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Another story ~ 2-7

「……」

「あれ? あまり驚いていないのね」

 先生は私の反応が薄いことに、首を傾げた。

「いえ、何となくそんな気がしていたので」

 私はそう言ったが、自分でもその事実を聞いて、あまり驚いていないことが少し意外だった。周りの人間は、みんなサクライくんを評価していなかったから、私が単に買いかぶっているだけなのか、わからなくなる時もあったのに……

「初め入学式の新入生挨拶も、あなたと彼の二人でやってもらう予定だったのよ。それで先にあの子の家に電話したんだけどね、彼、そんなものに興味はありません。次席の人に全てお任せします、って言って、こっちの話を聞こうともせずに、即ガッチャーン、ってわけ」

「……」

「それが結構問題になってね。うちは文科省のお偉方や県知事も入学式に来るから。それをあなたが一人で上手くやってくれたおかげで、この学校の面目も保たれたの。そのおかげであなた、入学の時から先生達の評価は高くてね。その分彼の評価は、入学前から最悪なの。おまけにあの子、入学式もオリエンテーションもサボるし、授業中は居眠りしているしで、真面目なあなたとは対照的でしょ? 今じゃ埼玉高校始まって以来の問題児扱いよ」

「……」

「職員室も最近、あの子のことでギスギスしててねぇ。何とかあの生意気な坊やに一泡吹かせたいって。その為に、マツオカさんに今年の学年トップを取ってほしくて、仕方ないのよ。彼を倒せるのはあなたしかいないって、勝手に期待されちゃってるのよね」

「……」

「――まあ、あなたからしたら、本当にバカバカしい話よね。先生達の都合で、勝手に期待されても困るわよね」

 先生は、私を労うように、私に微笑みかけた。

「だけど、あなたはこの3年間、あの子と色々と比較されることは、今後間違いないでしょうね」

「……」

 この埼玉高校は、全国でも有数の進学校――つまりここは、偏差値教育というヒエラルキーの頂点に近い場所にある。

 当然そんなところに来るのは、中学での競争に勝ってきた、各地域のエース達ばかりだ。偏差値という価値観の中で、競い、蹴落とし、蹴落とされ――そんな事を繰り返して、ここまで登り詰めてきたのだ。

 多分、私もそうなのだろうと思う。

 でも――私はこれまで、誰かと競い、争ってきたという実感は全くない。

 私はただ――最低限の勉強をして、家族を心配させないようにと思っていただけ。そしてそれが昂じて、家族を安心させるために、なるべく優秀な成績を修めようと思っていただけ。

 他人の事を見ながら勉強したことはないし、そういう動機付けで勉強をするやり方は、若干優柔不断な私には向いていない。

 だから別に、サクライくんと争いたくはないし、争う理由もない。

 なのに――何でみんな、そんな私に、そんな多くの事を望むのだろう。

「あの――サクライくんって、そんなに凄い人なんですか?」

 でも、私はとりあえず訊いてみる。今後比較される相手がどんな相手なのかは、私としても知っておきたい。それを知って、自分がどういう対応に出るか考えようと思ったからだ。

「そうね。うちに来る生徒としては、経歴が変わっているけれど、とにかく凄いわよ」

 先生は頷いた。

「何と言っても、彼、慶徳で3年間主席を取って、学費の優遇などの恩恵を手放さなかったらしいからね」

「え? 慶徳って……」

「女子のマツオカさんでもわかる? 開成、灘に並ぶ日本の男子私立校の御三家のひとつよ。国立の筑駒と合わせて、毎年東大合格者の約500人――約7割が、この4校だけで独占されてるの」

「……」

 それは、つまり偏差値教育のヒエラルキーの中で、紛うことなき頂点だ。

 そんなところでトップを取っていたサクライくんは――現時点で日本一頭のいい15歳の一人ってこと?

「普通中高一貫の慶徳の中等部から、成績上位者が他校にわざわざ進学した例はないみたいだけどね。彼も慶徳を出る時に、相当慰留されたそうよ。学費を免除するとまで言われたらしいけど、わざわざカリキュラムや設備の劣る県立のうちに来たのよ。変わってるわよね」

「……」

「だけど、そんな子がうちに来たことで、はじめは先生達も大喜びだったんだけどね。あまりに彼の態度が悪いんで、先生の一人が慶徳に電話して、本当にあの子が成績トップだったのか問い合わせたのよ。そしたら、どうなったと思う?」

 先生は、話を引っ張った。私は当然首をふるふると横に振った。

「あいつはおたくの3年分のカリキュラムなんて、中学で終わってる。今東大を受けても、理Ⅲ(医学部)以外なら5割以上の確率で合格できるくらいの力がある。県立の教師ごときに心配される筋合いもない。それでも文句があるなら、あいつをうちに返してくれって、けんもほろろな上に、伝統ある埼玉高校を、散々にバカにされちゃったわけ。だからサクライくんを倒すことは、うちをバカにした慶徳をやっつけることにもなるわけ。先生達の目の色が変わっているのは、そういうところも関係しているのね」

「――何か、凄い学校ですね」

「本当ね。成績さえよければ生徒の倫理観や道徳観なんて、どうでもいいみたい。だからあの子みたいな子供が出来上がったのかしらね」

「……」

 倫理観や道徳観か……

 それを言うと、私はむしろそれに縛られすぎな気があるかもしれない。

 いつだってそう。ステレオタイプで、理性的で……本当の自分はどんな人間なのか忘れてしまう程に、自分の事を表に出せない。

「マツオカさん」

 窓の外のサクライくんを見下ろす私に、先生が声をかけた。

「とりあえずマツオカさんは、自分のペースでやればいいわよ。周りの声ばかり気にしていたら、疲れちゃうでしょ? せめて吹奏学部では、私はあなたを一人の生徒として扱うから。疲れたら、部活に来て、みんなと音楽を楽しんでみたら? そういうガス抜きの場も、せめて作らないとね」

「――はい、ありがとうございます」

 この時のタカヤマ先生の言葉が嬉しくて、私は吹奏楽部に正式に入部することになった。



 6時から7時15分までは音楽室でフルートを練習し、それから8時20分までは、図書室に移動して、今日の授業の予習をする――それを3年間続けようというのが、私の高校生活の目標だった。

 この学校は、あまりの難易度から、地元である川越市の生徒がほとんどいないから、早い時間に登校する生徒はほとんどいない。そのおかげで静謐な朝の図書室で勉強を終えた私は、8時30分の朝のホームルームを待つ教室に向かった。

「参った参った。昨日一日レポート3000文字の反省文を書かされちまってさぁ」

 教室では、クラスメイトに囲まれるエンドウくんとヒラヤマくんが、昨日先生達から下された罰について語っていた。あの破天荒なオッズを成功させたことで、二人はもう既に、クラスの人気者だった。

「しかしケースケは、ずっとしんどそうだったな。筋肉痛で、しゃがむだけで痛いって」

「ああ、でもあいつ、レポート3000文字を、たった30分で書き終えて、俺達の事を待たずにさっさと帰っちゃったんだぜ。酷いよなぁ」

 私は自分の席から、そんな二人の事を眺めた後に、サクライくんの机を見た。

 相も変わらず、サクライくんは机に突っ伏して、もう眠っていた。

 ――そしてそのまま、朝のホームルームも終わってしまい、一時限目の数学Ⅰの授業も始まってしまった。

「……」

 二次関数の説明とノートに取りながら、私はその間、何度かサクライくんの姿を窺った。

 まるで置物のように動かず、寝息ひとつ立てずに眠っている。

「……」

 この人が、全国トップスリーに入る中等部の3年間主席――

 確かに頭がいい人には間違いないのだろうけれど、そんな風には全然見えなかった。

 でも――どうしてだろう。

 中学の時も、授業でいつも寝ている人というのは見ていたけれど。

 彼の寝相からは、その時に感じた、惰眠を貪るという感じの怠惰な印象が全く感じられない。

 あまりに寝相がいいからか、それとも、あまりに堂々と眠っている故の清清しさからか、それは上手く形容できないのだけれど――

 だけど……

 数学の先生は、ついにそのサクライくんの授業態度に痺れを切らし、サクライくんの机に近づいて、問答無用で彼の机の足を蹴った。ガタァンという大きな音がして、机が吹っ飛ぶと、それに突っ伏していたサクライくんの身体も一緒に吹っ飛び、椅子から転げ落ちた。

 教室に緊張感が走る。

「――痛て……」

 サクライくんは、教室の床に座り込むようにしながら言った。

「サクライ、いい加減にしろよお前。俺の授業がそんなに嫌か」

 数学の教師も、怒気を孕んだ声で、彼を見下ろした。

「……」

 サクライくんは、頭を掻きながらゆっくりと立ち上がり、顔を上げる。

 眠そうな目を細めている彼の目は、異様な雰囲気を含んでいるように見える。

「――分からない人だな」

 そして、溜息をつく。

「別に先生の教え方が悪いから寝てるわけじゃないんですよ。内容が僕にとって無意味だから聞いてないだけです。この授業内容じゃ、フィールズ賞受賞者が授業してくれても寝ますよ」

「何だと?」

「実際他の授業も寝てるわけだし、あなたの教え方だけ差別化して寝てるわけじゃないことくらい、分かってくれませんか」

「貴様!」

「……」

 はじめは先生の剣幕に気圧されたが、何だか一方的に怒鳴りつけるだけの先生より、冷たい目で淡々と話すサクライくんの方が、ずっと迫力があって見えた。

「そうか、あくまでそういう態度を取るのか。なら出て行け! 他の生徒の邪魔だ!」

 出た、先生の決まり文句。

 中学の時も、そう言って生徒の優位に立とうとする先生がいたな。そして生徒はそう言われて、教室をまず出て行かないんだ。

 だけど。

「え? いいんですか?」

 サクライくんは目を見開いた。

「そりゃよかった。さすがに机で寝てると身体痛かったんで……疲れも取れないし」

 そう言って、自分の机を立たせると、すぐに自分の鞄を持って、先生に一礼した。

「ついでに他の教師にも言っておいてくださいよ。テストは受けに来ますから、どうぞお構いなく、って」

「お、おい、ケースケ……」

 ヒラヤマくんが、彼を止めようとしたが、彼はそんな声を歯牙にもかけない素振りで、踵を返し、教室の出口に向かった。

「お前、これだけで済むと思うなよ」

 教室の引き戸に手をかけたサクライくんの背中に、先生が怒鳴りつけた。サクライくんも足を止める。

「お前を停学や退学にすることも簡単なんだぞ、こっちは!」

 出た、教師の決まり文句その2。反抗的な生徒には、内申や停学、退学を以って脅迫するやり方。

 でも。

「――ご自由にどうぞ」

 まるで先生の言葉を、肩にたかる蝿のようにその一言で払い飛ばした彼は、そのまま教室を出て行ってしまった。

「……」

 廊下に響く彼の足音がかすかに聞こえ、やがて聞こえなくなるまで、教室には沈黙が流れた。

 ――「何あれ。ああしてツッパってたら、カッコいいって勘違いしてるのかな?」

「サクライくん、本当に退学しちゃうのかな? うちの学校じゃ珍しいイケメンの一人なのに」

「まさか。あの授業だけでしょ? 戻ってくるって、さすがに退学はないでしょ」

 休み時間の教室は、彼の噂で持ちきりだった。

 しかし、彼はそれから本当に、一度も教室に戻ってくることはなかった。

 次の日も、また次の日も――彼は朝のホームルームで出席を取ってもらうと、すぐに教室を出て行ってしまい、授業には全く参加しなかった。

 ――そんなある日。

 授業中に、明らかにおかしなピアノの音色が響き渡った。この学校は、1、2年生が週1回1時間だけ、音楽の授業があるのだけれど、その授業で取り扱う曲としては、明らかにおかしな選曲。私も聴いたことのない曲だった。

「――何だ、このピアノの曲は」

 その時授業をしていた物理の先生が、首を傾げた。

「――これ、時の傷痕じゃん」

 エンドウくんが言った。

「ゲーム音楽だよ。こんな曲、授業で弾いてるんじゃないな」

「じゃあ、誰が……」

 教室が一斉に同じ人を思い浮かべた。

「――サクライくん?」

「へぇ、上手いじゃん、あいつ」

「あいつ!」

 物理の先生は苦虫を噛み潰した。

「……」

 そのピアノの音色は、コンクールだったらまず最低評価を取ることは確実だった。譜面を無視するようなめちゃくちゃな弾き方だった。

 でも、所々にアドリブでのアレンジが加えられていて、弾いている本人が、どんな曲を弾きたいか、という意志が伝わってくるような、そんな演奏だった。まるでジャズのピアノのようにテンポがよく、即興でリズムを繋ぎ合わせる軽快さがあった。

 私の中学時代までやっていたピアノは、如何に譜面通りに弾くか、というものだったから、こういうピアノの音色は、聴いていてあまり綺麗には聞こえなかったけれど……

 でも、クラスのみんなの表情を見ると、その演奏を聴いていると、楽しそうな雰囲気に浸った顔になった人が多い。

 そんな、心がわくわくするような演奏だったことは事実だ。私もその演奏に、心が沸き立っていた。

――それ以来、教室にはたまに、音楽室からそんなピアノやギターの音色が響き渡った。サクライくんは相変わらず授業には出なかったけれど、週1である美術の授業と、体育だけは参加していた。

 既に学業での成功を諦め、美術や音楽といった、風流を楽しむ彼は、次第に「世捨て人」と揶揄されるようになっていった。確かにそんな彼の雰囲気は、俗世を離れ、文化の大成に勤しむ風流人の雰囲気があった。

 しかしその一ヵ月後、そうして彼を揶揄していた生徒達の表情は、一気に青ざめることになる。

 5月に行なわれた中間テストで、サクライくんはトップの私とわずか1点差の2位を取ったのだから。


連載が遅れて申し訳ないです。


「時の傷痕」は、ゲーム「クロノクロス」のOPです。youtubeなどで視聴できますので、聴きたい方はぜひどうぞ。

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