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Farewell

 朝になり、手紙を書き終えても、隣にいたユータとジュンイチは、昨日の酒が残っていたのか、まだ大いびきを掻いて、眠っていた。僕は一睡も出来ずに夜を過ごした。はじめは布団の上で、寝返りを打ってを繰り返していたが、段々面倒になって、彼女のくれた手紙を何度も何度も読み返して、彼女を想っているうちに、空が白んできた。

「ユーイチ! おきろおきろ!」

 部屋の障子が開いて、子供の高くて元気な声がした。タケルだった。タケルは目を腫らしていた僕を見て、僕が起きているのを確認して僕にダイブしてきた。寝不足と疲労で、そのダイブは少し体にこたえたが、僕は口元に、人差し指を立てて、タケルに見せた。

「こいつら、無理に起こさないでやってくれ。昨日、かなり飲んだから」

「わかった。こいつら、ユーイチのトモダチだもんな」

「そういうこと」

 僕は、徹夜で泣き通してボロボロの顔のまま、なんとか笑顔の形に顔を歪めた。タケルも、まだ生え変わっていない、隙間だらけの前歯をむき出して、笑った。

タケルは、まだ僕を、ユーイチと呼んだ。幼いタケルには、僕が偽名を使った理由も、僕の本当の名前ということも、まだよくわからないのだろう。

だから、タケルはまだ昨日と同じ、僕に懐いてくれている。この1週間、本当の兄弟のように過ごした。一緒に遊び、一緒の布団で寝、いつも一緒だった。

 まだ泥酔する二人を残したまま、僕はタケルと一緒に、朝食の用意された、一階の居間へと降りて行った。

「タケルくん」

 僕は階段を降りる途中で立ち止まり、タケルに声をかける。僕の前にいたタケルも足を止めて、上の段にいた僕を見上げた。

「タケルくんの将来の夢って、何?」

 ふと僕が聞くと、タケルは階下で、子供達の間ではやりの、戦隊ヒーローの決めポーズを取りながら、快活に言った。

「ママをオレがまもるんだ! オレにはパパがいないから、パパのかわりに、オレがママをまもらなきゃいけないんだ!」

「……」

 こんな小さな子が、父親のいない自分の運命を呪いもせずに、母親を守ろうと、いたいけな決意を、既に胸に秘めている。

 それに比べて、僕は、両親に対して、既に際限ない怒りの炎を燃え上がらせている。

 間違いだということは、既にわかっているのに……親友や、愛する人のいる、あの幸せな世界に、僕はもう、戻れない。この怒りの炎で、自分はおろか、そんな大切な人や、居場所を、全て焼き尽くしてしまいそうな気がして。

 彼女に誓ったのに……この幸せな時間を、僕は守ると。

 僕は結局、あんな奴等から、何も守ることは出来なかった。僕は結局、友人までもあのクソ野郎に蹂躙されることを許した上、愛する人を、あんなに泣かせてしまった。

「そうか――タケルくんが、ミチルさんを……じゃあ誰もミチルさんのこと、傷つけたり出来ないね」

 へへっと、タケルは腕白に笑った。



 僕はその後、海の家の開店準備を手伝い、奥で洗い物やら、料理の手伝いやら、人目につかない場所での仕事を言い渡された。結局、二日酔いのジュンイチ達が起きたのは昼過ぎで、結局海の家を閉めた後の夕食まで一緒にいた。

 僕はミチルの手伝いをして、今日の夕食である焼きそば(海の家の残り物)を六人分用意して、ちゃぶ台に置いた。僕の隣には最近いつもタケルが座っている。

「いただきます」

 皆が今日の売れ残りの焼きそばをすすりだした。

「あの、この場を借りて、発表することがあるのですが」

 僕は箸を置いた。

「僕、明日、日本を出ようと思います」

「……」

 そこにいる誰もが呆然とした。タケルさえもそうだった。

「――マジかよ」

ユータが呟いた。

「――そうか」

 やがてナオキが頷いた。

「そう決断したのか」

「いやだっ!」

 タケルが、僕の膝元について、僕の体にしがみついた。

「ユーイチがいなくなるなんて、オレはいやだぞっ!」

「・・・・・・」

 恐らくタケルは、僕に父親のような――兄貴のようなものを感じていたのかもしれない。いくら強がっても、まだ子供――心には、どこかで誰かに甘えたいという気持ちがあったに違いない。

 僕は、短く揃えたタケルの頭を撫で、涙ぐむ少年の目を見て、言った。

「僕がここにいると、タケルくんもこれから大変なことになるんだ。怖いおじさん達が、ここにもうすぐ来ちゃうんだ。だから僕は、その前に逃げなきゃいけない」

 それでもタケルは強がるように、言った。

「そんなヤツ、オレがやっつけてやるさ! オレもケースケのトモダチだぞっ」

 タケルが意気込むと、僕は首を振って、タケルの頭を撫でた。

「タケルくんが守るのは、僕じゃない。ママだろ? パパがいないから、ママを守るんだろ?」

「・・・・・・」

タケルは黙ってしまう。

 僕は、右手の小指を、タケルの前に差し出した。

「きっといつか戻ってくる。だから、それまで、タケルくんはママを守るんだ。タケルくんは強いから、約束できるだろ?」

「・・・・・・」

 タケルは、歯を食いしばって、泣くのを堪えているようだった。母親の前で、泣き顔を見せたくないのだろう。

 やがてタケルは、黙って僕の小指をつないだ。

「ゆーびきーりげーんまん・・・・・・」

 昔教わった歌を口ずさみながら、思っていた。

 僕にも、こうして交わした約束があった。これから来る秋に、愛する人の好きな花を、一緒に見に行くと。

 それはまだ実現されていない。僕はそれを破ったのだ。そんな僕が、約束を交わしている。無責任な奴だ。僕って奴は。軽々しく、『約束』なんて口にして。

 約束を破られた彼女は、まだ待ち合わせ場所で、僕を待っているのだろうか・・・・・・

 僕はもう、そこには行けない。早くおうちへおかえり――

 そう思って、あの手紙を書いたけれど・・・・・・

「でも、日本を出るったって、どこに行くんだよ」

 ジュンイチが僕に訊いた。

「取り合えず、中国に行こうと思っている。臥龍と呼ばれた身として、孔明の墓に行きたくてな。北京から成都まで、取り合えず旅をして、武侯祠でお参りをしたら、そのまま西へ向かって旅をしようと思う」

 三国時代、諸葛孔明の主君、劉備が建国した蜀の国は、中国の西側の益州地方を支配した。その首都成都には、武侯祠という、孔明の霊廟がある。

 まず僕は、そこを目指して旅をすることにした。それまでに、僕の心に今も残る、怒りの炎が風化していればそれもよし、まだ何も見えていなければ、もうしばらく旅をするもよし、と考えていた。

「多分、数年は帰ってこないと思う。お前達とも、お別れだな」

 この日、平成の臥龍、サクライ・ケースケは死んだ。

 人々の記憶に残らないように、跡形もなく、人々の前から消えることを決断したのだった。

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