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Faith

 随分長い時間が経ったようだったが、話していたのは、ほんの一時間にも満たなかった。僕は、ユータ、ジュンイチと共に、3人の後姿を見送った。二人はナオキに頼み込んで、ここに一晩泊まるらしい。ナオキ達も、二人が僕と積もる話もあるだろうということを察して、すぐにそれを承諾した。

 僕は溜息をついて、海の方を向いた。夜の海に満月が反射して、星が美しかった。

 でも僕の今の気持ちは、春に愛する人と一緒に桜を見た時の気持ちとは、明らかに違っている。憎悪を消化しきれない。前はこうして友や恋人と一緒にいるだけで、それで十分だったのに。

「ケースケ、本当にいいのかよ」

 隣にいるユータが訊いた。

「今は自分のすること、すべきことを考えるよ。大学に行こうと思えば、試験を受ければ大学には行けるし。サッカーだって、ナマらせなければまだいつでも出来る。今は気持ちの整理をしたいんだ」

「……」

「心配するな。やりたいことを探すって事に関しては、退学しても何も変わってないから。金銭援助がなくても、今なら貯金で大学4年くらい通うのは、いつでも出来るんだ。やろうと思えばできるそれを、今はやる気が起きない、もっと考えてみたいってことだけ」

 僕は精一杯強がって見せたが、先程の僕の決意を聞いたばかりの二人だ。二人とも、ばっちりこっちの思いを見透かしているような目をしていた。

 自分でも発した言葉が酷く萎えていることがわかった。考えると疲れるし、怖くなってくる。僕の言う、すること、とは、詭弁を並べても、回り道をしても、復讐には変わりないのだ。

しかも、サッカーも勉強も奪われた今、僕はどうすればいいのか……

行動にも規制がかかるし、身動きも取り辛い。この日本に、もう僕の居場所はどこにもない。

 僕達3人は、しばらく海を見つめていた。もう砂浜には誰もいなかった。波の音だけが、僕達の心に響いていた。

「ユータ」

 僕は夜空に浮かぶ月見つめたまま、言った。

「お前、あの時、僕に言ってくれたよな。もうこれ以上、あんな奴の犠牲になるな、って」

「ああ――」

 ユータはしみじみ返事をした。どうも感傷的になっているらしい。

「随分昔の話みたいだな。あれからまだ10日も経っていないのに」

「でも、僕は結局あいつらから抜け出せなかったよ」

 目の前で、夏の終わりを悲しむように、大きな音を立てて、波が寄せては返して行く。僕にはそれが慟哭に聴こえた。自分の目に、うっすら涙が溢れ出したからだろう。聴こえた潮騒が、僕は何故か悲しい響きを、僕の耳に残した。

「馬鹿だよな、僕は。理屈じゃわかっているのに・・・・・・」

 きっと――僕もこの潮騒と同じなのだろう。寄せては返し、寄せては返し――それでも結局、さらった砂を取り逃してしまう。僕もこの潮騒のように、手繰り寄せた幸せを、取り逃がしてしまったんだ。いつかは手繰り寄せられそうに見えた幸せは、決して一所におさまらない……

「アニメのフィギュアみたいなもんだな」

 海を見つめたまま、ユータが言った。

「は?」

 僕はユータの目を覗き込む。

「ほら、あれって一部の人には、ものすごいプレミアがつくんだろ? 俺にはその価値はわからないけどな。他にもそんなものは色々あるだろ。昔の駄菓子のおまけとか、某アニメの消しゴムとか、ヴィンテージのジーパンとか、大リーグのホームランボールとか。他の奴から見たら、ゴミ同然でも、そいつにとっては大事なものってやつが。ケースケの気持ちだって、他人から見ては無価値でも、お前にとっては大事なことだってだけの話だ。対象がフィギュアか、お前自身の心の問題かって差だけさ」

「――もしかして、価値観の違い、ってことを言いたいのか?」

「まあ、そうとも言うかな……」

 ユータは鼻をかいた。

「そうだな、ユータの言うとおりだ」

 ジュンイチが口を開く。

「三国志でも同じだろ? 玄徳は、漢王朝を復興させるために戦った。玄徳の敵の曹操は、漢を滅亡に追いやった。昔から玄徳が正義とされることが多いけど、実際にはどちらがいいか悪いかなんてことは、一言に言えるものじゃないだろ? 三国志の読者には玄徳派もいれば、曹操派もいる。お前の気持ちも一般常識と両天秤にはかけられない」

「……」

「更に孔明について言えば、当時弱小だった玄徳についたんだから。頭がいいってことが、イコール多数派に付くってことじゃないだろ。あの孔明だってそうなんだぜ? ケースケがその道を選んだのも、必然の中の偶然ってやつだろ。俺はそう考えるよ」

「――そうなのかな」

 何でだろう。僕はいつもこいつに慰められている。こいつが、僕にとってかけがえのない奴だってことに気がついたのは、つい最近のことだったのに。化石的な表現だが――何だかずっと前からこいつのことを知っていたような気がする――この良き友のことを。

「俺は難しいことは言えないけどさ……」

 ユータが、ボサボサの髪の毛を掻きながら、松葉杖をついて、海の方へ二、三歩前に出て、僕らに背を向けた。

「お前は今日、ムチャクチャでかいものを背負ってしまった。だけど、その中には、俺やジュンや、今もお前の家を囲んでるファンの思いも背負ったことも忘れるな。お前の家族への思いも並々ならんものだってことはわかるが、その人達の想いに報いることも、決して軽くはないぞ」

「……」

「それを見失うなよ。出来れば、どんなやり方でも、ケースケはもう一度這い上がって、俺達の前に姿を現すだろうって、俺は信じてるぜ」

 夕日を見つめながらそう言うと、ユータは体だけ向き直り、80年代アイドルのスマイルで、松葉杖の先を僕に向けながら、言った。

「何せお前は、俺が生まれて初めて惚れた、男、だからな」

「――何だよそれ」

「俺の好きになった男は、この運命も変えられる奴だって信じてるってことさ」

「……」

「俺はお前を信じている。たとえお前が道を踏み外して落ちぶれても、最後の最後までお前を信じぬくぞ。だからよ、頑張ってみろや」

僕はユータに、松葉杖を持っていない方の手で、腹を軽く小突かれた。

「――ありがとう」

自分でも予想外に、優しい声が出た。

「まあまあ、今は俺達の再会を楽しもうぜ。時間はたっぷりある」



 ――その後、夜の海で僕達3人は、思いきりはしゃいで、浜辺で遅くまで語り合った。二人が調達した酒を、夏の月と、空に広がる満天の星――天の川を肴にしこたま飲みながら、僕達は、今の状況さえ忘れて、笑い合っていた。

 あの悪夢の時間の直前――僕達は夏の大会後の、海への一泊旅行を計画していた。それがまさかこんな形になってしまうとは、思ってもみなかったけれど……

「あー……酔った」

 堤防に並んで座って、僕達は、夜の海を眺めていた。水平線の向こう――もうどこからが空なのか海なのか、真っ暗でよくわからなかったけれど、その暗闇の大スクリーンの真ん中で、空にあるはずの満月が、海に反射しているのが見えた。

「相変わらず、僕は酒が弱いな――一度もお前らに勝てない」

 僕はぶるぶる頭を振った。

 だけど二人は僕の両脇で押し黙っていた。随分としおれて元気がない様子だった。

「おい、どうしたんだよ。いつもは酔っ払うとケタケタ笑ってるくせに、今日は」

 僕は立ち上がって、二人の顔色を伺った。

「実を言うとさ」

 しばらくして、ユータが持っていたビールの缶を、脇に置いた。

「俺達、ここへは、お前にぶっ飛ばされるの覚悟でここに来たんだよ」

 ユータはそう言ってから、ジュンイチに目配せをした。するとジュンイチは、ああ、と、頷いた。

「――何で僕がお前らを?」

 意味がわからなかった。呆気に取られた僕を、ユータがバツの悪そうに見ている。

「俺達が、お前の弱点になった。そして、お前の苦しみに気付いてやれなかったからさ」

「……」

 ジュンイチが口を開く。

「お前が止めたのに、俺達はお前のオヤジに手を出した。返り討ちにあうこと、お前はわかっていたんだな。お前は俺達に傷ついてほしくないと思ってた。なのに俺達が不用意に飛び出して、お前のオヤジ殿に倒されたことで、お前、壊れちまったんじゃないかと思ってな」

「……」

「お前、家族に虐待されていた時は、きっと、生きるために従うしかなくて――あの家では最下層だったんだろ? それが急に、お前がこうして満天下に飛翔しちまったから、お前等家族は面白くなかったんだろうな。おまえ自身にいくら攻撃しても、何も答えなくなってしまって……だから、俺達に目を付けたんだ。お前の家族は、お前の幸せよりも、お前をもう一度最下層に引き摺り下ろそうとしたんだろう。そうじゃないと、家で自分達が居場所を失うから……」

「……」

 すっかり酔いが覚めた頭に、あの家族の顔が浮かび上がった。何一つ人間らしさを教えてくれなかった母親、わがまま放題の祖母、僕をいつまでも蔑んでいた妹、そして、あのクソ親父の顔。

僕の幸せを、これっぽっちも望んでくれず、家族で一人だけ幸せにありつこうとするなら、その幸せを壊してやろうと考えるような人間だった。

「そして、それを突き止めた。お前を変えたのは、お前の周りにいる人間だった。そして、あのクソ親父殿は、お前を攻める事を止め、そこを攻めにかかった」

「……」

「今まで弱点を作らないよう、力を求め続けて、完璧に武装していたお前が、作ってしまった唯一の弱点が、俺達になってしまったわけだ・・・・・・俺達があいつに殴られなければ、お前はあそこで冷静さを失わなかったはずだ。もっといい対処が出来たはずだ」

「・・・・・・」

 ジュンイチが言う。

「俺が言うのもなんだが・・・・・・俺達はお前を、一時は救うことが出来たかも知れん。だが、同時にお前の最大の弱点になってしまった。俺があの親父に一発くらわされた時、ぶっちぎれたお前見てわかったよ。お前が今まで自分を追い詰めていたのがさ」

「……」

「諸刃の剣ってやつだな……俺達は。ダチなのに、お前の苦しみに、ちゃんと気付いてやれなかった。挙句お前を追い詰めてしまった」

「違う」

 僕はいきり立った。そして、二人とちゃんと向かい合い、言った。

「例え諸刃の剣でも、その剣がなければ、僕はずっとあのままだったんだ。お前達が、僕に勇気をくれたんだ。わかったことも沢山ある。それは何にも変えがたいものだった。むしろ感謝してるくらいだ。お前達がいなければ、あそこからこうやって逃げ出す勇気も出なかった。お前達も、半年前、怪我して僕が病院に運ばれた時、僕に言ってくれたじゃないか。友達が傷ついて、放っておけるか、って。それと同じさ。僕だって、お前達が傷ついたら、黙っていられないさ」

「……」「……」

「ユータ。さっきお前が言ってくれたけれど、僕もお前らに惚れこんでる――誇りに思うよ。ありがとう。お前らに出会えて、本当に良かった」

 僕は、軽く微笑んで見せ、そして、手を伸ばした。

「初めに会った時は、お前達が手を差し伸べてくれたよな――今度は僕がやるよ。これまでも、そしてこれからも、僕はお前達を、最高の親友だと思っている。これからの僕は、自分でもどうなるかはわからないが、それでもお前達が僕を信じてくれるなら、俺はこれからも、お前達が僕を友と呼ぶに恥じない男になる――その志は、絶対忘れないから……だから、僕を信じてくれないか?」

「……」

 僅かな沈黙。しばらくしてからジュンイチが噴出した。

「照れるからやめてくれよ。ケースケにそういうことされるなんて、むずがゆいぜ」

 と言いながら、ジュンイチは僕の手を握り、固く握手した。

 ジュンイチの目には、薄く涙が光っていた。僕の手を強く握る手は、まるで自分の心の温度まで伝えるかのように、熱かった。

そして、ユータの方へと手を向けたが、ユータはバツが悪そうな顔をして、それでもほんの軽く手を握って、言った。

「へへ、そんな恥ずかしい台詞、よく言えるぜ。さすがケースケだな」

 ユータが

「だが、それがケースケなんだな。バカな奴だが、それ以上に純粋な奴だ。純粋だからこそ、バカな奴で、損得勘定では動けない、まっすぐ過ぎる男なんだよな」

「……」

 ゆっくりと手を離し、そして今度は、しっかりと僕の目を見据えて、言った。

「でもよ、あの娘のことは、どうするつもりだよ」


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