Another story ~ 2-18
「お姉ちゃん」
2日目の午後に、シズカとシュンがうちの教室にやってくると、教室のクラスメイトが二人に集まった。
「へぇ、マツオカさんの妹なんだ。やっぱ可愛いなぁ」
「弟くんはイケメンだねぇ。ジャニーズ系?」
「えへへ、ありがとうございます」
そう言うと、シズカは私の方にやってきて、私に耳打ちする。
「ねえねえ! お姉ちゃんのクラス、あんなイケメンがいるんだ! しかも二人も!」
シズカは教室に入って来た時から、執事服姿のエンドウくんとヒラヤマくんに目が行っていた。
「まったく……シーちゃん、恥ずかしいなぁ」
さすがに二人に、私の妹がそう言っていたなんて訊かれたら、いらぬ誤解を招きそうだ。私はシーちゃんに、きつく口止めする。
「そういえば、お姉ちゃんのクラスに、女の子より可愛い男の人が、女装して接客してるって、ここに来る前。話題になってたけど、その人はいないの?」
シズカはクラスを見渡した。
「ああ――その人は文化祭運営で今は出張っちゃってるの」
「なんだぁ、残念。見てみたかったなぁ」
まさかその人が、2年後私の彼氏になって、我が家に来るなんて、私もシズカもまだ想像していなかったな……
その時、教室の黒板の上に設置されている旧式のスピーカーから、ピンポンパンポンと音が鳴る。
『本日、これより1時間後の16時より、体育館にて、ミス埼玉高校コンテストが行われます。参加者の方は、20分前に体育館に集合してください』
「あ、もうそんな時間か――シオリ、出番ね」
教室にいたミズキが私を見る。
「うちのクラスの代表だから、精一杯おめかししないと! シオリ、来て!」
「え……」
私は女子に手を引かれて、教室の、暗幕で遮った場所に連れて行かれる。そこでは接客に出ない男子が、ひたすら玉葱をみじん切りにしたり、女子がすぐにオムライスを作れるような、材料の仕込をしていた。
私はそこで、女子からメイクを施され、サクライくんが着ていたような、フリフリのドレスを着せられ、髪を思い切り纏め上げられ、大盛りにされ、バレッタやチョーカーなど、アクセサリーをつけさせられた。
クラスの女子は,あまり着飾らない私をプロデュースすることがずっと楽しみだったようで、メイクも数人がかりで念入りに施してくれた。
「うお……」
暗幕から出てきた私を見て、女慣れしているヒラヤマくんさえ、息を呑んだ。
「シオリ、カワイイ……お姫様みたい」
「うん――これで優勝できなくちゃ、嘘だわ」
「――あんまり、じろじろ見ないで。恥ずかしいから……」
私は既に赤面してしまう。これから沢山の人の前に、この格好で出なければいけないというのに……小さい頃から、ピアノやバイオリンのコンサートでも、ドレスのような服を着て発表会に出ることはあったのだけれど、この服は胸元が開いていて、肌の露出も多くて……
「で、ミスコンは自己紹介の後、何か特技を披露したりもするんでしょ? シオリ、何するの?」
「あ……一応、バイオリンを持ってきたんだけど」
私は自分の荷物の横に置いてある、バイオリンケースを手に取った。
「へえ! シオリ、バイオリン弾けるんだ!」
「楽しみだなぁ。絶対みんなで見に行くからね」
「……」
見に来られると、恥ずかしいから、来なくていいとも言えず、私はバイオリンケースを持って、ドレス姿を隠すため、上に薄手のカーディガンを羽織って、一人教室を出た。
「はぁ……」
溜息が出る。
ミスコンに推薦で出場が決まった時、私は自分の意思でもないのに、その時から家でバイオリンの練習をしていた。自分が望むべき舞台でもないのに、そのために練習をするという自分の行動の矛盾に自嘲を浮かべながら。
私は何をやっているのかな、と思う。
そう思うと、一昨日の朝、サクライくんに言われた言葉を思い出す。
「今の自分が不満なら、狙い球を変えてみるなりしたらどうだ?」
その言葉を貰って以来、私は今も自分の人生の打席のあり方を模索している。
だけどまだ、その答えは出ていない――
「マツオカさん」
そんな懊悩を抱える私は、後ろから男の人に声をかけられる。
振り向くとそこには、執事服を着た、ヒラヤマくんとエンドウくんが立っていた。
「体育館まで、その格好で一人で行ったら、男に声をかけられかねないから、よければ俺達がエスコートするけど」
ヒラヤマくんが言った。
「お姫様のナイトを務める柄じゃないけど、弾除けくらいは頑張っちゃうぜ」
エンドウくんが私の緊張をほぐすように、歯をむき出して笑った。
「――ありがとう」
実はこの格好で一人、文化祭の人通りの多い廊下を歩くのは、ちょっと嫌だったのだ。男子が苦手な私でも、そんな気を遣ってくれた二人には感謝したかった。
私はヒラヤマくんに前を、エンドウくんに横を守ってもらう形で、壁に沿って歩いた。
「あ、あの、ヒラヤマくん。エンドウくんから訊いたんだけど、昨日はありがとう――」
私はヒラヤマくんとちゃんと話すのは、これが初めてだったけれど、昨日、私が買い出しに行く際に、男性が苦手な私を気遣って、エンドウくんをつけてくれたヒラヤマくんの機転に感謝を述べた。
「いいさ、俺としても、つまらん男と君を行かせるのは面白くないしな」
ヒラヤマくんは、気障な台詞をさらりと言った。
「……」
クラスでヒラヤマくんを初めて見た時は、背が高くて、クールで大人っぽい人だという印象を持った。だけど、エンドウくんといつも一緒にいるヒラヤマくんは、何だか子供のように無邪気で、二人でいつもサクライくんをからかったり、馬鹿な話をしたりしていて、どんどんそのイメージが崩れていった。
とはいっても、ヒラヤマくんはそんな時、とても楽しそうに笑っているのが、私の目にはとても印象的で――多分他の女子もそうなのだと思う。だからこの二人とサクライくんの3人で馬鹿なことをやっている姿を「3バカトリオ」なんて名づけて、それを遠くから眺めているのだ。
「で、どう? 心の準備は出来た?」
横にいるエンドウくんが、私に訊いた。
「このミスコン終わったら、後夜祭でダンスがあるだろ。きっとマツオカさんには、申し込む相手が殺到だぜ」
「……」
「その後も、告白殺到――かな?」
「……」
階段を下りながら、私は視線を落とす。
そう。このままじゃ、ずっとこのままだ。ずっと流され続けて――
「――何だか、二人が羨ましい」
私はそう呟いた。
「エンドウくんもヒラヤマくんも、いつも楽しそうだね」
私は二人の顔を一瞥した。
「楽しいぜぇ」
エンドウくんが弾んだ声で言った。
「こうして馬鹿が出来るのも、モラトリアムの特権だし、高校で、ユータっていう、一緒に馬鹿が出来る同志も見つけたし、ケースケって面白素材も見つけたら、馬鹿はやらにゃ損だぜ。人生を楽しむコツは、どれだけ馬鹿なことを考えられるかだからな」
「……」
人生を楽しむコツ、か……
「マツオカさんも、たまには羽目を外してみたら? 新しい世界が見えるかもよ?」
「……」
下駄箱で靴を履き替え、体育館に移動するため、一度校舎を出ると、サクライくんの造った入場門が目に入った。
完成した絵はとても見事な出来栄えで、初日から今でも、その門の前での記念撮影が跡を絶っていない。今も来場者は、記念撮影のために、カメラを構えながら、いいポイントを探している人がちらほら見受けられる。校舎の窓からあの門を撮影する人も、この二日間、何人も見た。
あの調子じゃ、文化祭に最も貢献した個人賞の受賞も、サクライくんで決まりだろうな――
ミスコンの舞台裏には、同学年、先輩、みんな綺麗な人ばかりは、私はステージの袖裏で、呆然と立ち尽くすばかりだった。
開場が始まると、昨日ここで吹奏楽部がコンサートをしたけれど、その3倍以上のお客さんが一気に体育館を埋め尽くした。
ピアノやバイオリンのコンサートなら、緊張の沈め方もある程度心得ているのだけれど、こういう場では、その緊張の沈め方がまるで役に立たない……こんな肌を露出した服で、人前に立つなんて……
「……」
――サクライくんなら、こんな状況でも、経験値を上げるため、って、平然となれるのかな。イチロー並みの強いメンタルコントロールを持つ彼だ。彼なら……
――って、何でサクライくんのことが、頭に浮かぶの? 自分でも意外――私、今相当テンパってるのかな。
そういえばサクライくん、文化祭のほぼ全ての行事の担当なんだよね。もしかしたら、この中にサクライくんもいるのかな……
私は緞帳の裏から、周りをきょろきょろ窺ったけれど、サクライくんの姿は見えない。
それを確認して、何だか少しだけ緊張が解けた。
――何で? 自分でも分からない。
「それではエントリーナンバー6番、1年E組、マツオカ・シオリさんです」
司会に呼ばれ、私は半ば押し出されるように、ステージの横から、真ん中に向けて歩き出す。
その時、耳を劈くような歓声が、体育館中から湧き上がった。
「マツオカさーん!」「ウォー!」
野太い男子の声が、体育館中に反響する。司会をはじめ、文化祭実行委員は、それを必死になだめた。
そんな異様な雰囲気の中、私はそのステージ上で、バイオリンを手に取り『ニュー・シネマ・パラダイス』を演奏した。時間的にも丁度いい長さの曲だし、私自身も大好きな曲だから、私が選曲した。
私はもう、この曲は譜面を見なくても弾けるから、なるべく目を閉じていた。普段のコンクールとはまた違って、視線が刺すように私に集まる――そんな視線を見たら、とても私は楽器を弾けなかったから。
大好きな曲なのに、そんなことを考えていたから、あっという間に演奏は終わってしまった。万雷の拍手がそれでも私に向けられる。
「……」
――違う。何もかもが、何か違う。
拍手を受けながら、私はさっきもらったエンドウくんの言葉を思い出していた。
あの人は、いつだって楽しそうだ。
それに対して、私はどうだろう。好きな曲さえも、窮屈に演奏して……
――ミスコンは、私が2位の20倍以上の票数を獲得して、優勝した。私はティアラを贈呈され、頭にそれを被らされ、沢山の祝福を受けながら、まるで私が、着せ替え人形になってしまったかのような錯覚に陥っていた。
「――サクライくん」
誰にも聞こえないように、私はステージの上で、彼の名を呟いた。
「マツオカさん、後夜祭、俺と踊ってくれない?」
「いや、俺と!」
ミスコンが終わると、文化祭は終幕を迎え、後夜祭の準備が、埼玉高校が国から借りている、河川敷のグラウンドで行われていた。キャンプファイアーの木の枠組みが中央を固め、沢山のライトが運び出されている。
私はミスコンが終わってから、一度教室に戻ると、クラスのみんながクラッカーを鳴らして私を祝福してくれた。教室の端にいたエンドウくんは、私に向かって、ただ一人苦笑いを浮かべていたけれど。
それから私は、仲のいいアオイ、ミズキ達と一緒に、後夜祭に参加するため河川敷に降りようとしたのだけれど、教室を一歩出ると、もう既に廊下には、私に早く声をかけようと待っていた男子達が30人近く出待ちしていて、教室を出るなり私に殺到した。
「……うぅ」
エンドウくんに忠告されていたけれど、ここまで凄いことになるとは、私の想像の斜め上を行っていた。
「あ、あの、ちょっと待ってください! みんな先にグラウンドに行ってください!」
そう言って私は一人、逃げるようにその場を立ち去ってしまった。
その足で私は職員室へと走り、そこで吹奏楽部顧問のタカヤマ先生を探した。
「あ、先生」
私は先生の姿を見つける。
「あら、マツオカさん。ミスコン優勝者がどうしたの? 後夜祭に参加しないの?」
もう既に先生も、私がミスコンで優勝したことを知っていた。
「先生。音楽準備室の鍵を、少し貸してくれませんか?」
「え?」
先生は一瞬首を傾げたけれど、すぐに私の気持ちを察したようだった。
「あぁ――マツオカさん、そういうこと、全然ダメだもんねぇ。男子から逃げて、静かなところでしばらく一人になりたいのね」
先生が私の真意を察してくれて、私はほっとした。音楽準備室なら鍵もあるし、多分誰も来ない。
「でも――準備室は今、先客が一人いるわよ。それでもいい?」
「先客?」
「マツオカさんも知っている子よ。多分今なら、いてもいなくても大丈夫だと思うけどね」
そう言ってタカヤマ先生は、音楽準備室までついてきてくれて、私のために、鍵を開けてくれた。
音楽準備室は、譜面台や、音楽の授業で使う資料などでごちゃごちゃした、10条ほどの小さな部屋だった。吹奏楽部の部員も、たまにここに荷物を置いているので、私には割と馴染みの深い場所だ。
その音楽準備室の入り口から見て奥――窓際にひとつある椅子に座って腕組みをしている人影を見つける。
「あ――」
それはサクライくんだった。教室で着ていた、女性の扮装を脱いで、カットソーにジーパンという身軽な格好になって、椅子に深く腰掛け、目を閉じている――
――どうやら眠っているみたいだ。
「3時頃から、もう仕事がないから、誰にも邪魔されない場所を貸してくれ、って、私のところに来たのよ。この子、授業サボって音楽室にピアノとか弾きに来るし、私と結構仲がいいのよ」
「……」
3時――と言うことは、4時にミスコンが始まった頃から、彼はずっとここで寝ていたということか。
授業でいつも寝ているとはいえ、いつもは机に突っ伏しているから、寝顔は見えなかった。彼の寝顔を見るのは、これが初めてのことだった。
「――よっぽど疲れていたのね。たまに様子を見にきていたんだけど、ずっとあのまま、寝息ひとつ立てずに、死んだように寝てるわ」
「……」
「だけど、文化祭で彼、頑張ってたからね。ここ最近、ずっと徹夜だったみたいだし、私もそれ見てたから、静かなここを貸してあげたの。まったく、文化祭で働いてた時や、こうして寝ている彼を見ていると、この子が我が校始まって以来の問題児とは思えないわよね」
「……」
よくこんな時、どんな邪悪な人でも、寝顔だけは無垢だとか、そんなことを言うけれど。
私は知っている。彼の心は少しも汚れてはいないのだ。学校一の問題児だとか、周りが彼を陳腐な言葉で汚しているだけ――
そんな彼の寝姿は、いぎたない箇所は一箇所も見当たらない。疲れ果てて眠る姿は、傷ついた野良猫が、傷が癒えるまで、じっと物陰で息を潜めているような……冬の間、池に住む魚がじっと動かずに、春を待ち続けるような――そんな印象を私に与えた。まるで生きるための本能が、体を癒すことを欲しているような……そんな切実さに溢れているように見えた。眠っている時でさえも、彼の命の鳴動が聞こえてくるような、野生の獣のような雰囲気があった。
――それを見て、私ははっと気づく。
彼の持つ所作の美しさ――食べ物を食べる時も、その若い体がエネルギーを欲しがっていて、その一片たりとも無駄にしないように、時間をかけて、ゆっくりと体に取り込んでいた。そして、その寝姿も……
彼の中には、長年の自己の努力で磨き上げられた、洗練美と、こうして日々を精一杯、命が燃えるように激しく生き続ける、野生美が共存している。それが、彼の佇まいの、えも言えぬ美しさを作り出している――薔薇の優美さ、繊細さ、儚さと、野の花の力強さ、清々しさ、激しさを両方持ち合わせている。
昏々と眠る彼の寝顔を見て、分かった。私が彼に見ていた、美しさの理由が……
彼の中には、いつも四季折々の美しい花が咲いている。
私はずっと前から、彼の中に咲く花を見ていたんだ。
その美しさこそ、私がいつも持ちたかった、理想の美しさだった。
ミスコンでもてはやされるような、うわべだけのものじゃない。花屋に並ぶ花の、たおやかさを持ちながらも、野に咲く蒲公英のような清々しさ、強さを持って、瑞々しく、萌えるように咲く一輪の花のように……
「――先生」
私はその時、タカヤマ先生に、一昨日彼から訊いた、彼の言葉を話していた。
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