうね。多分聞き入れないでしょうね。下手したら、怒るかもしれない」

「……」

 私だって、サクライくんがそんな風になってくれたら、とても素敵だと思う。

 でも――あの人は今、自分の人生に生きることに必死だ。それだけに、事情を何も知らない外野が、彼の人生に口を出す権利もない。それに大多数の人間が、彼よりも怠けているのだから、そんな人間の言葉などで、彼の人生を批判されたら、彼だって怒るのも当然だ。

「だからね、そうなってくれるには、本人が自分からそういうことに気づかないとダメなのよ。自分には、力以外にも目を向けなくちゃいけないものがある、ってね」

「力以外に、大切なもの……」

「そう。私は彼に、マツオカさんとの付き合いの中で、そういうことを学んで欲しいのよね」

 先生は私の目を覗き込む。

「え?」

「ふふ……」

 先生は、戸惑う私に笑いかける。

「マツオカさん、自分じゃ気づいていないかもしれないけれど――あなたの笑顔って、とっても素敵よ。見ているこっちも幸せになるような、そんな風に笑うし。あなたが頑張っている姿を見ると、こっちも何だか頑張らなきゃ、っていう気持ちになるのよね。それは、あなたが今まで人と接してきた中で培われた才能だと思うの。表情がとっても素直だし、口下手だけど、相手に伝えようって頑張って言葉を紡いでくれる時とか、あなたの優しさを、ふっと感じるわ」

「……」

 ――似たようなことを、エンドウくんに言われたことがある。

 私の頑張っている姿を見ると、周りもそんな気持ちにさせられる――本当にそうなのかな。だとすれば、嬉しいけれど……

「マツオカさんは美少女だけど、それだけの理由なら、ミスコン、あれだけぶっちぎりで優勝はしないと私は思うわ。あなたの表情のひとつひとつにこめられた優しさに、みんな票を入れたと思うのよ。ミスコン優勝は、それを裏付けた結果のひとつね」

「……」

「だから、マツオカさん。あなたと一緒にいたら、もしかしたらサクライくんも、少しは目元が柔らかくなるかもな、と思って、私は彼をあなたにけしかけたの」

「え?」

「見たところ、あの子は誰かにあまり優しくしてもらえたことがないみたいだしね。そんな彼に、あなたのその優しい微笑みを向けてあげていれば、そのうち彼も少しずつほぐれていくかもしれないから。私は彼に、マツオカさんを通じて、そういう気持ちを少し学んで欲しいのよね。私はマツオカさんには、そういう、人を優しい気持ちにさせる才能があると思うから」

「……」

 私にそんな力があるかは、正直私には、よく分からない。

 でも、現時点でひとつだけ言えることは。

 私は、彼に与えられるだけの存在ではいたくない、ということだけ。

 タカヤマ先生の言うことは抽象的で、私が具体的に何をすればいいかという答えにはならなかったけれど。

 私だって、彼が心から笑っているところを見てみたい。

 そしてそれが私にとってのものであれば、とても嬉しい。

「――それにしてもマツオカさん」

 そう再び私に呼びかけた先生の目は、私をからかう時の、あの小悪魔風の目になっていた。

「マツオカさん、サクライくんに、僕の近くにいろ、って言われた時、相当ドキドキしちゃったんじゃない?」

「へっ?」

 そう言われて、私は図星を突かれて、目を見開いてしまう。

「――どうして、それを……」

 私は思わず口走ってしまう。その2秒後に、自分が地雷を踏んだことに気づく。

「あ、あの、今のは……聞かなかったことに」

 私の視線は重力に逆らえなくなり、自然に下がっていく。

「ふふ――どうやらマツオカさんも、サクライくんを通じて、色々と学ぶ感情があるみたいね」

「え?」

「ふふふ……」

 先生は意味深な笑顔を浮かべる。

「ま、マツオカさんも、乙女ってことよね。いつだって、男を奮い立たせるのは、女だっていうし、マツオカさん自身も――ね」

「……」

「まあ、私からも彼に色々話してみるわよ、これからも今まで通り話すように、って」

「……」



 ――次の日になっても、私とサクライくんの関係は、今までと変わらず続いた。無視をしたり、遠ざけたりするようなことをサクライくんはするわけでもなく、かといって、距離が縮まったわけでもなく。教室では殆ど離せなかったけれど、早朝に雨が降っていれば、いつものように、顔を合わせて一緒に勉強が出来るくらいの距離感。

 あのサクライくんの発現が効いて、私と彼が付き合っているとやっかまれることも激減した。

 それは私としても喜ばしいことだけど。

 今の私には、気になることがある。

 アオイのこと――

 アオイの気持ちを知りながら、私はこうして彼と一緒にいていいのだろうか。

 でも、私自身、それを知っていても、どうしてあげればいいかも分からないし、サクライくんもアオイの気持ちに気づいていない。

 だから結局、どうしてやることも出来なかったけれど――



 この頃から、私とアオイ、そしてサクライくんの3人は、あの悲しみを背負うことが、既に確定していたのかもしれない。

 アオイのことを分かっていても、何もできずに見ているだけ――いや、私は傷ついている人を見殺しにするどころか、もう十分傷ついている人に、もっと深い傷を、私は与えてしまった。

 私には、誰かを優しい気持ちにさせる才能があるといわれたけれど。

 私がこの時に限れば、私は自分のせいで、二人の大切な人を、本当に深く傷つけてしまった。

 アオイも、サクライくんも、私が……


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