Another story ~ 2-10
埼玉高校は、受験に専念させるため、部活動の活動は活発ではない。
学校行事も、受験に大事な夏本番を回避するため、一学期に集中している。修学旅行も一年生で行く、受験前の最後のバカンスと呼ばれる。
サクライくんと初めて図書室で話してから間もなく――10日後に迫った行事のひとつ、文化祭について、クラスで話し合いが行われた。
「クラスの出し物を決めます。意見がある人は、どんどん言って」
教卓の前で文化祭実行委員が取り仕切り、私達はLHRでクラスの出し物を決める話し合いをしていた。サクライくんも、眠そうにしていたが、参加している。どうやらエンドウくん達に、話し合いに参加するよう言われたらしい。
「ちなみに一年生は、食べ物の模擬店しかできない。先輩達に優先的にやりたいことをやらせてやるためにな」
「マジかよ! 俺はメイド喫茶をやりたかったのに」
「いや、食い物なら女子にメイドになって売ってもらえばいけるぜ」
「ちょっと! 男子だけで勝手に決めないでよ!」
「まったく、スケベ心が見え見えなのよ。そんなの絶対嫌よ」
そんなこんなで、初めは話が全くまとまらなかった。
こんな時、いつもみんなをまとめる人が、入学以来、うちのクラスには一人いる。
「エンドウくんは、何か意見はある?」
実行委員はエンドウくんに助け船を求める。
サクライくんや、ヒラヤマくんと比べて、エンドウくんは人目を引きはしないが、入学してすぐのオリエンテーション以来、クラスをまとめる役として、一目置かれていた。人当たりもいいので、クラスで話したことのない人は、もう一人もいないほどだ。
「要は、客を集めりゃいいんだろ?」
エンドウくんはそのどんぐり眼で、一度教室を見回す。
「なら簡単な方法がある。ケースケに女装させて表に立たせておけば、それだけで話題に……」
「エンドウくん」
そう言いかけたエンドウくんの言葉を、サクライくんの、静かだがよく通る声が遮った。
「短い付き合いでしたね」
「絶交宣言?!」
エンドウくんは立ち上がり、すっとんきょうな声を上げ、頬杖をついているサクライくんの机を見た。
「でもよ、いい考えだと思うぜ。お前のその女顔は、自慢してもいいレベルだしな。みんなだって、ケースケの女装には興味あるだろ?」
「見たい見たい!」
「サクライくん、女装したら絶対似合うもん!」
クラスメイト――特に女子が沸き立つ。
「……」
サクライくんは呆れたように目を閉じる。
「な? それでお前、メイド服でも着て、萌え萌えジャンケンとか言ってみろ。それこそ金になるぜ」
クラスメイトを味方につけ、エンドウくんはサクライくんにそう言う。
「へぇ……その、『萌え萌えジャンケン』とやらは、一体どうやるんだ?」
しかしサクライくんは、頬杖を突いたまま、そう聞いた。
「え?」
「僕は時勢に疎いんだ……リクエストにお答えするにも、それがどんなものか、知らずには協力もできないだろ」
そう言うサクライくんは、酷薄な笑顔を微かに浮かべていた。
「……」
そのフリに対し、明らかに対応に困ったエンドウくんだったけれど――
「――萌え萌えジャンケン、ジャンケンぴょん!」
もはやヤケクソになったエンドウくんは、とてもオーバーな、キャピキャピした声と仕草を作ってそれをやってのけた。
「……」
「――ぷっ……くくく……」
端的に言えば、その行動は、完全にスベッた。最初に吹き出したのはヒラヤマくんで、それが連鎖して、クラス中が失笑に包まれた。私も少し笑ってしまった。
「いやぁ……あはは……」
当のエンドウくんは、照れ笑いを浮かべながら、もじもじと所在に困っていたけれど……
そのエンドウくんに助け船を出せるサクライくんは、頬杖を突いたまま、一言も発せず、エンドウくんを哀れむような、軽蔑するような、まるで爬虫類のそれのような、冷たい視線を送るのみだった。
「あははは……」
エンドウくんは頭を掻きながら、サクライくんの次の反応を待つ。
「……」
だけどサクライくんは反応しない。
「言って! 何か言ってぇ!」
やがてエンドウくんは、そのサクライくんの無慈悲に、声を上げて助け船を懇願するのだった。
その反応に、クラス中が大笑いに包まれた。
「エンドウ」
その笑いの中、サクライくんが口を開く。クラスは次のサクライくんの発言に注目する。
「可哀想に……」
サクライくんはそれだけ言った。顔色を変えないまま、本当に哀れむような、色っぽい程優しい声で。
「そんなクソみたいなコメントいらんわ!」
エンドウくんのいきり立つ声に、またクラス中は爆笑に包まれる。
「何か言えって言うから言ってやったのに……我が儘だな」
サクライくんは不満そうに言う。
「まったく、お前のさっきの目、俺をゲシュタルト崩壊に追い込むつもりかよ」
エンドウくんはぶうぶう言っている。
「しかし、お前もたまにはクラスに協力しろよ」
そんなサクライくんの一方的な展開を、ヒラヤマくんの一言が中断させた。
「頑張って利益を出せば、お前にも分け前は出るんだ。頑張ってみて損はないだろ」
「――珍しくまともなことを……」
サクライくんは苦い顔をする。
「それにうちの学校は、あまりに受験優先じゃ学校行事が盛り上がらないからって、行事の優秀団体、または個人に特典があるんだぜ。そうだったよな?」
ヒラヤマくんはそう言って、前にいる実行委員に聞く。
「あぁ。後夜祭で優秀団体と、文化祭に貢献した個人の表彰があって。利益率の一番高かった団体には、ディズニーランドのワンデーパスか、焼き肉食べ放題券のどちらかが全員分配られるんだ。貢献度の高い個人には、商品券とかも出たりする」
「へぇ……」
それを聞いて、サクライくんの感情のスイッチが入ったように、目の色が変わった。
「どうだ? やる気出たか?」
ヒラヤマくんは言った。
「さあ……どうかな」
サクライくんの眠そうな目が、知性を帯びはじめたように思える。
「単純な奴……」
エンドウくんは肩をすくめながら、苦笑いする。
「――あの、サクライくんは、何か案はある?」
それを見て、教卓にいる実行委員の女子が、彼におずおずと訊いた。
「……」
サクライくんは腕組みをして、しばらく目を閉じて、数秒考えてから、目を開けた。
「野郎が女の子に作ってほしい料理って、一体何だ?」
サクライくんはクラスメイトに聞く。サクライくんからクラスメイトに話しかけたのは、これが初めてだったかもしれない。
「前に雑誌で見たけど、一番人気はオムライスらしいぜ」
ヒラヤマくんは頭を抱えた。
「あぁ、ケチャップで絵を描いたりとか? 端から見たらアホだが、好き同士なら楽しいんだろうな」
エンドウくんも意見を補足する。
「オムライスか……いけそうだな」
サクライくんはそれを聞いて、腕組みをしながら頷く。
「オムライスなら、ナンパ目的で来た、女日照りの男にも、来年受験するための下見に来た親子にも対応できる。原価を抑えて、ある程度本格的っぽく見せる細工も比較的簡単だし。確実に儲けが出るだろうな」
「……」
サクライくんがそう言うと、妙に説得力がある。今までろくな案が出ていなかったクラスは、そのサクライくんのプレゼンに、心動かされていた。
「サクライくん、オムライス作れるの?」
クラスの一人が彼に聞いた。
「待て。これは女子が作るところがミソなんだよ。僕がオムライス作っても意味がないだろ」
「そうだよなぁ」
エンドウくんは頷く。
「マツオカさんがオムライス作って、運んで、ケチャップで絵とか目の前で書いてくれちゃった日にゃあ……全校生徒が千円払っても食べに来るぜ」
そう言って、エンドウくんは私を見て、ニコニコ顔になる。
「えっ?」
いきなり話をふられて、私は不意を突かれる。
「ジュン、お前みたいなもてないバカな男を、ケースケは引っかけようとしてるんだぜ」
ヒラヤマくんはニコニコ笑う。
「わ、悪かったな! もてない男丸出しで!」
エンドウくんは見事にピエロだ。またクラスから笑い声が漏れる。
「見ての通りだ。女子が目の前でオムライスなんか作って目の前で絵なんか描けばもてない男は食いつくし、保護者は在校生の女子力の高さを見て子供をこの学校に進学させたくなって喜ぶ。クラスにも金が入るしみんなが幸せってわけだ」
「あざとい! 狙ってないように見せて実はあざとい!」
エンドウくんが大袈裟に言った。
「まあ少なくとも、ケースケの言うターゲットへの効果は証明されたな。俺も男として、気持ちは理解できるしな」
そのヒラヤマくんの発言が決め手となって、私達一年E組の文化祭の出し物は、オムライスに決まったのだった。
そしてその日の放課後、私達一年E組は、調理室に集まっていた。
「何で僕が……」
サクライくんはエンドウくんの説得で、渋々オムライスの講師役になったのだった。私達の前に、エプロンまでつけさせられて立っている。
「原価を抑えて本格的っぽく見えるオムライスってのがどんなのか、お前しか女子に仕込める奴がいないだろ」
隣にいるヒラヤマくんが言った。
「……」
「お前の腕にディズニーランドがかかってるんだぜ」
サクライくんは複雑そうな表情だ。
それでもクラスの女子は、ほぼ全員が、強制でもないこの調理実習に参加した。
ヒラヤマくんが「将来彼氏ができた時、使える技術をタダで教えてもらえるぜ」と、私達にメリットがあるように扇動したのもあるだろうけれど。
入学以来、謎を孕んだままのサクライくんの、新たな手並みに興味があったのだろう。
私がここにいる理由は、勿論後者だった。
学校の調理室の作業台には、さっきエンドウくんが放課後ひとっ走りして買ってきたオムライスの材料がある。
「本格的って言うとよ、ほら、チキンライスの上に、卵乗っけて、切れ目入れると卵がトロッとなるのあるじゃん。ああいうの、お前作れるんだろ?」
ヒラヤマくんが言った。
「作れなくもないけど――あれ、卵を多めに使うから、儲け出すならお勧めしないな」
「でも、あれが文化祭で出たら話題になるぜ。女子もあれ作れるようになれば、今後彼氏ができた時に自慢できるし、あれ作れるなら教えてくれよ」
「……」
女子も、作れるならあんなオムライスを作れるようになりたいと思っている娘が多いから、女子の過半数がヒラヤマくんに同意した。ヒラヤマくんは顔立ちが端正で、女の子には優しいから、女の子を先導するのが上手だ。
「――まあいい。じゃあ、まず実演するから、とりあえず見ていろ」
そんな大多数の意見に、サクライくんも折れた。
そう言って彼は、レンジで温めるタイプのご飯に、玉葱のみじん切りを加え、ケチャップと和えたチキンライスもどきを作った。玉葱をみじん切りにする包丁捌きも、ご飯にケチャップを和えて炒める時の、フライパンの振り方も、実に手際よかった。
「で、このオムライスのミソはこれ」
そう言って、サクライくんは片手で卵を3つボウルに割り、卵を溶き始めた。
「わぁ! サクライくんって、片手で卵割れるんだ」
女子の一人が声を上げた。
サクライくんは随分とケチったバターを溶かしたフライパンの上に卵を流し込んだ。
柄の根をとんとんと叩き、綺麗に卵を楕円形に整形すると、お皿によそられた、まだ湯気を立てるチキンライスの上に乗せた。
サクライくんが包丁で、卵に切れ目を入れると、卵は両方に向かって裂け、とろりとした卵がチキンライスに覆い被さった。
「おぉ!」
「わぁ!」
卵がとろけた瞬間、それを見ていたクラスメイトは、歓喜の声を上げた。
「食べてみな」
サクライくんはお皿をみんなの前に差し出す。
「美味っ!」
「美味しい!」
みんなが声を上げる中、私もサクライくんのオムライスに、匙を伸ばしていた。
みんなの言う通り、サクライくんのオムライスは本当に美味しかった。味音痴の私だけれど、お洒落な洋食店で、千円くらいかけて食べるオムライスと遜色ないように思えた。ライスは玉葱しか具がないし、バターもケチっているし、原価が最低限に抑えられているのに。
「この卵を作るのは、慣れればそれほど難しくない。練習すりゃ誰でも作れる」
そう言うと、サクライくんはコンロに置いてあるフライパンを持って、私達女子の前に差し出した。
「――これをやる気があるなら、誰か試しに卵だけ作ってみな」
「……」
そう言われて、女子達は顔を見比べる。
あれだけ見事な手並みの後に、自分達がやったら、恥を掻くに決まっている。見ている人も多いし、プレッシャー以外の何物でもないのだ。
「い、いきなり作れって」
女子の一人が戸惑いの声を上げた。
「だから手並みを見せたんだ。こんなのは自分で作ってコツを掴まなきゃ、できるようにならん。僕も君達の腕前を知らないし、それ見てアドバイスしてやるから」
「……」
誰もやりたがらないのを見て、サクライくんは呆れるようにため息をついた。
「あ、あの、じゃあ私、やってみる」
私はおずおずと手を上げる。
「ん? そうか。じゃあ、これ」
サクライくんはコンロの上に持っているフライパンを置いて、私に前に立つよう促した。
「……」
何で私はこの時、恥を掻くとわかっていて、手を上げたのか。
きっと私は、ため息をついたサクライくんの目が、こう語っているように見えたからだ。
「勉強ばかりできても、何もできない奴等だな」と。
その最たる人物は、多分私だ。学年トップの成績をとっていても、私は何もできない。
そう思うと、何だか無性に体を動かしたくなったのだ。自分とサクライくんの違いを、ちゃんと確認したくなったのだ。
「まだフライパンがあるし、他にも誰か、作ってみろよ」
サクライくんがそう言った。
「あ、じゃあ、シオリがやるなら、私も……」
そう言って、私にだけ恥を掻かせるまいと、同じ吹奏楽部のサガラ・アオイが立候補してくれた。
私とアオイは、みんなに見られて緊張の中、オムレツを作る。サクライくんはそれを腕組みしてじっと見ていた。
そして、とりあえず作ってみたのだが、私のオムレツは卵が固まってしまって、卵に切れ目を入れても、トロリとならなかった。
「火を止めても、フライパンは熱いから、余熱で火が通っちまう。ちょっと生っぽいくらいで火を止めて、あとは余熱くらいの気持ちでやらないと、こうして火が通り過ぎちまう」
私のオムレツを見て、そう言った後、サクライくんはアオイの卵を見る。アオイの卵は、もはやオムレツにすらなっておらず、卵が上手くまとまらない上に、箸を動かしすぎて、完全に炒り卵になっていた。
「卵の混ぜ方だな。ちゃんと白身と黄身が混ざってないから、卵が上手く固まらなかったんだ。箸はボウルの縁に沿ってじゃなく、縦に動かしてかき混ぜるんだ」
そう言って、サクライくんはボウルを持って、アオイに実演で教えていた。
彼の教え方は的確な上に丁寧で、酷い出来の物を作っても、それを責めるような言い方は一言もせず、改善のために細かいところまでアドバイスをくれた。
私とアオイにそうして親切丁寧にアドバイスをするのを見て、他の女子達も、安心してサクライくんにアドバイスをもらいに行った。