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World

「……」

「あ、別に、出て行けってことを言っているんじゃなくてね……」

 ミチルは僕の目を見て、かぶりを振ったが、また続けた。

「あなたはもう、正体がばれた以上、ここにいても何もならないわ。この海に、あなたが欲しいものは、何もないもの。それに、もうあなたをここで働かせるにも、きっともうすぐ出来なくなってしまう」

「……」

 その通りだ。今の僕は海の家の仕事をするにも、誰かにかばわれながらでしか仕事が出来ない。もう僕は、一人ではろくに身動きも出来なくなってしまった。

 僕の捨て身の攻撃は、明らかに効いた。校長が見せてくれた雑誌に載っていた、僕の家の前で、フーリガン化しているファン――マスコミやネットの中では、木根をかじるプレーリードッグみたいに、あの家族を根底からぶち壊す総攻撃が、もうはじまっているようだ。

 きっと妹は高校にも通えなくなったはずだ。祖母は今頃発狂しているかもしれない。母は間違いなく買い物にも行けなくなった。親父に至っては、生徒の前でユータ達を傷つけている。逮捕どころか、間違いなく懲役だろう。

 だけど僕もそのリスクは背負った。これだけ大々的にマスコミに騒がれては、僕のクソみたいな家庭環境は、全てばれてしまった。大学に行っても、就職試験では、それはかなりのマイナス点となるだろう――いや、そんなことはまだいい。まるで壇ノ浦の平家みたいに、盛者必衰の縮図となった僕を、誰もが容赦なく嘲笑、冷笑するだろう。一時は世界を掴みかけた男が、ただの中卒になるんだ。一体、それが何を意味をするのか。

 考えれば、不安は尽きなかった。

 そんな僕に、ナオキは、柔らかな声で、言った。

「ケースケくん。世界に夢を託してみないか?」

「――世界?」

 いきなり発せられた、漠然とした言葉に、僕は思わず聞き返した。

「ほとぼりがさめるまでと言っては失礼だが、今の君は、もう日本で穏やかに暮らすのは難しいだろう。それなら世界に出て、自分について見直す旅というのも、決して君にとって、無駄にはならないと思う。少なくともこの海にいるよりはいい。残念だが、君はもう、私やミチルなんかでは及びも付かないほどの力を持っている――君がここにいたいのなら、それでも止めはしないが、君の力になることはできない」

「……」

「君の力を持ってすれば、必ずうまくいく。俺も現役時代は、アメリカやオーストラリアに、波を求めて放浪したもんさ。サッカーでも、勉強でもない、自分の可能性を探しに行くんだ」

「……」

 世界……世界を旅する……

 今まで考えたこともなかった。

「日本を出て、君を応援する人、君を批判する人、色んなことから逃げるなんて思わなくていい。今からの脱出だ。家族や周りの人間に、メチャクチャにされ続けてきた、君の今の人生からの脱出だ。そう思えばいい」

「……」

 そうか。執着には、離こそが大事と言う。

 どちらにしても、今の僕は、強い執着――あの家族に、僕の手で裁きを下す――そんな復讐心に取り付かれている。

 一度日本を出て、頭を冷やしてみるのもいいかも知れない――どうせこの国では、何をしても、もう僕は過去の栄光と、家族の汚名が纏わりつくのは必至だ。なら、全てリセットするためには、日本を出て、誰も僕を知らない土地に行くしかない。

 何より――そうすれば、僕は、僕の私的な復讐に、誰も巻き込まず、誰にも迷惑をかけずに済む――このままでは、ナオキもミチルもタケルも、僕と共に野次馬から無用なことを言われてしまうだろうし、ユータもジュンイチも、僕をかばうことで、周りから色々と言われずに済む。

 きっと――僕がこの国から――皆の前から消えるのが、きっと一番いいんだ。

 そう思う。

 そう思い込もうとする。

 だけど……

 僕の短パンのポケットに触れる固い感触が、それを惑わせる……

「すみません、MDプレーヤーと、パソコンを一晩、借りてもいいですか?」

 僕は背を正して、二人に頼んでいた。

「今夜一晩、考えてみます」



『事件後、SNSのサクライ・ケースケのコミュニティ参加者が急増、12万人を突破』

『サクライ・ケースケの無罪主張の署名、68万人分が埼玉県警に提出、日本各地で署名活動を行うサクライのファンと、交通整理の警官が衝突』

『各界著名人、サクライ・ケースケの行動に、悲嘆の声』

『リーガエスパニョーラ、バルセロナFCが、サクライに10億、レアル・マドリーが8億でJFAにオファー』

『インターネット検索ワードランキング、1週間連続サクライ・ケースケ1位』

『緊急アンケート、サクライの行動、93%が賛同、サクライの両親、刑罰を下すべきが99%。サクライはサッカーをやるべきに7割の票が集まる』――



 深夜、電気を消したリビングで、僕は一人、パソコンの液晶画面を覗き込みながら、自分の名前を検索してのニュース、掲示板に目を走らせていた。



『親を殺しかけるなんて、最悪。サクライは罪を償うべき。逃げたのがまた卑怯』

『サクライくんの苦しみも知らない奴が、わかったようなことを言わないで!』

『ま、失踪したのは大きなマイナスだよね』

『本人が出てこないことには何も分からない』

『あんないい子が、どうして親に愛してもらえなかったんだろう』

『サクライ・ケースケという偶像の正体は、何だったんだろう』



 掲示板も、僕の話題でどこも荒れている。

「……」

 駄目だ――これでは僕は身動きが取れない。

 この騒がれ方では、僕がのこのこ戻っていっても、僕の行動は、他者には変に穿った見られ方をされてしまうだろう。悲劇のヒーローごっこだとか、同情票を買っているだとか、そんなつまらない周りの喧騒に、僕の行動は歪められていくだろう。家族の影、自分のした行動、過去がフィルターとなって、行動の評価も歪められる。

 僕がいくら優秀な結果を残しても、それでは得られる成果は少ないだろう。僕は動けば動くほど、誤解を呼び、それを増徴させ、世間と僕はやがて大きく乖離するだろう。

 その時、今は僕に味方している世間が、今度は僕の敵となる……

 そもそも僕は、そんな周囲の反応を窺っての復讐などしたくはない。でも、日本にいる限りは、そうして周りの反応を窺うことでしか、もう僕の居場所は出来ないだろう。そうしたって、僕の居場所などがあるのかも疑わしい。

「……」

 何をやるにしても、日本に残って行動を起こしても、その成果は薄い――その未来が、何となく想像できる。

 今戻れば、このアンケートどおりの結果なら、僕は顔も知らないファンに、可哀想、とか言われるのだ。僕は別にそんなことを言ってほしいわけじゃない。

「……」

 僕は海の家の外に一人出て、砂浜に大の字に寝転がった。もう時計は深夜1時を過ぎていて、当然砂浜は誰もいない。ユータ達と酒を飲んでいた頃より、少し風が出てきたみたいだ。波の音が、さっきよりも大きく感じられる気がする。

 僕の短くなった髪が、風で揺れる。ざーっという音と共に、体の周りの砂が流れていき、まるで砂浜を綺麗に洗い清めるようだった。

「……」

 僕は自分の短パンのポケットから、ユータが渡してくれた、何か固いものの入った封筒を取り出し、それを夜空にかざすようにして、見上げた。

「……」

 昔読んだ本に、こんな話があった。

 友達と遊んでいる時、村はずれのつり橋から落ちた主人公は、川下で一本の錆びた剣を見つける。石に刺さったその剣を抜いて、村に帰ると、村に巨大な魔物が出現した。主人公はその錆びた剣で、魔物を倒すと、村長の家に呼び出される。

 そこで主人公は、その剣の正体を知る。その錆びた剣は、昔の大戦で使われた聖剣だったのだ。

 それを主人公が抜いたことで、封印が解け、村に魔物が出てしまったのだと、村人は主人公を責め立てた。主人公は村を追い出され、そこから主人公の冒険が始まる――

 その主人公が手にした運命が聖剣だとしたら、僕の手にした運命は、聖剣か魔剣か――今の僕にはわからない。

 だけどこれが運命であることはどうやら誤解のない事実らしい。確かに僕は、顔が売れ過ぎてしまって、もうここで働くことは困難だろう。警察が僕の居場所を知っているんだ。そのうち――いや、3日も経たないうちに、マスコミがこの海の家の存在を暴くだろう。この海は大混乱になるのは、目に見えている。

 その前に、自分の身の振り方を考えなくては・・・・・・

 その点を考えてみると、外国に行くのが、やはり最上だろうか――どうせやることも決まっていないんだし、だからってここに留まっているわけにもいかないのだから。別のところに移り住んだとて、こうしてまたばれては逃げ、ばれては逃げの繰り返しだ。

 ――嘘だ。

 そう思っているなら、この空色の手紙を握り締める、この右手にこもる力は、一体何なんだ。

 どんなに自分を納得させようとしても、どうやら僕は、まだ助けを求めているらしい。今まで考えないようにしていたけれど――彼女の存在はすごく大きくて、僕はまた、あの夜のように、彼女に救いを求めている――そう実感した。

 僕は封を開けると、やはりそこには1枚のMDが入っている。

 僕はミチルから借りた、古びたMDウォークマンにそのMDを入れる。

「……」

 ――多分この中には、シオリの声が録音されているはずだ。

 シオリは、僕に何を言いたいのだろう。

 僕に殴られたことの恨み言かもしれない。あの時、親父を殺してしまうほどに暴れ狂った僕を咎める声かもしれない。もしくは、警察に自首して、罪を償えといわれるかもしれない。

 ――それを考えると、少し、怖くなる。

 何しろ僕は、彼女を殴ってしまった男なのだから。

 それまでは、僕はシオリを愛していたし、シオリも多分、僕を愛してくれていたと思う。

 ――でも、今は?

 ――考えていても仕方がない。僕は彼女の言葉を聞かないと、先には進めない。

 心の準備を整えるのに、5分もかけて、僕はMDの再生ボタンを押した。


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