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Another story ~ 2-6

 吹奏楽部の仮入部二日目は、変に先輩達が色めきだって、窓の外をうかがっていた。

「あ、あれがもしかして、挑戦者なの?」

「カワイイ……女の子じゃないの?」

「でもあれじゃ、もう失敗は目に見えてるわね。ふふ、臨時収入ゲットぉー」

 私も音楽室の窓から、外を見下ろす。

 そこからは校舎の外、2面ある埼玉高校のグラウンドが見えていて、校門を出た、二つのグラウンドの間にある細い道には、沢山の人だかりができていた。その中心でエンドウくん、ヒラヤマくんが人の対応に追われている。どうやらサクライくんのその華奢な姿を見て、飛び込みで賭け金を払う人が増えているようだ。

 そして、グラウンドの中では、サッカー部が練習している片隅で、サッカー部顧問のイイジマ先生の長い言葉を聞き終えたサクライくんが、体を捻ったり、関節を回したりして、マラソンの準備をしているところだった。

「あの――先輩達も賭けたんですか?」

 私は窓の方を見ている先輩に訊いてみる。

「そりゃ賭けるわよ。だって自分の財布の重さが10倍になるって目に見えてるもの」

「賭けを宣伝してる二人もイケメンだったしね」

 先輩達は口々にそう言った。

「……」

「ほらほら、あなた達も練習練習」

 折節、そんな先輩達の服を掴んで、顧問のタカヤマ先生が、窓から先輩達を引き剥がすべく引っ張っていってしまう。

「えー? 先生今日はあれが気になるよぉ」

「私達のお財布の命運がかかってるんだからぁ」

 先輩達は、そんなことを言って、練習も上の空だった。

「ほらほら、新入生の前で、先輩がそんなじゃダメ」

 タカヤマ先生がそう言って、とりあえず先輩達も、私達も、自主練習を開始した。

 私も真新しいフルートを箱から出したが、私はまだ木管楽器は素人で、腹式呼吸、ブレスの練習からだった。フルートはリードがないので、唇の動きと、ブレスの腕が楽器の音色にダイレクトに反映されてしまう楽器だ。タカヤマ先生は、初心者の私にも優しく指導をしてくれた。そのおかげで、ピアノやバイオリンの練習では経験したことのない練習でも、割と壁を感じずに、練習に入り込むことができた。

 隣でホルンを吹くアオイも、メトロノームを使っての自主連に励んでおり、ミズキに至っては、タカヤマ先生から腕を見込まれて、早くも今年のコンクールの課題曲の譜面を渡されていた。

 そうして2時間、私はフルートに悪戦苦闘しながらも、何とか早くフルートを吹けるように、地道な基礎練習を繰り返していた。

 だけど。

「80周突破!」

 窓からそんな大きな声が聞こえると、その後から、うおおお、と、尋常ではない数の声が上がった。

 一体何事と思って、音楽室でも、タカヤマ先生や部員の何人かは、席を立って外の様子を窺った。

「ちょっと! あの子、まだ走ってるわよ?」

 先輩の一人が言った。

「え? そんな? じゃあ今の声って、もう80周も走ったって事?」

「まずいじゃない? 成功しちゃったら、お金が……」

 先輩達は、にわかに色めき立つ。

「……」

 私もその先輩の様子から、好奇心に駆られ、もう一度窓を覗き込んだ。既にアオイとミズキは、窓の下を見ている。

 保険の先生が、彼の安全を配慮して差し出した水を、サクライくんは走りながら頭から被って、体を冷却させていた。そして少しだけ口に含むと、サクライくんは水の入ったペットボトルをぽいと投げ捨てているところだった。エンドウくんとヒラヤマくんのいる横に立ててある、周回を数えるバスケットボールの得点板は、既に83とカウントされていた。

 サクライくんは上半身に着ていたTシャツを脱いでいた。ここからは遠くてよくわからないが、とても大きなグラウンドを80周もしたとは思えないほど、足取りもまだしっかりしているし、スピードも速い。これなら100周クリアも、時間の問題のように思える。

「――やられた」

 私の横にいたミズキが呟いた。失敗に賭けていたミズキは、もう自分の敗北を悟ったようだった。

「すごい――サクライくん」

 アオイも素直にそう呟いていた。

「あぁー、やめて、やめてよぉ」

 先輩達は、とらぬ狸の皮算用までしていた自分の臨時収入が、こんな馬鹿なことでの出費へと変わってしまうことの脱力感から、もう楽器に手がついていなかった。悲痛な声と表情で、サクライくんが1周、また1周と周回を重ねるのを、ただ黙って見ているしかなかった。

 そして、サクライくんが100周をクリアした時、窓の外、そして音楽室からも大きなため息が漏れた。きっとこれだけのため息が、学校中で起こることは、埼玉高校の歴史で後にも先にもなかったと思う。

 窓の外を窺うと、エンドウくんとヒラヤマくんは腰を抜かしている。それはそうだろう、何せ数百万の借金と紙一重の勝負をしたのだから。

そしてサクライくんは、サッカー部のグラウンドに倒れ、今保健室の先生が体調をチェックしている。すぐに上半身を起こしたから、どうやら大丈夫そうだ。

「……」

 倒れているサクライくんは、ここからではよく見えなかったけれど……

 見た限り、どんな時でも表情を崩さなかった彼でも、倒れてしまうほどに辛かったのだろう。グラウンド100周は。

 でも、何故そこまでして……

 何故ここまでできる人が、授業中は、あんな怠惰を装うのだろう……



 ――次の日、学校に登校してくる私は、グラウンドにできる人だかりを見た。人があまりに集まっていて、体の小さな私では、様子を窺うことができない。

 諦めて、私は昇降口で下駄箱を履き替えて、3階にある自分の教室への階段を登った。

 教室に着いて、鞄を机に置くと、既に教室にいたほぼ全員が、窓の外から外を窺っていた。

「あ、マツオカさん、おはよう」

 アオイが私の姿を見つけ、私の方へやってくる。

「あ、マツオカさん、昨日のサクライくん、見た?」

 それを見て、他の女子も私の方へ集まってくる。

「う、うん。音楽室からだけど」

 私はいきなりその話題を振られて、当惑する。

「そういえば、今日、学校に来る時も、すごい人だかりができてたけど――何かあったの?」

「あぁ、窓の外を見ればわかるよ」

 そう言われたので、私はアオイと一緒に、窓の方へ行ってみる。

 窓の外では、当時はまだ芝の張られていない埼玉高校の赤土のグラウンドにしゃがみこんで、黙々と何か作業をしている3人の人影があった。

「あの3人、学校であんな大々的に賭けなんかやったものだから、ああして罰として草むしりさせられてるんですって。反省文も沢山書かされるらしいわよ」

 女子の一人が説明してくれた。

「……」

 ――そうか。あの人だかりは、この優等生だらけの埼玉高校で、こんな罰を下され、晒し者にされている3人を見物していたのか。

 あの3人は、昨日のことで全校生徒に顔と名前を売った。昨日のヒーローが、今日はこんな罰を科せられているというのは、何かひとつの教訓めいたものがあるように思えた。

「あはは! まあ学校中からお金巻き上げたんだし、これくらいはしてもらわないとねぇ」

「……」

 教室の窓からは、昨日の音楽室よりかは、3人の表情もよく見える。

 サクライくんは筋肉痛なのか、体が相当に重そうだ。それをエンドウくんがからかい、ヒラヤマくんもそれに便乗している。

 ああしてあの3人が一緒にいるということが、昨日エンドウくんが言っていた、当初の目的は達成されたのだろう。サクライくんをサッカー部に勧誘することに、成功したのだろうか。

「なんか楽しそうね。サクライくんって、寝てない時は割とノリがいいじゃない」

「――3バカね」

 それを見ていたミズキが言った。

「え?」

「ああ! いいねそれ! あの3人にピッタリじゃない?」

「埼玉高校の3バカトリオね」

 これ以来、彼ら3人は、一まとめにされる時、埼玉高校の3バカトリオと呼ばれるようになった。

「でも、サクライくん、脱いだ時、ホントすごかったなぁ」

「そうそう私も見た! お腹が割れてて、肩から肩甲骨あたりの筋肉のつき方が、程よい感じでね! ガリガリかと思ったら、程よく筋肉あったのは、結構見直したなぁ」

「あぁ、あの筋肉で、身長がもうちょっとあったら……」

 クラスの女子は現金なもので、大人しめで女性っぽいイメージのサクライくんが、あんな体を張った雄姿を見せたことで、たった一日で、昨日までの低評価を覆してしまったのだった。



 次の日、私は音楽室に早朝からやって来ていた。学校が開門する朝の6時から、職員室で音楽室の鍵を借りて。

 入学前から、私はフルートの練習を毎日朝にやろうという目標を立てていた。初心者である以上、人一倍練習して、早く部活に溶け込みたいし、今は何かと真剣に向き合ってみたいと思っていたから。だけど家ではまだ家族が寝ているし、音を立てるわけにもいかないから。

 朝練はないと聞いていたので、音楽室には誰もいない。これなら初心者の私の下手な演奏が、場を乱すこともない。

 私は入学前に買った、フルート初心者のための本を参照しながら、私は音を鳴らす。

 だけどまだ私は、腹式呼吸も未熟で、タンギングも下手だったので、音も安定しないし、ブレスもタイミングが合わない。

「うーん……指は少しは動くようになったのに……」

 私は息をつく。

「やっぱり失敗だったかなぁ……いきなり楽器を変えるより、ずっと同じ楽器を練習していた方がよかったかなぁ」

 そんな愚痴が口をついてしまう。

 気分転換に、外の空気を吸おうと思い、窓を開けてみる。あまりに下手だから、演奏中は窓を閉めていたんだけど……

「――あ」

 窓を開けて、外を見ると、窓から見えるサッカー部のグラウンドには、一人の小さな男の子がいた。黙々とグラウンドを走っている。

「サクライくん?」

その小柄な体と、一度見た走り方のフォームとスピードで、私は彼と認識する。

 一昨日あれだけ走っていたのに、もう今日走っている。普段ぐうぐう眠っている怠惰な印象からは想像できない程の体力だった。

「……」

 そういえばあの一昨日のマラソンは、野球をしていた人がサッカーに乗り越えた人に命じられるものだったらしい。

 もしかしてサクライくんも、サッカー初心者だから、私と同じ、ああして一人練習を?

 そこでガチャ、と音楽室の扉が開き、私はその音にびくっと反応する。

「あら、マツオカさん」

 そこには吹奏楽部顧問のタカヤマ先生が立っていた。

「びっくりした? こんな朝早くから、人が入ってくるとは思わなかったでしょ」

私がびくっとするリアクションを見て、先生は笑いながら言った。

「す、すいません。朝から五月蝿くして……」

「ううん。大丈夫よ」

 先生は軽く手を上げる。

「それよりも……うちの学校で朝から練習する人、初めてよ。少し嬉しいなぁ」

「そうなんですか?」

「うん。うちは勉強に支障が出るから、部活で朝練を強制することはできないの。吹奏楽部と言えば、朝練しなきゃいけないと思うんだけどね……」

「……」

 そうか。熱心な顧問としては、何とも歯がゆいだろうな……

「しかしマツオカさん、入試満点で、職員室でもう噂だったけれど、努力家でもあるのね。他の先生から人気なのも頷けるわ」

タカヤマ先生が頷いた。

「いえ、そんな……私だけじゃないですよ」

 私は言いながら、窓の外を窺う。

 私が窓の外をじっと見ていたのを見て、先生も窓の外を窺う。

「あぁ――もう一人の天才少年くんね」

「え?」

 私は首を傾げる。

「……」

 先生は口許に手を当てて、少し考え込む。

「――あなたには、話しておいた方がいいかもね。理不尽に教師の都合に巻き込んでいるわけだし」

 そう言って、先生は私の方を見る。

「あなた、入試トップだから、入学式で学年代表の挨拶をしたっていうのは、聞いているでしょ」

「え? はい、それは入学式前に説明がありましたから」

「実はね、あなたは入試満点だったんだけど、満点合格はもう一人いたのよ。それがあの子」

 そう言って、先生は窓の外を指差す。


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