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Another story ~ 2-5

 部活の仮入部期間がスタートすると、私はその初日から。吹奏楽部が活動する音楽室の門を叩いた。

 当時の埼玉高校は、部活動は運動系、文科系問わず、部活は2年生で引退させられる。勿論3年生になっても部活に顔を出す人もいたけれど、基本的にあまり部活動は盛んではない。そもそも部活に入らない人も多く、部活所属率は全校生徒の半分程度だった。

 何でも埼玉高校は、長年、東大合格者の8割が帰宅部だったらしく、部活に所属する人ほど、成績が下位に行きやすく、現役受験に失敗する例が多いらしい。特に練習がきついとされる野球部とサッカー部は、部員の現役合格率が3割を切っているという。

 だから、吹奏楽部も、残っているのは2年生だけで、12人ほどしか所属していなかった。仮入部に参加した1年生は、私を含めて15人くらいで、中には私と同じ、1年E組のクラスメイトもいた。

「サガラ・アオイです。中学ではホルンをやっていました。よろしくお願いします」

「タカハシ・ミズキです。アルトサックスとクラリネットが出来ます」

 私と同じクラスの二人が、まず先輩達の前で自己紹介する。

 アオイは真面目そうで、少し大人しい印象があったけれど、肌の色が白く、スノードロップのような可憐さのある女の子だった。ミズキは快活で、見た目も大人っぽく、派手な印象だけれど、アルトサックスを持った姿が、とてもかっこいい、向日葵のように明るい女の子だった。

「はい、じゃあ次はマツオカさん、挨拶どうぞ」

 仮入部届けを見て、顧問のタカヤマ先生が、私の名を呼ぶ。何だかまだ大学生と言われても信じてしまいそうなほど、若い女の先生で、いつも優しそうな笑顔を浮かべているのが印象的だった。

 私は先輩や、同級生の前に立って、会釈をする。

「マツオカ・シオリです。中学ではピアノとバイオリンをしていたんですが、仲間とひとつの音楽を作り上げることに憧れて、吹奏楽部を希望しています。まだ何も弾けませんが、頑張ります。よろしくお願いします」

 再び会釈をすると先輩達からも拍手が起こった。

 ――その後は、先輩達の練習を1時間ほど見学していくよう、タカヤマ先生から指示をされた。明日からは楽器を持ってくれば、自由練習に早くも参加させてくれるらしい。

 先輩達は、私達に演奏も聴かせてくれた。エアロスミスの「I don't want to miss a thing」を演奏する先輩達は、さすがに12人では、吹奏楽と言うには少しサウンドの力が不足しているように感じたけれど、どの先輩も本当に楽しそうに演奏をしているのが印象的だった。

 私はずっと、モーツァルトとか、ショパンとか、クラシックを中心に音楽を続けてきたのだけれど、吹奏楽部は、こういう音楽もやれるのか、と、少しわくわくした。

 私の腕じゃまだ、先輩達との演奏には混ざれないけれど、早く、こうして先輩達の演奏に混ぜてもらえるようにならなくちゃ、と、強く思った。

 ――「マツオカさん」

 部活見学が終わって、音楽室を出た時、私はサガラ・アオイから声をかけられた。二人で校舎の階段を降りながら、話をした。アオイは少し引っ込み思案気味の女の子だったから、まだクラスでもちゃんと話をしたことはなかった。

「マツオカさんも吹奏楽部だったんだ。何だか嬉しいな」

「え?」

「私、マツオカさんとずっと話してみたかったの。入試でトップを取るくらい頭いいのに、優しそうで、綺麗で――きっかけが出来て、よかったな」

「そんな……」

「もしよければ、これから仲良くしてくれないかな?」

「うん、私でよければ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 私はアオイに微笑みかけた。

 長年染み付いた、優等生の顔で。

 ――これじゃ、中学の時と、変わらないじゃない。

 私とこうして友達になってくれる人は、大抵が、私の成績がいいからとか、そういう理由で寄ってくる。だから私は友達作りで苦労したことがない代わりに、自分から本気で友達になりたいと思った人に出会ったことも、友達作りで努力したことも、まだなかった。

 そうして、何の苦労もせずに得た友達は、時に、私にはとても遠くに感じられて――

 何だか、本当の意味で、私と友達になってくれる人は、一人もいないんじゃないかって。自分の成績が落ちてしまえば、みんな私から離れてしまうんじゃないかって。

 そんな不安がいつも頭から離れなかった。

 だから高校では、そんな自分を変え、自分のほしいもの、やりたいことを探そうと意気込んでいたのに、入学早々、私が動く前に、先生や友達によって、中学の時と大して変わらない環境――私を優等生と褒め称える先生達に、成績によって築いた地位によってできた友達という構図が出来上がってしまった。

 ――こういう時に、実感する。

 いくら成績がよくても、私には、何かを変えるだけの力が圧倒的に不足している。現状維持に努めるのが精一杯で、自分の殻に閉じこもりがちで……

 毎日に流されながら、生きているのだと。



 次の日、学校に登校してきた私は、教室の一点に、人だかりが出来ていることに気付く。

「さあさあ張った張った! 大儲けのチャンスだぜ! 千円賭ければ1万円に、1万賭ければ10万になるってこった」

 なんとも景気のいい語り口調だった。

「あ、マツオカさん、おはよう」

 私が登校したのを見て、アオイが私の隣にやってきた。私は鞄を自分の机に置く。

「どうしたの? 随分教室が賑やかだけど」

「エンドウくんが、賭けを持ち出したのよ」

「賭け?」

 私が首を傾げていると、隣に、タカハシ・ミズキもやってくる。

「なんでもサッカー部の顧問って、中学で野球をやってた人がサッカーに転向するのが嫌いみたいで、そういう人に、まずグラウンド100周させて、サッカーの厳しさを教えるとか何とか言ってる、ウザい熱血野郎なんですって。毎年何人か倒れる人出してるらしいんだけど、それにうちのクラスのサクライくんを挑戦させようとしたのよ。彼、昨日野球部の仮入部に参加したらしいし」

「……」

「で、エンドウくんとヒラヤマくんがサクライくんにけしかけたら、彼、報酬があるならやる、って言ってね。それで急遽賭けを開いて、サクライくんに払う報酬を集めてるってわけ」

「……」

「俺、失敗に2000円賭けるぜ」

 既にクラスメイトの何人かは、エンドウくんにお金を払っている。エンドウくんの横にいるヒラヤマくんが、それをノートに記録し、一人一人自署でサインさせている。

「でも、大丈夫なの?」

 私はアオイに訊いた。

「だって今まで、一人も成功者、出てないんでしょ? あのグラウンド100周って、多分30キロ以上あるし……賭けなんかしたら、みんな失敗に賭けるに決まってるよ。それでもし、サクライくんが失敗したら……」

「サクライくんもそう言ってた。そんなことして、僕が失敗したら、相当な自腹を切ることになるぞ、って」

 アオイが言った。

「でも、エンドウくんはそれでもいい、って。お前が失敗する気がしないし、高校生活を楽しくするために、自分を危険にさらすのも悪くないって」

「……」

「あの3人、顔はそこそこいいけど、残念なイケメンだったのね」

 ミズキが言った。

「大した考えもなくバカ騒ぎが好きで、とにかく注目を浴びたいんでしょ。典型的なガキね」

 ミズキの評価は辛辣だった。

 確かに中学時代、そういう男子はいた。女の子にもてたかったり、人気者になりたいからと、意味不明の行動をとるんだ。変に突っ張ってみたり、空元気を振りまいてみたり。そういう行動に出た人の末路は、大抵が自滅だ。やがてクラスの脇に葬られてしまう。

 教室で常に寝るサクライくんや、こうして馬鹿騒ぎをするエンドウくん、ヒラヤマくんの行動は、そういう時の男子を髣髴とさせる。

 多分女子達はみんな、中学のときに何人かいた、そういう自滅した男子と同じ空気を、あの3人から感じ取っていたと思う。

 けれど――

 オリエンテーション旅行で、クラスメイトに自己紹介を促したエンドウくんは、決して自分がクラスで目立とうと思って、率先して動いたわけではなかったと思う。

 ヒラヤマくんだって、見た目からしてすごく目立つ人だ。こんなことをしなくたって、友達なんてすぐできるだろう。目立つために自ら動く理由が見当たらない。

 そして、サクライくんは――

 私が昨日の授業を見る限りでは、サクライくんは、相当頭のいい人に見えた。そしてプライドが高い人だ。

 そんな人が、グラウンド100周なんて、初めから無理な条件の挑戦を、勝算もなしに受けて、わざわざ恥をかくようなこと、するだろうか……

 それに――あの眠りの深さは、授業中に惰眠を貪るなんていう怠惰な印象を、あまり感じなかったように思う。

 ――私にはまだわからない。

 でも、ひとつだけ思うことは。

 私が昨日の授業から、何かを感じ取ったように、あの二人も、サクライくんから何かを感じ取ったのだろうか、ということ。



 ――エンドウくん、ヒラヤマくんの扇動によって、その賭けは昼休みになる頃には、学校中に知れ渡っていた。

 ヒラヤマくんは自作ののぼりを持ち、エンドウくんは自作の看板を胸と背中に取り付けたサンドウィッチマンになって、校舎中を練り歩いた。二人とも背が高くて、ヒラヤマくんは顔もいい分、校内ですごく目立っていた。

 昼休み、一通り学校を回って帰ってきた二人は、ようやく購買で買ってきたコロッケパンと焼きそばパンの昼食にありついていた。

「ねえねえ、どうだった? 成果は」

 さすがにクラスでも目を引く二人のその行動に、クラスメイトも興味深々で、パンにかぶりつく二人にすぐ人だかりが出来る。

「ま、ぼちぼちかな」

 ヒラヤマくんは自分が持っているノートを開いて見せている。

「本当にお金集めてるんだ」

「でも、集まれば集まるほど、リスクが大きいのに……」

「しかも当の本人は、今日も一日中寝てたし」

 私はクラスの女子数人と机を合わせてお弁当を食べながら、その様子を窺っていた。

 その後、サクライくんの方を見る。

 ようやく4限までの長い睡眠を終えたサクライくんは、自分の鞄からコンビニ弁当を取り出して、それを一人で食べていた。食べ盛りの男子がコンビニ弁当ひとつでは、すぐお腹が減ってしまうだろうけれど、それを本当に噛み締めるようにして、ゆっくりと食べていた。

「あ、ねえねえ」

 そんな私に、なんとも親しげに声をかけてくる人がいた。

 自作ののぼりを持った、ヒラヤマくんだった。エンドウくんもそれについてくる。

「みんなも一口賭けてみないか? オッズはどっちも10倍だぜ」

 女子と初めて話すのに、全然気後れのないヒラヤマくん。どうやら相当女の子慣れしているみたいだ。

「半日学校歩いて、どれだけの人が賭けたの?」

 一緒にお弁当を食べている女子の一人が訊いた。

「ん? もう200人近く賭けて、賭け金も10万超えてるんだぜ。参考までに言えば、成功に賭けたのはそのうちのたった3人だけどな」

 エンドウくんが言う。普通にしていれば長身でかっこいいのに、体と背中に看板を貼り付けていて、何だか残念な人に見えてしまう。

「す、すごいね。そんなに……」

 女子の一人が言った。

「へへ、一日学校回ったからな。教師が来たら全力で逃げて、大変だったぜ」

 エンドウくんが可笑しそうに笑う。

「……」

 楽しそうだな……

 二人を見ていると、本当にそう思う。もしかしたら、すごい借金をするかもしれないのに。

 まだ出会って日も浅いのに、こうして学校中を巻き込むようなことが出来るなんて。

 それに比べて、私は……

「みんな現金だよなぁ。簡単に儲かると思ってるからなぁ」

「そりゃそうでしょ」

 ミズキが言う。

「私も失敗に2000円賭けるわ」

 そう言って、ミズキが自分のルイヴィトンの財布(本物! 15歳が持っていいの?)から千円札を2枚取り出して、前に差し出した。

「お! 毎度あり! じゃあここにサインを」

 ヒラヤマくんがそう言って、持っていたノートをミズキの前に差し出し、ペンを差し出す。

「マツオカさんも、賭けてみないか?」

 エンドウくんが私に声をかけた。埼玉高校で、男子に声をかけられたのは、これが初めてだった。

「え? わ、私?」

「頼むよ。入試トップのマツオカさんが賭けたら、そのデータを元に、他の女子も賭けてくれるかも知れないだろ?」

 エンドウくんが自分の胸――看板の前で手を合わせた。首を少し傾げた姿が、大柄なのに、どこかユーモラスだった。

「……」

 この二人は、サクライくんに何かを感じたのだろうか。

 私も、サクライくんはどこか、捨てて置けないような雰囲気があるように思えてならない。

「――ねえ、どうして二人は、こういうことをしようと思ったの?」

 私は二人に訊いてみた。こんなこと、余程サクライくんを信用していなければできない。その理由が知りたかった。

「ん? ああ。俺達、サッカー部に入部する予定なんだけどさ、あいつをサッカー部に勧誘したいんだよ」

 エンドウくんが言った。

「要はね、あいつと友達になりたいわけ。でもあいつ、あの通り手厳しそうだろ? だからちょっと大掛かりなステージを作って、あいつに最後一発かましてやろうって考えてて」

 エンドウくんは、いたずらっぽく笑う。

「……」

 ――至極単純明快な答えだった。

 友達になりたいから。

 方法はどうであれ、二人の顔には一片の嘘も誇張も見られなかった。

 そして、それは……

「――私、成功に5千円、賭けるよ」

「え?」

 エンドウくん、ヒラヤマくんが目を点にする。

「ちょ、ちょっとマツオカさん……」

 アオイが私を心配そうに見る。

「は、はは……失敗したなぁ。マツオカさんくらい頭いいなら、絶対賭けるなら失敗だと思ってたのに」

 エンドウくんが引きつった笑いを浮かべた。

「……」

 何で私は、大枚5千円なんか賭けたのか。

 きっとそれは、一言で言えば、気まぐれ。

 ――いや、違うかもしれない。

 ひょっとしたら私は、こうして自分の身を危険に晒しても、彼と友達になりたいという二人のことが羨ましくて、応援してあげたくなったのかもしれない。この二人の行動の先に何があるのか、結末を見たかったのかもしれない。

 それは、今の私には、足が竦んでできないことだから。


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