Another story ~ 2-3
「こうしてみると、楽器って色々あるんだねぇ」
私の後ろをついてくるシズカが、感嘆の息を漏らす。
埼玉高校に入学する少し前、私はシズカと一緒に、楽器店に来ていた。
私は高校では、新しい楽器に挑戦しようと考えていた。でも、まだその楽器を何にするか決めていなかったので、実際の楽器を下見してみようと考えたからだった。
「お姉ちゃん、今度はみんなで演奏するような楽器をやりたいんだっけ」
シズカは私に声をかける。
そう、私は昔から、誰かと一つの音楽を作ることに、強い憧れがあったのだ。
今までやっていたピアノもバイオリンも、私が習ってきたのは、コンクールに出るための、独奏用の演奏で、まだ私は、誰かと一緒に楽器を演奏するという経験が、数えるほどしかなかった。
中学では、楽器を弾くのにも体力がいるから、体力もつけたいと思い、部活はテニス部に入ったのだけれど、その練習中、いつも校庭には吹奏楽部の練習の音が響いていて。クラスメイトも自分の楽器をケースに入れて、手に持って、誇らしげに演奏する姿が凄く楽しそうに見えたのだった。
それに、私は小さな頃に、家族に何か習い事をしてみたら、と勧められ、何となく選んだピアノとバイオリンを、何となく続けてしまっていた。勿論その二つの楽器には愛着もあるし、嫌いでもなかったけれど、何だか惰性的に続けていたような気もしていて、ピアノやバイオリンを弾いているのが、自分の意志なのか、よくわからなくなることが多くなっていた。だから高校入学を機に、大幅に環境を変え、もう一度自分をゼロから築き上げてみようと思ったのだった。
「ん」
私は、ひとつの楽器の前で立ち止まる。後ろのシズカも立ち止まって、それを見た。
私の前には、ムスタングのエレキギターが立てかけてあった。どうやら、アニメのキャラクターが持っていたモデルで、最近売れているらしい。値札の横に、そんな紹介が書いてある。
「ああ、今ガールズバンドとか、流行ってるもんね。吹奏楽だけじゃなく、こういうのも、一応みんなでやる楽器だよね」
シズカが言った。
「……」
そうか、楽器と言っても、色々あるもんね。
「よければ、手に持ってみますか?」
その様子を見ていた店員が、私に声をかけてきた。私は物は試しだと思い、ムスタングを持たせてもらうことにした。
「う……」
スリングで肩に吊っているとはいえ、私には相当重い。楽器の重量が500グラム程度のバイオリンを考えれば、ムスタングは4キロ近くある。テニス部で鍛えた体力でも、これは長時間持っているのはかなりキツイ。
「うーん、ないな」
しかも、頑張って持っている姿を、シズカに一蹴されてしまう。
「お姉ちゃんみたいな華奢な女の子が、バリバリギター弾けたらかっこいいけど――何かなぁ……顔が大人しめだからか、ギターってイメージじゃないなぁ」
「……」
そう言われて、私はがっくりしてしまう。
「それにお姉ちゃん、ロックとかには染まれない気がするよ。今までクラシック一辺倒だったんだから」
「……」
秘かに、こんなギターを派手に弾きこなすことに憧れていたのに……
でも――確かに。軽音楽部といえば、当然歌わなくてはならない。私がボーカルをやらなければいいのだけれど、それなら初めから、歌う必要のない音楽をやる方が、私には合っているのかもしれない。
そう思った私は、今度は金管、木管楽器のブースへと移動する。
しかし、クラリネット、コントラバス、オーボエ、ホルン、ピッコロ――楽器が沢山あって、若干優柔不断気味の私は、目移りしてしまう。
「――あ」
しかしその中で、私の目を捉えた、ひとつの楽器があった。
白銀の、すらりとした細身のフォルム――まるで一輪の花のようにたおやかな印象を私に与えた楽器。
それが、フルートだった。
私は、その洋銀のフルートの美しさに、まず目を奪われた。
私にとって、フルートは他の管楽器と比べれば、親近感の沸く楽器であった。ピアノやバイオリンとデュエットをする機会の多い楽器だし、その音を耳にする機会も比較的多かった楽器だった。
私は店員に頼んで、フルートを手に持たせてもらった。
それは、バイオリンとほぼ同じくらいの重さで、私には最もしっくり手につく重量だった。まだ吹いてもいなかったけれど、さっきのムスタングよりも、何だか少し手に馴染む感じがする。
「フルートかぁ、いいんじゃない?」
今度はシズカも私の姿を見て、OKサインを出した。
「色んな楽器と合わせられるから、他の人と演奏する楽しさを味わうのにはいい楽器だと思う。お姉ちゃんの手に合ってると思うし――きっと上手く吹けたら、楽しいんじゃないかな?」
シズカの意見と、私の考えが、ぴったり一致した。
埼玉高校の入学式は、もう桜も峠を過ぎて、名残の桜が最後の輝きを見せる頃、快晴の中、行なわれた。
「新たな花が萌えいづる、このよき日、埼玉高校の一員となることの出来、大変嬉しく――」
私は入学式、新入生代表として、壇上に登り、校長先生の前で式辞を述べている。
背中には、私とこれから同級生になる生徒達や、その父兄、来賓の視線を強く感じる。そのせいか、身体は肩が強張って、ガチガチだった。それでも、佇まいが少しおかしくても、私は何とか式辞をどもらずに言えるか、声が裏返らないかの方に神経を注ぐだけで精一杯だった。
当然もう同級生達は、私が代表に選ばれた理由を何となくわかっているだろうから、既にもう私は最初のターゲットにされているのだろう。ここに入る人達は、埼玉や、他県の各中学のエースだった人達ばかりだ。故にみんなプライドが高く、自分が同級生の後塵を拝したりすることが我慢ならない人も多いと思う。そういう人達にとって、私は次の定期テストでの指標になる。マークもされてしまうだろう。
入学早々、同級生に、「この人が学年トップ」と思われるのは、大きなプレッシャーだ。3年後の卒業式で、「ああ、入学式の時は、確かあの娘が挨拶やってたっけ。今じゃ全然大したことないのに」と言われてしまうことにもなりかねない。今こうして、学年の代表南下していることが、後日大きな人生の汚点にもなりかねないと思うと、私の高校生活は、いきなり前途多難だった。
私がトップを取ったのなんて、きっとたまたまなのに……
――「ねえねえマツオカさん。マツオカさん、学年代表って、いつ決まったの?」
「やっぱりああいうのって、入試トップの人がやるものなの?」
入学式が終わり、教室に戻ると、まだ見知らぬ同級生に声をかけようと、互いに機を窺い、沈黙が流れていた教室は、一足早く名前を覚えられた私を中心に、女子の輪ができ始めていた。
自分で言うのもなんだけれど、私はこれまで学校生活で、友達作りに苦労した経験がない。私自身は特別社交的でも、積極的な性格でもないのだけれど、成績がよかったから、名前を覚えてもらうのには、あまり苦労しないし、勉強を教える役を買って出ていれば、自然と周りの人とも会話が出来るようになる。
新入生代表を買って出て、唯一得したことといえば、クラスの女子に、早くに名前を覚えられ、声をかけてもらえたことだ。とりあえず私のクラスは、私を中心に、他の女子同士も話が広がっていき、次第にみんな、新しい環境で友達が出来るか緊張していた顔が、どんどんほぐれていった。
まあ、明日には新入生同士の親交を深めるオリエンテーション旅行があるのだけれど、その前にこうして他の女子と話が出来て、よかったと思う。
「――マツオカさん」
「えっ?」
誰かに呼び止められて、私は顔を上げる。
旅館の大部屋――目の前には沢山の、同い年の女の子が、パジャマを着て、畳の上に敷かれた布団の上に座っている。
「……」
私は埼玉高校に入学して、今はその次の日からのオリエンテーション旅行に参加している。
バスで揺られて千葉の南端の旅館に到着し、夕食を食べて、お風呂に入ってからは、クラスの女子全員が一部屋に集まって、いわゆるガールズトークの真っ最中といったところ。
私は入学式で新入生挨拶をしたことで、クラスの中心人物のような扱いになっている。あまりそういうのは好きじゃないけれど、みんなが打ち解けるまでは、それでもいいかと思っている。
「ねぇ、マツオカさんは、クラスで気になる男の子、いた?」
「え? うーん……」
私は当惑する。その話題は、男子が苦手な私には、どう答えればいいのか、よくわからなかったからだ。
「みんなはどうなの?」
困った挙げ句、私は逆質問で様子をうかがう。
「うーん……まぁ今、二人以外はハズレだって意見で一致したところ」
「二人って――エンドウくんと、ヒラヤマくん?」
「そうそう。他の連中はダメね。みんな勉強の虫って感じでさ」
「……」
この旅行に行くバスの中、クラスには目を引く男子が二人いた。
エンドウ・ジュンイチくんは、いかにも人の良さそうな笑顔を浮かべ、今日のバスの中でも、率先してクラスメイトに話しかける人のいないうちのクラスで、一人気を吐き、私達が打ち解けるチャンスを作ってくれた。私はあまり男子と話すのは得意じゃないけれど、そんな私でも話しやすそうだと思う程、とても感じのいい人だったと思う。
ヒラヤマ・ユータくんは、すらっと背が高くて、服の下からでも鍛えた体が推し量れるような、進学校には珍しいスポーツマンタイプの男の子だ。顔立ちも整っていて、雑誌に出ているモデルみたいだった。ちょっとクールで、いかにも女の子にもてそうな感じ。
「でも二人とも、残念ながらアホっぽいわね」
「私はそれでいいけどなぁ。それより浮気っぽいのは勘弁だなぁ」
「ヒラヤマくんは何か、プレイボーイそうだなぁ。この学校、真面目な娘が多そうだけど、やっぱり人気出ちゃうかなぁ」
みんなはそうして、自分の好みを議論し合う。
「……」
恋愛の話に疎い私は、そうして好みの男の子のタイプを話し合うクラスメイトの姿を、じっと見つめていた。
やっぱりみんな、高校生になって、中学生とは一味違う、大人の恋愛に憧れている娘が多いらしい。こんなに早いうちから、クラスのカッコいい男子とかをチェックしているのかと、私は感心していた。
でも……
心のどこかで、私も知ってみたいとは思う。
誰かを好きになる――家族や親戚とも違う、誰かに好意を寄せるというのは、いったいどんな気持ちになるのだろう。
みんながここまで、手にしてみたいと望む恋愛というのは、そんなに素敵なものなのだろうか――
こういう話を聞いていると、自分も、友達のそんな気持ちを知りたくなる。自分が恋愛をしたがっているか、それさえもわからないくせに。
こういう時、自分は勉強がちょっとできるって程度の価値しかない人間だと、思ってしまう――
勉強ができても、私はまだ、何も知らないんだ。自分のことも、何も……
オリエンテーション旅行では、クラスの女子と色々な事を話すことが出来た。中学のことや部活のこと、進路のこと、住んでいる場所や考えていること、どれも中学の時よりもはるかに多様で、高校という場所がどういう場所なのかが、何となくわかった気がした。
そして、1泊のオリエンテーション旅行が終わると、男子はともかく、女子の間には、高校で初対面ということから来る緊張はほとんど解け、みんな気軽に声をかけられるようになっていた。
もう人間関係も固まりかけ、いよいよ授業や部活動が始まり、校内の慌しさが増すだろうと、誰もが思っていた。
だけど。
「えー、朝礼を始める前に。このクラスは一人、諸事情で先日の旅行に不参加の生徒が一人いてな。それを紹介しようと思う」
オリエンテーション旅行の翌日の朝のHR、授業開始初日の朝、担任のスズキ先生が、そう言った。
このタイミングで新しいクラスメイトなんて、実質転校生と同じだった。クラスメイトたちはざわめき出す。
「君、入りなさい」
そうスズキ先生が号令すると、教室の引き戸が開く。
そうして入ってきたのは、とても見目麗しい人だった。身長は私と同じくらいで、まるで女性のような顔立ち。歌舞伎の女形のように、歩く所作が綺麗で、気品さえ漂う雰囲気を纏っていた。着ているジャケットから覗く鎖骨のラインや、腕の血管の浮き具合、筋の立ち方を見て、男性だとわかったが、それが見えなければ、女性と言われても疑わなかったと思う。
「サクライ・ケースケだ」
高めの声を、わざと低く聞こえさせるような発音の声は、静かだけれど、よく教室に通った。