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Cool

「さあさあ、少し休憩して、ご飯にしましょう」

 折節、ユータの母が、山盛りの鶏の空揚げを持ってきた。

 一年前に始まったこの勉強会――それはこの肝っ玉母さんのおかげではじまった。一年生の夏、僕がズブの素人でサッカー部に入部し、素人用のイイジマ特製地獄メニューの走り込みを平然とこなし、話題の新人として、次のメニューを命じられ、ジュンイチ、ユータとの三人練習が始まり、このトリオでつるむことが多くなった頃の事だった。

 学校で、成績上位者が貼りだされるのを見て、ユータが話しかけてきたのだ。

「ケースケって、勉強できるんだな。俺に勉強教えてくれよ。俺赤点取っちゃってさぁ」

 その言葉をきっかけに、僕はユータが赤点を取った数学や物理の勉強を教えるために、初めてユータの家へ行ったのだった。それを聞いて翌日、数学で赤点をとっていたジュンイチが話を聞きつけ、その合宿に参加し出したのだった。その様子を見て、息子を大学へ行かせたがっているユータの母は、僕に、毎日でも来て、とこの合宿を制度化し、息子を勉学へ引き込もうとしたのだった。僕はそれを、無駄だと知っているんだけど。

 正直言うと、僕は友達の家に遊びに行くのは、これが生まれて初めてのことだった。しかも初めて行った家に泊まった時は、何だか気分が悪かったけれど、次第に二人に慣れ親しむうちに、気持ちのざわつきも和らいで来た。去年ダブってもおかしくない成績だった二人は、僕のおかげで無事に2年に進級し、今では教師役の僕は、ユータの母から食事代はおろか、通学に使う往復の電車賃、更にヒラヤマ家、エンドウ家からで、5日間で5万円の報酬までが出されている待遇付きだ。

「すいません。いつもながら5日間も……お金までもらっちゃって」

「いいのよケースケくん。うちのバカ息子の赤点が免れるなら、安いもんだわ。ケースケくんだって、バイト休んで来てるんでしょ? その分の穴埋めはしなきゃって、ジュンイチくんのお母さんと話してたのよ」

 そう言って、ユータの母は、息子の後頭部を叩いた。いい音がいた。

「オフクロ、いつもケースケが来ると、喜ぶんだぜ。あれでケースケファンなんだよ」

「あら、ケースケくんを嫌いになる親は、きっといないと思うけど。うちの人も、ケースケくんくらいしか将棋の相手がいないから、来ると毎回喜ぶしね」

「……」

 ユータの父は今ここにはいないが、大企業に勤める営業サラリーマンで、収入はこの家具屋を上回るほどだろう。そんな人だから、要するに堅実なんだろう。ユータのプロに行く進路に賛成するはずがなかった。

 だけどやはり親子というべきか、ユータと同じ子供っぽいところがある。将棋の腕はなかなかのもので、僕ぐらいしか対等に戦える人間がいないらしく、息子の赤点の危機であっても、家にいると僕との勝負をせがむ人だ。次の日に会社も学校もない日には、僕達3人と朝まで麻雀を打っていることもある。おかげでいつもこの赤点勉強会は、僕のペースで進めば赤点回避は確実なのに、そんな誘惑のせいもあって、なかなか効率が上がらない。

 僕達は勉強道具をテーブルの脇に退けた。たれを漬け込んでから揚げる空揚げは、とても美味で、僕の箸は次々と伸びた。12個も平らげて、ご飯もお代わりした。

「相変わらずうまそうに食うなぁ」

ユータが僕を見て、愉快そうに笑う。

 こうしてこの家で食事をご馳走になる時に、いつも心の奥に棘が残る。僕は友人のためにこうして勉強を手伝っているのではなく、食事と金のために来ているのだということを思い知るから。きっと飯や金が出なければ、ここには親友のためでも来ないだろう。僕はそういう人間だから。

 なんて自分は冷たく、友達甲斐のない人間なんだろう、と。目の前にいる二人や、ユータの母の、僕を歓迎する微笑が心に痛かった。



 ――11時からはサッカーゲームをする。僕の操作するイタリアは、ユータの操作するアイルランドに完敗した。サッカーを知らない人のために言っておくが、一般的にゲームでは、イタリアとアイルランドでは、かなり力の差がある。イタリアを操作する僕にとってはアドバンテージだったのだが。

 ユータの操作するアイルランドが放つフリーキックが、僕のチームのイタリア代表ゴールキーパーの手を掠めて、ゴールネット右隅に突き刺さった。

「あ」

画面のゴールにボールが吸い込まれるのを見送りながら、間抜けな声が漏れた。

「よっしゃ!」

僕の隣でユータは声を上げる。

「ケースケ、2‐0だから、俺に200円な」

「くそっ」

 僕は財布から、100円2枚を取り出し、テーブルに叩きつけた。さっきは、僕の操作するアルゼンチンが、ジュンイチのオランダに(こっちは実力に大きな差はない)両サイドをズタズタにされ、3‐0で負けてしまった。これで500円の散財だ。世界屈指の強国を、ここまで下手に扱っては、国家から告訴されそうなくらいの僕の散漫な試合運びだった。

 ユータは笑って、缶の開いたチューハイに口をつけた。既にビールを缶2本飲み干し、チューハイはこれが3本目だった。ジュンイチはつまみに買ったポテトチップスを、リスのように前歯で音を立てて食べている。

 僕もチューハイを一口飲んだ。既に二人は酒が空いて、絶好調になっていた。

 これはジュンイチが持ってきたものだ。酒屋の息子であるジュンイチは、いつも父親の晩酌に中学生から付き合っていたらしい。だから僕達にもこうして酒を流すことに口うるさい人ではない。前回の赤弁はジュンイチの家でやった。だからジュンイチの家族とも、僕達は面識がある。

 未成年の癖に酒を飲んでいる、と揶揄されていても、フランスでは16歳から酒が合法となり、それでいて平均身長、体重が、20歳まで合法化していない日本人を上回っている。だからデータだけを見れば、15歳以上なら、飲酒が体の発育に悪影響だというデータはあまり当てにならない。

 こういう理詰めで酒を語るなんて、つまらない奴だと思われそうだけれど、僕は酒が好きじゃない。酒を毎日飲んでは、白川夜船になるだけの親父を反面教師にしているというのもあるが、酔えないのだ。

 美味しいと思ったことは一度もないが、アルコールを飲むことで、何かを忘れ、すっきりすることが出来れば、決して悪いことではないと思う。僕はそういう時間に期待して、何度も酒を飲んだ。

 しかし、飲んでも酔えないのだ。理性がしっかりしているから、酔う前に体がブレーキをかけているのがわかる。それは酒のせいでも周りのせいでもない。僕が本当に楽しもうとする気がないのがいけないこともよくわかっている。

 でも、僕は何をしても心から楽しめないのだ。酒も女も、勉強もサッカーも、暇潰しのためだけに存在するテレビゲームや、ゲームセンターですら楽しめない。この時代、人間が宇宙に行ける時代に、娯楽の一つもないことなんてありえないのだけど。

 どこか、ものすごく冷めている。僕は今サッカーゲームに負けて、500円もとられてしまったわけだけど、あまり悔しくない。散財が痛くないわけじゃない。『悔しい』と思おうとする感情すら、ものすごく冷めている。酒を飲むってことに対しても、楽しいとか、美味いとか、そういうことを考えない。期待すらしていない。ただ喉が潤うだけだ。

 僕の感情は理屈での想像の上に作り出されたバーチャルだ。だから当然、想像では経験したことのないものは補えない。特定の場合以外、感情が発動しないのだ。

 僕の感情が本当に発動するなんて、最近では、怒りと苛立ちだけだ。負の感情だけが、僕の真実――激情と呼べるものだった。サッカーゲームに負けて五百円も取られたってことは、さざ波みたいに微々たるもので、いつも押し寄せている、怒りの濁流にかき消されてしまう感じだ。

 いつだって心はここにないんだ。いつだって怒りと憎しみが頭から離れなくて。

「もうやめよう。勝てないよ」

 こんな言葉を言ってみても、頭はあまり悔しがっていない。むしろ頭に浮かぶのは、散財の心配だけだ。こうやって、悔しがるフリをして、何とか普通に見られる演技をする。

 いつだって、その場に応じて、悔しがってみせたり、謙遜してみせたりして見せる。そうじゃないと、自分の醜さが、外に滲み出てしまいそうで……

「あはは、これで俺達、ケースケに27連勝だな」

「ほっとけ」

 後ろからジュンイチが僕に軽いヘッドロックをかける。既に息が酒臭い。

「だけど、いいことさぁ。俺達がケースケに勝てることっていったら、もうこんなことしかないからなぁ」

「ケースケも、そんな奴等と一緒じゃ、張り合いないだろうな」

赤ら顔のユータが相槌。

「――別に、そんなことはないけど」

 というより、僕が二人の得意分野で勝負してやらないと、暇つぶしが成立しない。ユータの父が得意な将棋やチェスをユータ達とやると、僕は後手の上に、将棋なら飛車角抜き、チェスならクイーン抜きでも圧勝だし、しまいには僕が後手で、僕の一手ごとに、ユータ達が二手動かしていいというルールにして、それでも僕が勝った。麻雀だって、ユータ父はともかく、二人はまだ相手の手を読むのが甘くて、簡単に振り込んでしまう。

 そんな中に、ユータの母が入ってきた。僕はヘッドロックをかけられたまま、見上げる。

「わ、酒臭いし、男臭い――酔いが覚めたなら、誰かお風呂に入っちゃいなさいよ」

「あ、僕、入ります」

僕は手を上げた。

「あら、ケースケくんは、飲んでなかったの?」

 飲んでないわけではない。僕だって相当飲んだが、酔っていないのだ。


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