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Another story ~ 2-19

「――へえ、イチローの打撃理論ね。なかなか面白い話をするのね、彼」

 私が先生と話している間に、窓から見える河川敷のグラウンドには、生徒が集まり始め、夏至の近づく夏の長日も落ち始めていた。

「……」

 私達が小声で話していても、サクライくんはちっとも起きる気配がない。疲れきった体を癒すために、まるで体のスイッチを全消灯したように、昏々と眠っている。

「この子、学校ではとんでもない問題児扱いされてるけど、話してみるとそんなに悪い子じゃないのよね。そう言うと、若い人は幻想を抱くね、なんて、他の先生には言われちゃうんだけど」

 タカヤマ先生は自嘲する。

「私、マツオカさんに、今後彼とあなたは比べられるなんて言ってしまったけれど――マツオカさん自身は、もうサクライくんとそういう競い合いをする気はないみたいね」

「――はい。私はまだ、そういう段階にいませんし。それどころか、私、サクライくんを尊敬してるんです。私にはないものをいっぱい持っていて、」

「ふふ――それ、他の先生が聞いたら間違いなく、考え直せ、って言われるわよ」

「……」

「でも、ふぅーん……」

 それを訊くと、先生の綺麗な顔に、小悪魔風の笑みが浮かんだ。

「引っ込み思案のマツオカさんが、そこまで手放しで男子を褒めるなんてねぇ」

「え?」

「ひょっとして、マツオカさん、もうサクライくんのこと、好きになっちゃった?」

「ふえっ!?」

 私は自分でもびっくりするくらい、変な声が出てしまう。

「そんな驚くことじゃないわよ。マツオカさんくらいの年齢なら、男の子を好きになることなんて、自然なことだもの」

「ち、違います!」

 私は思わず否定してしまう。

「えー……ホントに? ムキになるところが、また怪しいなぁ」

 先生の邪推する目。

「……」

 ――あれ? よく考えたら、私はサクライくんのことを、どう思っているんだろう……

「あ、あの――確かに、頭がよくて、スポーツが出来て、憧れますけど、別に好きとか、嫌いとかじゃなくて……」

 私は、先生の発した「好き」という言葉に、完全に思考を分断されてしまい、しどろもどろのまま、声が出てしまう――

 でも、これは本当の気持ちだ。私は、サクライくんのことを、好きとか嫌いとかじゃなくて……

「……」

 ――あ、そうか。

 自分の気持ちと改めて向き合ってみて、ようやく私はひとつの答えに達した。

 自分が今、心から望むこと。自分が今、狙いたいもの……

 それは、きっと……

「わぁー、マツオカさん、赤くなっちゃって、可愛いー!」

 そんな私を見て、先生は歓喜の声を上げる。

「ん……」

 しかしその折、私達の脇で眠っていたサクライくんがぴくりと反応する。どうやら先生の歓喜の声で、起きてしまったようだ。

「あら? ごめんなさい、起こしちゃった?」

 先生は彼の方を見る。

「う……そりゃ、あんなでかい声聞けば……」

 サクライくんは、眠そうな目をしょぼしょぼさせている。縁側で寝ていた猫みたいで、普段の鋭さがなく、何だか可愛らしい。本人に言ったら怒られそうだけど。

 そしてそのまま、私の姿を確認する。

「あれ――何で君が――しかもその変な格好……」

 私はまだミスコンに出たままの格好でいる。頭のティアラまでまだついたままだ。

「はぁ……サクライくん、あなた、デリカシーってものがないの?」

 先生がそれを訊いて、ため息をついた。

「女の子が綺麗におめかししてるの見て、変な格好はないでしょう」

「……」

 サクライくんはまだ目をしょぼしょぼさせている。

「――悪かったな」

 サクライくんは素直に自分の非を認め、私にそう言った。

「え? あ、ああ……」

 まさか謝られると思っていなくて、私はびっくりして、返事が出来なかった。

「マツオカさん、今年のミスコンで優勝したのよ。それで男子の誘いが殺到しちゃって、落ち着くまでここに隠れてるの」

 先生が私がおめかししている事情を説明した。

「え……ミスコンに出たのか」

「――呆れた……同じクラスなのに、知らなかったの?」

「――ああいうイベント、あんまり興味ないですし」

「こら、そのイベントで優勝した人を前に、そういうこと言わない」

 先生がサクライくんを叱った。どうやらサクライくんは、タカヤマ先生のような頭ごなしではない注意をする人には少し弱いみたいだ。それとも、女性にちょっと甘いのかな。

 サクライくんの目の焦点が、次第にしっかりしてくると、彼は窓から外の様子を窺った。そろそろ外のざわめきも、音楽準備室まで聞こえるほどに、後夜祭に向けて、人が集まり始めたようだ。

「サクライくんも、文化祭の個人部門で表彰されることは確実だし、マツオカさんはミスコン制覇――それに、あなた達のクラスのオムライス、本格的だって、相当お客さんを動員したみたいだし、今年の文化祭の賞は、あなた達が総なめかもね」

 後夜祭に集まる様子を3人で窓から眺めながら、先生が言った。

 窓を見ていると、まだ点火されていないキャンプファイアーの木組みの近くで、クラスメイトと楽しそうに談笑するエンドウくんの姿が見えた。その横では、まだ執事服をしているヒラヤマくんが、沢山の女子に囲まれて、記念撮影をしている。

「……」

 私はこの高校に入って、沢山の仲間が出来たように思う。

 だけど、サクライくんにとってのエンドウくん達のような、あそこまで息の合った友達というのは、まだいなかった。

 エンドウくんの話を聞いていると、憎まれ口を叩きながらも、サクライくんのことが本当に好きで、心から信頼しているのが伝わってきた。そんなエンドウくんの、猜疑心のないまっすぐな目も、私の心を捉えた。

「二人は後夜祭、どうするの?」

 先生は私達の顔を見比べる。

「――バイトがあるんで、帰ります」

 サクライくんはつっけんどんに言った。

「バイト? まったく、学校では問題児なのに、外では勤勉なのね」

 先生がサクライくんを揶揄した。

「……」

 ――そっか。サクライくんは、帰っちゃうんだ。多分クラスで打ち上げとかあるのに……うちの一番の功労者のサクライくんが来ないんじゃ、みんながっかりするだろうな。

「そうそうサクライくん、一昨日マツオカさんに、色々アドバイスをしたんだってね。今マツオカさんから聞いてたの」

 先生が再びサクライくんに声をかける。

「――え? ああ――あれか。別にアドバイスというよりは、与太話をしただけですよ」

 サクライくんにとっては、ほんのコーヒー120円分程度の話だったのだ。

「そう? でもマツオカさんは、その言葉に凄く感銘を受けたみたいよ。自分のことを見つめ直す、いいきっかけになったって」

「――そうか」

「……」

 ――この時、私はサクライくんの横顔を見ながら、自分の思いを再確認する。

 ――でも、その気持ちをどう言葉にしていいか、分からない……口にすると、酷く抽象的で、曖昧なものになってしまう。

 しかも、とても恥ずかしい一言だ。

 それを口にするのは、とても恥ずかしい……

「――何を狙い球にするか、決まったのか?」

 だけど、そんな私の気持ちを知らないサクライくんは、私の方に、寝起きの目を向ける。

「……」

 口ごもる私は、少し前にエンドウくんに言われた言葉を思い出していた。

「馬鹿が出来るのは、モラトリアムの特権だぜ。マツオカさんもたまには馬鹿をやってみたら? 新しい世界が見えるかもよ」

「……」

 私はこの言葉に、背中を押されたのか、自分を何とか肯定しようと必死だったのか、分からないけれど……

 俄然、この言葉を言った先の世界を、見てみたくなったんだ。

「――決めたよ。狙い球」

 私の声は軽く震えた。口に出した私にだけ分かる程度に。

「――そうか」

 彼はそう返事しただけだった。私と大して親しくもないのだから、私の狙い球が何なのかまでは、訊く理由もないのだ。

「あ、あの、それで――わ、私、サクライくんから許可が欲しいの」

 本当はサクライくんが、私の狙い球を訊いてくれることを期待したのだけれど、訊いてくれなかったので、自分から言ってしまうことにした。

「許可?」

 まだサクライくんは、私が何を言うのか、想像も出来ていないだろう。その言葉に、首を傾げる。

「――うん、だって、私が決めた狙い球は――あなただから」

「は?」

 それを訊いて、サクライくんは、初めて僅かに動揺を示した。

「――こ、これから私は、あなたを見極めたい! だ、だから、私は、狙いをあなたに定めたの!」

 う――うわぁ――言っちゃった。

 で、でも、これが私の、今、本当に望んだ道だ。

 サクライくんのことを、好きとか嫌いとか、そんなことは分からないし、今はどうでもいいんだ。

 ただ――この人の佇まい――纏う空気の美しさに、私は憧れた。この人の奥底に、とても美しく咲く花を見たんだ。

 そんな花を咲かせるサクライくんの清新な空気に、私も乗ってみたい――乗せて欲しい。その空気に乗れれば、鳥のように自由に、空も飛べそうな、そんな気がするから。

 そして、いつかは私も、サクライくんのように、心に綺麗な花を咲かせることが出来たら――

 他力本願と言われるかも知れないけれど、今の私は、これが精一杯。

 それでも私は、この人の中に流れる、洗練美と野生美のもっと奥にある物を知りたい……

 きっと私の目指す道は、それを知った先に、見えてくるのではないかと。

 そう、思ったから。


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