表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
219/382

Another story ~ 2-21

 文化祭が終わり、6月も半ばになると、関東地方に梅雨前線が到来する。湿った風が、日本一暑い都道府県とされる埼玉県の日差しと相まって、べとつくように体に生ぬるくまとわりつく。学校ではみんなが半袖のTシャツ1枚で登校するようになったけれど、それでも県立の教室にはクーラーがない。みんな汗をだらだら流し、ルーズリーフが汗で腕に貼り付いたりしながらも、授業を受けていた。教室は常に制汗剤の匂いがどこかで香っていて、分かっていて入学したはずなのに、クーラーのない教室と、クーラーのある職員室で涼をとる先生達への文句がどこかしらで起こっていた。

 そして、二日に一度は雨が降るようになり、運動部はあまり外で活動できなくなった。



 文化祭以降も私の生活は変わらず、朝6時に学校に来て、毎日フルートの練習に明け暮れていた。

 7月には吹奏学部に入って初の、パート選考会もある。私はそれに向けて、少しでもフルートの音の精度を上げようと、照準をそこに絞っての練習を繰り返していた。

 でも、今日は朝から雨が降っていて――私はフルートを吹きながら、さっきから何度もちらちらと、窓の方を見ている。

 そして、7時になると、私はフルートを片付けて、図書室へ向かう。

「……」

 図書室の入り口の前に来ると、私は自分の着ているスカートのすそを手で払い、何となく前髪に手をやって、前髪を直してから、一度すーはーと深呼吸する。

 大丈夫なんだよ、だって、文化祭前からも、習慣でやっていたことなんだもの。自然にだよ、自然に。

 そう自分に一度言い聞かせてから、私は図書室の引き戸を開ける。

「……」

 図書室に入って一番手前の窓際――図書室にいる時、いつもその人が座る席に、今日も彼が座っていた。

「おはよう、サクライくん」

「押忍」

 サクライくんは私が開けた引き戸の音を聞くと、机の上に開いていた用語集から目を上げて、私に会釈してくれた。

 いつもサクライくん、ここに座っているんだもの、だから私もいつもの席で――平気だよね。うん、自然に――

 私はサクライくんの向かいの席に、自分の荷物を置く。

「最近雨が多いから、よく会うよね」

「ああ――目障りか?」

「そ、そんなことないよ。私、サクライくんに色々勉強訊いちゃってるし」

 梅雨に入ると、雨が増え、私とサクライくんは、よくこうして図書室で一緒の時を過ごすことが多くなった。私がフルートの練習を終えてからだから、一緒にいる時間は、一日長くてもせいぜい1時間くらいだけれど。

「――サクライくん、今日ももう眠そうだね」

「――ああ」

 サクライくんは、今日も目をしょぼしょぼさせている。

 この時間のサクライくんは、いつだって目がとろんとしていて、言葉のアクセントもふわふわしている。そんな彼は、少女のような幼い顔立ちも手伝って、年齢以上に幼い、小さな男の子のように見える。だから、男子が苦手な私でも、あまり気後れすることなく彼と一緒にいることができる。

 暗記物は、一度集中してやったら、その後間を空けずに、一気に寝てしまうのが、頭に残るコツということで、彼はこの時間、歴史や英単語など、暗記物の勉強をやっていることが多い。でも、それ以外にも、彼はここで一人、文庫本を読んだり、新聞を読んだりして、時間を潰していることもある。

「しかし君も、頑張るんだな」

 サクライくんが、窓の外を振り返る。相変わらず外はすごい雨で、さっきから雨粒が、図書室の窓を叩いている。

「いつも毎日、フルートの音が聴こえているが、」

「私も、今は自分の打数を自分で増やすことにしたの」

 私は自分の鞄から、今日の午前中に授業のある、英語Rの教科書を出しながら言う。

「夏の大会に出られれば、自分の課題とか見つけるチャンスだと思うし、今は結果よりも、そういう経験値を上げる作業を頑張ろうって思ったの」

「……」

 サクライくんは呆れ顔だ。

「それは――僕の真似か?」

 サクライくんは、文化祭で私が言ったことを、覚えているようだった。

「……」

 私は一度、言葉を咀嚼する。

「どうかな――でも、多分、今、こうしている時間が私が嫌いじゃないってことだけは、確かだと思う――だから、ここにいるし、頑張れているんだと思う」

「――そうか」

 サクライくんはそれを訊いて、ふっと息をついた。

「――君のこと、ヒラヤマやエンドウは随分持ち上げてるのを色々訊いたけど――そういうイメージを持って君といると、何だか調子が狂う……」

「え?」

「――こういうこと、女子に言うのも何だけど、変わってるよな、君って」

「え?」

 私は思わずその言葉に声を上げる。

「――そんなこと、初めて言われたな」

「は?」

「ちょっと、嬉しい。えへへ……」

「……」

 自分が変わっているなんて、初めて言われた。

 優等生、品行方正、優秀――そんなことは、沢山の人に言われてきた。その評価が15年、1ミリどころか、1ナノすら変えられなかった私にとって、そういうふうに言ってもらえたことは、何だか自分が少しだけ、前に進めたような気がして、ちょっと嬉しかった。

「はぁ……」

 サクライくんは、そんな私を見て、溜め息をついた。

「この学校来て、妙に変な奴ばかりに懐かれるな、僕……」

 学校はじまって以来の問題児である彼が、自分の運命を呪うように憮然としている。

 そんなやり取りをすると、私達はもうどちらとも言わずに、自分の持ってきたものに、目を落とし始めた。

私達はこうして顔を合わせた時、一言も話をしない時もあれば、今やっている授業のことをサクライくんに話したり、もしくは学校生活とはまったく関係のない、とりとめのない議論をすることもあった。自分の人生論や、友達とするには少し重かったり、固すぎたりする議論でも、サクライくんとなら出来た。

 いつだって、雨の音がBGMで、私達以外誰もいない図書室は雨粒の音に包まれて、何となく、この時間は時間がゆっくり流れているようで、何も話していなくても、何だか居心地がよかった。

 文化祭の前までは、朝起きてから見る天気予報を、今では前日の夜のうちに確認する癖がついた。

 天気予報で、明日の朝が雨だという予報を見ると、胸がざわざわしたし、4日くらい晴れの日が続くと、そろそろ雨が降らないかな、なんて、そんなことを考えるようになった。

 自分でも最初分からなかった。話しやすさも、男子が少し苦手な私に気を遣ってくれるという面でも、サクライくんよりエンドウくんの方が、ずっと上だ。私自身、きっと男子に惹かれるとしたら、エンドウくんのような、優しい人だと思っていたのに、今私はこうして、そんなエンドウくんとは正反対の性格をした、サクライくんとこうしている。

 でも――彼は私を特別扱いしない。普通の同級生くらいにしか、私を見ない。だから私も、彼の前だと、男子が少し苦手というのを差し引いてでも、肩の力が程よく抜ける。いまだに、図書室に入る時はちょっと緊張してしまうけれど――

 ――私は授業に備えて、今日の英語Rの授業で取り扱われる長文に目を通しつつ、構文をつけながら、分からない単語にチェックを入れておく。

 少なくとも、私は慶徳で3年間主席を守った彼を、様々なハンデはあるとはいえ、一度破っている。そのことで、他のクラスメイトよりは、彼の認識を得られていることが、段々分かってきた。文化祭であれだけクラスのために働いている彼だったけど、いまだにクラスメイトの名前は殆ど覚えていなかったし。

 彼が私の突飛な発言に、何も言わなかったのも、私が一度彼に勝っているからだということも、私は何となく分かっていた。これが箸にも棒にもかからないような人だったら、冷たくあしらわれて終わっていただろうから。

 そう思うと、私は彼に話されないようにと、勉強も頑張れた。今まではそういう目標もなく、漠然と日課のようにやっていただけの勉強だけど、今はすごくいい刺激の中で勉強が出来るので、私の勉強効率も格段に上がっていた。

「ん……?」

 不意に、どうしても構文が取れず、上手く訳せない英文にぶつかる。単語の意味は何となく分かるのだけれど、それが上手く文章につなげられない。

「……」

 サクライくんに――訊いてみようかな。でも、迷惑かな。自分の勉強しているのに……

 不意に気になって、私は教科書から顔を上げて、サクライくんの方を見る。

「……」

 今まで起きていたサクライくんは、頬杖をついて眠ってしまっていた。今日はずっと疲れていたみたいだし、普段よりも、目がとろんとしていたし。

「……」

 こういうことを言うと、少し誤解されそうだけれど――

 彼の寝顔を見るのが好きだった。

 疲れた彼が、体を休めることだけに専念するこの時――

 普段物腰柔らかい、洗練美を示す彼が、それとは真逆の彼になるから。野生の花のように、生命力に溢れている。そんな風に見えてならないから。

 しっかりと生きているから、寝て、起きて、勉強もして、部活もして、食べて――そういう当たり前の命の営みが、彼を通じて見ると、とても綺麗なものに見えた。

 そんな姿を体現したような、彼の落ち着いた寝顔を見るのが好きだった。




 ――でも。

 この時の私は、本当にどうしようもない子供だったんだ。

 彼がどうしてこんなに死んだように眠るほどに疲れきっているのか、そんなこと、想像も出来なかったどころか、考えもしなかった。

 何も知らないで、それで彼のことを、美しい、なんて、傍観者気取りで……

 ――本当に最低で。

 そんな子供の私は、これから彼がそうしてボロボロになっていく姿を、ずっと見ていくことになるのだ。それで私の少女時代は、完全に終わってしまった。


今さらですけど、女性の心理というのは難しいですね。作者の想像の範囲で書くと、どうも上手く表現できなくて。作者自身、それほど感受性の強い人間ではありませんし。

もっとそういう心理を細かく表現できる掻き方をしたいんですが、なかなか上手くいかないです。どうやったら文章って上手くなるんでしょうか。

と言うか、作者に乙女心をご教授してくれる人がいたら、この話ももっとレベルアップしそうな気もしながら、今この話を書いてます…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしこの話をお気に入りいただけましたら、クリックしてやってください。 小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ