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Elementary

 電車に乗り、流れる景色を眺めながら、僕はあることを思い出していた。

 小学校の文化祭――僕のクラスは被服室を借りきって、そこに迷路を作ることになっていた。ダンボールを貼り合わせて、関門を作り、そこをほふく前進で進むのだ。他愛も無い行事だったと思う。皆はダンボールを切り取ったり、貼り合わせたり、その中に行き止まりを作ったり、関門のクイズを考えたり、楽しい放課後を過ごしていた。

 当時の僕は中学受験のため、学校が終わればすぐに塾という生活を繰り返していた。放課後、彼らと遊ぶ時間もなかった僕は、学校に居場所はなかった。勉強が飛び抜けてでき、地元の有名な菓子屋の御曹司――明らかに僕は、浮いていた。

 勉強の虫で体は小さく、スポーツはまだそこそこのレベルだったが、勉強だけはどれも群を抜いていた。典型的な中学受験生だった。夏休みの自由研究やら、感想文をはじめ、書道や絵画やらでも優秀な成績を残し、僕は明らかに同級生とは違った。僕に勝てる奴は、まわりには誰もいなかった。

 僕はあの小さな城で特別だった。頂点を極めてしまった者が感じる退屈みたいな感情を、いつも抱いていた気がする。家庭のこともあって、呑気に生きているだけの級友達に対して、おかしな優越感を抱いていた。こいつらはただ無意味に生きているだけの存在に過ぎない。だけど僕は違う。ただ呑気に生きているお前達とは格が違うんだよ。そんな周りの世界を超越したような、虚しさと同時に伴う誇りを抱いていた。

 いつも孤独だった。人に、怖い、とか、気持ち悪い、とか言われながら生きてきた。少し目が合っただけで、じろじろ見ないで、とか、色気づきはじめた女子に言われたりして、僕と皆の溝はどんどん深まった。言っていることも理解してもらえなかった。それが僕を更に超越させた。周りの愚物の理解を超えた自分、その図式が好きだった。

 誰も僕を理解できなかった。僕は孤独な時間を消化し続けながら、同時に誇らしくもあった。そいつらに理解されたくもなかったからだ。理解されないという快感は、そこに達してみないことには、絶対に理解できないものだろう。

 ――放課後、僕は塾のため、いつもその製作に参加せずに帰っていた。担任は僕の成績優秀振りを知っていたので、理解を示してくれたが、級友達は発展途上国からの留学生でも見るような、日本人特有の卑屈な目で僕を睨んでいた。教師にゴマを擦っているように見えたのだろう。小学校の担任とコネを作る奴なんて、普通いるはずない。ガキのいじめとは、世の中の仕組みがわかっていない。全てが幼い感情論。

 作業に参加したいと思ったこともなく、特別扱いが好きだった。皆と違うということ、それが僕の小さな胸を、孤独という爪が毎日抉り、皆と違うことを、僕一人がやっている、その痛みが特別な痛みとして、僕にまた新たな誇りを訴えていた。

 そんな時塾が休みの日があった。作業をサボる建前もないので僕はその作業に参加した。

 僕はクラスメイトにはじかれていたのだろう。迷路の設計図も見せてもらっていなかったので、被服室に行っても何をすべきかわからず、隅で立ち尽くしているだけだった。

 皆が楽しそうに笑いながら、僕の知らない他愛もない何かを作ったり組み合わせたりする姿を眺めていた時だった。

 一人の女子が何人かを引き連れて、僕に歩み寄ってきた。成績も悪く、顔だっていいわけじゃないが、こういう行事になるとしゃしゃり出て皆に指図をする、腰掛OLにでもなって、上司に媚を売り、お局になるような将来が容易に想像できそうな、いわゆる、『仕切り屋』な女だった。

「やることもやる気もないなら、どいてくれない? 邪魔なんだよね。大好きなベンキョーでもしてたら?」

 僕を一段下に見て、優越感がニカワみたいに粘りを持って、嫌らしくその女の顔に貼り付いていた。取り巻きも腰巾着みたいにその女の意見に賛同し、僕に畳みかけた。

 滅多に勝てるチャンスのない僕をいたぶって優越感に浸りたかったんだろう。だけど、僕は内心鼻で笑っていた。低俗ないじめに屈するほど、打たれ弱いわけでもなかった。

 数日後――偶然僕の参加した放課後に、一つ問題が起こった。あまりに長く入り組んで作ってしまい、破綻を恐れてガムテープで密閉してしまったため、中は真っ暗で、迷路どころではないことがわかったのだった。子供の稚拙な設計の穴だった。

 級友達は二日後に控えた文化祭を控え、焦るばかりで考えがまとまらない。組み立て直すとか、上にたくさん穴を開けて光を入れるとか、案が出たが、一番多かったのが、ほっといてこれで完成にしてしまう、というものだった。

 あれだけ雁首そろえて、何ひとついい案が浮かばないのか。被服室の隅で、腕組みしながら、その滑稽な井戸端会議を眺めていた。

 僕に偉そうなことをほざいた『仕切り屋』の女子の顔が強張り、紅潮している。恐らくあと30分もすれば、この工事の指揮をとっていたこの女子に、クラス中のバッシングが集中することだろう。その光景を想像し、下卑た快感を覚えながらも、僕は理科室に一人向かい、作業にかかった。

 しばらくして僕は被服室に戻った。額をこすり合わせて、馬鹿みたいにまだ議論をしていたらしい級友達が、僕の入って来る引き戸の音を聞いて、僕の方に顔を向けた。僕は乾電池やら、実験に使う豆電球やらコード、変圧器やら簡易スイッチやらを抱えていた。適当な場所に座り込み、コードをつなぎ直した。

 今まで何もしていなかったガリ勉が、変なものを持ってきたぞ、とでも言いたそうな顔をして、級友達は僕の作業を覗き込んでいた。僕は乾電池とコードの接続を繰り返した。数を理科室で揃えることは出来なかったので、豆電球の周期は長めにしてあった。同じ長さのコードを二つつなぎ終えると、僕は迷路のスタート地点から入り、ガムテープでコードを左右の壁に貼り付けながら、最後を錐で壁に穴を開け、外にコードの一端を出し、スイッチと乾電池につないだ。

 級友達は、自分たちの作った迷路の中が、僕のつないだコードによって照らされ、大はしゃぎしたことは言うまでもない。秘密基地みたいー、と、僕の目をはばからず、無恥にはしゃいでいた。

 その顔を見て、僕は酷く虚しくなった。張り合いがない。もっと恥を知る奴等だったら、僕もニコラ・テスラにでもなったかのような気分のままでいられたのに。

 僕はそれを見て失望した。僕を蔑んで、薄ら笑いを浮かべていた、あの『仕切り屋』も、はしゃいでいた。いじめようとした奴に助けられて、喜ぶなんて、興醒めもいいところだ。

 僕はさっさとそこを出た。『仕切り屋』をすれ違い際、冷酷に一瞥すると、クラス中が凍りついた。そのまま一人被服室を出、二日後の文化祭もサボった。級友の面を見る気にはなれなかった。きっと誰もが、この迷路の大成功を誇るだろう。そんな反吐が出るような交遊録など、胸焼けがするだけだ。

 文化祭の翌日から、僕に対しての嫌がらせがはじまった。無視からはじまりそこから次第にエスカレートした。机の落書きや、朝教室に入ると僕の机がなくなっていたことからはじまり、ランドセルは彫刻刀でズタズタにされたりした。それが肉体への苦痛を伴ういじめへエスカレートするのに、それほど時間はかからなかった。

 そしてその首謀者が『仕切り屋』の女だということを知った。その女がある日、昼休みに徒党を組んで出てきて、理科室に僕を呼び出し、クラスメイト全員の見ている中、取り巻き全員で僕を押さえつけた。『仕切り屋』は僕を押さえ込んでいる奴等の一人に僕の腕の服をまくらせ、別の奴がマッチを取り出して火をつけた。

「お前、でかいこと言うんだったら、これも我慢してみろよー」

 クラスでも癇に障っていた、ただ空元気だけが取り得の頭の悪い男子が煽ると、クラス中が合いの手と手拍子に包まれた。恐らく誰かがテレビか何かで見た『根性焼き』を真似たのだろう。

 体からとんでもない力が湧きあがった。僕は男女10人くらいで押さえ込まれていたけれど、それを自分でも驚くほどの力で振り払うと、男も女も関係なく、僕を押さえつけていた奴等を叩きのめし、床を舐めさせた。

 僕を押さえつけていなかったクラスメイトが、僕と『仕切り屋』を取り囲んだ。僕に殴られて、立ち上がったクラスメイトも、僕を怖がって一歩引いてそこに混ざった。僕が睨んでいると『仕切り屋』はまだ余裕を見せたいのか、引きつった顔を無理に薄ら笑いの形に歪めて、こう言った。

「最低だね、女の子を殴るなんて」

 次は自分の番だ、とわかっていても、それでも自分を正当化したかったのだろう。

「もしお前が男を殺したら、女だからって理由で無罪になるか?」

 僕はそう答えると、『仕切り屋』に近づいて、右腕を首にかけ、足を払って体を倒した。うつぶせになった『仕切り屋』の首を右腕で鍵締めのように持ち上げ、僕は腰の上に座り、アシカのようなポーズにする。『仕切り屋』は、息が出来ずにばたばたしている。

「勘違いするなよ。男は女に優しくしなきゃいけない。それは、男の方が力があるんだから、重い物を持ったりくらいはしてやらなきゃ、って意味だ。悪いことに男も女も関係ない。そんな理由で、人にマッチ押し付けようとしたことを、正当化できると思ってるのか? あまり人をなめるな」

 教室中に声が響くように、ゆっくりと、徐々に声を大きくしながら、僕は言った。もう一度首をぐいっと押し上げる。無理な体勢の上、呼吸もできず、相当の苦しさだったことだろう。やめて、と、気道の締まった喉の隙間を通すように、『仕切り屋』は声を押し出した。その無様な姿を見て、僕は心の底からの嘲笑が湧きあがった。

「いいか、俺はここでお前にマッチ押し付けたりすることも簡単だが、そんなことはしない。お前等みたいな連中相手にして、俺の価値を下げたくないんだ。お前等が俺が気に入らないなら、それで構わない。だがな、俺の邪魔はするな。俺がお前等の上を行く形で、少し待ってりゃ俺が確実に縁を切ってやる。黙ってたって俺がお前等の前から消えてやるから、それまで大人しくしていろ。いちいち手間をかけさせるな」

 僕は声高らかに吐いた。初めて自分の本性を周りにも、そして自分にもさらした。

その時からクラスの連中は僕を怖がった。実力行使の恐怖による統制の威力を、僕は家庭で嫌というほど味わっていたから、それを連中に実践すれば級友どもも黙るだろうと考えた。

 しかしそれで止むと考えていたいじめは、愚鈍な同級生達の数にものを言わせて恐怖を紛らわす手によって変わりなく続いた。しかしいじめのスタイルは明らかに変わった。僕と向き合う連中を見て、きっとインターネットで、音楽や小説を批評するレビューに、糞のような言葉で作品や作者を汚し、それが暴力であることにも気がつかない奴が、パソコンの前で、こういう醜い顔をしているんだろうな、と、子供心に思った。

「最低だな。散々人をコケにしやがって。友達もいないんだろ? 可哀相な奴だなぁ」

「ふふ、正義面しても、お前等のしていることは集団リンチだろ。お前等卑怯者には似合いの卑屈さじゃないか」

 痣の上に痣を重ねるような毎日だったが、殴られるよりも奴等に屈服する方が嫌だった。

 考え方が変わったのはその時――殴られることを恐れずに、家族にも立ち向かう勇気が出た。僕は誇りを持っていたから、それを守るために戦う決意をした。

 そこからの僕は、一体何だったんだろう――僕の正しさを頑なに信じて、だから誰にも屈服したくなかったから、心が揺れないように、必死で勉強して、体も鍛えて、力をつけてきた。力があれば、卑屈にならずに済むから。そう信じて。

 名前を聞いて誰もが驚くような私立の名門中学に合格して、僕は旧友と同じ屋根の下にいた日々を去った。ボロボロに殴られても屈せずに、僕は一人でも負けなかったことを証明できた。それは僕の誇りであった。

 それから先は、常に自分がそういう位置にいられるように、努力を惜しまなかった。

 この時からだ。僕が家族に反発し、人を憎みはじめたのが、きっとこの時……

 いつから、僕はこんな卑屈な人間になってしまったんだ?

 今日ユータやシオリに向けて発した、怒気にも似た焦燥感――どうして忘れていたのかわからないけれど、小学校の時、僕はあんな気分をいつも味わっていた気がする。

 あの頃の僕は、勉強が出来てもまだ十歳の子供だった。幼かった。大人ぶっても、怒りをコントロールできなかった。小学校の級友達のような愚物の蠢動にも、怒りの焔を燃え上がらせ、それをぶつけ続けた――今日の気持ちは、あの時の気持ちの再現なんだ。

 僕の絶え間ない憎しみが、僕の周り全てを敵にした。力で全てをねじ伏せて進む以外の生き方を、出来なくしてしまった。

だからいくらやっても敵が消えるはずもない。そして僕は、戦い続けた。麻薬中毒で幻覚に向かって暴れだすように、本当はいるはずもないその敵の幻影に、拳を振るい続けた。

 小学校の時から今でも、僕は怒りを払拭できずに愚行を繰り返しているんだ。

 邪魔をするものを一掃しようと、僕は今も愚かに戦い続けてしまっているんだ。


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