Murderous‐impulse
親父の動きが硬直する。
「――ふざけんな」
僕の横で、静かだが、鬼気迫るジュンイチの舌鋒の声が響く。
「どけよ、兄ちゃん」
親父はジュンイチを血走った目で睨む。もう口調と同じく、目も、先程までの穏やかな雰囲気は微塵もない。
「ふざけるなよテメエ! テメエらは息子を何だと思ってやがる!」
ジュンイチが怒鳴って、親父の手を振り捨て、僕の盾になるように、僕の前に立つ。
学校市のお調子者で知られるジュンイチがこんなに怒るなんて、クラスメイトも面食らっている。普段優しい奴が本気で怒ることほど怖いものはない。
「ふん、人聞き悪いこと言うなよ」
しかし親父はそんなジュンイチの怒りを一笑の下に捨てる。
「現にこうしてこいつは学校に元気に通っているだろうが。それは俺達が働いて、こいつに食べさせ着せてやっているからだろう? こいつを育てるのに、俺達も相当な元手を払ってるんだぜ? 息子として、親孝行をするのは当然――」
「そのヤニ臭ぇ口を今すぐ止めろ」
親父のへらへらと狂的に笑っての言葉を、ジュンイチの静かな声がかき消した。
「毎日期限切れのコンビニ弁当食って、育ち盛りに体も大きくならなかった。部活帰りの疲れた体で、毎日夜遅くまでバイトして、それでも苦しみ続けていたこいつを見て、何も思わないのかよ!」
「……」
ジュンイチの声は、震えていた。僕が見るジュンイチの背中も、小さく震えている。泣いているんだと分かった。
「ジュンイチ……」
「やっとわかったよ――ケースケ」
「……」
「お前の苦しみも、お前を助ける方法も、やっとわかった……」
「……」
ジュンイチは、少し情緒不安定になっている。拳を握り締め、怒りをコントロールできない様子が、外からもわかった。
「――俺もわかったぜ」
そう言って、親父も僕を見る。
「ここ半年、お前が急に反抗的になったのは、こいつらのせいか。こいつらがお前にいらんことを吹き込んだせいだろ?」
「!」
「言ってたな、俺達がいくら日陰にお前を置いても、何度でも日向に植え直してくれるとか何とか……」
「――やめろ。こいつらは関係ない。こいつらに手を出したら……」
「ふん、ガキの友情ごっこはお呼びじゃねぇ。うちの家族の問題だ。そこをどけ」
僕に吐き捨ててから、親父はジュンイチにもう一度警告した。
「アンタ……本当にケースケの父親かよ! 息子から何でそこまで、何もかも奪うんだよ!」
すごむような、ジュンイチの声。
「俺が知っているサクライ・ケースケは……力があっても、あんたみたいにそれで人を支配しようなんてことは絶対にしねぇ。誰よりも優しくて、人の痛みを自分のことみたいに感じちまう馬鹿だけど……純粋で、真っ直ぐで……」
「ジュンイチ……」
「アンタが――アンタがケースケの父親であってたまるか!」
息を搾り出すようなジュンイチの叫びに、親父は酷薄な笑みで返す。
「フン、だったら何だ? 俺があいつの父親じゃないとでもいう気か?」
「……!」
「残念だが、戸籍があるんでな……テメェの安い理屈なんざ、お呼びじゃねえんだ」
その言葉に、ジュンイチが拳を握り直したのがわかった。
「やめろ! ジュンイチ!」
僕はそう叫んだ。
けど――
ジュンイチはもう、親父に突進していた。
罠だ。あいつは、いつだって挑発をして、相手に手を出させるんだ。
その瞬間、僕の目の前で……
親父は、ジュンイチの拳を、その太い腕で払いのけると、勢いのついたジュンイチの腹に、ショートアッパーを叩き込んだ。
どむっ、という鈍い音と共に、ジュンイチの息の漏れる声がした。ジュンイチは親父にひざまづくように、膝を突き、何度も咳き込んだ。
「ジュン!」「ジュンくん!」
ユータとマイが同時に叫んだ。でも、それはジュンイチの耳には届かなかっただろう。ユータが叫ぶより一瞬早く、クラスの女子の何人かが悲鳴を上げていたからだ。
うずくまるジュンイチに、親父はもう一度、腹に蹴りを入れた。ジュンイチはそのまま、仰向けに倒された。
内臓のどこかに当たったのか、ジュンイチは再び激しく咳き込んだ。そしてそのまま、とどめの言葉を吐き捨てた。
「正当防衛だ。身の危険を感じて、手が出ちまったんだよ。こうでもしないと、このガキ、俺を殴るまで、因縁つけてくるだろうからな」
「!」
反射的に、僕は猛然と前に走り出していた。
2、3歩の助走から、右足一本で前に飛び、空中で手近にあった机を踏み台にして左足で二段飛び――そしてうずくまるジュンイチを飛び超え、親父の顔面に、膝を繰り出し、必殺のシャイニング・ウィザードを御見舞いしようとした。
自分の繰り出す左足が、風を切る音を纏わせて、技の名の通り、闇を切り裂いた。
しかし、親父は僕の攻撃を読んでいたのか――
いや、予測していなければ出来ない反応の速さで、右腕を顔の前で出し、僕の脚を受け止めた。脚にじいん、と、衝撃が伝わった。完全に決まっていたら、間違いなく僕の脚は、こいつの頭蓋骨を割っていただろう。
そして――僕は、蹴りの勢いで、空中でバランスを崩した視界の端に、見た。
親父は、にいっと下卑た笑いを浮かべるのを。そして、体を後ろへ、すいと引き――右拳を握り締めるのを。
僕が着地するかしないかのところで、親父の大きな鉄拳が飛んできた。バランスを崩していたので、かわすことも到底出来なかった。
僕の薄い右頬に、親父の必殺の正拳がクリティカルヒットした。女子並みの軽量の上、バランスを崩していた僕の体は、そのまま後ろに吹っ飛び、教室の机の列に背中から突っ込んだ。後ろにあったいくつかの机や椅子が、僕に巻き込まれて、がたがたと派手な大音響を残して倒れた。机に入っていた、級友達の教科書や、携帯電話が、一緒にどさどさと落ちて、僕に降りかかった。
「ケースケくん!」「ケースケ!」
シオリとユータが僕に駆け寄ってくる。僕の体の上に崩れた机や椅子を、ユータがのけてくれた。シオリは僕の口元に手を伸ばす。血が出ているのだ。口の中を切ったらしい。舌に血の味が伝わった。クラス中が体をすくませ、僕の近くへ駆け寄った。
顔がずきずき痛んだ。吹っ飛んだ時に、どこか背中を打ったらしい。一発の鉄拳の激しいダメージが、どくどくという血の流れる音を纏わせて、僕の全身を浸食していくように伝わった。
「みんな――この教室から出ろ!」
ユータがそう叫んだ。
「早くしろ! こいつら、何するかわからねぇぞ!」
その言葉が、蜂の巣をつついたように……クラスメイトは我先にと、教室から逃げ出していた。悲鳴をあげる者もいた。
そして教室には、僕達5人と、親父だけが残った。
僕はユータに支えられ、半身だけ起こすと、親父は僕を見下ろして、余裕の笑みを浮かべた。
「ふん、親に向かって蹴りかかってくるとは……まだ立場がわかってないんだな、いい機会だ。お前が二度と勘違いしないように、この場でお前の希望を刈り取ってやろうか。ドブに落とせば雨も気にならねぇ。お前が俺達に従うだけの存在だって、もう一度体にすり込んで、心おきなく外国でサッカーできるようにしてやるよ」
「……!」
それは、あからさまの挑発だったことは間違いない。
しかし、今の僕はまったく冷静な判断を失っていた。この身に残る激痛に、殴られた拳が纏っていた、ヤニの臭い――そして、僕の眼前でまだうずくまっている、友――ジュンイチの姿。
こいつは友を――僕の大事な親友さえも傷つけた。
「貴様! 今ここで殺してやる!」
僕はいきり立って、そう叫んだ。
周りの4人が、その叫びにすくみ上がるのがわかった。しかし、もはや闇に染まってしまった僕の心は、怒りを既に解き放ってしまった。もう止められない。
「あ? 何だって?」
親父は、またも僕を挑発するように、訊き直した。僕が久々に挑発に乗ってしまったのを見て、もうこっちのものだ、と思ったのだろう。
「殺してやるから、そこを動くな! 八つ裂きにしてやる!」