Another story ~ 2-20
「……」
サクライくんは、無言でぽかーんとして、私のことを見ていた。どういうふうにリアクションを取っていいのか、分からないという感じ。
「……」
あぁ――私、なんてことを言ってしまったんだろう。自分がこんなにおかしなことを言うなんて――間違いなく私の人生で一番はじけた発言だ。今のは。
サクライくんが何も言ってくれないので、私は何だかその沈黙に、泣いてしまいそうになる……
「あっははははははは!」
そんな二人の微妙な空気を、タカヤマ先生の大笑いが払った。
「ま、まさかマツオカさんがそんなことを言うなんてね――お、おっかしい!」
おなかをよじらすように笑う先生。
「……」
改めて、私の言ったことって、そんなにおかしかったかな、と思う……
――そうだよね。自分でもわけわからないもの。
「――そ、それに輪をかけて、あのサクライくんが呆気に取られてるってのがまた面白いわ。あははは!」
そう言って先生は、また笑い始める。
「……」
呆然と立ち尽くす私。
「――なあ」
次第に不安になってくる私を、サクライくんが椅子に座ったまま、じっと見た。
「今のって――宣戦布告?」
サクライくんは、邪気のまったくない、透き通った目を向ける。
「え?」
「いや、僕を見極めるってことは、いずれは僕とタイマン張る気なのかな、って」
「……」
そ、そうか……誰かを狙い球にするってことは、その人をターゲットにするってことだもんね。自分くらいの相手なら、いつでも倒せるくらいになる、ってニュアンスに聞こえても、おかしくないか……
どうしよう――サクライくんに、誤解されてしまった? 私、一方的に喧嘩を売ったみたいになった?
「もう、サクライくんって、本当に他人の気持ちに疎いのね」
そうして二の句に困る私に、先生が助け舟を出してくれた。
「要するに、マツオカさんは、あなたと友達になりたい、ってことよ。もっとあなたの話も聞きたいし、それを通じて自分のことも知っていきたい、ってことでしょ」
「……」
先生のその言葉は、確かに私の思いをほぼ正確に捉えていた。
「サクライくんにとっても、マツオカさんと距離が近くなることは、決して悪いことじゃないと思うわよ。うちの高校じゃ、成績面ではこの娘以外、あなたの相手にならないだろうし。それにあなたも、マツオカさんからは、色々学ぶことがあると思うわよ」
「え……」
サクライくんが私から学ぶこと? ――そんなもの、本当にあるのだろうか。
「……」
サクライくんは、頭を掻きながら、少し思案に耽っていた。
「あの――気分、悪くしたかな?」
私はその沈黙に焦れて、サクライくんにそう訊いていた。ダメならダメと、早々に止めを刺してほしかったのだ。
「――いや、ちょっとデジャブがな」
サクライくんはそう呟いた。
「君の言葉に呆気に取られた時、エンドウとヒラヤマが、僕とつるもうって言ってきた時のことを思い出したんだ。あの時も僕はこうしておかしなことで一発かまされて、呆気に取られちまって――」
何だか悔しそうにそう言った。
「ふふ、まさかマツオカさんが、あなたにそんなことを言うとは思わなかった?」
先生がサクライくんに訊いた。
「……」
サクライくんは、沈黙を以って答えた。
一他人を寄せ付けないサクライくんと、あの二人はどうやってつるめるようになったのか、この頃の私は、この3人がどうしてつるむようになったか、そのきっかけをまだ知らなかった。
「マツオカ」
サクライくんが、椅子に座ったまま、私を呼んだ。
「君はもっと思慮深い打席の立ち方をすると思ってたよ。でも――とんだ悪球打ちだな」
「え?」
「僕を狙い球に定めるとか――顔面デッドボールコースを狙う奴があるか?」
サクライくんは、呆れるように少し笑った。
「で、でも、そういうのも、悪くないかな、って。そういうボールに対応できれば、この先どんなことにも動じずにいられそうだし」
私は即そう返した。この時の私は、馬鹿な事を言ったテンションの余韻で、妙にハイになっていた。
「……」
もう一度私に、サクライくんの呆れ顔が向けられる。
「あはははは! マツオカさん、よかったじゃない。サクライくんも、好きにしたらいい、って」
先生がそんなサクライくんを見て、そう言った。
「え?」「え?」
私とサクライくん、同時に怪訝な声を漏らす。強引に流れで私の望みをサクライくんに承諾させるつもり?
「ふふ――何なら、お互いのことを知るために、二人で後夜祭、踊ってきたらどう?」
「は?」「え!」
再び私達は、先生の面白半分の突飛な提案に、声を漏らす。
「いいじゃない。文化祭の最高殊勲者と、ミスコン優勝者なら、周りも納得な組み合わせだし。男子が苦手なマツオカさんも、尊敬しているサクライくんなら幾分他のお誘いよりは、抵抗が少ないんじゃない? マツオカさんも顔が立つし」
「……」
さ、サクライくんと、私が? ――た、確かに、文化祭の最高殊勲者のサクライくんなら、他の人の誘いを断る体裁もつくろえるけど……
私の心臓は、フォルテシモで鳴り始める。
「――何で僕がそんな」
「女の子に恥を掻かせる気?」
サクライくんの憮然とした態度に、先生が楔を放つ。
「マツオカさんがこのまま一人で戻ったら、マツオカさんはダンスを踊るにしろ踊らないにしろ、すごく困ることになるのよ。そしたらマツオカさんは、この文化祭に、嫌な思い出が残っちゃうじゃない」
「……」
「それとも、天才少年サクライ・ケースケくんは、女の子のエスコートも出来ないのかな?」
それは、タカヤマ先生の、面白半分の嫌がらせだったに違いないけれど……
サクライくんは、数秒思案した後に、椅子から立ち上がって、私の前に立った。
「……」
しばらく沈黙が流れた間、私の心臓の音は、フォルテシモが、フォルテシシシシモくらいになって、私の耳にまでその音が聞こえていた。
「――その、僕と踊るか?」
だけど、サクライくんも私とは視線を合わせずに、照れ臭そうに頭を掻きながら、憮然とした表情でそう言った。
「――いや、こういう時は、僕が、踊ってくださいって言うべきなのか――よく分からん……」
困惑するサクライくんを見て、私の脇で先生は、本当におかしそうに笑っていた。
後夜祭の行われる河川敷のグラウンドでは、既にキャンプファイアーが点火されており、校舎の明かりもグラウンドを照らしていた。
「文化祭最優秀個人賞は、1年E組、サクライ・ケースケくんです。サクライくんには副賞として、3万円分の図書券が贈呈されます」
私達がグラウンドに下りたのは、文化祭実行委員長が壇上で、優秀団体の発表を行っている頃だった。
「お、ケースケ!」
サクライくんの姿を見つけ、エンドウくんが人ごみの中、走ってくる。
「クラスも最優秀団体取って、クラス全員にディズニーのチケット、ゲットしたぜ」
エンドウくんからそう報告を受ける。確かにうちのクラスメイトが、後夜祭の場で、どこもすごく盛り上がっているのがちらほら見えた。
「――って」
不意にエンドウくんの目が、サクライくんの後ろについてきていた私に向けられる。
「何でお前、マツオカさんはべらしてんだよ」
「あぁ――僕にもよく分からないが、成り行きで踊ることに」
「はぁ?」
エンドウくんの大きな声が、後夜祭に参加した全員の目を惹いた。
「何だよそれ。どうしてそうなった」
「――だから僕にも分からないって」
「……」
サクライくんは、何だか恥ずかしそうに、エンドウくんから眼を背ける。
「……」
――サクライくんでも、こうして狼狽すること、あるんだ。
私は、そんなサクライくんの、初めて見る姿を見れただけでも、あの時、自分の今の思いがどんなに馬鹿げたものでも、口にしてよかったと思えた。
これから私の前に、沢山の見たことのない何かが、たくさん待っているような、そんな楽しい予感に溢れているような、そんな気がして。
こんなに、明日が待ち遠しいと思えるのは、初めてだった。
ダンスの時間になると、私は何だか、周りからの多くの嫌な視線を沢山浴びているのを感じた。
「あ、あの、ダンスって私、やったことないんだけど……」
「――安心しろ。僕もだ」
私達の間にも、ぎこちない空気が流れる。
「――とりあえず、手をとるんじゃないのか?」
そう言ったサクライくんが、私の前に左手を差し出す。
「……」
また心臓の鼓動が、強く、速くなり始める。
ど、どうしよう。私の手、フルートの練習のし過ぎで、指にタコとかできてるんだよね……で、でも、サクライくんを待たせるわけにはいかないし。
「――し、失礼します……」
私は、サクライくんの手に、ぎこちなく自分の手をかぶせた。
「あ!」「あ!」
その瞬間、方々から声が上がる。私とサクライくんは、その声が上がると同時に周りを見回すが、周りの人間は、私達からみんな視線をそらした。
「……」
その声に一瞬びっくりした私だったけれど、彼の手を握った感触に、また驚く。
彼の手は、その女性らしい風貌からは想像も出来ないほどに、節くれだった手をしていた。マメができて、そのマメが潰れ、その上にまた新しいマメができる、その繰り返しを幾度となく経てきたような、ごつごつした手だった。私は男の人の手を握ったのは、これが初めてだったけれど、それでも彼の手は、普通の男性の手ではないということを瞬時に察知した。
でも――私はそんなサクライくんの手に触れたことで、心臓が痛いほど胸を鳴らして――サクライくんの顔をしばらく見ることができなかった。
同時に、彼は初めから何でもできる人間などではない。人の見えないところで、人一倍野努力をしているから、こうして心の中に、綺麗な空気が流れているのだと、私は感心した。こんな手をしている人を追いかけることは、決して間違いではないと、その手が私に確信させてくれた。
音楽が始まると、サクライくんは見様見真似ながらでも、私をリードしてくれて、私の体を支えるように、ステップを踏んでくれた。
私はそんな、半ば夢のような状況に、ただただ流されるように、ぐるぐるとその場を回っていた。
「――お互い、色気のない手をしてるな」
回りながら、サクライくんは私にそう言った。
「え?」
私はその声に顔を上げると、目の前には、もう20センチもない距離にサクライくんがいて。
「あ……」
私は顔が急に火照ってくる。
「こ――こんな手、握るの、嫌だった?」
私はそう呟く。
「――よく分からない」
「え?」
「元々ダンスなんて、踊る気なかったし」
「……」
私達は、初めは何となくのステップに身を預けながら、次第に二人の呼吸が合ってきたように思えた。
「サクライくんの手も――もっとつやつやした手を想像してた」
私は、次第にその呼吸に慣れてきたことも手伝って、自分の今の気持ちに正直過ぎるほどになってしまって。
「でも――サクライくんがこういう手をしているから、私はあなたに憧れたんだと思う。こういう手をしている人の方が素敵だと、私は思う……」
そんなことを口走ってしまうのだった。
この時の私は、本当にどうかしていたとしか思えない。
文化祭が終わって、私は一人家で、この時のことで、とめどなく自己嫌悪に陥りもしたけれど。
でも――それでも明日からの私とサクライくんの距離は、少し縮まっているような予感がしたことが、ちょっとだけ嬉しかった。
でも――それは私の大いなる独りよがり。勘違いに過ぎないと、これから思い知らされてしまうのだけれど……
文化祭が終わり、後片付けも住んで、初の日曜日、私達1年E組のクラスメイトは、全員池袋駅の有楽町線の改札前に集合していた。
我がクラスが文化祭最優秀団体に選ばれ、全員にディズニーランドのワンデーパスが配られたことで、クラス全員でディズニーランドにこれから繰り出そうというのだった。有楽町線で終点の新木場まで行き、そこから舞浜行きに乗り換えるのが、埼玉人のディズニーランドへの行き方だった。
オムライス作りを通じて交流を深めた我がクラスは、エンドウくんの声かけも手伝って、クラスメイト全員が一緒にディズニーランドに行くことに決めたのだった。私も参加した。
「よし、じゃあこれで全員かな。行こうか」
エンドウくんが改札前で辺りを見回して、言った。
「え、ちょっと待って。サクライくんが来てないよ」
クラスメイトの誰かが言った。
「ああ、あいつは来ないよ」
それを訊いたヒラヤマくんが、文化祭で出来た彼女との談笑を一度切り上げて、言った。
「え?」
私も含め、クラスメイトが声を漏らす。
サクライくんは後夜祭、私と少し踊ると、エンドウくんの、その後の打ち上げの誘いも断って、帰ってしまった。それはいいとしても、ディズニーのチケットを貰った以上、勿体無いから来るだろうと思ったのに……
「あいつ、貰ったチケット、翌日には金券ショップに売っちまったって言ってたからな。あいつが文化祭頑張ってたのは、何もディズニーに行きたかったからじゃない。そのチケットを換金して、金にするためさ。じゃなきゃ、あんなに働かないよ、あいつは」
「……」
クラスメイトは全員沈黙する。
「うちのクラスの売り上げも随分持ってったし、あいつ文化祭で、20万以上荒稼ぎしたんじゃねぇの? 文化祭を自己の儲けのためにやるなんて、とんだ守銭奴高校生がいたもんだぜ」
エンドウくんが彼を揶揄した。
「……」
文化祭が終われば、ケースケがどうして頑張っているのかが分かる――そうエンドウくんは言っていた。その通りになった。
初めからサクライくんは、文化祭なんかに、何の思い入れもなかったんだ。
ただ単に、自分が儲けられるから、働いていただけなんだ。
きっと、私と踊った記憶も、もう心の中から消えているだろう。
――何だか、私はたまらなく、悲しい気持ちに浸りながら、駅の改札にたたずんでいた。
ここでアナザーストーリー、最終回でもいいんですが、もうちょっと続けさせてください。
第3部を待っている方、すみません…